今年も民児協の地区研修旅行の季節がやってきた。
今回は任期初めでメンバーも半数程度が変わっているので、お互いに知り合うのが1番の目的。そして、今回から会長が変わり、男性メンバーも少し増えたので、今までと少し雰囲気が変わるかもしれない。
今回はあまり急ぐ旅でもないので7時半に自宅発。それでも洗濯機を回して洗濯物だけ干してきたので6時前に起きた。日曜日出発というこれまでとは違うパターンでTANUKIに送り出された。
いつもの通りに自宅から近いポイントでそれぞれにピックアップしてもらう。同じポイントにお当番の方が2人、けっこう大荷物でもう来ていた。バスはほぼ時間通りに焼津ICへ。お天気が良くないと天気予報では言っていたが、ここまでは幸い傘の必要がなかった。
今回もサロンバスだったのだが、後ろのサロンは男性陣が占領。1人当番長が前に陣取ってお世話係。女性の当番2人とお茶とお菓子を配ったり、運転手さんと段取りを打ち合わせたりと忙しい。
型通りに会長の挨拶、当番長の挨拶、今回の運転手さんは寡黙のようで当番長が紹介をしただけで運転に専念されている。
そしてさっそく研修ビデオのスタート。とりあえずあるものを借りてきたとの事で、1期目の人までが「1番初めの研修で見た」と言っていたが、初心に戻って相談活動や災害時対応を考えるのも良いのではないだろうか。
一方、浜名湖SA、鞍ヶ池Pと1時間に1度位づつトイレ休憩をはさみながらバスは進む。10時過ぎに豊田藤岡ICからR419に入る。さらにR363に入るあたりは土岐市・瀬戸市など瀬戸物の町らしく巨大な狛犬が立っていたり、レリーフがあったり、大手の陶器工場の名前も見える。日曜日で渋滞を読みこんでいたのだが全くなく、11時過ぎには本日の目的地・日本大正村に着いてしまった。
午後からガイドさんが付いて案内をしてくれるとの事で、そのまま食堂へ。浪漫亭と名付けられた大正の香りただよう洋館の2Fが食堂になっている。
広いテーブルに詰め物をした椅子、縦長の小さな窓には白いカーテン、ウエイトレスさんはグレーのお仕着せに白のサロン前掛け、雰囲気は良いが、食事の中身は特に大正の香りただよう洋食というものでもなかった。
ビールも解禁、時間もあるのでゆっくりとした食事になった。それなのに…、仕事の話が来た!幸いすぐにどうしようという話ではなく、少し話を聞いてほしいというものだったが。
食後は浪漫館の前でガイドさんと待ち合わせ。大正村の絵地図を渡されていざ出発。まずは大正路地へ。石畳の狭い道の片側には大きな蔵が並ぶ。板壁のようだが、その中は土壁で火事の時には止めてある板をはがしてしまえば燃え広がらない作りだそうだ。路地の入口の小川のほとりには糸曳き乙女地蔵が祭られており、山村から連れて来られた女工さん達の哀史を伝えている。
先の通りを渡ると大正村役場。木造2階建で水色のペンキ塗りが可愛らしい。入口には今年は大正100年だそうで看板が出ていた。
そしてこの道の正面には元小学校だったという建物が、絵画館としてあり、百人一首と源氏物語絵巻の企画展をやっていた。一人の作者が絵文字も書かれたそうだが、読みやすい字なのだろうと思うのだがあまり読めないのが残念。貝合わせになっているものもあり、その貝に描かれた絵もその方が描いたものだそうだ。しかし、この建物とても暑い!いわゆる洋館の作りで壁が厚く窓が小さい。風が通らないので熱気がこもってしまうようだ。
坂道を上がっていくと今度は大正ロマン館。盛りは過ぎていたがバラ園に囲まれた大きめの洋館でお大臣のお別荘程度の風格がある。初代日本大正村村長高峰三枝子さんと同村議会議長春日野清隆氏の記念館だそうだ。またここのご出身という山本芳翠画伯の展示室もあったが大作は写真複製だそうだ。この建物は大正をイメージして造られたものだそうだが、他はこの地に建てられていた物を保存しているとの事だった。
また、ここには白いタヌキの剥製が置いてあり、会えるとラッキーなのだそうだ。(堂々と入り口近くに飾られていたが)アルビノかと思ったら高齢で白髪になったそうだが、その辺の虚実は良く分からない。途中の道ではタヌキの置物が来年の岐阜国体のアピールをしていたし、バラ園の中のあずま屋にも陶器のタヌキがいたのだがこの地とタヌキの関係は良く分からなかった。
