風の頁オフ会

浅  草

   昨夏の信州安曇野以来、風の頁のオフ会は何度かあったが予定が取れず指をくわえて見ていたが、今回しばらくぶりで参加した。
   今回は風の頁のメンバー・蜘蛛介さんのホテルサンルート浅草を足場にゆっくりと浅草を楽しもうという会。もちろん案内人は江戸っ子の蜘蛛介さん。

     


    風さんからの連絡をもらって、先に「行こう」と言い出したのはTANUKIだった。山方面にも未練を残しながら、東京まで出るのなら農大の新しい博物館も見たいし、なかなかこちらまで来られなくなったTOPPOさんの顔も見たいしという事で行こうよ!と最終決定。

   今回の集合時間は5/1pm6:00にホテルサンルート浅草。という事で午前中に東京に出れば十分時間はあるはずと朝8時半過ぎに徒歩でスタート。焼津からの普通列車・熱海行きは混んでいたが、静岡で乗り換えたこだまの自由席は空いていた。幸先の良いスタート。品川駅で山手線に乗り換えて渋谷へ。
   ここを本日の基点にまずバスで農大へ、引き返して地下鉄で浅草へ行く予定だったので、余分な荷物を預けようとコインロッカーを探したものの空きがない。しかも所によってはテロ特別警戒でコインロッカーそのものが使えないようだ。あきらめて荷物は持ったまま成城学園行きのバス乗り場を探す。カンは頼りにならず、案内表示を見に横断歩道を渡り、結局表示に従って横断歩道をもう一度戻ってバスを待つことしばし、DORAが学生時代にお世話になった頃と同じ24系統のバスがやって来た。さすがに中身は代わって低床で車椅子が入れるように手前の通路が広く取られている。
   バスはすぐにやって来たが道路は混んでいる。とにかく前に進まない。以前より首都高の橋脚は高くなり、道路そのものもきれいにはなっているようだが、道幅はたいして変わらない。昔は30分もあれば着いたものだがノロノロと1時間20分、ようやく農大の前に着いた。
   すでに12時半を回って腹ペコ、そのままバス停の側のロイヤルホストに飛び込んだ。晩が中華なのは分かっているのでお昼はハンバーグ。ファミレスとしては高めのお値段だが、馬事公園前のケヤキ並木の緑もご馳走でホッと一息。

   お腹が一杯になったところで農大が新たに作った「食と農」の博物館へ。TANUKIは不安そうに「何処にあるんだ」とムニャムニャ何やら言っているがDORAはお構いなしにケヤキ並木を歩き出す。これはもう2人の性格の違い。
   尋ねるまでもなく、斜向かいのピカピカの大きな建物が目的地だった。看板が透明板で見ずらいが分からないというものでもない。
   広いエントランスを入ると受付。無料なのだが受付の女性もガードマンも愛想が良い。受付の前を通って2Fへ。ただいまの企画展は『食と健康』。協賛出展の企業各社の製品や解説がパネル1枚ずつに整然と展示されている。
   そして、圧巻なのが壁一面を埋めたOB各社の酒瓶。しかし、一生懸命探したのだが志太の酒には再会できなかった。「日本地図に並べた方が面白いよね」「どうせなら飲めれば良いのに」などと勝手な事を言いながら常設展の方へ。醸造博物館所蔵であった酒器類や酒にまつわる浮世絵などが展示されている。
   1Fは農大の歴史や古い農具の展示、大学紹介の資料などがあるが、まだ準備が必要なようだ。
   反対側はカフェコーナーになっていて、スパゲッティなどの軽食もある。ご近所の人なのか年配の方ばかりが遅めのお昼やお茶を楽しんでいたので我々もお茶の時間。DORAはコーヒーにしたがTANUKIはDORAの勝手決めで農大が研究中のカムカムドリンク。ビタミンCがアセロラより多くあるそうだが梅酒のような味だった。

