02/1/12 キョンの巻
高校時代に初めて飼った猫キョンは2度お母さんになった。1度に4匹ずつの子が生まれた。
しかし、全部飼うわけにはいかないし、子猫をもらってくれる人も居ない。
当時お世話になっていた獣医さんから私に呼び出しが来た。「子猫は全部飼えないよ、お母さん猫の方が出て行っちゃうからね。だからと言って捨てちゃ可哀想だよ。カラスや犬に殺されちゃうからね」そして持ちかけられたのが、研究用に獣医大にくれないかという話だった。「もちろんペットとしてかわいがる訳じゃないけど、君のキョンが病気になった時、信頼できる獣医さんに見てもらいたいだろ、そのためには学生達がしっかり勉強しないとだめなんだ」というような話をされた。ふわふわの可愛い子猫たちを手放すのは不本意であったが納得させられた。
子猫たちは重大な使命を帯びて出て行った、という事にしておこう。
02/1/5 キョンの巻
私が始めて猫を飼ったのは高校2年生の時、キョンと名づけた赤斑の猫だった。
縁側に置かれた祖父が作った十姉妹の小屋の上で昼寝をし、やはり縁側に父が開けた猫穴を通って庭から外へ遊びに行った。庭の中までは可愛い猫ちゃんだったが、都会育ちの割りにはヤンチャで、どこかで追い立てられたか、急いで穴から飛び込んで来る事があった。もちろん縁側の障子の腰板の上は猫通路でみごとに破られた。
当時、私は進路に関して揺れていた。受験生をやろうか、就職をしようか。しかし、表向きはともかく、夜中過ぎまでラジオの深夜放送を聞いて小説等を読んでいた。もちろんキョンと一緒に。
キョンが行方不明になったのは、紆余曲折の末、私の農大受験が終わった直後の事だった。一筋表のバス道路で死んでいるのを近所の人が知らせてくれて、母が連れてきて、父が庭に葬ってくれた。なぜか死んでしまったキョンの姿を見た記憶が私から抜けている。しかし、大学受験/深夜放送/キョンという連想だけは私の中に今も残っている。
01/12/10 キョンの巻
高校2年の時に初めて猫を飼った。友達の家で生まれた赤斑の猫だった。
学校で話はまとまったが、彼女の家は新宿、我が家は三鷹、地下鉄、国鉄、バスと乗り継がなければならない。動物を乗り物に乗せる発想も無かった時代、悩んだ末に彼女はピクニック用の籐カゴに入れて、休みの日に三鷹駅まで運んでくれた。こちらはそんなしゃれた物は無いので布袋に詰め込んだ。知らない世界で揺すられていい加減嫌になっていた子猫は、知っている匂いから切り離されると声の限りに鳴きだした。ニャン、ではなく、キャーン、キョーンと聞こえた。
大騒ぎをしている猫をナイショでバスに乗せる訳にもいかなくて、運転手さんに頼んで「袋から出さなければ良い」と許可を取った。それでも大声で泣き叫ぶ子猫は十分人目を引いた。
何とか無事に家に着いた子猫はじきに金魚や十姉妹達と共に、元から居たような顔をするようになったが、この道中の印象からキョンと名づけられた。
初めて飼った猫だし、2度もお母さんネコになったのだから列伝ではなく正伝を書かなくてはならないが、とりあえず私の猫飼いの始まりだけ書いてみた。
01/11/20 トトロの巻
我家に居たネコで写真の無いもう1匹の猫の話。
この子の名前はトトロと付けた。すでに2ヶ月くらい経った子猫で、家の前で大声で鳴いている所を発見された。ちょうどミミに似た毛並みで白に薄いベージュの点がとび、シッポが長かった。
当時すでにパピとチビが居た。この2匹は初めから気が合ってすぐに馴染んだ。だから、小さいのがもう1匹入ってもと思ったのだが、ダメだった。どうしても仲間に入れてくれない。トトロの方は仲間と認めてくっ付いていくのだが、唸られるは猫パンチは食らわされるはで追い払われる。
挙句の果てに、母が風呂場で洗濯をしている側で、湯船に落っこちて溺れているのに気付いてもらえず、変な音が気になってのぞいた私が拾い上げた事もあった。
そんなこんなの中で、どこかで頭を打ったらしく動きがおかしくなった。クルクルと同じ所を廻り続けたり、ひきつけを起こしたり、結局手の打ちようが無くなり、見ているのも可哀想になって獣医さんで処分してもらった。
しかし、この反省と後悔から、半年後に来た小慈郎には、しっかりと自分の居場所を確保させる事が出来たのだった。
01/11/11 キジの巻
日曜日でもあるし、本日は『我が家のネコ列伝』の続きなど。
家で生まれたのではないネコで写真のない猫が2匹いる。
