今年も地区民児協の研修旅行の季節がやってきた。地区によっては研修先の施設や先進地区との交流を求めて行くところもあるが、我が地区は地区内の人の和を優先している。日頃の地区会ではどうしても連絡事項や決めなければならない事が優先となり、それだけではなかなかお互いの人となりが分からない。そのためにもこの1泊2日の合宿はお互いを知り合う貴重な時間となる。
今回はあまり距離が長いのは疲れるという事で、富士山の周りをウロウロするコースを取った。
目的地を近くすると朝もさほど早く出なくても済む。今回は一番早い地点が8時、東名焼津ICに乗るのを8時半の設定で、例によって遠い順にいくつかのポイントでバスに拾ってもらう。最終のピックアップポイントでバスがオーバーランしてしまい、しかも荷物をここで乗せる予定であったためにバスに戻ってもらうことになり少し時間をオーバー。
空も何とかもって荷物も人も積み残しなく8:45無事に焼津IC出発。今回のバスはサロンバス。当番とあまり乗り物に強くない人は前の席に座り、飲みながらおしゃべりを楽しみたい人は後ろでテーブルを取り囲む。
まずは型どおり会長、当番長から挨拶の後、バスの運転手さんからも挨拶があった。特に「高速道路は全席シートベルトを忘れずに締めてください」とのくれぐれものご注意。
お茶やお菓子が配られ、「冷蔵庫に入りきらないから食べちゃおう」と差し入れのヨーグルトが出され、まずは旅気分。
ただし、頭がスッキリとしている内に研修ビデオが流される。しかし困難ケースへの対応というタイトルだそうだが、「どこが困難ケースよ」との声しきり。消費被害・痴呆・虐待・介護者の体調不良などと次々と出てくるが現実はそうきれいに割り切りて解決されるものではない。困難ケースというのならば皆それぞれに抱えていて心を砕いている。
勉強をしている内にバスは御殿場ICを降りて秩父宮記念公園へ。駐車場でバスを降り道を渡った先の大きな門の中はうっそうとした杉林。もっとも環境問題に一家言あるメンバーから「もう少し間伐が必要だ」と意見が出るが、きれいに枝打ちされていて下草も刈られてシャガがきれいに植わっている。その他もいくつかのブロックに分けられた花壇が季節の花を咲かせている。
クリスマスローズがまだ花をつけているのは気候が涼しいからだろうか。何本かある巨大なしだれざくらはさすがに葉桜になっていたが、花の時は見事だろうと思われた。今回のメンバーにはお茶の先生をされている方がいるのでロックガーデンの山野草には造詣が深く色々と説明をしてもらった。
ところで秩父宮様といえば昭和天皇の弟でラグビー場に名を残しているが、登山もされたようで園内には登山姿の像が建てられていた。スポーツの宮様として知られていたようだが結核で亡くなられたのが1953年1月だそうで私は同じ時間を生きていない。
母屋が記念館として公開されているが、さまざまな物の中に庭の窯でされたというご夫妻の陶芸作品があった。
1時間ほどの散策の後、バスは東富士五湖道から中央高速の大月ICへ。インターを降りて15分ほどの所に日本3大奇橋の1つ猿橋がある。橋の目の前の大黒家でまずお昼。
甲州街道の要衝であるここは色々な人も行きかっている。猿橋がかけられたのは奈良時代まで遡るそうだが、松尾芭蕉は 猿橋や蝿も居直る笠の上 と詠んでいるし、広重も甲陽猿橋之図を残している。また大黒屋は国定忠治の定宿でもあったそうだ。そんな話を宿の大将から聞きながら天ざるご膳を賞味する。癖のないシャキシャキした丸い天ぷらにその中身は何だろうと話し合っている内に「大根でしょう」の声が上がる。大根が何にでもなるのかどんなものでも天ぷらになるのか…。水の良い所で自家製麺の蕎麦も刺身こんにゃくも美味しかった。
食事の間に雨が強くなって緑は益々濃くなる。
桂川に掛かる猿橋は橋の面から見れば狭い平らな板の橋だが、谷が深いので橋脚を建てる事が出来ない。サルが連なって谷を渡るのをヒントにして作られたというが、下から見ると木製とはいえ立派なアーチ橋だ。緑に覆われた川沿いの道を行くと先にある公園ではたくさんの紫陽花が咲き誇っていた。
猿橋を後にR20を西に向かう。「こちらが故郷」という方が懐かしそうに色々な話しをしてくれた。
