福  島     2005

   今回の旅は地区民児協の研修旅行である。バスで片道7時間、その間何本かのビデオを見てお勉強。改選後仕事優先できたが、ようやくお互いに知り合う機会を持つ。つまり夜は宴会。
   梅雨のさなか、お天気はいささか怪しげだったが、この旅の幹事長の「おれは晴れ男!」を信じてスタート。
   静鉄の中型バスがメンバーを拾いに廻り始めたam7:00、私も自宅をスタート。いつにない早起きをして、洗濯物だけ洗って外に干して気分爽快。しかも冬の北海道ほどの荷物もなく、「早すぎるだろうな」と思いながら自宅直近の待ち合わせ場所に着くと、すでに幹事さんが大荷物を準備して来ていた。バスもつつがなくメンバーを集めながらやって来て、ここで大荷物を積み込んで次の集合場所へ。
   無事に出席予定の18名を乗せてam7:30焼津ICへ。さっそく旅の幹事長と会長からそれぞれのご挨拶。そしてガイドさんから今回のコースの説明と乗員の紹介が続く。実直そうな運転手さんと我々とほぼ同世代の元気の良いベテランガイドさんのコンビ。
   そしてさっそく宴会の準備?黒はんぺんに枝豆、茹でピーナツに色々なお菓子。そしてヨーグルト。缶ビールと共にお茶も配られる。しかし、5対13で女性が多い旅。アルコールよりお菓子とお茶!それなりに車内が落ち着いた頃には富士川SAに到着。トイレ休憩。
   スタート後、相談支援活動の方法についてのビデオでお勉強。朝が早かったのでいささか睡眠学習になってしまったが、支援が必要そうな人へのアプローチは無理をせず、風評の情報に振り回されずに行うように。また、相手の話をよく聞くようにというものだった。(違っていたらごめんなさい)
   海老名SAでもう一度休息を取って、お昼のお弁当も積み込まれた。どう通っても渋滞する首都高は運転手さんが勝負をかけて選んだ5号線、意外とスムーズに流れ気が付けば埼玉スタジアムの脇を通り抜けている。am10:40には東北道の蓮田SA、予定より1時間早い。ここで昼食のはずだったが、いかにも早いのでトイレに寄って出発。結局昼食は都賀西方PAまで進んでとる事になった。まだ時間はam11:42。木陰のベンチを占領して途中で積み込んだお弁当を広げる。30分ほどの時間をとってスタート。
   食後は民生委員の歌『花咲く郷土』の練習。その後もう1本のビデオは京都の医師の早川一光氏の講演。『ぽっくり逝ける人逝けない人』四国のお寺での講演の模様のようだ。かなりのお年のようなのに元気溌剌、演台を飛び回ってお話をされる。と、聞いている間に睡眠学習に…。気が付けば安達太良SA。すでにpm2:00。
   磐越道同様の3・3・7拍子の眠気防止板を通ってpm2:25福島飯坂ICで東北道を降りる。
   高速を降りて10分ほどで義経所縁の医王寺に到着。義経が源平合戦に旗揚げした際に側近として従った佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺である。旗揚げの時に義経が植えたという松、戦死した佐藤兄弟の墓、その妻達がせめてもと武将姿で凱旋の模様を演じて姑を慰めた故事を示す人形などがある。また兄弟の母乙和御前の悲しみを表してつぼみのまま落ちてしまう乙和の椿の大木もあるが、花の時期は過ぎているので真偽の程は分からない。しかし、アジサイが真っ盛りであった。
   ここはまた松尾芭蕉が奥の細道紀行で訪れて、笈も太刀も五月に飾れ紙幟と詠んだ所である。その笈は宝物殿の中に鎮座していた。芭蕉の句碑はもちろん他にもいくつかの句碑が境内の中にあった。
   ここでは一緒になった静鉄オレンジツアーの団体さんと一緒にボランテアの方の名調子の説明を聞いた。
   1時間ほどして雨が落ちそうな医王寺を後にし本日の宿吉川屋へ。ほんの10分もかからずに到着。摺上川を眼下に見る3Fがフロントロビーになっている。部屋は2F。こじんまりとした部屋に4〜5人ずつ分かれて入る。お茶を飲みながら一休み。
   話しこんで気が付いたら5時。宴会は全員宿の浴衣着用という事で、浴衣を抱えて1Fの温泉へ。横長の内湯とかわいらしい露天風呂で1日の疲れを流した。タイミングが良かったのか貸切に近い状態だった。目の前は緑豊かな風景、下からは川の音。
緑陰や川音を聞く出湯かな     DORA   
   風呂から帰ってくればpm6:00。宴会開始。上座に5人しか居ない男性が並び、その左右にずらりと女性陣。真ん中にはドンとカラオケセット。
   それぞれの前にはご馳走が御膳からはみ出し気味に並んでいる。今回の旅行幹事長からの一言の後、会長挨拶。そして副会長の音頭で桃のワインで乾杯!
   とりあえずは目の前のご馳走に手が伸びる。女性が多いので差しつ差されつとはならないが、ベテラン陣がビールと共に廻ってくる。少しずつおしゃべりをしながら、遠慮なく頂いてしまったこちらは根っこが生えている。おもしろい事に男性も飲む人・飲まない人それぞれだ。
   程々にくだけてきたところでカラオケ開始。会長をはじめ歌好きの何人かが自慢の喉を披露してくれる。「あなたも」と『黒田節』を入れられてしまったが、「歌はダメだ」と茶碗を持って踊ってしまった。いつの間にやら会長がマイクを持って歌っている。「2番もあるでしょ」と先輩に扇子まで渡されてしまった。と言っても日舞ができるわけではない。民謡も東京音頭と焼津おどり止まり。私に出来るのは歌いながら歌詞に合わせて振りをつけていくシンギングゲーム。つまりいい加減なものだ。
   「みんな歌ってよ」と言われていたが、その前にタイムアップ。気が付けばまだpm8:30にもなっていない。
   一度部屋に戻ってきたが二次会のお誘いはなく、しっかりと早寝をすることになった。
   早寝をすれば早起きになる。am5:00過ぎにはみんな起きだして、さみだれ式に温泉へ。夜と朝で男女の湯が入れ替わるので、今朝は違う側のお風呂。内風呂は同じように横長だが、露天風呂はこちらの方が小さい。雨が降っているので本日は露天風呂向きではないが。朝風呂のお客さんもパラパラでゆっくりと入ることができた。
   部屋に戻ってそれぞれに荷物整理。朝食はam7:00からバイキング。部屋の4人でまとまって食べる。私は素直にパンとコーヒーを中心に取ってきたが、牛乳と芋茎の煮物が美味しかった。
   隣の席に来た運転手さんとガイドさん。ガイドさんは昨日の真っ赤な上着から今日はシックな青に変えていた。
   食後は売店でおみやげ選び。ここで他の部屋の皆さんとも一緒になり、あれこれと品定めをする。でも買ったのは石巻の鯨カレーの缶詰1つ。\550也。TANUKIへおみやげ。
   遅め遅めの我が部屋、部屋を後にするのは早かった。早々に荷物をまとめてロビーへ。そうこうする内にバスの準備も整って、予定通りのam8:30を少し早めにスタートした。
   あたり一帯は収穫期のさくらんぼの果樹園。その中の1つに我々のバスも入る。さっそくお味見用のさくらんぼをもらい、おみやげ用のさくらんぼの算段。パック入りのお買い得から箱詰めの上等品までさまざまある。ただし現地販売の分しっかり木で熟しているようで甘い。
   ハウス利用の畑も金網で周りを囲い盗難対策もしているようだ。それでも緑の葉陰の真っ赤な実はとても綺麗だった。

