TOPPO&DORAの卒業旅行記

   この記録は今を去る事○十年前、卒業試験も終わり卒業式も間近な2月、4年間何かとコンビを組んでいたTOPPOとDORAの珍道中の締めとして行った西伊豆・松崎旅行の記録です。
   学生時代、TOPPOさんはフリータイムの全てを天文につぎ込み、DORAは丹沢あたりをほっつき歩いていたので、いささか毛色の変わった女子学生でした。しかもタグを組んではしゃぎまわっていたのは教育学研究室・人間関係研究会(だったかな?)、しかし本籍は2人とも農学科でした。
   実はこの記録、当時2人で交互に書き継いでいます。DORAが1/3、TOPPOさんが2/3位の割合、バトンタッチの場がお分りになるでしょうか?

   


    TOPPO(ネズミ)&DORA(ネコ)が西伊豆は松崎への旅を行う事を思いついたのは、今を去ること数ヶ月前にさかのぼる。宿を手配し、乗るべき電車を決めると後は風まかせの旅、ともに安心のうちに旅の前日となった。
   ここにて天気は荒天、TOPPO&DORAの顔合わせは必ず雨というジンクスはここでもまた甦った。
   そこにきてTOPPOは風邪に取り付かれ、カミサマを追い求めつつ雨の落ちる窓を恨めしく見ていた。
   そしてまたDORAは同じ雨の下、ここ数ヶ月の運動不足が祟ってはけなくなったGパンに代わるべく、またその身をなるべく安上がりにかつ動きやすく包むために、苦心惨たんにネコ模様のジャンバースカートとを仕上げるべく、指先を針に刺されながら慣れぬ仕事に励んでいたのであった。慣れぬ事をすると雨になる。別に顔を洗うに時間をかけたわけではないが、やはり雨の降るのには原因があったのである。

[出 発]

   かくして翌朝、DORAは久方ぶりに朝といわれる時間に目を覚まし、ホームメードのお弁当を持ち、ジャンバースカートに身を包んで東京駅へと駆けつけ、小さな身体で大きなTOPPOの分と2匹分の席を図々しくも占領して横浜へと向ったのであった。
   そしてTOPPOは前日突然かかった風邪などどこかに振り捨てて、30分も早く横浜駅に駆けつけて、駅を通る電車を見送りながらDORAの乗った9:45東京発沼津行きの電車を待つのであった。
   いよいよその電車が横浜にたどり着き、最前列の扉から荷を引きずり込んだTOPPOは、まずは2匹が座れる座席を丸くなって荷物共々占領しているDORAを発見したのであった。
   さて、席につくやいなや2匹はTOPPOが横浜駅構内で¥150で買い求めたチョコレートにかじりつき、互いの持ち寄りし研究発表文を読みながら、ニタリニタリとあやしき笑いを口にうかべ熱海へと向った。ちなみに熱海とは「湯気・煙・ガス」などを示すaso、asopなどに由来するものらしいという事が、山中襄太氏の『風土語源物語』に示されている。そう、卒論を終えて手の腱鞘炎に悩むTOPPOと、やはり手を競馬馬のごとく酷使して腱鞘炎をぶり返したDORAとは温泉場を目指したのであった。

   天気のジンクスは時として狂うこともある。2匹が熱海で伊豆急に乗り換え、DORAの手作りなるチーズ入りの揚げパンをかぶりついて悦にいっている頃、お空の方は何故かからりと晴れだした。
   列車は南へ南へと進むほどに暖かくなってきた。伊豆稲取を過ぎ行く頃から、車中はがらんとしだして、そろそろお尻がムレだした2匹は、食べすぎで満タンになった胃の消化を助けるべく、そのガラ空きの車中をうろつきはじめた。車窓に過ぎ行くのは海とみやげもの屋と旅館街。…と、TOPPOはとなりのDORAが車窓をじっと見据えたままのどをゴロゴロ鳴らしだすのに気付いて、あわててその視線の向く方向をたどってみると…あった!暖かな海岸の日溜りの中に、ずらりと並べてサンゼンと輝くアジのひらきのオンパレード!あやうく列車を飛び降りそうになったDORAの首筋をひっしと捉えて、TOPPOは早く下田に着かぬかと冷や汗をタラタラ流すのであった。
「下田、しもだぁ〜!」「着いたぁ〜!」「アジだぁ〜!」
2匹は先を争って列車から飛び降りた。が、まだアジはおあずけである。松崎へ向うには早すぎる。何となればあまり早く宿舎へ着くと、休息料なるを取られるからである。

[爪木崎へ]

   2匹はとにかくのう学徒のはしくれであった。(のうの字は様々あれど、あえてひらがなにしておく。読者の解釈にまかせる。)スイセンの群落を見ようと張り切ってとりあえず南へ向うことにした。
   石廊崎よりはちょっと近い、小さな岬である爪木崎という所に2匹はたどり着いた。下田からバスでちょうど15分である。旅行ガイドに狂いはなかった。
   どこまでも青い海!横浜港の客船の油の浮いたどす黒い海を見て育ったTOPPOには信じられない青さであった。
   さわさわとスイセンの群落をなびかせる潮風は暖かく、2匹は身をつつんでいたコートを脱ぎ捨てた。スイセンの香をほのかにかぎながら2匹は高台に上り、DORAはネコ模様のスカートをはためかし(それが実に色っぽい。いや、残念ながらTOPPOの目には単なる見慣れたDORAのおみ足がニュッと2本のぞいているだけで、たいした感慨は湧かなかったのであるが。)TOPPOは薄汚れたジーンズを引きずり、登りきった岬のてっぺんに満足げに大の字になって、蒼穹の丸天井を見上げたのである。
「星のない天球もまたオツなものですなぁ〜〜あ〜まんぞく。」
DORAは言った。「あ〜なつかしき潮の香り。アジの香りが混ざっているかも。」

