パピのこと

   このページは話の運びの都合上、上から下にダラダラと続いていきます。
          写真の関係でかなり重いかもしれません。


   1980年8月14日、パピは我家にやって来た。針金のモールのように、シッポも手足もヒゲまでピンっと毛を立てて、バイクに乗せたTANUKIのバックの中から出てきた。
   パピの生まれた所は藤枝市のある家の物置。母さんネコはそこをパピの子供部屋に決めた。この母さんもそこの家に飼われていたわけではなく、住んでいる事を知られているだけだった。
   「このまま子猫が大きくなったら、母さん猫が出て行っちゃうよ」
そう言われたその家の女の子が探した子猫の飼主が、彼女の学校のTANUKI先生だった。TANUKI先生の昨年結婚した奥さんはちょっと体具合が悪いらしいけど、猫が大好きだと言う。お見舞いに良いじゃない!
   そんな訳で夏休み、学校のプールにお供した子猫はTANUKI先生に手渡され、DORAおばさんの猫になった。ちょうど焼津港の花火の日。

     母さんから離れるにはまだおチビ過ぎたパピ、来た早々に「花火の音も人込も猫は嫌いだもの」とお留守番。TANUKIおじさんとDORAおばさんは花火を見に行っちゃった。知らない所で、ビックリして、大人しくお留守番。
   トイレ、どうしよう!外に出られない!コッソリいいとこを見つけた。母さんに「トイレは静かで誰にも見られない所が良いんだよ」って教わっていたから。でも、後でDORAおばさんにしかられた。「米びつの裏はトイレじゃないの。あなたはここの砂場でしなさい!」って。
   トイレの砂も色々替わった。初めは浜当目の海岸の砂利。TANUKIおじさんがバイクで行って、箱に詰めてきた。そのうちにホームセンターで売っている猫砂に変わった。色々あったけど、結局石タイプがベスト。
   そんなこんなはあったけれど、小さなパピはヤンチャ盛り。赤い首輪の鈴を鳴らして家中走りまわっていた。

 

   TANUKIおじさんの実家はすぐ近く。そこにはミーという大姉御の猫がいた。何匹もの子猫を生んだ母さん猫。キャットフードも猫缶も用なしで、おじいちゃんから貰うお魚と家の周りのネズミを主食に小さいけれど、元気なおばさん猫。喧嘩だって強い。テリトリー内なら犬だってものともしない。
   このミーからパピは色々な事を教えてもらった。まずは台所の流し台に飛び乗って水を飲む事から…。

   秋になるとDORAおばさんは自動車学校へ通い出した。だって、焼津は車が無いと不便な町だったから。毎日パピはお留守番。しかもDORAおばさんは車の運転に向いてない。高校生の時「車の運転は彼氏に任せた方が良いよ」って先生に言われたくらい。でもTANUKIおじさんも免許証がない!普通の人ならとっくに終わっている期間を過ぎても、まだ通っている。お留守番が長くなるとお腹が痛くなるんだよ。だから毎日DORAおばさんは砂場の大掃除。

   年の暮れ、DORAおばさんのお母さんが入院。あわてて三鷹の家へ。そしたらTANUKIおじさんのおじいさんが亡くなって、またまた慌しく焼津の家へ。新幹線で行ったり来たりしたからパピはお留守番。しかも、お葬式でまたお留守番。つまらないからミーに教わったように家の流し台に乗ってみた。生ゴミの袋から美味しそうなにおい!寒いから炬燵の中まで引きずり込んで、食べた。

   事件は色々あったけれど、普通は夕方、アパートの子供達と遊んでいた。
   TANUKI先生家って知っていても、大人だけの所には行きにくい、でも子猫!「おばさん、猫と遊びたい!」アパート中の子供達が集合。狭い所を走り回る。パピも一緒に走り回る。時にはタンスの上や本箱の上に乗せられる。でも大丈夫。お兄ちゃん達が気を使ってくれる。
「子猫は生きてるんだぞ!怪我させたり死んじゃったら大変なんだよ。」
   ご飯のしたくの頃には子供達との遊びもお終い。「また明日」とDORAおばさんが言う。皆が帰った後で、お兄ちゃんの1人がカップラーメンを片手にまたDORAおばさんの所へ。「おばさん、お湯ちょうだい。家のポット空になってた」まだ、ポットがお湯を沸かさない時代。
   一段落した頃にはTANUKIおじさんの友達。TANUKIおじさんより早くやって来て「お湯もらえる」とカップラーメンを取り出す。彼がラーメンをすすっているうちに、他の友達やTANUKIおじさんも登場。テレビを見ながらマージャン。たいていpm10:00頃までは誰か彼かが遊びに来ていた。

   年が明けて、TANUKIおじさんの兄さんが結婚。でもまだDORAおばさんは自動車学校通い。
   もうじき1歳の生意気盛りのパピは夜遊びを覚えた。たいていは「締めちゃうよ」と呼ばれると帰って来たけど、4月のある日、夜中過ぎに後ろ足と尻尾をズルズルと引き摺りながら帰ってきた。パピの猫生最大の危機!慌ててDORAおばさんが枕元にダンボール箱にタオルを敷いて病室を作ったけど、いくら入れられてもお布団が良い!結局お布団に入れてもらって、ホッとしたとたんにおもらし…、困ったもんだ。
   翌朝は何を置いても獣医さん。おばあさんに背負い籠を貸そうかと言われたけど、なんとか抱えて連れて行った。幸い3ヶ月目に予防注射に行った獣医さんはDORAおばさんと気が合う。
   レントゲンをとって「骨は大丈夫」と言われても、重症は重症。1週間も通う事になった。元気になる程にパピは傍若無人に盛大に唸る、噛みつく!「もう1頭、東の横綱のシャム君が居るけど、君は暴れん坊の西の横綱だ」と獣医さん。お蔭さまですっかり元気になりました。

   5月、半年かかって、めでたくDORAおばさんが運転免許を取った。早速に従弟と義弟2人の車好きコーちゃんのアドバイスのもと、緑色のシャレードを買った。
   ようやく車と免許証が揃ったのだから出かけなくっちゃ。毎夜マージャンで余った誰かにDORAおばさんの声がかかる「ねえ、運転の練習に行こうよ。」雨が降ると田圃のアマガエルどころかウシガエルまでが道路に出てくる。そんな夜道を運転手も助手席の誰かもオッカナビックリ走っていく。
   そして、怖いもの知らずで夏休みには東名を走って三鷹から横浜へ。でもパピはミーの所でお留守番。初心者のDORAおばさんの運転じゃ、心臓に良くないからね。
   やがて12月、「外でヤンチャばかりしていると短命で終わるよ」とパピの玉取り手術。平日の朝、DORAおばさんと2人で車に乗るのは初めて!しかも行き先が行き先ということは…、「ヤダ!ギャーォ!」大声をあげるパピに動揺して、DORAおばさんはゴミの山に突っ込んだ。潰れたのがゴミ袋だけで良かったよ。麻酔の醒める頃のお迎えはパピは知らない。気がついたら家の中。1晩寝たら元のヤンチャなパピに戻った。

