私と箱根駅伝        小林伸吉(S46工)

 

   農大が箱根駅伝に出場しなくなって、四年目の正月を迎えました。正月の二日、三日に家に居た事がほとんど無く、駅伝の応援に行くのが年間行事の一つでした。今年も箱根駅伝をテレビで見たが、農大が出場していないためテレビ応援も今一つ身が入りません。
   そもそも、私が箱根駅伝の応援に本格的に行き出したのは、私の同期の吉田君(埼玉・林学)が応援団の監督をやりだしてからです。それまでも、何回か行っていましたが、吉田監督になって、毎年のように芦ノ湖のゴールへ応援に出かけました。
「近くに居るお前がこなくてどうする」などと発破を掛けられ、諸先輩方々もお見えになり、新年の挨拶も兼ね、出かけました。卒業したての頃はOBの先輩方が苦手で、時々しか応援には行きませんでした。箱根駅伝は陸上部の選手の応援はもちろんの事、応援団の四年生、三年生の幹事引継ぎ式も兼ねていて、農大のOB、農友会の学生も多数参加されます。そのころ、毎年出場していた農大の応援宿舎は、箱根小湧園の新館、ペガサス館でした。遠方から箱根にみえるOBの中には、家族連れで温泉旅行を兼ね、応援に来ていいる方も大勢いました。小湧園のペガサスでは箱根駅伝の中継をしている日本テレビのスタッフの方といつも一緒でした。

   私の正月二日は、まず、テレビで大手町の八時スタートを見て、一、二区の中継、そして花の二区、戸塚の中継で三区のランナーにタスキを渡した所で、家を出ます。時間は十時半頃となり、東名高速道路を焼津ICより入り、沼津ICを経由していきます。箱根のゴール、芦ノ湖の入り口に着くのは、大体十二時半頃です。選手の一日目のゴールは十三時半頃だから、一時間前に着くので、ゴールを見るのにちょうど良い時間になります。もうその頃になると、芦ノ湖の周辺は応援の人でごった返しています。いつも車で行く私は、芦ノ湖の駐車場までたどり着けず、途中で車を降りることも度々ありました。箱根のゴールに毎年のように応援に来ているのは、三島の農大常磐松会のOB諸先輩で、農大の幟旗をたてて派手に応援をしていました。我々の同期で空手部の草山君(神奈川・造園)も毎年応援に来ていました。少林寺拳法の笹田君(工学)は遠く岩手県から毎年のように来ていました。奥さんが同じ農大卒で、東京の上野が実家であり、新年の挨拶も兼ねているようでしたが。

   農大応援団の応援場所は芦ノ湖のバス停留所のところであり、目の前には日本テレビの中継所もあり、応援するのには最高の場所でした。農大の青山ほとり(大根踊り)の人気は抜群であり、農大の周りはいつも見物の人でいっぱいでした。どこの大学も太鼓を打ち鳴らし、声をからして、自校の選手の応援に熱が入り、おおいに盛り上がり、選手も、応援も必死です。駅伝の山登り(五区)の選手がゴールに入るのは、大体十三時半から十四時頃で、十四時過ぎた頃にはどこの大学の選手もゴールしてしまいます。農大の選手がゴールしてしまうと、我々の応援も終わり、ゴール付近で陸上部のお礼の言葉を聞いてから、宿舎である小湧園に向うのです。交通渋滞で、いつも宿舎である小湧園に着くのは十七時頃でした。
   宿舎では十八時半から慰労会を兼ねた幹事引継ぎ式が行われます。新しい団長を始め、新幹事、ブラスバンド、チアリーダー部の新四年生の紹介が行われます。いつ見ても初々しくて「これから一年頼むよ」と声を掛けずにはいられません。このようにして、農大の伝統が引き継がれていくのですが、我々OBにとっても後輩がクラブなり、団体なりを受け継いでいってくれるのは、本当にありがたい事であると思っています。

   駅伝の2日目は早朝五時に起こされますので、大変つらいものがあります。毎年のことですが、先輩や後輩達との年一度の再会で、夜遅くまで酒を飲んだり談笑したりした体には結構こたえます。毎年、寝不足になります。朝早いのは、小湧き園の前の道が駅伝コースとなっているため、車の交通規制が入ります。バスは六時前にはホテルを出発して、昨日のゴール、今日のスタートに向わなくてはなりません。現地に早く着きすぎるため、バスの中で仮睡眠します。七時過ぎると駅伝の見物客が集まり出しますので、学生も応援の準備を始めます。太鼓を使用しての応援は七時半を過ぎてからです。
   八時スタートの合図のピストルがなり、往路のタイム差で順次スタートを切る訳ですが、二十分以上は繰上げスタートです。農大の応援団は、農大の選手がスタートするとすぐ、太鼓、団旗をバスに乗せ、国道一号線のバイパスである箱根新道を小田原方面に向い、山をおりて旧道にぶつかった所を左に曲がり、箱根湯本の早川の所にバスを止め、山を下ってくる選手を待ちます。そこで応援をして、また、すぐバスに乗り、小田原-厚木道路を通り、厚木ICより東名高速道路に入り、大手町のゴールに向います。バスでの移動のため、だいぶ早く大手町の読売新聞の会館前に着きます。駅伝の選手が大手町に帰ってくるのは十三時を過ぎるので、バスの備え付けのテレビで駅伝中継の応援をします。ゴールの大手町は応援の人並みであふれ、身動きがとれなくなります。そして、農大の選手のゴールを待つのです。

   毎年なんでも無いようにやって来たことが、途切れて早、四年になります。来年こそ箱根に行けるように農大陸上部頑張って下さい。箱根駅伝の応援ができる日を楽しみに待っています。