   白い灯台の下は断崖絶壁。でも右手はるか、岩場が続く。
「降りてみようか。」「そうしよう。…あ…」
2匹は顔を見合わせ、しらけてその場を離れた。へたに降りていったら、シッシッと追い立てられるオジャマムシになるところであった。岩場に点在するは紛れもないひとつがい。DORAとTOPPOは黙々と歩きつつ、お互いに心の中で「あ〜このパートナーが♂であったならな〜」と、せつなくも非現実的な思いに一瞬くれるのであった。
   この反動であろうか。その後宿舎で夜をあかす2匹に、尽きることない議論のネタとされるのは、もっぱらムシ論であったという事を、後にあらためて書くことになるだろう。

[松崎へむかう]

   爪木崎で2匹はようようオジャマムシにならずにすむ場所を見つけ、しばし岩にへばりつく海浜生物の観察としゃれ込み、DORAは魚が食べられないならせめてと、食べられそうな貝を見つけてはよだれをたらし、TOPPOは「地球も星なのだ」とつぶやきながら、岩場に点在する奇妙なごろた石を手にとっては、早くも金のかからぬ教材集めに努めていたのであった。が、あまり夢中になりすぎて潮が満ちて来るのに気が付かず、あっ、と気が付いた時はジーンズの裾をみごとに潮水で洗濯していたのであった。TOPPOは言った。「しめしめ、これで当分洗濯せずにすむわい。」

   そうこうしているうちに日は西へ傾き、2匹はまた15分のバスに乗って下田へ戻った。今度こそ松崎行きである。DORAはいよいよ魚料理にありつける喜びで胸が一杯になった。
   このバスは15分という訳にはいかない。1つ山越え東伊豆から西伊豆へ向うので、50分はかかる。
   退屈な車中、ラジオが流れた。その語り口のおかしさと語る内容の馬鹿らしさとで、てっきりドサ廻りの漫談家による実況中継だとばかり思っていたら、なんと、国会中継であった。なんでもピーナッツがえらく高価になったそうで、アルコールに対する嗜好性の強いDORAは、ひそかに「もはやつまみは魚以外には絶対手を出すまい、まして物騒なピーナッツなどには…」と思ったものである。またTOPPOはやはり「つまみはピーナッツなどではなくチーズにかぎる」と断定したのである。

   ラジオからはやたら金のかかった景気の良い話が流れてくるのとは裏腹に、料金表の方はじゃかすかメーターが上がりっぱなしになるのを恨めしく見ては、DORAとTOPPO、バス停が1つ過ぎるごとにマッサオな顔を見合せてため息をつくのであった。
「ご乗車の際は小銭をご用意下さり、なるべくつり銭のいらぬよう御協力下さい。」
車内放送がしらじらしく流れた。
   そうこうしているうちに「次は〜、国民宿舎、こくみんしゅくしゃ〜」
2匹はホッとして席を立ち、次いで料金表を見上げては顔面蒼白になり、しぶしぶ小さな財布からお札を引っ張り出した。お釣りはなかった。

[宿に着く]

   潮水の逆行する川に沿って少し歩くと、目指す宿舎が建っていた。モダンな建物で、旅館とホテルの雑種第1代のような建物だった。
   チェックインを済ませると部屋に通された。201号室。トイレの隣で食堂へ通じる階段に近い。ものぐさ向けの、つまり2匹にとって最適の部屋であった。扉は何となくビジネスホテル風、もしくは公営アパート風のそっけない感じを与えるものであったが、部屋は広く、床の間と板の間付きというDORAとTOPPOにはもったいないくらい上等なものであった。
   静かである。シーズンオフのせいもあろうが、とにかく静かである。板の間から窓をのぞくと駿河湾の入り江が見渡せ、潮騒が果てし無く繰り返し、疲れをときほぐしてくれる。

   朝からひたすら口を動かし続けてきたというのに、食事の知らせに、さっそく舌なめずりしては食堂に向った。特別注文のお銚子2本付である。テーブルの上にずらりと並んだ魚、サカナ、さかな…。DORAのお目々はランランと輝き、とめどもなくノドを鳴らしだした。まずは1杯。DORAはTOPPOに、TOPPOはDPRAに、お銚子を傾け。TOPPOは舌をチョロリ、うまい!あ〜、おさしみ。DORAはサカナに満足して、ついついピッチが進む。ものの10分と経たぬうちに、お調子2本が空っぽとなり、DORAとTOPPOは真っ赤っかなーー明日会いに行くであろう波勝崎の野猿もビックリするほどのーー顔を向けあっては、うるんだ目でニタリッとほくそ笑み、そして、あっという間に眼前にある料理をたいらげ尽くしてしまったのである。驚くべき現象である。いつもはつまみのチーズに気を取られ、アルコールには見向きもしないTOPPOが、お猪口2杯分を残して1合を飲み尽くしてしまったのである!ウィ!しかし、なんとうまかったことぞ!2級酒ってウマイですなァ。

[夜行性]

   今頃の日の入りは午後5時半、日の出は6時頃。つまりたっぷり夜がある。夜行性であるDORAとTOPPOがおとなしく夢路をたどるわけがない。アルコールが入ってほろ酔いとなった2匹は、暖かな夜風に吹かれ出て、松崎の街を放浪しはじめた。
   海岸線を散歩。TOPPOはまたもこのパートナーが♂であれば最高なのになぁと思いつつ、それでも♀であることに一種の救いをも感じて歩むのであった。ふと見ると犬がこちらに歩いてくる。ネズミ歩く、ネコ歩くラララ ラララ ラー♪ネコが歩く、イヌも歩くララララーラララ♪。走れないのである。胃の中にタップリ魚が入っているから。イヌは2匹から何も得られそうにないという事に気付き、そそくさと離れていった。

