子供の頃から花や動物が好きだった。幼い頃の一番のお気に入りの写真もネコと一緒である。家の飼い猫ではないことは確かだが、どこのネコかは覚えていない。三鷹の家で撮ったのであろうとは思う。
その後、父が時計屋の店を出していた幼児期の数年を中野の商店街で過ごしている。高度経済成長直前の東京の住宅事情というのはすさまじいものがあった。下を店舗にしたごく普通の家の1Fの店とその奥の板の間、2Fの1間を借りていた。廊下の反対側の2部屋に大家さん一家5人が住み、奥の部屋に独り者のお兄さんが下宿していた。人間が9人と大家さんの三毛猫、その三毛猫の友達の黒猫が住んでいた。この黒猫、食事は近所のおばあさんが運んでくるが、厳密に言えば誰のものでもなくそこをテリトリーにしているネコだった。
我が家が借りていた2Fの部屋から隣の家の2Fに共有の物干し台がかかっていた。1つ年上の隣の女の子とはよく遊んだし、大家さんの中学生のお姉ちゃんや小学生のお兄ちゃん達にもよく遊んでもらった。そして2匹のネコとはほとんど一緒だった。昼間は黒猫を抱えて遊ぶことが多かったが、夜は一番早く寝床に着く私を待つようにして三毛猫が一緒に寝に来た。
この三毛猫、なかなか利口でお正月に我が家の食器棚から蒲鉾を盗んでいった事があったらしく、母がずいぶん後まで悔しがっていた。まだ全体に貧しかった時代、しかも商売向きでない父の店は子供の私が見ても暇そうで、たいていは店の隅で時計の修理をしていた。
この三毛猫の死は覚えている。階段の踊り場でダラ〜ンと長く伸びて、多分体の緊張が抜けたために出たおしっこの池ができていた。
三毛猫が死んでも黒猫は居ついていたようで、抱えて遊んでいると隣の1Fの甘味屋のおばさんに「ぼろ毛布かと思ったら…」とよく笑われた。1年保育の幼稚園に上がったのはそこでだったが、実質的にほんのしばらくしか通っていない。秋には幼稚園をやめて岡山の母の実家へ行っている。そして小学校に上がる前に三鷹に帰ってきた。
三鷹の家の周りの子供社会はちょうど切れ目で、1つ上の男の子2人以外はみんな年下だった。子供社会の仁義で学校ではこのお兄ちゃん2人が結構面倒は見てくれたが、遊び友達がなかなかできなかった。ここで話はしばらくネコではなくイヌ物語となる。
家の右隣には白いイヌが居た。もうおばあさんのイヌで縁の下に自分で掘った穴にもぐりこんでたいていは寝ていたが、「シロ」と呼ぶとたいていはノッソリと出てきた。昼間はおばあさんが留守番をしていた家だったがあまり口を利いた覚えも無い。たまに同じ年頃の孫の女の子が来ている時はもちろん「あそぼ!」と声をかけに行ったが。
そのまた隣の家は当時の基準としてはハイカラだった。ぐるりを塀で囲んだ中でコリーを放し飼いにしていた。長い鼻面とフサフサとした毛のイヌが、外から「ポール」と名を呼ぶとドンと塀の上に前足をかけて顔をのぞかせた。この家には子供が居なかったのだが「おばさん、ポールと遊びたい」と大勢で押しかけてはイヌと一緒に庭を踏み荒らしていた。それでも庭には季節ごとにバラやボケなど背の低い花木が花を咲かせており、子供達にとってはちょっとした異空間だった。
家の反対隣にはスピッツのコロちゃんがいた。家と共有の井戸小屋の脇に繋がれていたのでよく遊んだ。遠慮なく庭にドタバタと踏み込んで「危ないからそっと歩きなさい!」とか「赤ちゃんが寝ているから静かにしなさい」とか、ここのおじいさんには良くしかられた。おじいさんは弓作りの職人さんで庭には仕事用の竹がたくさん立てかけてあったし、工具などもあったはずなので当然の事だったが。小学校中学年位の頃には「お散歩に行ってあげる」と言ってはおばさんに鎖をほどいてもらって連れて歩いていた。その頃、猫がいなかったわけではない。町会の役員のおばさん(もちろんご主人がやっていたのだろうが、会費集めも何かの連絡もおばさんが来た)の家には白猫がいた。丸々肥えてノコノコ歩いているのだが、はしゃぎ声をあげて追いかける子供につかまるほどドジではなかった。
お向かいのお姉さんの所にはキジ猫がいた。こちらは遠慮する事もないので、お姉さんが居ると「ネコは?」と何人かで連れ立ってはよく遊びに行った。駄菓子屋さんの真っ赤な酢イカや甘いのしイカで猫の関心をかった。○○ごっこやゲームではなく、ネコをかまいながら何となくおしゃべりをするなどという遊びはこのお姉さんの所で覚えた。
この頃、家には金魚すくいで手に入れた金魚が何匹かいた。岡山の祖父は金魚を卵からかえして縁側中に洗面器を並べて飼っているような人だったから、よく金魚の話で手紙を書いた。祖父の指導が良かったのか長生きをした金魚は高校時代に自宅にネコが来てからも私の机の上の金魚鉢に君臨していた。
同じ頃に叔母の所で増えた十姉妹の子供も何羽かもらってきた。昔カナリアを飼っていた頃に使っていたという祖父の手作りの小屋(箱)で飼いはじめた。だんだんネコが来にくくなる環境になっていく。
しかし、野良犬・野良猫ともけっこういた。捕まえてきたり、くっついて来た事もあるが、飼わせてはもらえなかった。もう一箇所、猫と遊べるとっておきの場所があった。小平の叔父の実家、おばあさんの所に白猫がいた。しょっちゅう仕事帰りの叔父に迎えに来てもらっては泊まりに行っていたが、おばあさんの家は隣だった(敷地内に叔父が家を建てた)ので猫にひかれてこちらにもよく遊びに行った。叔母とおばあさんはあまりうまくいっていなかったようだが、叔父にもその弟にも子供が無かったおばあさんに私はずいぶん可愛がってもらった。
屋敷林に囲まれた古い建物の縁側の籐椅子にこの白猫はいつも寝ていた。撫でてもじっとしていたが、抱き上げようとすると迷惑そうに逃げていった。猫を追いかけて奥に行くのは子供なりに遠慮していたようで、黒ずんだ縁側の板のイメージしか覚えていない。