市民児協理事視察研修2012

   昨年は東日本大震災直後という事で、市民児協理事視察研修も中止になった。という訳で、新メンバーになってから初めての道中となった。目的地は奈良県。大和郡山市民児協との交流と古都奈良の市内観光。
   今回はありがたい事に8時出発。このメンバーの中では出足が早い方とは言わないが、皆さんもう集まっていてた。「どこに座っても良いよ」と言われて一番後ろに行ったら、H地区の会長さんとやはりH地区所属の監事さんと一緒になった。
   全員無事に乗り込んだバスは東名ICから西へ。落ち着いた所で会長の挨拶。そして添乗員さんの挨拶。午後から交流研修があるので夕方までアルコールはご法度。「お飲み物は自腹でお好きなだけ」の申し合わせだったが、さすがにお茶のペットボトルは1人1本用意されていた。
   まず遠州豊田Pでトイレ休憩の後、話し合いの時間が取りきれなかった高齢者見守り検討委員会のアンケートデーターの説明が始まった。本来ここから何を読み取るかを皆さんに聞くのが筋だと思ったが説明だけで終わった…。というのも次は刈谷Pでトイレ休憩。そして海老煎をはじめ色々とお菓子を買い込んできた人達が皆に分けてくれておやつタイムとなったので。
   亀山ICから名阪国道へ。ここは昔とあまり変わらない風景が続く。そして、日陰には雪も残っていた。そうこうしている内に昼食。昼食は伊賀上野のドライブインに入った。ちょうど工事中だったが、あちらこちらから忍者がお出迎え。お蕎麦にご飯、鍋に焼きものとたっぷりと食べた後は少し足を動かして消化を助ける。しかし、工事中につき足場が悪い。ついでに自動販売機のコーヒーを1杯。
   1時間足らず休んだ後、バスは大和郡山市へ。奈良に入るとやはり周りの風景が以前とは違っているような気がする。ほぼ1時間で研修場所のやまと郡山城ホールへ。お向かいは郡山城跡。後から聞いた話だが、いまも城主の末裔の方がお住まいで、一帯の地主さんだそうだ。
   さて、大和郡山市民児協の皆さんに迎えられて会場へ。やまと郡山城ホールは広い建物で他にも何かの会議などの集まりで使われていた。
   「やあやあ、お待ちしていました」と愛相の良い声に呼び入れられて会場へ。市民児協の会長(連合会長という形を取っている)など15名ほどが待っていて下さった。
   大和郡山市は10の法定地区民協で198名が活動をされている。主任児童委員は20名、うらやましい事にほぼ男女半々だ。子育ては女性の領分というより、おじさんの目・おばさんの目の両方から地域の子供達を見守る事は主任児童委員にも大切な事だと思う。部会は主任児童委員部会だけだそうだが、役割分担上やはり市内の横のつながりが必要なのだろう。
   しきたり通り双方の会長のご挨拶から。お話を聞いていると会長同士はお知り合いのようで、今回の交流のはこびになったようだ。
   その後はDVDを見ながら市の概要の説明があった。なにしろ奈良の都の頃から首都の郊外であった場所だ。しかし、実際に城下町としての発展を遂げたのは戦国時代からのようだ。また武士の副業として始まった金魚養殖は今でも町の産業・町のシンボルにもなっている。
   焼津市についても簡単な紹介をした後、いよいよ本題に。
   まずは、自主防災について。地域によって何から身を守るのかの差はあっても、こちらでも真剣にとらえて準備をされていた。東日本の地震・津波だけでなく県南部では夏に大雨による大きな災害が出たばかりという事もあるが、奈良盆地は大昔は水の底だった所が隆起した土地だそうで、「断層だらけ」なのだそうだ。
   1つの地区の避難所となる小学校での避難所運営マニュアルのかなり細かな研究の発表だった。