バスの中では漢字を使ったちょっとした頓知クイズ。「老人ホームなんかでよくやるんだよ」と出題者。その他にもいくつかの言葉遊びをしてくれた。
次の行き先は武田氏終焉の地・景徳院。武田勝頼・北条夫人・息子の信勝のお墓がある。せっせと踏面の狭い階段を上ると山門。ここの山門は仁王像ではなく人物像が飾られていた。他に訪れる人もなく小雨の中、緑に包まれてひっそりとしている。
お参りをして境内を散策、お墓の側には北条夫人の辞世の句の石碑もある。彼女はまだ19歳だった。
黒髪の乱れたる世ぞ果しなき思いに消ゆる露の玉の緒 北条夫人
武田氏終焉の地であるからそこで死んだ家臣の位牌もあるそうだし、侍女達が身を投げたという日川のほとりにはレリーフも建っていた。もっとも今は水が少なく夏草が茂るばかりでイメージがつかめないのだが、切られた首を洗ったために川の水が真っ赤になったという伝説もはるか昔のものである。
緑の中を10分ほど行くとブドウ畑の連なる勝沼。静岡で山の斜面の緑は茶畑であることが多いが、こちらはブドウ畑。ワイン用だけでなくブドウ狩り用のブドウ棚も多い。小さな緑の房がついて、早いものは房にカサがかけられている。
シャトー勝沼でワイン工場の見学。もっとも稼動していないので面白さはなかった。そのかわりカーブでは1樽何十万円だかの個人所有の樽が積まれていた。
後はお店で試飲と買い物。赤ワインは軽めでフルーティだったが、白はドライ過ぎて結局1本も買わなかった。
本日はこれで勝沼ICから中央道で河口湖ICまで行き、富士吉田市の鐘山温泉で1泊。
例年なら予定より早め早めに動くのだが、今回はのんびりムードで少し予定時間より遅れ気味。宿ではまず部屋割りのくじ引き。男性は人数から1部屋で済むのだが、女性は4〜5名ずつ3部屋に分かれる。部屋に分かれてそれぞれで庭を散歩したりお茶を頂きに行ったり温泉につかったり。キーの関係でたいてい部屋ごとに行動する。
我々の部屋はとりあえず着替えて温泉行きの支度をしてお茶室へ抹茶を頂に行った。もっとも広い館内であっちで迷いこっちで迷いしている内に時間が過ぎていってしまったが、お茶を頂き温泉に浸かってそのまま夕飯の会場へ。遅刻かと思ったら早めに着いて、まだお当番の方達が席のくじを置いている最中だった。今回はくじ運良く隅っこ。部屋が広いので歩き回りやすくカメラマンにしては絶好のポジションだったが、あまり良い写真は撮れなかった。
勇将の元弱卒なしとはいえカラオケの話だが、会長を筆頭にカラオケ好き、音楽の先生もいるしコーラスをされている方も多く上手な方が多い。好きな方に任せておけばいくらでも歌ってくれるのだが、何故か皆で歌おうというノリになって、男性グループ、歌はお付き合いグループ、コーラスにしたいグループでそれぞれ披露。楽しみながらの食事も終わった頃にホールで太鼓の披露とビンゴゲームがあるが「早く行かないと座れません」と仲居さんに言われてゾロゾロと移動。
まだ30分近く余裕があるので正面の籐椅子が空いていた。空いている所に分散して皆で座る。目の前のお客さんが何故か頭に葉っぱを乗せておられたのだが、その心は分からなかった…。いつの間にかホールの中は椅子だけでなく床に座った人達までいて満員に。
太鼓の奏者はこの宿の従業員有志のチームだそうで、そろいの衣装で颯爽と登場。大迫力の音で3曲を聞かせてくれた。3曲目は抱え持ちの太鼓を持った人がお客さんの中を廻りたたかせてくれていて、アルコールで勢いのついた若いお客さんが自己流で熱演をしてくれた。
太鼓の演奏の後はそのままビンゴゲーム、特賞の枕をはじめ、ワインや土地の名水、シャーベットの引換券などが当たり、仲間内でも何人かが当たった。私もシャーベット券が当たったが、お腹はいっぱいだしこれ以上食べる隙間がなく記念だけになった。
それでも温泉にはしっかりと入る。しかし温泉の中でちらりと仕事の話…。彼女の受け持ち地区でも子育てで心配な家庭があったのね。
今回のメンバーは朝があまり早い人たちでなくて助かった。6時半起床。きれいに晴れて富士山がとてもきれいに大きく見えた。
庭を散歩しながら食事をして買い物をしようかと計画を立てたが、またまた館内の広さで迷子。あっさりと朝食会場に案内されてしまった。