   松崎の夜は素朴である。店じまいが早い。なんとなればスナック喫茶まで8時前に閉店してしまう。風紀上大変よろしい。が、教育が行き届きすぎて2匹が羽を休めてコーヒーをすする所すら見当たらないのは、いささか困りものであった。裏小路を入り込み、ようよう小さな喫茶店を見つけて中へ入り、コーヒーでほろ酔いを覚ますことにした。やはり2匹は都会者の気質が染み付いているのだった。何も松崎まで来て喫茶店に入ってコーヒーをすする事もないではないか。哀しい2匹はそこで潮騒の音ならぬ『泳げ!たいやき君』を聞き入ったのである。

   1杯¥200也(都会と同じだなぁ)のコーヒーもすでになく、水もつき、時もpm9:00を過ぎ、さて、フラフラと夜の街へさまよい出たものの、もう行く所もない。かくして2匹は宿の方へと、門限のpm10:00までも外で遊べる場所を発見した人々に敬意を表しつつ帰って行ったのであった。

[ムシ論]

   夜風に吹かれてようやくトロ〜ンとした2匹の目も正気を取り戻し、宿に着く頃にはランランと輝いていたのであった。これより本番の始まりなり〜〜!
   ここにて語られたるTOPPOとDORAの対話の深きにして広き事は筆舌に尽くせず。昆虫学でせっかくなるものを頂いた事に感謝し、チョウチョがやって来ると急遽普段の倍の力を出して逃げまわるTOPPOと、バッタ・カマキリを見るとそれに負けじと飛び上がって逃げるDORAが、ムシについての卓越なる論を論じていたのである。ムシ・ムシ・ムシシシシ…。
   さて、時として壁の中でゴキブリに追いまわされるネズミと、時としてノミに毛皮の中で寄生されるネコとしては、この論に尽きるはずが無い。

   しかしpm10:00をまわった頃、ハタッと正気を取り戻した2匹は、本来この西伊豆くんだりまでエッチラオッチラとやって来た目的(というよりは大義名分)を思い出した。久しく(卒論制作で)手先を酷使したための炎症をおさめるための湯治であった。
   人気の無い廊下をぬき足さし足(これは2匹ともなれた行為である)階段を下りて風呂場を探索する。男女トイレ・家族風呂・男性専用風呂、そして、あった!突き当たりの女性専用風呂。
   すばらしき事に誰もいない。大きな荷袋を下ろし、風呂場へ。その湯船の広さよ!DORAとTOPPOはともにカナヅチである。湯気で枯れかけている観葉植物をながめつつ2匹は優雅にノビをした。
   しかし、いけない!TOPPOが茹であがってしまった。ハナウタ交じりにノドをゴロゴロ言わせていたDORAもこれにはビックリ!早々と言っても、どれくらい入っていたのかなぁ…。とにかく無事に部屋へと逃げ帰り、ドタリとノビてしまったのであった。

   けれど、これでバテてしまってはTOPPOとDORAの名が廃れてしまう。ソウ、今を去ること?年前、厚木は常磐寮の奥の間で、外の明かりで窓の外にある木々の陰がユラユラとさざめく中で、am4:00まで語り明かした2匹である。
   潮騒を近く遠く聞きながら、カワハギにカレープリッツをシコシコと口に運びながら、2匹の目は正気に戻り、またもや話はムシの方向へ。皆様よ、哺乳類にとって昆虫類とはそれ程にわずらわしいものである事を心しておくべきと、記録者さえも思いを新たにするべく、この論議はしぶとく延々と続いていったのであった。
   が、やがて、話の間に波の音が聞こえてくる。波の音ばかりが目立つようになり、何時の間にやらTOPPOがおとなしくなり、やがてはDORAのノドを鳴らすゴロゴロという音と波の合唱に部屋は静まり返った。
(「ゼーゼー、これはここまで読み終えて、しとどに笑って呼吸困難に陥った風邪気味のTOPPOの喘ぎである。)

[朝]

   ジリーン!けたたましい音が枕元で発生した。反射的にDORAの前足がニューッと伸びた。その前足はしきりとそのけたたましい音を発する物体を押さえようとあがいている。押さえたって音はやまない。どうやら目覚ましではないようである。DORAはいつもの要領でその物体をむんずとつかむと持ち上げて耳元に押し当てた。その物体から人の声がした。
「お食事の用意が出来ました」
なに食事!?寝起きの悪いDORAががばっと身を起こした。隣にこれまた寝起きの悪いTOPPO--氏は低血圧で朝とくに機嫌が悪い--が、布団にくるまってゴロンゴロンと戯れていた。が、食事と聞いてとたんにノドを鳴らしはじめたDORAのために目を覚まされ、渋々起き上がった。
   DORAは言った。
「アジの干物がついている。ちかっても良い!」
すばらしい第6感であった。2匹が食堂に転げ落ちると、テーブルの上にはちゃんとアジの干物が鎮座ましましているではないか。TOPPOはDORAを見直した。彼女は今にきっとご本尊になって、祭り上げられるに違いない。
   窓を見ると、果してじゃんじゃん降りであった。これこそ2匹の旅であった。アジの干物を骨までしゃぶり、満足な面持ちで部屋に帰り、雨でも行かれる所を探索し始めた。

[洋ランセンターへ]