   まず、状況設定を時間軸で取り、何をするか・運営体系をどうするか・仕事をどう分けるか・校舎や周りをどう利用区分するのか・生活ルールをどう決めるのかなど、マニュアルに作られていた。必要な用紙の書式やボランティアの受け入れ、ペットの取り扱いまで細々と考えられていた。ただ、実際の活用訓練などはこれからのようで、実際に活用されずに済む事を願いたいが今後も訓練を続けられるそうだ。
   また、民間の資格だが自治会役員や自主防の人達とともに民児委員の多くが防災士の資格を持っているそうだ。
   また、それ以前の緊急事態に備えて、靴や携帯などをまくら元に置く網袋の用意や災害時の避難先連絡用紙、防火用のあまり大きくないただし水の跳ね返りのないバケツの用意などもしているそうだ。このバケツの用意は火事での利用はまだないそうだが、防犯に役立っているという事だった。
   先方の熱意のある説明に、やはり防災では一家言あるこちらの広報部長が、「もしまだやっていないなら是非、防災ゲームもやってみて下さい」と勧めていた。
   次は高齢者見守り活動について。こちらでも市の高齢化率24.1%、老々介護も問題になっているようで、それぞれの担当地区で月2回以上の見守り訪問を行っているそうだ。焼津からも現在行われている高齢者見守りアンケートの集計状況などをお話しした。
   最後に主任児童委員さんから主任児童部会の活動発表があった。部会の引き継ぎ書のような形で主任児童委員の仕事をまとめたものを作っている他に、年に8回程度の部会活動を行っているそうだ。研修会の他に、主任児童委員という存在がある事のPR活動にも力を入れ始めているそうだ。地区によって赤ちゃんおめでとう訪問や学童保育・放課後児童クラブへの取り組みなどを行っている所もあるそうだ。こちらからも部会活動に付いてサラリとお話をした。
   たいていこのような機会は先方のお話を拝聴している間に時間切れという事が多いのだが、今回は双方で時間をかなりオーバーして意見交換をした。
   研修をおひらきにした後は、ちょうど盆梅展の開催中という事で大和郡山市民児協の皆さんのご案内でお向かいのお城に。すでに門の前から巨大な鉢植えの梅の木が門番のように左右にある。残念ながら今年は寒さが厳しくまだ蕾だったが…。
   お城の櫓が会場になっていて、盆栽=小さいの予想を圧倒する大きさの鉢が並んでいる。盆梅は確かに鉢植えの梅の木だが盆栽というにはサイズが巨大、しかし、古木の風格のある素晴らしいものだった。やはり花はまだ早咲きのものだけで寂しかったが、満開時には圧倒されるだろうと思われた。(盆梅展のブログによると3分咲き位だったらしい)
   「この大きな鉢をどうやってここに据えるのかね」と我々の間で話が盛り上がったが、掛け軸や生け花との取り合わせもあり、なかなかの見ものだった。
   いささか空があやしくなっていたが城跡の散策。小説の中では悪役が多い5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保の子吉里の居城で文化振興に勤めたようだ。時間がなくて見学できなかったが城内の柳沢文庫にはそのような展示があるらしい。天守台の石垣には色々な石が転用されたようで、石垣の一部とされたお地蔵さんがそのまま、さかさ地蔵として祭られていた。
   天守台のふもとの柳沢神社には柳沢吉保が祭られており、現役の神社だったのでお参りをしてきた。
   最後にお城の見える所で記念撮影、この頃からそろそろ雨が降ってきた。
   大和郡山市民児協の皆さんに見送られて本日の宿・飛鳥荘へ。猿沢の池や興福寺の五重塔がすぐ側に見える。