   お茶をした時間も含めて1時間弱。TANUKIが農大に残っている同期生が来ているかどうかを正門のガードマン詰め所で聞き合わせている間にDORAは正門付近の写真撮影。この連休中ではさすがに研究室には来ておらずこのまま農大を後にした。
   経堂まで歩くという手もないわけではないが荷物を考えるとそれも億劫でバスを待つ。バスはじきに来たが帰りも1時間30分掛かる大渋滞。まじめにテロ警戒中らしくあちらこちらにおまわりさんの姿がある。
   ようやく渋谷駅に着いてトイレを探す。JRも井の頭線も地下鉄も確かに同じ位置にあるが、ずいぶんきれいになっている。2Fをさんざん歩き回ってようやくトイレを発見。ホッとしてから東京メトロと名前が変わった地下鉄銀座線へ。ほぼ30分で下車駅の田原町に到着。階段を上がってすぐにホテルサンルート浅草は目に入ったのだが、広い通りの向こう側。人間、前には目が行くものの後ろのチェックはしないもので、階段のすぐ後ろの横断歩道を渡れば近かったものを、さっさと前に歩きだして大分先の横断歩道を渡り引き返す羽目に。しかし、余裕をもって宿に到着。

   荷物を置いて一息ついてから雷門までちびすけさんご推薦のドラ焼きを買いに出る。東京育ちのDORAは土地勘は無いが、TANUKIは仕事柄6年生を引き連れての修学旅行でお馴染みの場所。いささか商店街のごみごみした中に迷い込んだが、無事に雷門に到着。せっかくなのでまず写真を撮る。
   亀十は横断歩道を渡った2軒目のお菓子屋さん。柔らかそうな皮の巨大なドラ焼きを白餡と小豆餡1ずつ買う。そろそろ集合時間を考えて最短距離の大通りをせっせと歩いてホテルへ。
   ドラ焼きは部屋に大事にしまって部屋を出る。ここで姫さんとバッタリ。部屋に戻る姫さんと分かれてロビーに降りると、風さんが風邪でダウンのままねこさんの代わりにタカさんと一緒に座っていた。元気一杯のどんちゃん、相変わらず片手に携帯のメロンさん。さらにデンさんご夫妻は浅草でお勤めのご長男も一緒に登場。受付カウンターの奥からはこのホテルの総支配人である蜘蛛介さん。寡黙でにこやかなSUBさん、HPのキャラクターよりも穏やかな不良宮島さん、そして、出席が危ぶまれた○さんも無事に現れてどんちゃんが大喜び。
   そろそろ時間となり蜘蛛介さんの案内でまた町へ。夕方の国際通を北へ進んで本日の会場の中国小菜 龍圓へ。

   入り口に『風の頁様』の案内板、案内された2Fでは立派なニコンのデジカメが皆を迎えてくれた。このカメラはここのご主人のもので、やはりホームページなども作っておられるとの事。蜘蛛介さんとは町のお仲間といったところか。
   飲む人、飲まない人で席を決め、ビール・烏龍茶が出てくる頃にピヨねえさん登場。さらに庭さんも登場、ようやく本日のフルメンバーが揃う。
   お料理は刺身の乗っけ盛風のものから始まった。エビチリ・春巻き・炒め物・餃子と次々と登場。初めてのメンバーも居るので自己紹介から始まったが、飲むほど食べるほどに口も滑らかに回りだす。
   メロンさんは携帯で写真を撮っては風のBBSで実況中継。店のご主人も仕事を抜け出しては写真を撮って下さる。
   庭さんの分身のハムちゃんももちろん登場。この子ではなく前回彼女の旅に付き合って大冒険をしたハムちゃんの話で盛り上がる。そのハムちゃんの上をネコ飼いのタカさんやDORAの携帯が家のネコの写真を出して飛び交う。
   やがて、ピヨねえさんが「これから実家の名古屋まで帰るんです」と席を立つ。
   座り込んでいる我々の前には、チャーハン・スープ・ラーメンとまだまだご馳走が…。 
   時間も9時をまわりお腹も一杯になって一次会終了。不良宮島さんが会費を集める。しっかり食べて飲んで¥3000の会費で少々足が出たが安かった!食事中に「農大ではプライベートの飲み食いは先輩がおごりる伝統がある」(風さんから庭さんまでが同じ話をするのだから…)などと話が出たが、もちろん不足分はきっちり頭割りで集金。