   ジャムとパピは何度か三鷹の家で会った事がある。
   でも三鷹の家はジャムのテリトリー。それでもパピは走り回りジャムの後を追いかける。パピが迷子になったら大変と、DORAおばさんはパピを追っかける。
   でも、DORAおばさんはジャムのDORAおばさんだったんだ!ジャムも困惑。「あんたのお家なんだから、パピはじき帰るからね」と、軒の庇に避難したジャムにDORAおばさんが手を伸ばす。でも、パピもジャムも落ち着かない…。
   そして、82年の2月、出かけたジャムは家に帰って来なかった。

   パピはDORAおばさんの車に乗る事が多くなった。三鷹にも行くし、夏にはTANUKIおじさんの学校の6年生が、農大の富士農場のキャンプ場でキャンプをしているのを見に行った。
   パピは牧草の草原に下ろしてもらった。広い原っぱ、牛のにおい。知らないものばっかりでドキドキ!そんなパピのリードを持ったまま「懐かしい!ここらはきれいになったなぁ…」とDORAおばさんは感慨ひとしお。「猫だぁ、先生家の?」子供達が寄って来る。
   キャンプとなればDORAおばさんもカブスカウトで鍛えた昔取った杵柄がある。結局パピが車でお留守番をしているうちに、先生方を手伝って飯盒すいさんの焚火を点けて廻る事になった。
   程々の所で、あまり遅くならないうちにさようなら。

   暮にTOPPOさんのお連れ合いのKAERU氏が亡くなった。急な心臓麻痺。焼津の喫茶店の巨大なプリンが気にいって、冬休みにも遊びに来るはずだったのに…。パピはお留守番で、DORAおばさん初めて東名を1人で走る。カーラジオから『贈る言葉』が流れてきて思わず涙ぐんだ。知らない横浜の町を車で走るのは無理、三鷹の家に車を止めに行き、電車で横浜へ。KAERU氏も高校の先生だったので、大勢の教え子達が弔問に訪れた。

   悪い事と良い事もクルクル廻る。DORAおばさんのお母さんの体調もようやく回復。「快気祝いに和賀家のアルバムを作る」と言い出した。
   人が集まるお正月。各家庭、全員集合の写真を写して焼津に送るように回状が出される。何で焼津?「お金は出すから、あんた作ってよ」となったため。
   人に言うからには我が家が率先しなくては。という訳でこの1枚、だったかなぁ?とにかくパピも一緒に一族でパチリ!

   この83年は藤守を初め親戚・友人の結婚ブームだった。またTOPPOさんと春・夏の休みに遊びまわり始めたのもこの年から。春には丸子路や日本平へ、夏には富士や御前崎。
   この年パピは虫に好かれている。4月から夏にかけて何度も虫下しのお世話になる。しかも獣医さんへ行くたびに西の横綱の威光を発揮させる。迫力にどちらかと言うと犬が得意の先生もタジタジ。
   この年の秋にはO家のおばあさんが亡くなってお葬式。またお留守番のパピは、少しグルメが進歩して食器戸棚の桜えびをお八つにしていた。

   翌3月春休み、TOPPOさんがマタタビ酒なるものを土産にやって来た。酒好きのTANUKIは甘口のものは腰が引け気味。1番喜んだのはパピ?それともパピの酔っ払い振りを激写したTOPPOさん?もちろんパピはお酒よりマタタビに酔った?のかなぁ…。
   同じ春休みも終わりの日、TANUKIおじさんのクラスの子供達ほとんど全部がアパートに遊びに来た。DORAおばさんはたっぷりとお汁粉を作って、お雛様のお餅の在庫一掃を画策。おりしも高校野球の決勝戦、東京の岩倉高校が初優勝した日。

   TANUKIおじさんが4年生に居ると5・6年生のキャンプの応援に出ることが多い。この年も農大富士農場。DORAおばさんの運転で、もちろんパピも一緒。牧草の広い原っぱ、牛の声、子供達のおしゃべり。引き上げ時の程々が遅くなって、本栖湖の駐車場で仮眠。ウトウトしていたらお巡りさんに懐中電灯で照らされた「どうしたんですか?」「運転するには眠すぎるんで仮眠中です」「気をつけて」・・・「これが本当の光中断だ…」とDORAおばさんはブツブツムニャムニャ。
   帰って来たら、疲れたパピは下痢。
   この夏休みの終わりに、獣医さんは駅前通りから今の場所に引越し。DORAおばさんは少し車が停めやすくなった。

   夏休みから体調が悪そうだったTOPPOさんが秋口に本格的に調子を崩して入院。DORAおばさんは大きな犬のぬいぐるみを持って、お見舞いに行った。

   明けて85年。この年はパピも一緒に年始まわりツアー。三鷹・小平の叔父さん宅(お見舞いを兼ねて)・横浜のお姉さん家・TOPPOさん家、3日掛り。横浜では車で留守番をしていたパピを見て子供達が大喜び。「黒い所に白髪があるよ!」「あごヒゲもある!」「鼻の点がずれてる!」西の横綱もお子様相手では大人しかった。

   この年は付き合いの良いDORAおばさんが体調不良。検討の結果、去年TOPPOさんがお世話になった病院に入院する事に決定!体調やベットの空きの関係で夏の終わりに入院となった。そして何と!パピはTOPPOさんの所に居候。実は、DORAおばさんの愛車シャレードも(大きな声では言えないけど)病院の駐車場に居候。そして、ゲンの良いぬいぐるみの犬はパピの代わりにDORAおばさんのベットの上。
   しかし、2ヶ月ちょっとの入院中、しばしば病院の麓のTOPPOさんの家でパピと遊んでいたDORAおばさんでした。でもね、時ならぬ時間に現れるDORAおばさんを見て「どちら様?」って顔をするんだよパピは。TOPPOさんが定時に帰ってくると大喜びをするくせに。
   ついでながら、この年は阪神が優勝した年。優勝決定のヤクルトとの試合は引き分け。ラジオを聞きながら騒いでいたら、テレビを持ち込んでいる同室の人(彼女は広島ファンだった)が、わざわざテレビをつけて見せてくれ、8人部屋の他の人達も、消灯前の見回りに来た看護婦さんも、黙認してくれて見る事のできた優勝シーンでした。