   2匹はやはりのう学徒のはしくれであった。感心な事に洋ランセンターを見に行く事にしたのである。DORAは洋ランと聞いてふと、首を突っ込んですぐに踝をかえした懐かしき花卉学研究室を思い出しTOPPOは昔懐かしいオジャマムシの1匹の生態をふと脳裏に写したのであった。
   2匹は途中までバスで、途中から歩き、そして途中から洋ランセンターのバスに拾われて目的地にたどり着いた。厚木農場を思わせる坂の上に、これまた農場で鉢換え実習をシコシコやらされた、懐かしの花卉温室がズラリ建ち並んでいた。DORAはカメラをかまえ、舌なめずりをしてはパチリ。卒論のくせがまだ抜けないでいるらしかった。TOPPOは朝からご飯をタップリ食べたので、胃が苦しくヒイコラあえいでいた。
   雨は小降りになってきた。このまま宿舎に帰るには、いくらなんでもまだ午前中である。とりあえずバスに乗るとDORAとTOPPOは空を見上げつつ思い切って野猿の里、波勝崎へと足を伸ばす事にしたのである。

[野猿の里へ]

   『今は昔、風にまかせて日本の各地を放浪し、宿をとるにはお寺の縁の下をフルに活用していた、ある珍妙な文学者がおりました。彼は毎年クリスマスの頃になると、せせこましい都会の雑踏を離れ、この平和な西伊豆の野猿の里を訪れては、わが身の孤独を癒しておりました。そのうちに彼と野猿は親しくなり、親戚同様の付き合いをしておりましたが、一昨年は彼が天性の気ままさのために雪の降る北国へとさまよってしまったため、そして昨年は心掛けが悪かったのか農大特産の風邪にやられ、2年続けてこの地に足を踏み入れなくなってしまいました。野猿はすこぶる淋しがり、いささか欲求不満気味な日々を過す事になってしまいました。』
…と、そんなある日の事、この地、波勝崎は荒れに荒れ、波は猛り狂い大雨が岩肌を打ち、野猿の毛並みもすっかりしょぼくれてしまった頃、突如として妙なるDORAとTOPPOが風に吹かれてこの地に迷い込んできたのである。猿は驚いた。あれ、いつも来るのとはちょっと毛並みが違うな。すっかりぐしょ濡れになったヌレネズミとヌレネコは転げ転げ猿をかき分け、そして、港のそばの店屋に飛び込んだ。
   そこに至る道々、TOPPOは文学者からの伝言代わりにお煎餅を野猿たちに投げ与えていた。野猿は飢えていて、袋ごとひったくろうとするが、TOPPOはそうはさせじと必死になって袋を守ったのである。DORAはサカナのつまみだけは猿に取られぬようにと細心の注意を払っていた。

   傘を片手にもう一方の手にビニール袋とお煎餅の袋を握り締めたTOPPOは、メアリー・ポピンズ直伝の傘パラシュートを御して、風に吹き飛ばされ、吹き飛ばされし、DORAはついに傘役に立たずとジャンバーのフード深く顔をうめ、やはり風に吹き飛ばされながら、ついには猿を飛び越え、飛び越え、売店へと吹き寄せられた。
「すぐに船が出るよ」
と、売店のおじさんが親切に掛けてくれた声も無視し、2匹はぶるぶると身をふるわせて雨玉を弾き飛ばし、1杯¥100の自動販売機のココアを手にストーブにかじりついた。
   その間に船は行ってしまい、猿も風雨に吹き飛ばされて、売店の軒に吹き付けられたなりにへばりつき、港は静かになったのである。

   その風も雨もものともせず、猿のカップルがベンチに身を寄せ合って海を眺めている。実にみごとな絵である。望遠レンズなどという高価なレンズを持たぬDORAは売店の内からはるかに見えるこの光景に、(写真の)課題提出にピッタシの光景があるのに!と地団駄踏んでくやしがった。
   ココアもなくなり、ようやくに雨でピッタリへばりついていた毛も乾いた2匹は、小降りになった時を見すましてバスへと取って返した。

[鼠色の空の下のドライブ]

   またも長い道中をバスに揺られて宿舎へとドライブである。
   段々畑にマーガレットやストックが植えられている。
   時として洗車場に迷い込んだかと思うような大量の水が窓を流れる。
   学校帰りの子供達が乗ってくる。
   そんなこんなで鼠色の空の下のドライブは終わり、松崎のバスターミナルへとたどり着いた。
   ここからさらに1停留所分、TOPPOとDORAは傘を杖のように握りしめ、風に吹き飛ばされ、よろめき、よろめき、宿舎へとたどり着いたのであった。

   カギを手に入れ部屋にたどり着いたとたんにバタン!
   2匹とも炬燵の周りにひっくり返ったまま、しばらく動けずに居たのである。やがて、
「寒さからの開放には風呂が1番。温泉へ行こう」
と、2匹は又もぬき足さし足で階段を下った。
「アーナ、アリガタヤ、アリガタヤ」
お湯に使ったとたんDORA猫がノドをゴロゴロと鳴らしはじめた。
「風呂から出たらアジのたたきで1杯やろう♪」
と言いつつ、DORAのノドはますますゴロゴロと妙なるメロディーを奏でる。その隣でTOPPOは昨夜茹ったのにこりてか、
「早よ出よ、早よ出よう!」
とDORAを急かして上がって行く。
   渋々DORAもくっ付いて上がって行った。が、前言はひとまず置いて、部屋にたどり着いたとたんに2匹は又、ドタリと炬燵を囲んでのびてしまったのである。
   よほどに今日の嵐にもてあそばれて疲れたのか、2匹共々で呼んだ嵐は、2匹を合わせた勢力位では、とても太刀打ちできない代物であったようだ。

[DORAとネギとアジのたたき]