1匹目は高校時代に飼っていたキョンが事故死した後で、当時かかりつけだった井の頭公園の獣医さんに頂いたキジ。生まれて1週間前後の捨て猫で、当時珍しい猫用ミルクと哺乳瓶付きでやって来た。ちょうど高校卒業から大学に入るまでの春休み、箱の中にいす用の電気座布団を入れて、ミルクを飲ませ、お尻を拭いて(子猫はお尻を刺激してやらないと糞尿をしない)面倒を見た。
そうこうしているうちに大学が始まり、昼間はネコ嫌いの祖母が、こまめに面倒を見てくれた。
春も深まり、私も学校に慣れて帰りが遅くなりがちの頃、1月ちょっと経って、キジの目も開き、声や足音を聞き分けて反応するようになっていた。
もう大丈夫だろうと電気座布団を片付けたら、ぶり返しの寒さで風邪をひき、あっという間に肺炎になって死んでしまった。
獣医さんに、町で捕まえたキツネをパトカーで運んできたのは良いが、足は縛ったものの口をそのままにしたために、車のトランクをズタズタにされたという話を聞かせてもらったのはその時だった。
01/10/14 チビの巻
只今の『石寒太のしり取り俳句』のお題は「お嫁入り」。
お嫁入り ネズミくわえて 三毛のネコ DORA
焼津に来て1番初めに飼った猫がパピ。結婚した翌年の夏の事だった。しばらくは獣医さんに「きついこと西の横綱」と言われたこのヤンチャ坊主1匹だった。パピについては長い話になるので今回は端折る。
このパピの所にある時やって来たのが三毛のチビだった。なかなか美人で鳴声が特に可愛らしい。
始めは我々の住んでいた長屋型のアパートに迷い込んで来た。懐っこい猫なので近所の小学生の女の子達がまず夢中になった。給食の残りをやったり、お菓子を分けたりしているうちに、すっかりアパートをテリトリーにしてしまった。
この頃は赤ちゃんの居る家もあったのでパピは家の中で飼っていたが、何故かアパートの子供組の一員にパピも入っていた。大きい子供達がTANUKI先生の教え子なので、「パピと遊ぶ」と言っては子供達が家へ来ていたのだ。そんな子供達が「おばさん、寒くなると可哀想だからルルも飼ってよ」と言ってきた。何時の間にかこの三毛にルルという名前までついていたのだった。以前やはりアパートに入り込んで来た長毛種の猫を預かった事があったが、これはパピと気が合わなくて友達に貰ってもらった。だから「パピとお友達になれたらね」と言ってあったのだが、この三毛はすっかりパピと気が合ってしまった。そんな訳で、実際には持参金のネズミはくわえて来なかったが、彼女は我が家の一員になった。昭和61年の秋の事である。すでに大人になっていたので年齢不詳。
結局パピより体つきが華奢なので単純にチビと名づけられた。彼女がチビとルルとどちらの名前が気に入っていたかは分からない。
01/10/24 ジャムの巻
しり取り俳句の『お嫁入り』はずいぶん猫が登場した。残念ながら「お嫁入り ネズミくわえて 三毛の猫」は残らなかったが。予選通過32句のうち4句も猫連れが入った。
お嫁入り娘を連れて猫連れて ふみ○
お嫁入り狐も鼠も猫だって 猫のくり
お嫁入り嫁入り道具は猫の餌 尚々
お嫁入り野菊のブーケと猫抱いて DORA昔の嫁入り道具に犬張子があったというのは聞いた事がある。安産のお守りだったらしい。
しかし、猫は家に付くというので、さすがの私も当時飼っていたジャムを連れて来なかった。大きな赤斑の猫で、家ではニャンコチャンだったが外では結構暴れていたらしい。パピを連れて何度か里帰りをした頃、居なくなってしまった。ノラ猫上がりだったので、今でも気の毒な事をした気がしている。入選作は お嫁入り二百十日の無事に過ぎ 可愛
01/10/27 トラの巻
屋根裏でジャムの写真を探していたら、トラの写真も出てきた。
トラはジャムの前に飼っていた猫で、大学3年か卒業前だったかの春先に教職でお世話になった先生から頂いた。私の猫好きはすでに知れ渡っていたから「家の猫の子が生まれたんだよ、見に来ないかね」と誘われて調布のお宅までノコノコとお邪魔して、結局1匹もらってきてしまった。茶トラで尻尾が長く今のジライヤに良く似た子だが、トラは元飼主の性格に合わせてとても人好きの子だった。
ヤンチャ盛りの1年か2年ちょっとでバス通りで車にはねられて死んでしまったが、ちょうど私が写真に凝っていた頃だったので、写真だけは沢山残っていた。1年でものすごく大きくなった。かなり今のジライヤに近い印象をもっていたが、残っている写真で見るといかにも幼い。
そして、写真にはトラだけでなく、あの頃の私の気持ちも写しこまれていた。妙に懐かしい時間を過ごしてしまった。