   蜘蛛介さんが五重塔がライトアップされているからと案内して下さる。説明を聞きながらそれぞれに携帯カメラで写真を撮る。庭さんはもちろん分身のハムちゃんを片手に被写体とのバランスを考えてカメラを構える。それを見ていたメロンさんが「そうやって撮るんですか」とさっそくハムちゃんを借りてチャレンジ。
   満足するほど写真を撮って雷門へ。TANUKIが亀十のドラ焼きの話を始めると蜘蛛介さんが「僕は西むらの方が好きだなぁ。」それを聞いたDORAは「明日は西むらのドラ焼きを買いに行こう♪」
   実は隣同士の和菓子のお店、扱っている商品もそう違いはないようだったが、ドラ焼きについては性格が違った。亀十のドラ焼きの皮はかしはるの焼津焼風でフワフワ、しかもホットケーキサイズの大きさである。餡が甘過ぎないので、ちょっと疲れて小腹が空いた時にはこっち、一方の西むらは見た目はごく当たり前のドラ焼き、上品な甘さに作ってあるので美味しいお茶を飲みたい時はこちらが良い。以上DORAのドラ焼き評論。好物だけにどちらも美味しかった。

   ここで「明日も仕事」という庭さん、「スキー場で鎖骨を折ってまだ治らない」という○さんとお別れ。残るメンバーはちょっと渋めのバーへ。
   ビール好きのどんちゃんはここでは「バーボン」、姫さんは「もうしばらく未成年」とジンジャーエール、デンさんの奥さんとDORAはカクテル、男性陣もそれぞれの飲み物でまたおしゃべり。デンさんの奥さんが『風の頁』を見たことがないというので「是非見に来て」と皆で誘う。裏の方で「デンさん、あんまり内緒が効かなくなるね」と声あり。
   1杯ずつ飲み終えて夜風の中を宿まで歩いて本日はお終い。PM11:00。

   翌朝はゆるりと7時起床。宿備え付けのお茶を入れて、DORAはホクホクとドラ焼きをほおばる。それからおもむろに宿に併設されているレストランに朝食を食べに行く。TANUKIはもちろん和風の焼き魚定食。DORAはすでにドラ焼きで満腹、パンサラダのセットを頼んで半分をTANUKIに「野菜を食べなさい」と押し付けてもっぱらコーヒー。
   そのうちにメロンさんがやってきて隣の席へ。風さん達と夜中過ぎまで話をしていたそうだ。おしゃべりをしているうちに反対隣にデンさんご夫妻。ふと気が付くとお向かいには風さんと不良宮島さん。
   食後部屋に戻って荷物整理をした後、そろそろ店も開こうかという時間を見計らって西むらにドラ焼きを求めに行く。部屋に戻って食べようかとも思ったのだが、すでにお掃除が入っているのでドラ焼きはバックの中へ。