   そして、パピがDORAおばさんに連れられて焼津に帰った後、寂しくなったTOPPOさんの所に慈郎登場!
   何しろ、高い所に隠してあったアーモンドカルの最後の1袋はチャッカリ食べちゃうは、上等のノリの缶を開けたとたんに、もらいに飛んでくるはのパピの行動で、部屋での同居に躊躇したTOPPOさんが選んだのは外で飼える中型犬。しかし、耳と前足の大きなチビ犬は、DORAおばさんがホームセンターで買い込んだ犬小屋を配達するまで、とりあえず夜は玄関で眠っていた。

   一方、焼津に帰ったDORAおばさんとパピは、散歩に精を出していた。家の周りだと近所の子供達に捕まってしまうので、少し車を走らせて大井川の海沿いの防風林の散歩道や蓮華寺池公園。パピにリードをつけて、ノンビリだけど一緒に散歩。
   実はDORAおばさんにとってもリハビリだけど、パピにとってもFUSで痛い思いをした後の健康法。カリカリは好きだけど、マグロこそ猫の食べるものだと思っているパピは輸入物の肉の缶詰なんて脂ギトギトでイヤ。治療食なんて言われたら、もっとまずそう!次善の策として「運動をさせて、水をたくさん飲ませましょう」となったわけ。
   でも、散歩は順調な時ばかりじゃない。蓮華寺池公園の外周の山で、何かに興奮したパピが腕に食いついて、DORAおばさん流血の惨事となって薬局に駆け込んだなんて事件もあった。

   春休みにはTOPPOさんが登場。もちろん慈郎も…。でも慈郎は新幹線に乗れないので、まず最寄の貨物駅へ。『生犬1匹』ケージに入れられて、別便で静岡の貨物駅へ。そこから迎えに来たDORAおばさんの車に乗ってTOPPOさんにしがみ付いてパピの待つ焼津へ。大旅行!でも千葉の獣医さんからはるばる横浜へ来た慈郎。この位は大丈夫。
   オルガンの上に飛び乗って部屋の窓からのぞくパピと、物干しテラスに鎖を繋いだ慈郎の初めてのご対面!
   そして散歩をしながらマーキング「慈郎です、よろしく!」
   でも、猫と犬じゃあ歩幅が違う。そんな訳でDORAおばさんとTOPPOさんは、かわるがわるに慈郎とお散歩、パピとお散歩。たっぷりお散歩。

   4月の暖かい午後もDORAおばさんとパピは蓮華寺池公園のいつもの山道。道の際で大きなアオダイショウがとぐろを巻いていた。先に気がついたのはパピ。毛を逆立ててビックリ!ピョ〜〜ンと飛び上がる。DORAおばさんも気がついてギョッ!触らぬ神に崇りなし…、ソロリソロリと引き返す。しばらくは散歩の度にまた会うかなと警戒していたけど、一期一会の出会いだった。

   緑のシャレードとのお付き合いも長くなった。降ろした窓が外れて閉まらなくなったり、エンジンが空回りして東名の港北PAで瑞穂の従弟に「帰れない」とSOSを出して来てもらったり。そして6月、今度は足柄SAで完全なエンコ。とりあえずJAFさんのお世話になって修理工場へ入れ、レンタカーで帰ってきたが、ついに新しい車を買うことに決定!さんざん迷って今度は白いシャレード。
   夏休み、緑のシャレードで慈郎を連れて最後のドライブ。パピが車の後ろの荷台に飛び乗るのを学習した慈郎は、その狭い所へ自分の大きな体を無理やり押し込んだ。

   そして家の車は白いシャレードにバトンタッチ。ところで、この夏休みにはDORAおばさんとTOPPOさんが自転車の練習に汗を流した。TANUKIおじさんの友達が夏に暇があったので「自転車も面白いよ」とけしかけたため。彼を先生に夜な夜な舗装されたばかりで車の通らなかったすぐそこの道路で「田圃に落ちるぅ〜」と言いつつペダルをこぐ。TANUKIおじさんはそれを見ながら当時流行の一輪者の練習。
   ある晩、お供の慈郎が近所の離れ犬に噛みつかれて、泡を吹いて倒れるなんて事件もあった。パピが側にいれば喧嘩の仕方を教えただろうにね。

   秋、アパートのまわりに可愛い三毛猫が出没。アパートの女の子達が給食の残りをやったりして可愛がっているようだ。パピもすぐに仲良くなって、10/27にパピの所へお嫁入り。11/4にはさっそく獣医さんで健康診断と予防注射をしてもらった。

   11月の末、パピはまたおしっこの出が悪くなって治療用のお肉の缶詰。パピにとっては全然美味しくない!調子も悪いから、なおの事食べたくない!でも何でも食べるチビの意見は違う。「これ美味しいじゃない」とムシャムシャ食べる。「おかわり」も要求。どうせあまり置いておけないので、DORAおばさんも気前良くチビに食べさせた。
   しかし、パピだってお腹が減る。ついに実力行使。カリカリの箱を自力で開けてたっぷりとお食事…。

   12/14日にこの年のKAERU忌。車で行ったDORAおばさんが慈郎を連れて帰ってきた。ケージの中で落ち着かない慈郎は、グルグルまわってバランスをとる。でも、そのうちに落ち着いて丸くなって昼寝。寝ている間に着いた焼津の料金所でDORAおばさんが窓を開けたとたんに、スックリと立ち上がり、魚の町の匂いをクンクンと嗅ぐ。この癖は生涯続いた。
   そして冬休み。TOPPOさんもやって来て慈郎、パピ、チビとお散歩の日々。季節は年の暮れ、散歩の合間に大掃除、お飾り作り、お餅つき。そして、暮れも押し詰まった28日には、TOPPOさんと慈郎を送ってDORAおばさんとTANUKIおじさんは車で横浜とんぼ返り。(忘れていたけど、今や信じられないなぁ…。)

   そして正月にはまた三鷹を振り出しに年始まわり。もちろんパピもチビも一緒。パピは車に慣れているから、DORAおばさんがよほどひどい運転をしない限りおとなしくしている。でもチビは車は好きじゃない。特にスピードを出して遠くに行くのは…。動いている間中ほとんど「ニァ〜ニャ〜!」と騒ぎ続ける。
   でも、置いてきぼりはもっといや。行くよ!に素早く反応するのはチビの方。