朝はバイキング。席には宿の人が案内をしてくれるので席取りの心配はなく何があるのかをじっくりと見ながら私は洋食系でまとめてみた。もちろん食事の後はデザート一式。もっとも3種類あった1口のケーキはそれぞれの個性がもう少しある方が良いかもしれない。
食後に今度こそ庭の散歩。地形を上手く使って、特に珍しかったり高価だったりする植栽ではなく目に優しい景を作ってあった。敷地を川が流れ、足湯もあり、お茶室をはじめいくつかの小亭で休めるようになっていて、時間があったらじっくりと歩きたかった。
最後に売店に寄ってお土産を探す。皇后様がお買い求めになったというゼリーのお菓子を買った。
荷物をまとめてゆっくりと9時出発。玄関前の富士山を入れてそれぞれの出発グループが記念撮影をしている。もちろん我々も順番を待って記念撮影。とりあえず皆で写してもらったと思ったら1人来ていなくて撮りなおし。お見送りの皆さんにとんだフェイントをかけてしまった。
15分も走れば忍野八海。ドッシリと鎮座する富士山、透明な水の深い池、大きな岩魚がたくさん泳いでいる。忍野八海と言われるようにこの地域のあちらこちらにこのような池が点在しているのだそうだが、私はとりあえずバスが止まった周辺を散策して終わり。来た事のある同士で「ずいぶんきれいになったね」などと話し合う。健脚メンバーはずいぶん先の方まで歩いてきたそうだ。
たいてい早め早めに行動するわが地区だが今回の旅はのんびりムード。全員が集まったところでやはりバスで数分の地場産センターへ。入り口のファブリック用らしい布やネクタイ・ストールなどでまず足を止められる。これだけあるのならと探し回ってネコ模様のネクタイを発見。「おお、いいね、おみやげかい」と言われたが私のコレクションのようなもの。たぶんTANUKIもこれなら使えるとは思うが…。
きれいなものより質実剛健な我々、お向かいの八百屋さんへ。地場物ばかりでもないが大量販売で安い。トウモロコシや桃など季節らしいものがたくさんあった。山梨産よりもどう見てもおいしそうだった山形産のサクランボを買ってしまった。
本日はバスで10分程度の近い所を廻っている。次は北口本宮浅間神社。富士山への吉田口登山口になっている。うっそうとした緑の中、水の流れに沿っていくと奈良から譲られたという鹿がのんびりと座っている。
まず、大鳥居の前で記念撮影。本殿を取り囲むように注連縄を張った杉や檜の巨木が聳え立っていた。
ここからまたバスで10分程度で富士山ビジターセンター。大型スクリーンで富士山の成り立ちの映像を見たり、ちょうど行われていた富士山の植物の写真展を見たりした。そのほかにも富士山に関する自然や文化、登山の知識などの展示があった。最後にみんなで富士山の折り紙を折ってここを後にしてお昼。
4人がけのテーブルいくつかに別れて焼肉と寿司、麺類などのバイキング。でも朝をしっかり食べたし、車ばかりであまり動いていなかったので、焼肉は遠慮して色々なものをちょこちょこ食べていたら結構食べ過ぎてしまった。結局ここでゆっくりと話し込んで時間延長。
そのかわりお天気が崩れてきて、まだアジサイの花も色づいていないというので予定していた天上山公園へロープウェイで上がるのは取りやめ久保田一竹美術館へ。
久保田一竹といえば辻が花染め、和のイメージだが、多国籍というか無国籍というかおもしろい建物だった。建物にいたる小川に沿ったアプローチも不思議なオブジェが並び、建物の入り口にあるカフェ脇にはトンボ玉のコレクション。これを通り抜けると奥に和風建築のギャラリー。しかしそのつなぎは西洋廃園の舞台のようになっている。
建物の中はぐるりと振袖が並んでいる。色合いを変えながら四季の色をテーマに徐々に季節が移っていくようになっているらしい。さらに中央にはきつい色合いの宇宙をテーマにした作品群が並んでいる。このボリュームには圧倒された。
後はひたすら帰り道。朝霧高原道の駅で運転手さんから「今日は山梨経済をだいぶ潤してきたと思いますが、静岡の経済も潤してください」と言われて売店を一回り。結局ほとんどの人が\300也のソフトクリームにたどり着いた。鮮やかなピンクのコケモモ味。東名に入って富士川SAで休んだ頃にはちょうど5時。静岡を通り過ぎる頃には会長・当番長・運転手さんからそれぞれの挨拶があり、5時半頃には焼津IC。行きと同じように順に降ろしてもらって6時前には家に着いた。