   そうこうしているうちに集合時間。下に降りるとどんちゃんとなにも専務さんがおしゃべりの花を咲かせていた。今日はどんちゃん家も家族4人。子供達は待ちきれずにパパと一緒に早くもお外。全員集合した所で蜘蛛介さんの案内で出発。姫さんは朝の飛行機で福岡の実家へ。SUBさんは「家は近いのです」と朝から合流。
   三々五々と歩きながら仲見世通りの1本裏を通ってまず弁天堂へ。この弁天堂脇にある鐘楼の鐘が浅草の除夜の鐘だそうだ。お坊さんが初めのいくつかの鐘を撞いた後で108人の選ばれた人々が除夜の鐘を撞く。お布施をして年越し蕎麦を頂いて帰るのだそうだが一種のステータスのようだ。
   次は今月半ばの三社祭のいわれとなっている碑の側でその解説。どんちゃんの子供達はまわりの屋台が気になって仕方がないが、おとなしくついて歩いている。そして話の主役が祭られた浅草神社へ。お参りの後、運良くお神輿蔵が開いていたのでそちらへ。3基のお神輿が準備万端整って待機している。1の神輿と2・3の神輿とは屋根の飾りが違うが、1基が1トンというのは大人が担ぐ神輿の標準なのか、焼津神社のものも確かその位の重さだと聞いた事がある。三社祭のお神輿も荒れるそうで、危なくないように見物の桟敷がエンジュの木の前に組まれている最中だった。
   ここからお隣の二天門へ。唯一古いものがそのまま残っているのだそうで、色が薄れ小ぶりながら風格があった。次は浅草寺の正面に当たる宝蔵門。こちらは大変立派なもので、門の上にはお宝が祭られているらしい。もっともDORAは門に腰掛けたおじさんが連れている眠り猫が気になってさっそくカメラを構える。「良い子ですねぇ」とパチリとやるとネコの代わりにおじさんが「ありがと、ありがと。」
   さて、お参り。「線香を買わないで煙だけ浴びると、人が払い落とした厄が着くからね」と蜘蛛介さんのご注意が飛ぶ。表の賽銭箱を回りこんで本堂へ。ここまで来れば内陣もよく見える。また天井画も穏やかな色使いできれいなものである。実はお賽銭も出さずにご挨拶だけで済ませる。これではお正月の『凶』のおみくじのご託宣は変わらないかも…。

   本堂を横に抜けて日本庭園のある影向堂(ようごうどう)へ。ここは十二支の守り本尊が祭られている。もちろん巳年の守り本尊・普賢菩薩を探してご挨拶。それよりもこの影向堂がどうすれば読めるかに皆の興味は集中。しかし、教えてもらわなければとても読めない。
   ここを通り抜けた先に淡島堂がある。その脇にS20年3月9日の大空襲で亡くなった人々の慰霊の碑・浅草大平和塔が建っている。明るく開けた空間に『思い出づる調べも哀し昭和20年3月9日の夜、B29百五十機の大空襲により浅草一帯は火の海となる。地をなめるようにして這う火炎と秒速30mにもなる烈風にあふられ、親は子を呼び、子は親を求むれど、なすすべもなし。おののき叫び逃げまどい、悪夢のごとき夜が去れば……目に映るものは一面の焦土にて、一木一草の生づるもなく、哀れ身を焼かれ路傍に臥す無辜の犠牲者は一万余柱を数う。当時その凄惨な状況は一辺の新聞だに報道されることなく、敗戦後に生まれた子供達は戦争の惨禍を知るよしもない。いたましく悲しい夜もいつしか歴史の一駒として消えて行くであろう。よって我々はここに当時を偲び不幸散華された御霊の安らけく鎮まりまさんことを祈り、二度とあやまちを繰り返すことなく永遠に世界の平和を守らんことを誓い、浅草観音の浄域にこの碑を建立する。以って瞑せられよ。 昭和38年8月15日 浅草大平和塔維持会』という設立趣意書が脇に掲げられていた。