   6月の末にどんな用事だったか、TANUKIおじさんのクラスの子供達と林叟院に行った事があった。パピやチビも一緒。ここでしばらくぶりのヘビ。溝の中で大きなヤマカカシが丸くなっている。今回はパピには見えなかったので静か。でもヤンチャ坊主が早速かまう。「毒があるから気をつけな」とDORAおばさんの声が飛ぶ。「知っているから大丈夫だよ」と遊んでいる。ヘビの方がウンザリして逃げたようだった。

   この春はTOPPOさんが車の運転免許を取ろうとしていた。慈郎を連れて遊ぶには車は必要。「DORAに取れるなら」と頑張る事数ヶ月。ついに夏休み直前に免許証&白いブルーバードを獲得。数日の早朝練習の後で「絶対に横浜より焼津の方が安全だよ」と迎えに来たDORAおばさんのシャレードに先導されて、助手席にTANUKIおじさんを乗せて東名高速へ。犬質慈郎はDORAおばさんのシャレード。2台の車は夕日に向かって東名を西へ。安全のためゆっくり走ったので途中で暗闇。スリリングなドライブをした。

   もちろん安全のためパピとチビはお留守番。焼津に着いたら慈郎もお留守番の仲間入りで、TOPPOさんの運転練習にドライブ三昧。8月の末には犬山のリトルワールドまでドライブ。TOPPOさんはそれで夏休みもお終い。しかし9月に出張が入っていたので慈郎はそのまま焼津に居残り。秋休みに突入。

   でも慈郎はTOPPOさんがすぐに恋しくなる。9月半ばにはお腹の調子を崩して獣医さんへ。慈郎は獣医さんに対しても大人しい。パピと違って騒がない。ちなみにチビはおしゃべり。迫力は無いけどニャゴニャゴと文句を言いつづける。という訳で、だれにとっても楽な医者通いだった。そしてお祭の後、元気に横浜へ。

   この年11/15に三鷹のおばあさんが亡くなった。パピに「帰ったら美味しいお魚を買ってもらい」と、お小遣いをくれるおばあさんだった。実は戌年で猫は苦手。でもDORAおばさんが連れてきたキョンから始まって何匹もの猫と付き合ったおばあさんだった。もちろんお葬式にはパピもチビも焼津でお留守番。

   明けて1月には三鷹のおばあさんの49日法要。もちろんパピもチビも焼津でお留守番だから、ここではあまり関係は無い。この頃パピはようやく発売されたFUS対応のドライフードを食べていた。缶詰よりはましだけど、ちょっとサボると体調悪化。そろそろおじさん年代だしね。
   そしてTANUKIおじさんにとっては、遊び仲間の後輩達の結婚ブームの年。そんな訳でこの頃、雀荘TANUKIは自然消滅。

  そしてこの年、いよいよ家を建てることが決定。DORAおばさんやおじいちゃんの三鷹と焼津の行き来が急に多くなる。その上、春休みだけでなくゴールデンウイーク前半にもTOPPOさんが慈郎を留守番させて焼津に登場。そして後半には、DORAおばさん達が三鷹へ出た時に、TOPPOさんとも合流。にわかに人の動きの多い年。

   さて、5/29には地鎮祭。すぐに工事が始まり、DORAおばさんは10時、お昼、3時のお茶運びの日々がスタート。6/14には基礎工事も終了して、6/26(大安)に無事に建前。親類・友人・縁者が全員集合して骨組を立てる手伝いをしてくれる。もちろんパピもチビも踏み潰されてはいけないので、アパートでお留守番。暗くなる頃までかかって家らしい形が出来てきた。

   そろそろ夏、パピもチビもお腹の虫掃除。大きな虫下しの錠剤をポンと割って大きい方がパピ、小さい方にチビと書いて獣医さんが渡してくれる。チビは大人しく飲むけど、パピとは消耗戦の格闘技。「飲みなさい」とDORAおばさんが口に入れても「ペッ」と吐きだす。だんだん薬は解けて砕けて、パピのお腹にどの位入ったのやら。

   7月の末にはTOPPOさんと慈郎も登場してDORAおばさんのお茶の配達便に合流。田圃に囲まれた工事現場は、壁が出来ていない事もあって涼しい風が吹き渡る。しかし夏、押入れ、天井裏等の狭い所で仕事をしている職人さん達は、滝のような大汗。
   お盆にはさすがに皆お休み。祭りに花火のいつもの夏。
   夏の終わりには壁も張られ、畳屋さん、建具屋さん、カーテン屋さんなどが出入りするようになる。そして夜は、パピやチビもDORAおばさんとTANUKIおじさんに連れられて新しい家の視察。翌朝「引き渡すまでは猫を連れてきても目を放さないで」と大工の親方に壁の引っかき傷を見つけられた。

   9/18は自治会の運動会。ほんの数百メートルの引越しだが、3総代から12総代に引っ越す事になる。だから3総代では最後の運動会。運動会終了後は新しい組のご苦労さん会へご挨拶に。
   翌19日、昭和天皇の病気重態のニュースが。

   9月にアパートを引き払う事になっていたので、そのまま引越しに突入。引越し屋さんを頼む距離じゃない。タンス等大物は兄弟の手を借りてトラックで。後はボチボチ車で運ぶ。しかし、チビはアパートが懐かしい。目を放すとアパートのどこかで丸まっている。しばらくDORAおばさんのお迎えが続いた。

   10月には三鷹の引越し。だけど引越しは人間ばかりじゃない。パピもテリトリー移動に伴いあいさつ回り。と言ってもこちらは穏やかには行かない。毎日のように違う猫とにらみ合い。おじさんネコと言っても西の横綱!気は強い。アパート時代は家から出さないようにしていたが、出入り口がたくさんになったので、何処からともなく出て行っては、「フーッ!」「シャーッ!」「ウァーオン!」テリトリーは自分で作る。

   12月の半ば、横浜に出たDORAおばさんが慈郎を先に連れてきた。じいちゃん・ばあちゃんも大喜びで毎朝、散歩に連れ出す。
   そんな時、パピが体調を崩す。続いてチビが避妊手術のつもりだったが、子宮蓄膿症とかで「体力がなくて生まれなかった子供の骨で、遺骨収集状態だったよ」と獣医さんに言われた。18日になってパピの爪がひどく痛んでいるのを発見。どうやら体調不良は連日の激戦と関係があったのかも。
   ともあれ、20日にはチビの抜糸。パピも元気を取り戻した。

   冬休みにはTOPPOさんも来て、めでたく引越しの宴。親類・友達・近所の人、お世話になった大工さん、おしょうやのおばあさん達にも来てもらい、昔ながらの家移りの宴になった。  

   昭和64年(1989)は始まったとたんに終わった。1/7昭和天皇薨去。2/24には大葬の礼が行われた。しかし引っ越したばかりの家には親戚、友人などお客さんが多い。チビは挨拶に登場するが、パピは静かに眠れる所を求めてドロン!

