民児委員の3年任期もこの11月末でいったん切れる。今までだと退任者の慰労旅行の意味も込めて2泊3日、市民児協全体で行っていたのだが、いかんせん250名近くが一斉に動くというのは現実的ではなくなった。しかし、地区で毎月積み立ててきたお金もあるので、地区民児協として1泊で出かけましょうという事になった。もちろん2泊で予定を立てても良いのだが、メンバーの何人かが高齢の家族をかかえていて家のように2泊も家を空けるとなるとどうしましょうという事もあるし、11月末の引き継ぎ時期も迫っているので1泊で福井へ行こうという事でまとまった。
高速道路がつながったとはいえ太平洋側から日本海側までの旅は長い。スタート時間は早くなる。5時起床で洗濯機を回し、ドタバタと6時50分の集合時間に間に合うように出たのだが、時計とコートを忘れて取りに戻った。それでもバスよりちょっと遅れた位で着いたのだが、忘れ物は私だけではなく、もう1人、しかも家まで少し距離がある方なのでバスで近くまで廻ってもらう事になり、最後のメンバーを拾う地点まで行くのに15分遅れとなった。その間にパラパラと雨が落ちてきたが、無事に出席者全員が乗り込んで東名へ。入った所からすでに事故渋滞。
しかし、つつがなく運転手さん、旅行の当番長、会長の挨拶が続く。実は中型バスの予定が会社側の都合で大型バスとなり17名で広々と利用。まずはビデオで研修。しかし、つい先日から亡くなられた方の代わりに入った方以外には今更「民生委員とは」の学習でもないと思うのだが…。
8時半頃に浜名湖SAで1回目のトイレ休憩。それと共にお茶やおやつが次々と配られる。当番が用意をしてくれるのだが、それ以外にも「家の柿」が出てきたり「昨日焼いたのよ」というクッキーが出てきたり煮豆を作って下さったり、お漬物を持ってきて下さったりと皆さんとってもマメなのでリッチなおやつタイムとなる。
浜名湖SAを出て今度は今期退任するメンバーそれぞれの挨拶。皆さんそれぞれに印象に残るケースというものがあるようで、そんな話がたくさん出て、これは我々残るメンバーにとっては勉強になる。2期やってようやく慣れた所なんだけどという方、何故か担当の境界線の所で色々な事が起こるんだという方、どこまで踏み込んで良いのかの加減がいつも難しかったという方、介護保険法と共に僕の民児委員生活がスタートしたという会長の話は3期目からは地区会長、4期目になって市民児協の会計と色々な役職をされたので、色々と興味深い話が聞けた。
そうこうしている間に守山PA。15分ほどトイレ休憩をして小牧JCTから名神に入ったあたりからまた渋滞予想。トイレに入れないと困るのでと尾張一宮PAで再度トイレ休憩。「とりあえず時間が読めないので絞り出しておいて下さいね」と運転手さん。しかし、渋滞に入ったものの予想より早くに解除、ホッとした。このあたりは川の多い所で木曽川・長良川・揖斐川と一定間隔で川を渡る。米原JCTから北陸自動車道へ。賤ケ岳SAでホッと一息。12時を回った頃ようやく日本海がチラリと見えた。武生ICを出た所にあるレストラン瀧雅で昼食。ほぼ50分遅れ。
早速カニが出て、お刺身もブリ、日本海側に来た気がした。ここでは食事をしただけでインターから高速に入りなおし福井ICまで。R158を少し行くと福井県立一乗谷朝倉氏資料館に着く。
資料館には戦国大名の朝倉氏の系図や出土物などがあるが、出土品については戦火の中に滅びているので金属類や瀬戸物などのかけらが多かった。逆に言えばそれらから類推するしかないのだが、京や西国、朝鮮半島とも近い立地が経済力も政治力も得ていたのではないかと思う。