   ジリーン!!すかさずDORAの手が伸びる。さすが招き猫である。慣れた手付きで受話器をつかむや目をランランと輝かせた。「食事だ!」
   良い頃合の茹でネコと茹でネズミは、頭から湯気を立てながら、もみ手をしつつ食堂に向った。最後の晩である。豪勢にしなければ。2匹はアジのたたきをオーダーした。すぐ隣のテーブルの活き作りには差をつけられ過ぎたが、まあ、良い。何よりDORAの好物である。今か今かとDORAは調理場をシロンシロンと眺めて落ち着かない。きた!!DORAは唾を飲み込んで…、しかし、すぐにも飛びつこうとしたのに何故かその手を引っ込めてしまった。なんという事であろう。アジのたたきを前にして。TOPPOはじいっとDORAを観察した。ネズミを使った行動心理学というものは巷にあふれているが、ネコの心理学というのもあっても良いじゃないか。
   DORAは神妙な顔をして、たたきのお皿を抱え込むや、まるでピンセットで砂粒でもより出すかのごときスタイルで、アジと混ざり合った長ネギのみじん切りをつまみ出し始めたのである。TOPPOは思わず箸を休めて、その特技とも呼べる器用な作業に見とれてしまった。DORAはすぐにでも跳びつきたいアジと見るのも嫌なネギとの選別作業に全身全霊をこめ、ついには1皿の上にみごとな2つの山を作り上げてしまった。「さてと…」DORAはニタリと顔をゆがめるやいなや、「アジだ!」と叫び、あれよあれよとTOPPOがたまげている間に、アジの山の方をきれいに食べ尽くしてしまったのである。これは大変!うっかりしていたらこちらのアジまで手を出しかねない。…が、TOPPOの心配はとりこし苦労であった。なぜならTOPPOの皿の上にはアジとネギの混合物が載ったままだからである。
   そうこうしている間に、いつの間にやらお銚子の方は空っぽになってしまっていた。知らないうちに飲み干していたのである。うっかり「2級酒」とオーダーしなかったものだから、1級酒が入っていたらしい。もとよりそんな違いの分かる2匹ではない。かりにメチルアルコールが入っていたとしても気付きそうにない2匹である。後で請求書を見た時、そこにそう書かれていたのでビックリしたのである。なんともったいない。この2匹は「徳用3級酒」なるものでも良かったくらいなのである。

[宵の口]

   とにかく、サカナのアジのたたきが良かったせいか良いココロモチに酔って、2匹は満足この上ない気持ちで201号室へと帰っていった。それからである。DORAとTOPPOはあられもない姿でドタリと横になるやいなや、まずDORAが浮かれ出した。「青山ほっとり 常磐松♪!」出た!やはり2匹はのう大生であったのである。隣室が耳が老朽化しだした年頃のご夫婦であるのが幸いであった。2匹は声を張り上げ、うるんだ目を天井に向け、手足を宙にバタつかせながら、しばし『青山ほとり』の斉唱を行ったのである。
   そのうちにDORAもTOPPOも声が次第に意識のかなたへと遠ざかり、ついには、炬燵のぬくもりを足先に感じつつ、すっかり静かになってしまった。幸せな2匹のつかの間の極楽浄土であった。

「どんどん!」
(-----)
「ドンドン!」
(-----?)
「ドンドン!!」
(はいってます---ン?)
ドンドン!
なんだ、扉をたたいているのか、「ふぁ〜い」
まさにたたき起こされたのであった。急激に極楽浄土から引き戻されて、不快になりつつも、夢うつつのままTOPPOは起き上がり、扉を開けた。DORAは炬燵で丸くなっている。そのDORAもうつろな目を開けて「なんじゃ?」
「布団を敷きに来ました」
それはそれは。が、果してこの旅の最後の夜を、この2匹はまともに布団にくるまって、夢路をたどるのであろうか。

   またたく間に布団を敷いてしまった女中さん達をじいっと見つめつつ、部屋のすみっこに荷物と炬燵とともに寄せられたDORAは、依然としてトロンとした眼を向け、行灯の油をなめた化け猫のように、満足そうにのどをゴロゴロ鳴らし続けているのだった。TOPPOは手伝うでもなく、気忙しげに部屋の隅をチョロチョロうろつきなわっていた。女中さん達が退却するやいなや、2匹はまたも炬燵を囲んで、酔い覚ましの出がらし茶を酌み交わしたのである。
   雨が窓を激しくたたき、風は潮騒の音を高く、低く、2匹の居るこの部屋まで運んでくるのだった。今日は放浪はあきらめよう。しかし、コーヒーが飲みたくなってきた。都会で身についた習慣というものは恐ろしい。2匹は酔い覚ましに階下のロビーにあるスタンドコーヒーを飲みに、思たい腰をあげた。
   途中の赤電話で、横浜も雨だった事を確かめたTOPPOは、太陽と星が見られなかった事にようやく諦めがついたようだった。DORAはみやげ物売り場に並んでいる田子節(削り節)の前で、じいっと佇んで舌なめずり。
   スタンドのコーヒーは懐かしの(大学)生協喫茶の俗称『にがり』と呼ばれるあのコーヒーの味を思わせるものだった。

[ムシ論は果てしなく]

   「にがり」を飲み干し、新聞にもテレビにも一向に気をそそられない2匹は、さっそくに201号室へと引き返し、またもやドタリと横になった。炬燵の上にはまだかろうじてカワハギのツマミが残っている。即、DORAが手を出す。
「やっぱりサカナはいい!」
これほど魚料理を食べておきながら…、と感心しつつも、DORAの影響は恐ろしく、TOPPOも争ってカワハギのツマミをかじり出した。おチャケで口を湿しつつかじるツマミというものも案外いける。考えてみたら2匹の口は丸1日動きどうしである。胃下垂のTOPPOの胃はそろそろオヘソのあたりまで落ちてしまったのではないだろうか。