   この年の春にも、もちろんTOPPOさんと慈郎も登場。実は富士に居る彼女の妹さんに2人目の赤ちゃんが生まれるのを待っていたのだが、4/2にめでたくお姫様登場。4/1から消費税がスタートした年。彼女はタイミング良くついたお雛様の餅を持って、産院に駆けつけご対面を済ませて新学期のスタートする横浜へ帰った。車の中では暑かろうと満開の桜に慈郎を繋いだ覚えがあるという事は、DORAおばさんも車を連ねて行ったんだ。

   春には植木屋さんを頼んで主庭作り。夏には横浜博と人間の日程は進んでいく。このあたりで予算が枯渇したためか、パピの食事も医療用のドライフードからホームセンターの安物に戻っている。しかし庶民的なパピはご機嫌!やっぱり魚味!

   10/4早起きのおじいちゃんが迷い込んで来た子猫を発見。ベージュに少し濃い目の斑点の入ったこ。しっかり居着くがチビは迷惑。逃げ回るか脅かすか。おばあちゃんも走り回る子猫が怖い。ともかくトトロと名付けられた。しかし、パピやチビとは上手くいかない。トトロは追いかけるが、この頃また怪我をしたパピは面倒を見るどころじゃない。ある時など風呂場でおばあちゃんが洗濯をしている時に、湯船へ落ちて溺れているのに、DORAおばさんが見つけて引き上げるまで気付いてももらえなかった。

   そんなこんなが影響したのか10/31トトロがひきつけ発作。血便も出し、慌てて獣医さんへ。何しろまだオチビさん。とりあえず消化剤と回虫駆除剤を出してもらう。しかしトトロは小さな体で飲まず食わず。
   アタフタしていたら続いてチビが血便。とうとう2匹を連れてDORAおばさんはまた獣医さんへ。
   トトロのひきつけはひどくなる一方で、ほとんど1日中、うずくまっている。ちょっと余力があると暗い隅にもぐり込もうとする。飲まず食わずで体力もだんだん落ちてきた。11/10の夜、またも大発作。かわいそうだが獣医さんで安楽死をさせてもらう。彼の記録は予防注射の証明書1枚。ほんの短い出会いだった。

   何かとアタフタしている間にパピもまた体調悪化。治療用のドライフードに切り替え。さすがにドライは文句無く食べる。あまり美味しくないので余分には食べないから、中年太り解消には良いかも。
   暮に岡山の叔母さんがくも膜下出血で倒れてから、凶吉ともに何かと慌しい1年が始まる。おじいちゃん・おばあちゃんは見舞いと手伝いを兼ねて何度か岡山へ。その合間に春はオースチン彗星を追うTOPPOさんと御殿場で合流。夏にはパピ・チビ・慈郎を焼津に留守番に残して岡山を1週間ドライブ。慈郎の散歩はもう小学生になっていた甥っ子に1回¥50でアルバイトを頼む。「責任感を持たせるのには良いけど、よその犬だし」とお母さんと妹と一緒のお散歩になったらしいが、しっかりと行った日に丸をつけてTOPPOさんからバイト料をもらった。
   この間にイラクがクウェートへ攻め込んでテレビ報道はこれ一色だった。この岡山ドライブで鴨方にある天文博物館の館長をしていた大叔父にTOPPOさんを引き合わせるが、この大叔父もこの年の11月に亡くなった。そして12/7には小平の叔父が亡くなり、12月末には家を建ててくれた大工の親方も亡くなった。まさに疾風怒涛の1年だった。

   1991年はアメリカのイラク攻撃で始まった。しかしそれはテレビの中の事。パピもチビも相変わらずの生活が続く。変化と言えばあまり車に乗らなくなった事。三鷹に泊りがけで行く用も無くなり、家に誰かが居る事が多くなったので、無理に連れ出す必要がなくなった。
   春にはTOPPOさんと慈郎も登場。ドックフード缶好きのチビは慈郎のご飯を1口先にお相伴するのを楽しみに待っている。それならとネコ缶を買ってみるが、魚味でもパピの口にはあまり合わず、代わりに慈郎が喜んで食べる。
   この春パピの耳の中が真っ黒に。ダニのようで、しばらく獣医さん通いが続く。

   夏休み。当然のようにTOPPOさんと慈郎が登場。しかしこの年TOPPOさんは忙しかった。慈郎とブルーバードを置いて数日間、仕事のために横浜へ。1人なら新幹線もたまには良い♪焼津へ帰ってきたとたんに駅前で再会の乾杯ができる。
   この年は瑞穂も富士も子連れのお客、慈郎も子守り要員に駆り出して浜当目で海水浴。

   そして運命の8/27、夕方瀬戸川の土手を散歩中に猫入りの箱を発見!ネコ好きの慈郎が黙っている訳も無く、土手を駆け下りてレスキュー。3匹の子猫を発見。しかし、慈郎にビビッて皆逃げる。その中で1匹、気の強いのが慈郎の足元によって来て、いつまでも付いて来る。これ以上行くと車に轢かれるという所でDORAおばさんが根負け。その1匹だけを連れてきた。あまり考えずに名前は小慈郎。
「あんたが連れて来たんだから、あんたが面倒見なさいよ」
と慈郎に言っても仕方が無い。飼主TOPPOさんは翌日、仕事が待っている横浜へ。慈郎はTOPPOさんの9月末の出張が終るまで焼津に留まる。

   DORAおばさんとTOPPOさんの都合で慈郎が帰ったのは10月半ば。それまでに小慈郎もスクスク大きくなった。平穏無事とはいかなくて、チビがいじけて帰って来なくてDORAおばさんは毎晩田圃の周りを捜し歩く始末。連れてきた慈郎としては、チビにドックフードの缶詰をおすそ分けして、ご機嫌を取り結ぶ。賄賂の甲斐があったか小慈郎はチビを師と仰いで付きまとう。
   11月の連休にはTOPPOさんと慈郎は小慈郎が心配で顔を見に来る。そして、12月、今度はTOPPOさんが出張のため早めに焼津へ。結局、慈郎は焼津で正月を迎えた。その前に年末に腹下し。さすがの慈郎も獣医さんへの道を覚えて、直前の地下道の階段で踏ん張るようになった。
   慈郎は正月3日無事に横浜で台湾のお土産と交換された。