ここから一乗谷川をさかのぼった所に朝倉氏の居館と武家屋敷・庶民の町などがある。バスで移動をしたが、その間も色々なものがあるらしい。
発掘調査に基づいて武家屋敷や庶民の町屋(商工業者の家)が混在している。庶民の家はほぼ店の間に1間が付いている位だが、屋内の土間に井戸を引き込み、庭にはトイレもそれぞれにあったようだ。
それに比べると武家屋敷は大きめだが、母屋に物置を兼ねた小者部屋と蔵くらいでお屋敷というほどではない。興味深かったのは当時はメジャーだったのかローカルなものだったのか将棋の駒が現在のものより2種類多いようでその説明が出ていた。また馬上で使ったという人の背丈ほどの長刀の写真があった。
説明役も当時の下級武士の姿、茶店や衣装を着せてくれるという店には当時の衣装の女性(江戸時代より丈が短く帯も細い)がいた。
道路と川を渡って丘を登るとそこが朝倉館。麓に最後の城主・景綱の墓がある。そこを登って行くといくつかの館の礎石があり、それぞれに庭があったようで庭石の配置がされて図面の説明もあった。
小春日和だったがやや肌寒くなった頃、バスは福井ICから2つ先の丸岡ICへ。本日のお宿は芦原温泉、グランディア芳泉。途中まで1時間遅れだったのが宿到着時間はピタリと予定通り。
まずはそれぞれの部屋へ。さっそく温泉に行ったグループもあったが、我々はそのままのんびりとお茶を頂きながら一休み。周りは広い田んぼで見晴らしは良いが特に何があるわけでもない。とりあえず温泉卵が作れるという中庭へ。部屋番号を書いた卵を温泉につからせて、茹あがるまでの20分、館内の売店を見に行く。茹であがった卵は部屋に持ち帰り熱い内に別腹へ。
6時からは夕食会。お酒も出るが女性が多いのとカラオケを楽しみたい人が多いので3時間も過ごしたわりには飲んだというよりは食べたという印象。もちろんカニも出たがサバのへしこ(ぬか漬け)、すこ(八つ頭芋の茎の甘酢漬)、汐雲丹など福井の郷土の味が出た。
9時ごろまで皆で楽しんで部屋に戻って温泉へ。ナトリウム・塩化物泉だそうでトロリとした感触がある。シャワーのお湯も温泉なのかあたりが軟らかかった。ちょうどお客さんが少ない時間帯で広々と使えた。
部屋に戻って荷物を整理したりおしゃべりをしたり、テレビも点けずにのんびりとしていたが、寝たのは11時頃。
パタンと寝て気が付けば皆さん起き出していた。まだ6時。雨模様のようだが、「出かけるまでに上がると良いね」と皆で話す。
朝食はみんな集まって7時から。和定食がお膳で出た。
食後は腹ごなしも兼ねてショッピング。荷物を整理して8時半には出発。この宿の『旅には7つの喜びがある いい自然 いい空間 いい味覚 いい笑顔 いいわがまま いい文化 いい感謝』を味わえた1夜だった。
20分も走ると東尋坊。バスから降りるとさすがに風が冷たい。土産物屋さんの店の中経由で海岸へ出る。周遊コースもあるが、皆の足は海へ、千畳敷の方へ。蒼い海と輝石安山岩という岩の柱状節理は荒々しい魅力がある。それぞれに三々五々歩き、最後に看板の前で写真を撮って戻って来たはずだが1人居なくなった…。皆集合時間は分かっていたはずなのだが…。土産物屋さんで時間を食っていたようだが、1人帰って来なくて10分遅れは我々の旅では珍しかった。
予定外ついでに越前ガニが欲しいという人のリクエストで三国港の運転手さんが調べてくれたさかな屋さんへ。越前ガニと認定されたカニには認定のタグが付いているそうで、1ケタ高かった。足のたりない物や小さなものも売られていたが、費用対効果という面ではやはり高い!しかし、高ければ大切に食べるし、無駄に買わないので資源保護を考える上では良いのかもしれない。