   カワハギの詰まった口からそろって出るのは、紛れもないムシ論。しかし、哀れと思うなかれ。このような論に1夜を過ごすなどという事も、もうなくなってしまうであろう。ムシ論など語り合ってはため息をついているというのも、人間の、いやネコとネズミの悲しいサガなのである。この旅が忘れ旅だろうと、疲れ旅(チカレタビーと読む)だろうと、何の因果か、たまたまの出会いが形成したクサレ縁のコンビが、丸4年間こうしてヤジキタ道中のように泣き笑いの珍道中を歩いてきた、その最後の1夜なのである。
   ムシ論はそんな道程に積もりに積もった垢落しみたいなもの。必要悪なのである。DORAとTOPPOはそれぞれの人生にいくたりかのオジャマムシにたかられ、そして時に、誰かのオジャマムシに化け、時に互いのムシヨケとして、時にムシもつかぬ孤独の寂しさを共に分かち合ってきた仲なのである。
   DORAとTOPPOは実によく語り合った。時に厚木農場のボロ襖の陰で、時に富士農場の満天の星のもとで、時に動物園とも見まがう研究室の片隅で、時に自動販売機のココアの紙コップのぬくもりを求めつつ、時に馬事公園のセルロースの塊を飛び越え、飛び越え…。4年の歳月はいつしかたっていたのである。
   その語らいは果てしなく、そう、あの潮騒のごとく寄せては返し、せつなくもはかない繰言が尽きる事ないのである。DORAとTOPPOはこのよしなしごとが果てのないものであることは知っていた。しかし、DORAはネコの道を、TOPPOはネズミの道を歩んでいかねばならない。そして、その時がいよいよ来た事を2匹は感じ取っていた。

   いつの間にか2匹はおとなしく布団にくるまって寝息をたてはじめた。いにしえの明け方までの語らいには及ばなかった。知らぬ間に2匹とも年を取っていたようである。

[最後のドライブ]

   朝、何故か、いや、当然の現象としてカラリと晴れ渡った。10時のチェックアウトまでの間、ほんの少しでも探索しようと2匹は朝食を急いでかきこむと(それでもアジの干物だけは丹念になめ尽した)あわてて散歩に出かけた。宿舎の目の前にある海岸に沿ってはしる自然遊歩道をしばし歩き、その海の蒼さと潮風のすがすがしさに、2匹は浮かれ出した。ところが時間はあっという間にたってしまい、渋々引き返しては、荷物を取りまとめチェックアウトした。
   DORAは思い出したようにみやげ物売り場へ行くと(TOPPOはてっきり田子節を買うものとばかり思っていたが)『伊豆松崎の民話』という本を大枚はたいて買い求めたのである。
   2匹は名残を惜しみつつ宿舎を後にした。(途中、宿舎の看板娘などをやってから)一路松崎港へと向った。念願の船に乗ろうというわけである。が、風がやや強かった。せっかくの海の青さをながめつつ、出ない船をうらんで、2匹はバスで行こうと松崎駅(鉄道ではなくバスターミナルだけである)へとくびすを返した。… …かなり歩いたであろうか。ところがどういう訳だか、いつまでたっても駅へたどり着かない。そんなばかな。…あっ!!…なんと、眼前に『国民宿舎 伊豆まつざき荘』の立て札があるではないか。また帰ってきてしまったのである。2匹は思わず顔を見合わせ、そしてため息をついた。
   ようよう駅にたどり着くと、あの聞き覚えのある曲が流れていた。♪毎日毎日ぼくらは鉄板の…♪タイヤキ屋があるのかと思って振り返ってみたら、今川焼き屋が流していたのだった。やはりタイヤキでないとだめのようである。店員は暇そうにアクビをしていた。

   ようように乗り込んだバスは北北西へと進路を取り、何処方へとDORAとTOPPOを運ぼうとしていた。
   しかし、この気まぐれなDORAとTOPPO、このまま帰るのには天気も良いしもったいないと、海辺の家々の立ち並ぶバス停にて、荷物をからげて飛び降りてしまったのである。
   ここは何たる町であるか。ちょこっと歩くともう海、ふらりと歩くともう行き止まりである。仕方がなく戻ると、少々寂しくてそれでいて新々住宅地というムードの家々が続いている。観光地らしい面白さなどまったく無い。
「これもまたオツなものなり」
と2匹はその町並みをノコノコと歩いて行く。
「少々食べ過ぎたから、少し運動をしなくては」
と2匹はなおも海辺の道を歩いて行く。
   やがて、何処からともなく♪ワタシノ ワタシノ カレハ〜 ヒダリキキィ♪なる音楽が聞こえてくる。何だろうとのびをして見ていると、保育園の子供達が浜へ出ての体操の時間であった。子供達が走っている、2匹も…イヤ歩いている。彼ら2匹、新鮮な魚の食べ過ぎで、そのように軽々と歩を運ぶ事は不可能なのである。
   やがて浜に沿った道に魚を抱いた観音様の像が立っていた。そこでDORAの目はあやしく光り、魚を観音様から取り上げようと飛び掛った。嗚呼!あれだけ魚を食べながら、なおもこの執念!TOPPOは目を丸くしたまま、あきれ返りつつこの様をながめ、やがて道端にドッカリと腰をおろしてしまった。

   しかし、1日は25時間あるわけではない。今日中に三島へ出て、家まで帰らねばならないのである。2匹は先に歩を進めた。
「高みから海を見よう!」
2匹は古めかしい民家の犬走りをチョロチョロと歩いて、コンクリートの道から土の道へと踏み込んだ。これを進むと、なんと海の色の青いことか!しかし、目の下は白々とした洗剤のアワ。遠目の浜にはゴミの山。
皆さん、自然を大切に!来た時よりも美しく!
何処で覚えたかDORAがいつもの口癖をまたも発した。

   前を行くTOPPOが目を輝かせて、昨日サルの土産に買ったお煎餅の袋を引き出している。ふとDORAが気付くと、元家らしき所にヤギが1匹、2匹。ノンビリと突っ立っている。お近づきの印にTOPPOがお煎餅を差し出すと、大きなヤギがむさぼり食べた。
「ンメェ〜〜」
小さい方にもTOPPOはお近づきになろうとしたが、これはそっぽを向いてしまう。
「ンメェ〜〜、ンメェ〜〜」
と大きなのが催促をする。あれよ、あれよと見る間に、お煎餅はヤギの口の中へと消えていき、2匹はこれはならじと自らの口中へも放り込んでいるうちに、お煎餅は跡形も無く消費され尽くしてしまった。
   ここにてこの道は行き止まりである。2匹はもと来た道を引き返し、また、フラリフラリと歩いて行った。