   そして2月、高草山に雪が積もり春がきた。生意気にも小慈郎が夜遊び。何度か帰らない日がありDORAおばさんは土手の方まで小慈郎探し。そして、5/1何と小慈郎が4匹の子猫のお母さんとなる。黒が2匹、トラが2匹。茶の間の押入れで出産、でも客間の押入れの方が良さそうじゃない、と引越し。これはDORAおばさんに阻止されて、DORAおばさん達の寝室の押入れを子猫部屋に改装。ビニールシートを敷いてバスタオルを入れて、半分にダンボール箱。子猫騒動の連休。

   そんな騒動をよそにチビはこびり付いた歯石取のために獣医さんへ。パピは消化の良い缶詰、チビは歯石が付かないようにドライフードと言われても好みは逆。最近見ないがこの頃は海苔味のドライフードもあったらしい。

   そして1月経った6月。そろそろ子猫も外界へデビュー。餌を食べるようになると出す方も独立。押入れの子猫部屋で洪水発生!早速DORAおばさんがトイレシートを敷き詰める。しかし猫の爪はバリバリに引き裂くのに都合が良いんだよね。早く砂場デビューしてくれるのを祈りながらのしばらく。
   そして6/27には一番お茶目なトラ猫の茶々丸がTANUKI先生の教え子の女の子の家もらわれていった。このお宅はお嬢さん3人、その分、犬と猫は男の子。

   1匹居なくなっても、にぎやか。遊んでいる内にクーは頭をかまれてケガ、ジライヤは足を引き摺り、クロンは誰かの爪が引っかかって目を腫らす。替わり番こに、あるいは何匹かを連れて、DORAおばさんは獣医さん通い。  

   夏にはもちろんTOPPOさんと慈郎も登場。子守の海水浴、祭りに花火。
   だいぶ大きくなった子猫は市へ登録。首輪をもらう。それぞれの餌用のプラスチックのお皿も新調して、獣医さんで予防注射。
   子ネコ達が大きくなって小慈郎が次の子猫を仕入れる前に獣医さんで手術。さらに秋には本家のミミも手術。家で慈郎のケージに1泊入院。
   暮も押し迫った頃に全員虫下し。獣医さんの虫下しの錠剤の割り方と仕分けも6匹となると少々難しくなってきた。チビはついでに歯石取り。

   翌2月、恋の季節が始まる前に、クロン、クー、ジライヤの手術。1週間後、抜糸のついでに虫下しの注射。しかし、クーは勝手に抜糸をした模様。お腹が裂けたままにならないで良かったんだぞ。

   この春は農大陸上部が焼津のみなとマラソンのペアの部で優勝した年。そして皇太子ご成婚の年。和賀家の従弟の結婚式で今日は岩手、次は日比、とDORAおばさんも走り回った年。ついでにジライヤの肺が良くないようでクシャミ、クシャミ、クシャミ。その上はくので何度もお医者通い。

   夏には全員にノミ取り首輪。その前にまずお風呂。TANUKIおじさんだけでなくTOPPOさんまで加わって、家中を追いかけて捕まえて首輪を取って風呂場へ連れて行く役、風呂場でノミ取りシャンプーを付けて引っ掻かれながら洗う役、洗いあがりのぐしょ濡れをタオルでふいて乾かす役に分かれて大仕事。大汗をかいた人間様は猫の後からシャワーを使う。

   皆きれいになった所で、慈郎と猫たち、じいちゃんばあちゃんに留守を託して、DORAおばさん達3人は北海道へ。十勝・札幌を起点に1週間も遊びまわってきた。

   季節は移り、お正月を前にパピもチビに倣って歯石取り。冬休みにはTOPPOさんと慈郎もやって来て、いつもの冬。この年も慈郎はお正月を焼津で過している。お年玉がもらえるからという訳でもないし何故だったか。とにかく3日に横浜へ。

   2月にはTANUKIおじさん前厄で法多山へ厄除け参り。それなのに4月からは自治会の組長。4月に入ったとたんにパピはケガ、食欲も無く心配をさせられる。さらにOじいさんも血痰が出て入院。肺ガンと分る。
   せいぜい良いニュースはクーとジライヤが予想より大きくなって首輪が小さくなり過ぎて取り替えた事くらい。小慈郎母さんは小柄なのに、クロンも含めてなんでこんなに大きくなったものか。

  OじいさんはTOPPOさんの連休のお見舞いに元気づいて6月半ばにとりあえず退院。夏休みには慈郎も登場。いつもの夏。しかし、TANUKIおじさんの厄は半端じゃない!夏の終わりに今度は家のおじいちゃんが前立腺肥大で入院、9月に手術。おじいちゃんの退院とバトンタッチをするようにOじいさんが再入院。DORAおばさんは「タタリダ!」と言いながら毎日病院へ。

   そして10/24、華々しい鳴声とともにみゆ登場!後ろ足は引き摺っているものの元気は良い、しかも美猫!足を治して養子に出そうかと捕まえて獣医さんへ。しかし獣医さんの言う事には「多分生まれた時に抜けたもので、もう戻らないね」との見立て。「ノラ暮らしは無理だと思うけど、どうします?」ときた。DORAおばさん、慌てず騒がず「パピと相談してみます」
   毛色が同じあたりが決め手になったか、パピがOKを出したので居着くことになる。まだ身軽な事もあって足が悪いのも何のその、家中を突っ走りまわり、元気、元気!

   みゆは他の3匹と一緒にチビと小慈郎を先生に虫取り、トカゲ取り。ねずみやすずめ取り。庭や裏の畑を走り回る。「何処が野生じゃ生きられないの?」そんな中でまたパピがケガ。みゆまでお腹をこわして獣医さん通い。ジライヤは関係ないさとばかりに夜遊び。ようやく普通の生活になった。
   だけどTANUKIおじさんの厄はまだ続く。今度は家のおばあちゃんが帯状疱疹で1ヶ月の入院。

   翌1995年は阪神大震災が1/17にあった年。同じ1月の下旬には、焼津のディスカバリーパーク建設のアドバイスにTOPPOさんが出張扱いでやって来た。「市の接待で魚センターの食堂でお昼を食べた」とご満悦。
   その直後にクーが体調を崩して獣医さん。Oじいさんも再入院。さらにチビが暮から青っ洟を垂らしていたのが治らずに、獣医さんで栄養点滴+抗生物質の注射を数日。
   そして2月の初めに市議会議員選挙。Oじいさんは気がきじゃない。退院か外泊かと駄々をこねるのを押し留めて、DORAおばさん初めて選挙事務所なるものに紛れ込み、当選祝いのお赤飯のおむすびをもらってきた。