それはともかく、2Fの企画展ではグリコのおまけのおもちゃの展示をしていて、それぞれに自分の幼い頃や子供さんの幼い頃を懐かしがっていた。
この建物の隣は各式ではいい勝負になるだろう藁ぶきの民家、旧三宅家と書いてあった。式台のある入り口と別に広い土間に通じる出入り口の中には馬か牛を入れていたであろう囲いもあった。
ここから引き返して通りまで出ると旧郵便局の逓信資料館と現役の郵便局が並んで立ち、間に丸い赤ポストが立っていた。郵便よりは電話や電話交換の機器が多い資料館だった。この向かい側が大正の館、銀行の繭蔵だったそうだがお休み処になっていてそこに三々五々に集合。さほど広いとは思わなかったが、けっこう歩いた。しかし、これでも主な所をピックアップしただけのようで、明智城関連の史跡も多いそうだ。
またバスに乗って、皆さんいささかお疲れムードの中をイージーリスニングに音楽テープを聞きながら行く。R19に入っていささか道が混んできたが、それでもずいぶん予定時間より早くに今日のおみやげスポット、栗菓子の川上屋に到着。ちょっと敷居が高くて個人の旅ならまずはいらないだろうがグルリと店をひやかして、中山道膝栗毛という焼き菓子をバラで買った。
宿に着いたのは4時を回った頃。男女それぞれ部屋割をくじ引きして入室。こういう宿の常として、歩いている内にここはどこ状態になる。
部屋のメンバー4人で話し込んでいる内に時間は経過。とりあえずお風呂に入りましょうと温泉へ。あまり凝った作りではないが内風呂も露天風呂もそれなりに広々としていて気持ちが良かった。お湯は単純アルカリ性温泉だそうだが、ツルツルして気持ちが良かった。
売店をひやかして部屋に戻り、一休みすればお夕飯の時間。
全員がそろった所でブルーベリー酒で乾杯。こういう所の果実酒らしく甘めで軽い。後はビールにお酒。奥さんストップやドクターストップの方もあるらしいが、内緒で命の洗濯のようだった。
山の宿だが魚は九州から入れているそうでお刺身も美味しかったが、やはりアユの塩焼きの方が美味しかった。
お腹が満たされるとともにやっぱりカラオケ。お当番に熱心にすすめられて今まであまり歌わなかった人たちも登場、なぜか「一緒に唄おう」と誘われて私も引っ張り出されていた。
それでも1次会の終わりとともに解散。部屋で一休みしてもう1度温泉へ。10時過ぎには早々と布団にころがりこんだ。
目が覚めれば6時。「ちょっと温泉へ」という1人を見送って後はのんびり。彼女が戻ってくるのを待って朝ごはんへ。バイキングなので、部屋ごとにバラバラとはいえ、食事時間が決まっているし出発時間も決まっているので、ほとんどと食堂で顔を合わせた。混雑のピークを過ぎた頃だったようで、少し落ち着いて来ていたが、取り分けるのはちょっと押しくらまんじゅう。基本的に和食と洋食に島が分かれているのだが、和食の方が充実をしているようだった。しかし、コーヒーをメインに洋食にしたが、スクランブルエッグも目玉焼きもないのはどうして?という訳で甘めの出し巻き卵をしっかりともらってきた。
帰りに売店で木曽地ビールを手配して、荷物をまとめてチェックアウト。入口付近の記念写真ポイントを宿の人に聞いたら、わざわざ看板を持って来てこのあたりから建物を入れたらと言って撮ってくれた。
本日初めの行き先は飯田市のお菓子の里飯田城。
途中、数年前にやはりこの研修旅行で泊まった昼神温泉を通り、思い出話に花が咲いた。
さてこのお菓子屋さん、赤飯饅頭とアップルパイがメインのようで、工場のラインを見ながら店に入った。出来たての赤飯饅頭と赤飯の代わりに野沢菜の入った野沢菜饅頭のお味見をさせてもらった。
せっかくなのでおみやげに三角折りのアップルパイを買ったが、「俺の方が腕が良い」とTANUKIが自信を持った味だった。
30分ばかりおみやげを買う時間を取った後、本日のメイン、天流ライン下りに。乗り遅れても困るのだが1時間近く早く着き、近くの農産物物産館や足湯、川沿いの散策路などでそれぞれに時間をつぶした。