カニの他にカレイの干物がすだれのように干してあったり、鮭などのスモークのあった。
火星先生のお宅はこのあたりなんだろうな、猫達は元気だろうかと窓の外を漠然と眺めている内にバスは丸岡ICから高速へ。次の福井北ICで降りて九頭竜川をさかのぼって行く。次の目的地は福井県立恐竜博物館だが途中の羽二重餅の古里織福という土産物屋さんでトイレ休憩。すでに恐竜が売りのようで大きな木の根の恐竜?の置物が入口にあった。懲りたのかしつけのためか、『お行儀の悪いお子さん入店お断り』の立て札も。
トイレを借り一服しておみやげもまた買い足して出発。
途中の寄り道もあったので福井県立恐竜博物館に着いたのは11時半。「70歳以上でそれが分かる免許証でも保健証でも持っている人いますか?」と幹事さん。70歳以上は無料だそうだ。しかし公立なので入館料はそんなに高くはない。
まず見せてもらったのは恐竜の前の生物の化石。そして赤くなった石、実は酸化鉄で酸素があったことを証明しているそうだ。
エスカレーターでドーーンと下まで降りると様々な恐竜がお出迎えしてくれた。骨の模型だけでなくジオラマも映像も音声もと賑やか。しかし、1階分上がっても背の高い恐竜の足の高さにも及ばない…。実物大なのだからずいぶんと大きなものがのし歩いていたものだ。また、ダイノシアターといって大きな向かいあったスクリーンの中の恐竜たちが色々な生態を見せてくれるのだが、片方のスクリーンから飛び出して向かいのスクリーンに入って行くのは驚いた。
恐竜の分類別の展示や生息場所の特色に合わせた展示、地元福井で発掘されたもの、さらに地球の歴史や宝石・化石、哺乳類の進化まで、ここだけで1日過ごしても飽きそうもない所を駆け足で1時間で回った。
さて、次はお昼ご飯。越前竹人形の里というところで時間がずいぶん過ぎていたのでまずお昼。竹やぶの中の建物で、器も竹、食材のメインも筍。そして緑色の細いうどんはササが入っているそうだ。
食後は工房の見学。さまざまな種類の竹、さらには育つ途中で板で形を作って平たく育てた竹、雷にあって稲妻の通った黒い部分がある竹などがあった。糸のように細いヒゴを割りながら職人さんが説明をしてくれたが、竹と言ってもただ割ってはまっすぐに割けないので微妙に刃の調節をしながら割っている事、人形の頭を作るためには1本の竹から削りだしたり、何枚かの竹の板を貼り合わせて厚みを出してから削り出すなどいくつかの方法がある事、また胴体にしてもそのまま作りだしたり、太さの違う竹を順にはめていくなど色々な方法がある事などを説明してくれた。
その先は展示室で干支などの小さなものから大作の人形まで飾られていた。もちろんゴールはお土産コーナー。先が割れてしまった塩スプーンを買い替えた。
2時半過ぎにはバスに乗って帰路の旅。福井北ICから北陸自動車道を一路南下。『市民歌』を歌おうの『花咲く郷土』を歌おうのと昨日から言っていた人がいたのだが、あっさりと恒例のビンゴ大会。なぜか皆そろって「これだけ開いているのに後1つが出ない!」とたっぷり時間をかけて楽しめた。
次のトイレ休憩は名神高速の養老SA。さらに東名に入って浜名湖SAに入る頃にはすっかり暗くなったが、車内で落語を聞きながらウツラウツラとしている内に7時過ぎには焼津IC。インターに近い所からおろしてもらって流れ解散となった。
今回の旅も夜間はかなり雨が降ったし、バスに乗っている間に窓に何度も雨が当たったのだが、降りている間は降られる事もなくラッキーな旅だった。 |