   しかし、気の短くなっているOじいさんは「もう帰る」と退院をしては体調を崩して数日後に入院を繰り返す。バタバタしている内に今度は家のおばあちゃんの帯状疱疹の痛みが悪化。痛み止めの点滴を打ち続けるしかなく入院。
   3/20の朝にはOじいさんもついに息を引き取るという慌しい展開。この日はちょうど地下鉄サリン事件の日。1日大忙がしで夕方やっとテレビを見てビックリしたのを覚えている。3/23に葬儀。「春休みに入るまで待っていてくれた」とTOPPOさんも慈郎と来てくれた。

   人間の慌しさに取り紛れている内にチビの鼻が悪化。ついに眉間から膿が飛び出してクレーターが出来た。弱ってしまって獣医さんに連れて行くのもかわいそうなほど。前年山ほど収穫したカモミールを煎じて拭いてやる。「まず体力をつけて」と言われても、沢山は食べられない。それでも食い意地は張っていて、鹿のお刺身など食べたりする。しかしついに7月に入って動けなくなる。DORAおばさんがダンボール箱にバスタオルを入れてベットを作るが、トイレは砂場、暑苦しくなったら畳の上が良いと体力を使い切って出てくる。出かけるたびにこれが最期かと気にしながら出かけたが、7/11抱いている内に逝ってしまった。決して名前ほど小さな猫ではなかったが、やせて軽くなってしまった。庭の南にあったハナミズキの下におじいちゃんがお墓を作った。

   そうこうするうちに夏休み。TOPPOさんと慈郎が登場、さっそくチビ、Oじいさん、さらには、やはりこの年の春に亡くなった大型望遠鏡の製作者で焼津のディスカバリーパークの大型望遠鏡も製作した法月惣次郎氏の初盆参り。
   この夏の花火はTANUKIおじさんはOじいさんのお守りでOばあちゃんと一緒に実家に留まったが、後は皆で港で楽しむ。さらに、この夏は農大農学の同期女性ばかりでほぼ20年ぶりの同窓会。大学も周辺の町も大変貌。ビックリしながらしばし懐かしい時を過した。

   チビがいなくなって涼しくなると、パピがまたDORAおばさんの布団の中に戻ってきた。抱えると最盛期よりだいぶ軽くなっている。しばらく前から右半身を傾げて歩くし右の目も閉じにくくなっている。
   そちらを心配していればクーが血尿。獣医さんへ直行。寒くなるほどにDORAおばさんの右腕にパピ、掛け布団の上には小慈郎、さらにはクーやクロンまで乗って貼り付け状態。ジライヤは炬燵布団の上や座椅子で勝手に寝るのが好きなんだ。
   そんなこんなの年末、長く行動を共にした白のシャレードから、「広い車が欲しい」と言うTANUKIおじさんの要望で、緑のCR-Vへ車を替えた。

   翌年1月末に、体格は小さいとは言え小慈郎の経験もあるのでみゆの手術。しかし抜糸をしても元気を取り戻さず心配させられる。
   この2月は雪が降った。庭に薄っすらと積もる程度と言えども焼津では大事件。猫達が興味深そうに見ている間に融けてしまった。その後また高草山に雪が積もる。そして9年間東海大に居た北海道の従弟がいよいよ帰ることになり、アパートを引き払った後、1月程家に居る事になる。そんな訳でこの春休みは彼も一緒にTOPPOさんが百武彗星を追いかけるのに付き合うことになった。

   4月からは組が神社の当番、DORAおばさんは婦人会の役員の当番。地域の仕事で忙しくなる。
   それでも、8月には慈郎と猫達、じいちゃん、ばあちゃんを置いて3人で東北ドライブ。おばあちゃんは慈郎の散歩が辛くなって岡山の叔父さんに援軍に来てもらった。
   秋には裏の家の建築現場に何処からとも無くみゆとそっくりな大猫が現れるようになった。黒と白の毛の染め分けも、太くて長いしっぽもそっくり!しかしみゆは「ここは私のテリトリー」とばかりに追っ払う。

   翌年の春休み、今度はヘールボップ彗星を追ってDORAおばさんとTOPPOさんは車で走りまわる。世紀末が近付いたせいか、レビー彗星・百武彗星・ヘールボップ彗星と年を追って大きく見える彗星がやってくる。今回はDORAおばさんも納得の大物。
   5月。パピを連れて車で獣医さんへ。車は良いが、獣医さんに着いたとたんに往年の元気を取り戻して唸る、暴れる!「予防注射も負担が大きくなったね」とパピの最後の予防注射。夏のノミ取りシャンプーもパピだけ負担の少ない薬用でないシャンプー。ノミ取り首輪もハーブ製。
   パピの特別待遇に忙しくしている時にOばあちゃんが貧血。検査の結果胃潰瘍と分り7月いっぱい市立病院で安静のための入院。TANUKIおじさんの厄年は終ったはずなのに…。

   この夏休みは瑞穂の従妹の小学生の娘達が1週間ほど2人だけでお泊り。もちろんTOPPOさんや慈郎も居る。慈郎は朝晩、子供達も一緒に瀬戸川の土手の散歩。このお姉ちゃん達が猫のお夕飯のお給仕をしてくれるけど、猫達は程々に距離を取ってお付き合い。
   子供達が帰ってしまった後、夕方の瀬戸川で「たまには水遊びをしよう」と慈郎を誘ったら「ヤーダー」と逃げ出した。水の側からスタコラと土手の道へと上がって行く。ところがドッコイ、そこで秋田犬に遭遇。息切れ気味に追いついて引き離した時には気が付かなかったのだが、慈郎はお尻の肉をカップりと食いつかれていた。気が付いたのは人間のお夕飯が終った後。慌てて獣医さんに電話をすると「一杯やっちゃったけど、とりあえず連れて来なさい」との事。「まだ一杯のうちで良かったね」と消毒をして傷を縫ってくれた。

   秋にマタタビ香なる物をDORAおばさんがホームセンターで見つけて買ってきた。何故かパピとジライヤがとっても気に入った。パピはフンフンと匂いを嗅ぐだけだが、ジライヤは「ニャーゴ」と大歓声をあげて線香に体当たり!火傷するぞ!
   10月にTANUKIおじさんが大阪出張。1人なので手を抜いて車を使おうとDORAおばさんを誘う。DORAおばさんはさっそく天王寺に泊めてもらい従妹達と合う算段をした。さらにこの秋はTANUKIおじさんが友達に誘われて戸隠の蕎麦道場で蕎麦打ち体験をし蕎麦打ちに目覚めた年。この年の暮れから年越し蕎麦はTANUKI製。
   しかし、12月末、Oばあちゃんが腰を痛めて立ち上がれなくなり、またも市立病院へ入院。慌しい年の暮れとなった。