   遠く近くに花卉栽培の段々畑が海風に揺れている。そこに何とか近付こうとしつつも、2匹にはたどり着く道が分らない。普通これはネズミを用いて学習効果の実験をする迷路実験なのだが、何故かネコも付き合わされている。
   しかし、通い慣れた厚木のコーヒー屋さんからの帰り道を、駅と反対の方向に取ってしまった2匹である。まずは、この位のホッツキ歩きができれば進歩である。

   フラリフラリと歩いた後、もう良かろうと2匹はバス停を捜しだした。バスが来るまでに30分以上の時間がある。2匹は他人様の家の塀に腰をおろし、缶ジュースを飲みながらバスの来るのを待ったのだった。
   ジュースのなくなるのは早かった。2匹はこれ1本で30分を潰そうと、惜しみ惜しみ計算をしてなめていたのだが、1缶¥100也のジュースはわずか数分の内に2匹の体内に沁み込んでいってしまった。最後の1滴をなめ終えるや、2匹は顔を上げ、静かな、暖かい漁村の昼下がりを全身で感じ取っていた。東京はまだ寒かろう。しかし、ここはもう春だ!ああ、帰りたくない。DORAは豊なる魚の香を胸一杯に吸い込んだ。

   30分はそんな静けさとうららかさの内に、いつの間にか過ぎていった。バスは正直に2匹の前に姿を見せ、この放浪者を迎え入れた。ジャカスカとメーターが上がっていく。料金表とのにらめっこの開始である。
   バスは西海岸を通り、中伊豆経由の三島行だった。カラッと晴れ渡った西海岸のドライブコースは最高であった。きらめく蒼い海。太陽の光を満身にあびた陽樹林。カーネーションが満開のハウスの連棟。時折見かける干物の列にDORAの目がランランと光る。そういえば、もうとっくに12時をまわっている。しかし、おなかはすかない。魚のゲップが出そうなほど、朝からタップリ食べていたからである。

   バスはいつの間にやら海から遠ざかり、山道を登りだした。いよいよ中伊豆ルートへさしかかったようである。絶景である。高台からながめる遠くはるかな青い海。TOPPOは次第にウキウキしだしていた。テリトリーになりつつある中伊豆に足を踏み入れたから、懐かしさがこみ上げてきたのである。修善寺を通る!TOPPOはよほど途中下車をしようと思ったが、はたと考えてフトコロ具合に気付き、その衝動をぐっと押さえる事にした。
   中伊豆の山深く分け入り、すっかり海が見えなくなった頃、それまでカラリと晴れていた空が、次第次第にあやしくなりだしてきた。そんな下をバスが走る。
ネズミ色の空の下のドライブ…か」
2匹は深く感慨に浸り、そろそろ鳴きだしたおなかのムシどもの機嫌を取るべく、カワハギのツマミの残りを口にくわえたのであった。

   料金表はなおも遠慮なくジャカスカ上がり、バスは懐かしの田方郡へと入っていった。湯ヶ島の街中に入ると、乗客は1人減り、2人減り、徐々にガラ空きになっていき、修善寺の駅に来た頃には、あたかもDORAとTOPPOの専用車にでもなったかのように広々としてきた。TOPPOはハッと気が付いた。(修善寺駅で下車して、鉄道で三島に出る方が近かったし、何より安かった!)…しかし、ちょっと気付くのが遅かった。バスは修善寺線に沿ってノコノコ走り、がらんとした車内に料金表の上がる音ばかりが高らかに響き渡るのであった。(まあ、いい。DORAとドライブするのもまた良かろう。)TOPPOはいささか座りつかれたお尻をさすりさすり、やはりお尻をもぞつかせている相棒を横目で見やったのである。

   DORAはDORAで、(もうそろそろ着くわい)とわが身に言い聞かせ、もう2時間も乗っているバスの振動にいささか辟易しながらも、心ははや、三島で何を食べようかと胸算用にくれていたのであった。
   もう3時になろうとしている。オジャマムシならぬ腹のムシ達は大合唱を始めだした。修善寺からがなかなか遠かった。ちっぽけな温泉町をいくつも通り抜け、ようよう三島市内に入り込むまでに、空の方はまたもすっかり晴れ上がっていた。
「次は〜、終点、三島…」
あ〜!やれやれ、いよいよネズミ色の空の下のドライブともお別れである。ホッとしたのもつかの間、2匹はさっと緊張して料金表を見上げた。そして、全身の力を抜いて嘆息したのである。

[帰って来た]

   すっかり軽くなった財布を手に手に、2匹はバスを降りると、まずは駅構内の乗車券売り場に直行した。とにかく帰れなくなっては大変だからである。TOPPOは横浜、DORAは三鷹までの切符を手に入れると、もう大合唱を始めたお腹のムシ達(クリスマスでもないのにヘンデルのオラトリオ『ハレルヤ・コーラス』でもやっているかのごとき凄まじさであった)に促されて、残ったお金を握りしめるや、食堂なる所を目指して足を向けた。その金額とウインドーの価格表のつり合った店を捜すこと数分、やっとの事、小さな食堂を見つけて2匹は飛び込んだ。
   いささか肉の恋しくなったTOPPOは親子丼を注文、さすがのDORAも肉が恋しかろう…と思いきや、なんとフライ定食を注文したのであった。
   ゴロゴロゴロ…魚を前にしたDORAの喉はお腹のムシ達とオラトリオを歌い、またたく間にぺろりと平らげてしまったのである。TOPPOは鶏肉と卵に感激しつつも、この上にチーズが乗っていればなお良いのに…と、贅沢極まりない事をつぶやくのであった。