  道を北にとって、はとバスの駐車場の先、病院の前に九代目市川団十郎の歌舞伎十八番暫くの像がある。歌舞伎は不案内だが、前髪立ちの子供の姿をあらわし台詞回しにも子供言葉が出て来るそうだ。これにちなんで4月には子供の健康を願う泣き相撲が行われるそうだが、焼津神社の神ころがしとは違いまわし姿の青年達が幼児を見合わせて泣かせ大泣きをした方が勝ちだそうだ。
   ところでこれは鎌倉権五郎の役だそうだ。最近、藤木凛の『鬼一法眼』を耽読していたので、鎌倉権五郎というと破れ御堂から出てくる巨大な悪鬼の顔のイメージが出てしまうが、違う世界もあるようだ。
    はとバスの溜りでは、大型車の運転手さんのどんちゃん家のパパと子供達がバス見物。主に運転席の設備が気になる様子。「職業病が出た。本当に好きなのよ」とどんちゃん。

風さん撮影

参考 浅草い〜とこ  http://www.asakusa-e.com/rekisi/senso.htm

   寺域を出るとそこは花やしきの前。簡単な乗り物が多い小規模な遊園地だが、どんちゃん家のお子さん達の目が輝く。ここで遊んでしまっては先が見えなくなるので「後で連れてきてもらいなさいね」と大人達に言われてちょっと残念そう。
   いかにも歓楽街らしく役者さんが呼び込みをしている芝居小屋の前を通ったり、チンドン屋さんがやって来たりのごみごみした町の中を歩いていく。そんな道を観光人力車も通っていく。DORAはふと、暮に歩いた大阪の新世界を思い出す。種々雑多な人が集い活気にあふれている。町の人もやって来た人も町のエネルギー、活力の源になっている。実は昨日、地下鉄の駅を降りてから雷門までの道にも天王寺の駅前から四天王寺に続く商店街を感じていた。多くの人に出会ったわけではないが、店構えが、「ここはずっと前から私の町」「私はこの町が好き」と語りかけている。必ずしも老舗ばかりではないのだろうが、スーパーとコンビにばかりの新しい町とは一線を画している。
   そこに蜘蛛介さん、次々と知り合いの店を覗き込んでは「どうも、こんにちわ」とこまめに一言・二言の挨拶を交わしている。
   そして着いた所は雷5656会館。雷おこしなどのおみやげ屋さん兼お休み処・お食事処を兼ねているようだ。とりあえず一休みという事で、今日はTANUKIがコーヒー、DORAは日本茶とお菓子のセット。他にも甘酒やアンミツなどのメニューもある。しかしお昼のどぜうを考えてみんな飲み物程度にしたようだ。ここでデンさんのご子息が合流。
   コーラを飲んでいつの間にやらお店に消えていたどんちゃんの子供達はお店のおこし作りの実演に見いって、焼き立てを食べさせてもらったようで、パパがおみやげ用のおこしを買って来た。
   さて、一休みをした所で本日のお昼、どぜう飯田屋へ。

   このどぜう飯田屋は予約は出来ないようだ。風さんから皆に「蜘蛛介さんの後を付いてさっと店に入るように」と注意が出る。しかし、「いらっしゃい」と案内された2Fにはテーブルを寄せて人数分の席が用意されていた。これぞ蜘蛛介さんの人徳。
   昼からビールの登場は不良宮島さんの采配かTANUKIとデンさんの息子さんが大喜び。コンロの上の可愛らしい鉄鍋にはささがきゴボウと開いたドジョウ。煮立った所にドーンとネギを入れて食べる。七味も山椒も良く合う。もっと泥臭いものかと思ったが食べやすい。ネギが苦手のDORAにはネギの方が邪魔だが皆でつついているのにそうも言っていられない。蜘蛛介さんや風さんは何人敗退するかを楽しみにしていたようだが、どんちゃんの小さいお嬢ちゃん以外は皆大丈夫。変えには豆腐、その後で丸の下煮をしたドジョウ、最後にまた開いたドジョウとご飯、漬物、味噌に卵だけを溶いたかきたま汁が出てお終い。けっこうなお昼だった。
   実は前にSUBさん、隣にデンさんと虫屋さんの側に座ってしまい「しまった!」と思ったのだが、虫の話ではなくスミレの話で盛り上がった。