   部屋に荷物を入れてホッと一息、まずお風呂に浸かってお夕飯の会場へ。ここもお飲み物は自己負担、後で頭割りで集金という事にはなっていたがようやくアルコールもOK。緊張も解けて皆さんリラックス。仲居さんとともに添乗員さんと市の担当さんが色々と世話を焼いてくれる。おかげでドンと座ったまま注ぎにも行かずに芸達者な方のカラオケを楽しみお料理を堪能。
   食事の後はさっさと引き上げてもう1度お風呂。今度は部屋の皆さんと露天ぶろに行ってみる。広くはないが、目の前に興福寺の五重塔。洗い場は申し訳程度にしかついていないが、のんびりとお湯に浸かってよもやま話。
   翌朝は6時半にはそれぞれに起き出して起床。7時半には朝ごはん。最近では珍しくバイキングではなく1人ずつのお膳になっていた。これは到着順でだいたい部屋ごとに食べていた。そして昨日の飲み代は1人1.000円ちょっと、飲まない方も含めてだが案外安かった。
   さて、9時にはバスに乗り込んで宿を出発。パラパラと雨が降っているが暖かい。まずは鑑真和上で有名な唐招提寺へ。世界遺産でもあり、09年に国宝本堂の平成大修理が終わり落慶法要が行われたそうだ。金堂内の仏様を見ながらお寺の案内方が仏様の見方など色々なお話をしてくれた。
   次は東大寺へ。こちらは初めからガイドの方をお願いしてあり、バスを降りた所から案内が始まった。しかし、ずいぶん鹿が増え、しかも昔より一段と人懐こい。案内をするガイドさんの後ろを追って来るのまでいた。南大門の仁王さまを見、大仏殿へ。大仏様にご挨拶をした後、中をぐるりと回る。暗い中のいくつもの仏様を見て歩く。修学旅行以来だと柱穴をくぐる人も…。最後に入口のおびんづる様を撫でて無病息災を祈る。園地を抜けて高台にある二月堂へ。ちょうどお水取りの準備だそうで、周りに安全のための竹垣を巡らせたり、たいまつ用の根ごと掘り上げた大きな青竹が干されていたりした。二月堂に上がるとあたりが広く見渡せる。小雨でけぶっているのがいささか残念だった。そのままルート順にお昼を食べる三笠観光会館へ。土産物屋さんの2Fが食事処になっており、すでに準備がされていた。一同がそろった所にご主人が挨拶に見えて、最近では珍しいねの声が上がった。
   刃物の産地という事で1Fのお店にははさみや包丁などの刃物もそろえられていた。もちろん鹿煎餅もあり、入り口付近では誰か呉れるのじゃないかと鹿達がお待ちかね。
     
   ここからまたバスに乗って、着いた所は今朝出たお宿のすぐ傍の駐車場。ここからしばらくならまちの自由散策。何となく何グループかに分かれて三々五々と出発。
   狭い横道を抜けるとアーケードの商店街に入ったが、定休日の店が多かった。ばらけるかなと思ったが「案内人はどこ行った、迷子になる」とグループのメンバーの中で土地勘のありそうな方の後を皆で着いて歩いた。途中で田原本からよく頂く奈良漬のお店を見つけて買い物、他にもあちらこちら店をひやかしながら、「時間があり過ぎるからどこかでお茶しようか」などと言いながらもそんなお店も見つからず、県庁近くの柿の葉寿司のお店でおみやげを買い込んで早めにバスに戻った。
   私の両隣のご仁は「タクシーで駅まで行ってみやげを買ってきた」とのこと。別グループには意外と遭遇しなかったが、皆同じあたりを回っていたようだった。
   さて、これで奈良での予定はすべて終了。2時半に出発。帰りは関ドライブインで一休み。皆さんまだまだおみやげをゲットして来るが、こちらはソフトクリームをなめただけ。東名に入って遠州豊田Pで6時を回ってお夕飯。ご馳走ぜめだったので皆さん蕎麦やラーメンなど軽食。私もかき揚げ蕎麦にした。
   東名もそろそろ焼津到着という頃には会長や添乗員さんからご挨拶があり、無事にほぼ時間通り到着。1人途中で降ろしてもらうのも間が悪いので今回は皆さんと市役所の駐車場まで行って、駅の近くまでうちの会長と帰ってきた。