   またたく間にお皿と丼を空にした2匹は、満足気に店を出て、すぐ横にある喫茶店に入り込んだ。残ったお金でコーヒーを飲もうという魂胆である。
   いつもの音楽、いつものコーヒーの香り、そして、真向かいに座ったいつもの顔---ああ、帰ってきた---2匹はそう思った。ここは三島なのだが、どう考えても帰って来てしまったという気持ちであった。それに西伊豆と違って、ここはまだ寒い。2匹はふと、まだ2月だったのだという事を思い出して背を丸めた。
   時刻表を見れば後少しノンビリできることが判別。2匹はコーヒーのぬくもりを感じつつ、再びムシ論の展開にくれだした。
   ここは本当に三島なのだろうか…ひょっとしたら農大の近所なのではないだろうか…TOOPOは幻想の世界をさまよっているような気がしていた。DORAもすっかり腰を落ち着けてしまったようだ。魚を食べ通しだったこの珍道中に、心から満足しているような顔を、ひたすら撫でまわしていたのだから。

   2匹は店を出、駅に着き、列車が来るのを待った。ほどなくしてホームに入り込んだ列車は空いていた。またもや薄暗くなってきた空を車窓から眺め、2匹は遠ざかっていく伊豆の町々をいとおしく振り返った。列車はあまりにも早かった。見慣れた風景が車窓を行き過ぎて、TOPPOはそろそろ横浜に着く事を知った。
   あと1月で卒業である。DORAとTOPPOの旅もこれからは、それぞれ違った道を1匹づつで続けていかなければならないのである。2匹はこの旅がいつまでも続いてくれれば良いと思った。しかし、出会いには必ず離別というものがあるのである。ネコは屋根の上を、ネズミは縁の下を歩いていかなければならないのである。ネコはネズミになれず、ネズミはネコになれない。
   しかし、さりとて、昔からネコはネズミを追いまわすもの、ネズミはネコを茶化すものと相場は決まっている。おのおのの道を1人で歩んでいても、出くわせば運のツキ。絶対追いかけっこをせねば気がすまぬのは、天の定めた腐れ縁。一時は別離の涙を流そうとも、2匹はその出くわしが今後いく度となく廻ってくるであろうことを知っていた。
   TOPPOは網棚から膨れ上がった荷物を引き摺り下ろすと、横浜駅のホームに飛び降りた。ふと振り返るとボックス席の一角にDORAがぽつねんと背を丸めて座っており、こちらを見つめていた。
♪ネズミ去るよ ネコも去るよ ララララーラララー♪
TOPPOはニタリ、DORAもニタリ。
   TOPPOを吐き出した東京行きの列車のドアは閉まり、DORAを乗せて静かに遠ざかっていった。TOPPOはもう一度振り返り、小さくなっていく列車に手を振るのだった。

[完]


[後記1]

   DORA&TOPPOシリーズは、とりあえずここにて幕となる。が、実はこれで終った訳ではない。
   それから1ヵ月後、2匹は再び古巣で落ち合い、そこでお互いにあまりの変身ぶりに度肝を抜かすのである。DORAは古き良き時代の女学生を偲ばせる袴スタイルというクラシック調でせまり、TOPPOはいつもの薄汚れたGパンを脱ぎ捨てて、薄手のピンクのドレスで必死の思いでなまめかしさを出さんと努め、折からの寒さにガタガタ身震いをしていたのである。
   2匹の化け猫と化けネズミは、卒業証書と大荷物を抱え、数々の思い出を与えてくれたムシの巣なる研究室を去り、この超大作を完成させる約束を交わし、ひとまず帰って行ったのである。
   そして、約束は果された。実に1ヶ月半に及ぶこの共同執筆。晴れて昭和51年4月1日木曜日、後書きを認めて完結とすることにしよう。(4月馬鹿といえども、これはウソではない。いや、1つウソをついた。晴ではなかった。雨だった。雨に始まり、雨に終る。実に我々らしい。)   by TOPPO

[後書き2]

   西伊豆から戻って1年の月日が流れた。もうすぐまた春が廻ってくる。清書をすると言いながら、ついに和文タイプはたたかなかった。が、この記録を独り占めするわけにはいかない。そこで書き慣れた玉川(大学)のレポート用紙に清書をしたためた。
   その間2匹には色々な事があった。
   DORAは相変わらず本を読んでいる。レポートを書いている。ラジオを聞きながら昼寝をしている。時々、静岡くんだりまで小旅行をしている。いつに変らぬ遊び人(DORA)ぶりである。
   TOPPOは職についた。名に合わせたチュー学校である。子供と戯れつつ星を語り、人間を語り、子供から幾多の事を教わっている。ただし、職員室とは人間のいる所ではなく、動物園である事にすでに気付いている。研究室は単なるムシの巣だあったが、給料を出されているだけに、職場の方は鑑賞に耐えなければならないのである。
   2匹はそれぞれの道を歩きつつも、時に接触する。その中でまた2匹は成長し、脱皮をしているのだ。
   DORA&TOPPOシリーズは卒業で第1幕を下ろしたに過ぎない。すでに第2幕の只中をDORAとTOPPOは歩きつつある。
   それにしても、これだけの事で、このレポート用紙綴りの1/2を消費してしまった。まさに超大作であった。   by DORA

 


   この旅行記もこれでお終いです。昭和40年代後半から50年代初めを思い出しながら、(生まれてない?)読んでいただければと思います。
   ♪学校出てから 十余年・・・♪ も遠く過ぎて・・・。  2002年12月 DORA

ザ・20世紀 1978年などを見ながら読んでいただけると、この時代の風景が見えてくるかもしれません。