今年も地区民児協の移動研修の季節がやって来た。ありていに言ってしまえば旅行かもしれないが、会議ではなく裃を脱いでお互いに知り合う事も意志の疎通の上で大切。色々とうるさくなってきているが個人のお金を貯めて出かけているわけでわざわざ言い訳をするのが逆におかしいのではないかとも思う。
今回は飯田・妻籠など南信州をめぐる旅。蕎麦三昧の旅でもあった。私も当番に当たっていたので事前の準備などもあり忙しかった。
焼津IC出発がam7:30予定。遠い所から順にバスで拾ってもらって私が乗る所はam7:20の予定だったが10分近く早くバスは到着、角地で信号もあるお店の前なので気はもめたが、ここで乗る予定の最後の1人が20分ジャストに登場したので10分近く停車する事になった。最後の集合地点でほとんどの当番が乗ったので、飲み物やおやつその他も皆で積み込む。
ここから焼津ICはすぐ、予定より少し遅れたが西に向かって順調にバスは進む。まずは当番長から挨拶、今回はガイドさんも添乗員さんも付かないので運転手さんが直接挨拶、そして会長挨拶では忘れない内にと7月の地域の子供を守るふれあいの会の日程の業務連絡も。
おやつや飲み物も配られしばしリラックス。浜名湖SAでトイレ休憩を取った後、いよいよ研修ビデオを見ようかという段になってバスが最新式でDVDは使えるがVTRは無い事が分かってビデオ研修は8月にウェルシップを会場にする時に延期された。(いつも使っている集会所にはVTRも無い…)代りにまず『民生委員の歌』の練習。これがまたテープは使えるかMDかとこの関係の設備は運転手さんもあまり詳しくなくて電話で分かる人に聞いてくれたりしてようやくスタンバイ。音楽の先生に不自由はない地区なので音楽に合わせて皆で歌う。
その後は補助犬セミナーに出た委員からの報告と「せっかくですから」と補助犬育成のための募金箱が回された。寄付をするとシールが渡されるそうで、「今、家で色々なサイズがまとめて印刷されているのを切り分けているけど、皆さんには1枚そのままお渡ししますから、またそれぞれに広報をして下さい」とシールがシートで渡された。
補助犬には盲導犬の他に介助犬や聴導犬もあり1匹を訓練するのにずいぶんお金もかかるのだが、その育成はほとんどボランティアに負っているそうだ。そしてこれら補助犬が利用者といる時は仕事中なので、声を掛けたり、触ったり、物をあげたりしたら集中力が切れて危険なのでいけないのだとの事だった。
バスは東海環状自動車道へ。鞍が池Pでトイレ休憩、頭上ツバメが賑やかだった。さらに土岐JCTから中央道へ、恵那峡SAで時間調整もかねて少しゆっくりと休憩。飯田ICを出たのがまだam11:20。降りてじきに本日のお昼を食べる信州漬物センターそば処 伊那路。
お昼ご飯はお蕎麦にご飯に五平餅、天ぷらや煮物も付いて全部はお腹に収まりきれなかった。それでもテーブルで焼いた五平餅は熱々で好きなだけ塗った味噌も良い味で美味しかった。
まだおみやげを買うには早いよねとセーブしてバスへ。次の目的地まで20分位の時間の中を間違い探しゲーム。賞品は今回のお当番の1人が90歳過ぎのおばあさんが作ってくれたという作品をいくつか用意してくれたが、割と簡単に皆に当たってしまい、賞品はジャンケンでの争奪戦となった。ゲームの絵を提供してくれたメンバーが「3歳児用に少し手を加えたの」との解説。
今回初めの見学先は元善光寺。「1度詣れよ元善光寺 長野だけでは片詣り」と言われるそうで、個人的にはずいぶん前に長野の善光寺はお参りしたのでこれで両方お参りしたことになる。
この元善光寺は本多善光卿がお祀りをしたので善光寺と名前が付いたそうだ。こちらがその本多善光卿の故郷という事でご本尊が長野とこちらに月の半分ずつ居ましょうと言ったとされ片参りの話ができたようだった。お寺の方がそんな来歴などをお話してくれた後、お堂の下のお戒壇めぐり。真っ暗の中「お静かに」と書かれていた入り口の札は無視してザワザワと一巡り。
ところで本堂の壁に次のような言葉が張られていて私としては心に残った。
乳児はしっかり肌身離すな |
幼児は肌を離しても手を離すな |
少年は手を離しても目を離すな |
青年は目を離しても心を離すな |
次に向かったのは水引工芸館。入り口で金色の巨大な水引細工の龍が迎えてくれる。まず職人さんが細工を見せながら簡単な解説をしてくれる。その後は美術館へ。花や人形・お神輿などすべて水引細工で出来ている。熨斗袋に付けるような小さなものではなくすべて大作。編み方の上手下手や作品としての向き不向きもあるだろうが、孔雀やお神輿などは細工も細かくすばらしかった。
売店では熨斗袋をはじめ小物から大作まで色々と置かれていたが、様々な家紋の額があり、自分の家紋を注文すると作ってくれるそうだ。
これで本日の見学はお終い。3時頃まだ日の高い内に本日のお宿・昼神温泉ユルイの宿 恵山に到着。ユルイとは囲炉裏の事で「ちょっと囲炉裏端でゆっくりしていきなさい」というイメージだそうだ。
「皆さん、今日はゆっくりとお湯に入ってくつろいで下さい」と会長さん。女性は人数が多いので今回の部屋割りはくじ引きで女性3室、男性1室。