それぞれに待合室に集まってきた面々、案内の方に従って船着き場へと移動。特に何があるわけでもないが川淵にベンチと日よけのテント、天竜温泉郷港の石碑。
梅雨時のため、雨よけのビニールとそれを安定させる針金、さらに船端にある座布団のようなものは浮だそうだ。奥から順に詰めて乗っていく。我々以外の乗客はご夫婦らしい2人連れだけだった。実はこの便は電車とのリンクがされてなくて乗り継ぎが不便で観光バスで来る団体さんが多いらしい。11時45分の出港。前の船頭さんがさおを操り後ろの方が機械の番、さらに真ん中にはガイドさんが乗って案内をしてくれる。舟としては何の飾りけもない小舟だが、安定して進めるためには発動機が必要だそうだ。
「ようやく喉が治った」というガイドさんが見どころの案内とともに良い声で『天流下れば』などの歌も聞かせてくれた。
幸い時々お日様も顔を出し風も穏やかで両岸の岩の色と木々の緑、天竜さつきだという赤い花、さらに時々白く光る葉はマタタビの葉だそうだ。ビューポイントの案内の他に、スタート直後には写真撮影(1枚\1500)があり販売トーク、ついでに他の写真やおみやげの檜笠煎餅も。このお煎餅はお味見に1つずつ頂いた。
途中で寄った竜神社では「お賽銭をどうぞ」さらに進むと飲み物の販売船。ただし、売り子は乗り移った船頭さん。それでもそろそろ喉も渇く頃、「ここにしかないリンゴジュースです」などと商売繁盛だった。
さらに進むと船頭さんが投網を披露。8月からは魚がかかれば焼いて食べるそうだが、7月はまだ禁漁。そのためかどうか2度網を投げてくれてともにボウズだった。
楽しんでいる内に唐笠港に着いた。港では白いアヒルと猫がお待ちかね。アヒル達はお客さんの煎餅の残りをもらってご機嫌だった。ネコは煎餅ではうれしくないのか消えてしまったが上にその猫の子猫らしいのが2匹いた。
お昼もだいぶ回った1時前、本日のお昼ご飯は信濃路下條道の駅のそばの城。ここはずいぶん前の夏にドライブで立ち寄った事があるがその頃に比べて落ち着いてはいたが活気も少なく感じた。
メニューは炊き込みご飯に盛り蕎麦、陶板焼きと蕎麦がきが入った鍋。朝もしっかりと食べているし動いていないのでちょっと重い。しかもこの蕎麦が容れ物は小さいのにまだある!という状態で普通の1人前があったのではないだろうか。さすがにそばの城だった。さらに食べ終わった頃に桃ソフトのデザート。お腹が一杯になり過ぎて1Fの土産物売り場を見ても気を惹かれなかった。実はお蕎麦をはじめ農産物・乳製品など3つの施設でおみやげも充実しているのだが、お腹が重くて動けなかった。
後はまっすぐ帰るだけ。三遠南信自動車道のちょっぴりだけ出来ている天竜峡ICから高速に乗り、飯田山本ICから中央道へ、とりあえず皆さん食休みでウトウト。
駒ヶ根SAでトイレ休憩をとった後、恒例のビンゴ大会。「これだけ数字が出て何で出ない…」とぼやきながら、皆で大いに楽しむ。今回の景品はお菓子でそろえたようで、私は飴をもらった。我々がちょうど盛り上がっている頃、ついに雨、けっこうひどく降っていて運転手さんは大変だっただろうと思う。
最後は映画でも見ましょうかと藤沢周平の『蝉しぐれ』。
その間にバスは中部横断自動車道の白根ICを降りて農産物販売所。トイレ休憩に寄らせてもらったのだが、桃をはじめフルーツに皆の目が行く。4時過ぎなのでかなり売れてしまっていたが、まだまだおみやげを買う人も。
R52を南下して次のお休みどころはゆばの里。そろそろ閉まるかという時間だったが、お味見の湯葉を出して頂いてお味見。何人かがお買い上げという事で、お店にしても迷惑ではなかったようだ。
興津からはR1、そして清水ICからわざわざ東名へ。夕方なので多少の時間短縮になるのかもしれない。「夕飯を食べていったり買っていったりするのなら」と日本平PAに寄ってくれたが、たいしたものは無く買い物にならなかった。
それでもここまでくれば焼津はすぐ。DVDも終わったところで、当番長と副会長の挨拶があってバスは予定より早く午後7時に焼津IC。順に乗車地点で下してもらって無事に今回の研修旅行も終わった。