   お腹が一杯になって出た道の向こうは東京電力のテプコ浅草館、1Fでは歌舞伎写真家の福田尚武氏の『平成中村座』の写真展。2Fには戦前の浅草の雰囲気を感じさせてくれる展示と浅草の資料を集めた浅草文庫がある。階段の壁には古い地図などもあって祖父母や父が歩いた頃はどんなだったのだろうかとふと思った。
   ここでも蜘蛛介さんの人徳で受付の方から全員がボールペンをお土産に頂いた。
   今回の風の頁のオフ会はここで解散。蜘蛛介さんのすばらしいご案内とメンバーそれぞれの持ち味で楽しい会になった。

   荷物を受け取りにまずホテルへ。またも浅草寺に引き返して仲見世通へお土産を買いに行く。結局、舟和の葛餅と仲見世通を出切った所の店の人形焼。ここの人形焼はなぜかTANUKIのお勧め。「他の店のように変な物を加えずに昔ながらの素直な人形焼だから。」焼津まで運ぶのは潰れないように箱入りにしたが、TOPPOさんのご両親へのお土産は袋入りにした。それをもらったとたんにDORAはノスタルジーに引かれた。「これだ!」幼い頃、浅草に連れられてきて祖父母に買って貰った人形焼!紙袋の図柄は昔のまま、今はビニール袋に入ってから入れられているが、昔は人形焼の湯気で袋がすぐにクシャクシャになったものだ。「おばあちゃんの手提げに入れなさい」という声まで聞こえてきそうだ。子供のDORAはこの中のハトポッポが特に好きだった。
   お土産を買って人込みを避けて脇道へ出たら、デンさんご一家が手ぬぐい屋さんから出て来るのにまた会った。

   これから水上バスに乗るつもりだというデンさん達と別れて浅草から渋谷へ。東横線に乗り換えて横浜へ。バタバタと乗り継ぎをしながらTOPPOさんとメールで待ち合わせ場所を打ち合わせ。この東横線も何やら代わって中華街まで一直線になったが、横浜で降りてから相鉄線を探し当てるまでの道のりは長かった。新しい通路を表示に従って延々と歩かされて出た所から、表示が反対方向を示している。このあたりで見知っている古い建付けが出てきて、相鉄線にはたどり着いたが、何か化かされたような気がする。
   とりあえず、最寄駅のロータリーでTOPPOさんの迎えを待つ事に。薄ら寒く雨粒も落ちてきそうな空模様になってきた。
   しばらくしてやって来たTOPPOさんの車に無事に拾い上げてもらい、ご両親の住むケア付き住宅へ。
   入り口は安全のためにオートロックになっているが、1Fはデイケア施設。2Fは住居と共有のホール兼食堂、3Fも住居になっている。ご両親は今3Fでそれぞれの部屋に住まっているが、お母さんのお部屋で一緒にテレビを見ていた。ベットとちょっとした家具が有るので5人も入れば超満員だが、お土産の人形焼をお渡しして皆でおしゃべり。
   前日は富士の妹さんが見えて、一緒にお父さんの誕生日のお祝いをしたとの事。
   5時頃お夕飯のお呼びがかかったので、2Fのホールまで一緒に降りて失礼する。
   我々もTOPPOさんと一緒にちょっと早いが駅前でお夕飯。「せっかく来たのだから」とご馳走になってしまった。少しゆったりと息抜きのおしゃべりをして新横浜まで送ってもらう。
   ホームがかなり混雑していたので座れないかなと思ったが、タイミングよく来たこだまで無事に席を確保、帰りものんびりと眠っていく。静岡で乗りかえ家に戻ったらpm10時前、充実した2日間だった。


参考  えんじゅ浅草槐の会   http://www.asakusa.gr.jp/nakama/index.html