   明けて正月、Oばあちゃんは入院中だが、家のおばあちゃんはハイ!たまたま1/4瑞穂の従妹一家、藤守の子供達、義兄さんの子供達が家に揃った。猫達は大迷惑で子供の手の届かない棚の上や押入れに避難。おばあちゃんは大張り切りで子供達を集めて百人一首にお八つ作り。
   1月下旬にはみゆが口の中を腫れさせて小慈郎を予防注射に連れて行くついでに獣医さんへ。
   2月始めにはOばあちゃんも何とか退院。2/22の猫の日にはネコにかこつけて人間様もマグロを食べた。
   3月には家のおばあちゃんが白内障の手術。1泊入院してしばらく通院。10日後にはジライヤが後ろ足を腫らす。どうやらかまれた傷が膿んだもようで結果として10円玉ほどの皮が剥け、しばらく通院。つぎを当てるわけにもいかないので、消毒をしてバンソウコウで抑え、さらに舐めないようにエリザベスカラー。これも猫用では小さすぎ、犬用を借りてきた。もちろん春休みにやってきた慈郎にはギョッとされた。

   ジライヤの傷は1度おさまったものの、エリザベスカラーを帰して外出禁止を解いたとたんに舐め剥がして振出へ。以後しばらくパピのリードを借りて再度外出禁止。リード付きで散歩に行くとパピの時同様にクーや小慈郎、みゆも付いてくる。しかし、パピの散歩だと番もしなければ悪いと思っているクーはリードを放すと代わりに押さえていてくれるが、ジライヤではそこまでの義理は無いらしい。

    この年はまたも結婚ブーム。和賀家の従弟・従妹が3組、4月、5月、6月と結婚。最後が弟分のような北海道の従弟で、彼女の故郷の岡山で式をするというので出席。ついでに後の2組にも会ってお祝いをしてくる。さらに7月にはマーミの結納。

   しかし、世の中良い事ばかりは続かない。8月始め、Oばあちゃんが脳内出血で倒れ病院に運ばれる。たまたま横浜に用事で出ていたDORAおばさんも、TOPPOさんと慈郎を引きつれ、おっとり刀で帰ってきた。入院騒ぎの中、瑞穂の娘達がこの年は2人で新幹線でやって来た。相変わらずの夏休み。ただ、Oばあちゃんの様子を見に病院経由での帰り道。
   TOPPOさんは8月の終わりに横浜へ帰ったが、この年も慈郎は焼津でお留守番兼秋休み。9月には台風もやって来て、車庫の雨風の音に落ち着かない慈郎は玄関にケージを入れて1泊。10月に義兄さんが体調を崩して入院したり、Oばあちゃんがリハビリ病院に転院したりの間を縫って、慈郎を横浜へ。無事に九州みやげと交換を果す。ヤレヤレと思えば今度はクーが足を引き摺っている。即獣医さん。
   そして11/21ようやく迎えたマーミの結婚式。Oばあちゃんはリハビリ病院から車椅子で披露宴に臨んだ。持つべきものは友達で、忙しい我々に代わって、TANUKIおじさんの親友が静岡の奥のリハビリ病院までOばあちゃんの送り迎え、TOPPOさんがホテルでの着替えの手伝いをしてくれた。

    しかし、この頃からパピの体調悪化。チビに比べれば歯は丈夫だが、ドライフードが硬くて食べにくくなったらしい。マグロやカツオの切り出し、老猫用の缶詰など色々と試してみる。結局、パピはカツオが一番好き!ほかの猫達もお刺身大好き、よってDORAおばさんが、バタバタと忙しくしていても美味しい物が食べられれば幸せ。パピは古くなったお刺身は食べない。だからDORAおばさんはなるべく毎日、スーパーで少しだけ入った切り出しを探してくる。
   冬休み早々、TOPPOさんと慈郎がOばあちゃんとパピの見舞いに来る。ほとんど縁側で寝ているパピもノソリノソリと夕飯には出てくる。普段は食べない鯖の麹漬けや塩鮭を人間の食卓から一口もらったりする。「また会えるかねぇ」とすっかり軽くなったパピを撫でてTOPPOさんと慈郎が帰ったのがクリスマス明けの26日。
   パピは暖かい昼間にリードをつけて庭の散歩もする。おばあちゃんが散歩に出した後で、DORAおばさんがまた連れ出しても、トコトコとお気に入りの場所までまた歩いていく。大掃除をした29日は風も無く暖かい日だった。「パピは」と探せば家の西側の道路の真中を傾ぎながら歩いている。裏の家の犬も、その裏の犬も、さらに先の家の親子の犬もじっと見ている。田圃の先の昔のテリトリーまで行きたかったのだろうが、幸か不幸か降りるのには高さがあり過ぎてDORAおばさんに捕まった。

   翌30日は餅つき。夕方帰ってきたDORAおばさんが、小さく切り分けたマグロをパピの所に持って行ったが受け付けなかった。只、おじいちゃんの縁側の座椅子で丸まって眠っているだけ。しばらく時間を置いてもう一度マグロを口に入れてみるが食べられない。何となくこわばっている体を抱き上げて撫でていると、だんだんと体が柔らかくなる。そっと水を乾いている鼻先と口につけてやる。良いとも悪いとも言わないが体は柔らかく和んでいる。時期が時期なのでDORAおばさんも忙しい。一段落するとパピを抱えて撫で、水を飲ませる。コントロールの悪い目は放って置くと開いたまま。軽く水を付けた手で閉じてやる。
   31日、紅白歌合戦が終わり1999年が来た時も生き延びていた。
   正月1日。穏やかな天気の中、DORAおばさんは縁側でパピを抱えたまま終日を過す。リハビリ病院からOばあちゃんも正月を過しに帰って来ているのだが、今はパピが優先。結局1日も終わり、時計が2日に移って30分も経った頃、ふっとパピは旅立っていった。だんだん硬くなる体をしばらく撫でて、バスタオルに寝かせる。翌日、チビの隣に葬った。

   これでパピのことはお終いです。もちろんまだまだ小さなエピソードは残っています。人間の赤ちゃんが大人になるまでの期間をともに過したのですから。
   とりあえず今回はパピの居た日々のアウトラインをなぞってみました。ご愛読ありがとうございました。

 


 

   感想を聞かせてね。