それでなくても新メンバーが入ったところで、今までは番号順に振り当てていたので今回の部屋割りは新鮮。とりあえず仲居さんの淹れてくれたお茶を飲んで一休み。土地のお菓子も色々と出ている。
何はともあれ温泉へ。飛び切り広いわけではないが、内湯・露天ともいいお湯だった。時間はあるのでそのまま庭に出ておしゃべりの続き。今までの旅ではスケジュールに追われてこんな時間は取れなかったが、これも必要な時間だと思う。たまたま同じ部屋のメンバーの1人がO家の遠縁の親類に当たるようで思わぬ偶然だった。時間に余裕があったためか他の部屋の人達とは会わず、これもまた珍しい事だった。
ゆっくりとしてもまだ空に明るさが残っている時からお夕飯。アルコールも付くがひたすら食べる事に専念するのがこの地区流。少しお腹がくちくなってくると会長を筆頭にカラオケが始まる。
ノンビリと楽しんでもまだ宵の口だが今回は1次会の終了と共にそれぞれの部屋に引揚げ。敷いてもらった布団の上でゴロゴロした後、寝る前にもう1度温泉へ。
翌朝は6時起床。朝食までには時間があるので部屋の人達と朝市へ。平日なので程々の賑わいだったが漬物・野菜・ジャム・牛乳・お菓子・温泉饅頭・花の苗など色々な店が出ている。店の人の平均年齢も他所に比べて若く活気がある。「家のおばあさんが作っているんだよ」などと漬物や煮物など色々と試食させてくれる。
朝市だけでは歩き足りずに近くの神社をお参り。夏越の祓いも近いので茅の輪が作ってあった。植物の吐き出した良い空気もたっぷりと吸ってから朝ごはん。
出発は9時。30分ほどで木地師の里。木工業者が集っている一角で、ろくろを使ったコネ鉢やカップなどの他、大きな座卓やタンス・衝立などもあったが値札の桁数を見ただけ。職人さんがろくろを回して実演してくれるだけでなく、仕事をしながらアイデアのある作品の販売トークも滑らかにつむぎだされる。店先では「食べてみて」とお茶と共にジャガイモの煮物や漬物が出される。大物はともかくお孫さんへのおみやげのおもちゃやちょっとした小物など皆さんお買い上げ。
バスで20分もすれば妻籠宿。妻籠宿は江戸時代に中山道と伊那道の交差する交通の要衝として栄えたが、明治時代鉄道からはずれた位置になったため寂れてしまったがそれが幸いして町並みが保存された。ぱらつく雨の中を三々五々歩く。鯉岩の辺りまでは団体行動を取ったがその辺りからばらけ、我々は脇本陣から資料館・本陣を見学。
脇本陣は奥谷という屋号で本来の仕事は作り酒屋だったそうだが、明治初期の建物が残っている。広い建物の梁や柱の太く、上がり口の囲炉裏脇で案内の方が色々と説明をしてくれた。島崎藤村とも関わりがあり関係資料などもあった。ところでこの土地では庭に植える木について『表はカリン(お金は借りん)、裏には樫(お金はコッソリ裏から貸します)、東には山椒(利息はきちんと寄こさんしょ)』というのがあるそうだ。
この脇本陣、明治天皇の巡幸時にご休息所になり1部屋増築をしそのためのトイレまで作ったそうだが、1時間ほどのお休みのためトイレは使われずそのまま残っている。
ここでしっかりと時間を取ってしまったために後は駆け足で資料館を通り抜け、チケットを買ってしまったので本陣(復元家屋)も一回り、時間ギリギリにバスにたどり着いたら先に戻ってきた人達が駐車場の脇で見つけた桑の実を採っていて食べさせてくれた。
そして次は、昼食前に蕎麦打ち体験。とはいっても時間に限りがあるので、こねてある物をのして切るだけ。こねの失敗はフォローが効かないのである意味合理的かもしれない。説明役の先生の他に何人か手伝いの人が入り、言われたようにのし棒を転がすがこれがなかなかの難物。厚みがまちまちだったり形がいびつになったり、ともかくある程度大きく伸びたところで折りたたんで切る。意外と刃物は左利きの人が居るのにビックリ。何人もで切っていくのが右から左へ同じように動かないのであっちで当たり、こっちで当たり。ともかく蕎麦サイズとはいかなくても皆それぞれのお蕎麦が切れた。これはお土産用で袋に入れて保存剤と一緒に密封してもらう。
我々が奮闘している間に2Fの食堂にはお昼の用意がされていた。もちろんお蕎麦、釜飯も付いて食べきれない分量だった。でも別腹にソフトクリームは入れたが。これが熊笹ソフト。見た目は抹茶色だがお茶の味ではない、しかし、若い頃飲んだ熊笹のお茶の味ほどの味もなかった。
お土産も買い込んで2時過ぎには出発。中津川ICから高速に入ってお楽しみのビンゴゲーム。去年はドンジリだった私がトップ。当番なのに悪かったかなと思いつつありがたく賞品を頂いた。今年も「これだけ開いてまだ出ない!」という人も居て好い加減な時間を楽しめた。
帰りのトイレ休憩は東海環状自動車道のせと赤津PAと東名高速の遠州豊田PA。せと赤津PAの瀬戸物にこだわった作りが面白かった。
余裕のある旅でまだ明るい6時前に焼津帰着。高速を降りる前に会長・旅行委員長・運転手さんからそれぞれご挨拶。近い所から順に降ろしてもらって流れ解散となった。