   きらめきて葉陰の紅きさくらんぼ     DORA

   10分ほどのお買い物タイムの後、バスは次の目的地、四季の里へ。農園レストランのビール園(アサヒビール)・アイスクリーム・蕎麦・パンなどの店とこけしやガラスの体験工房、ハーブ園やバラ園などの公園スペースがある。
   入り口のさくらんぼ売り場でまたまた足が止まってしまったが、飲みたい何人かは真直ぐにビール園へ。それ以外は三々五々園内をぐるりと散歩しながら大花壇を通って小さなバラ園からハーブ園へ。大花壇はまだパンジーの咲き残りで気候の違いを感じさせた。夜来の雨に打たれてバラ園のコンディションは良くなかったが、雨上がりの空気の中にラベンダーの香り。ハーブ園も雨に乱れていたが小さな花々が綺麗だった。中学生位の子供達が数人ハーブ畑を耕していた。花好きは多いと見えて花の名前や食べ方などに話が弾んだ。M氏はハーブの葉の味見までしたようで「ステビアの葉はとても甘かった」そうだ。
   次の工芸館では、ガラス器やこけしの絵付けをするほどの時間の余裕は無かったが、こけしやガラス器、アクセサリーなどおみやげを探して楽しんだ。
   最後に引換券でもらった2種類のアイスクリームやシャーベットを賞味して、ほぼ1時間の予定時間一杯を使いバスに戻った。
   お次は福島西ICから東北道に入って二本松市まで。二本松ICを出て10分ほどで到着したのは安達ガ原ふるさと村。まだam11:30であるが急き立てられるように食堂へ。ざるうどんに天ぷら冷奴、その上イクラの乗ったご飯と味噌汁まで付いている。その上幹事さんが気を利かせて「乾杯しましょう」とビール。朝たっぷりと食べた上に四季の里でしっかりとアイスクリーム2つが入っている上、結構さくらんぼの味見もさせてもらった午前中。申し訳なかったけれどあまり食べられなかった。
   食後は故郷伝承館へ揃って出かける。外見のモダンさに比べてかわいらしい鄙びた感じに作られた劇場で安達ガ原の鬼婆の話が上演されている。ロボットのおばあさんが昔語りをしてくれる後ろで紙芝居のように情景が映し出される前半。後半は後ろ正面に変わってジオラマを使った人形劇で鬼婆退治が演じられた。
   地元の生活や産業を見せている展示館がいくつもあるらしいが時間の関係で割愛。先人館に入った。ここは地元の名士6人の資料が展示されている。芥川賞作家の東野辺薫、放射線医学の高橋信次、歴史学者の朝河貫一、バレエの関谷敏子、政治家で歌人の安部井磐根、そして千恵子抄でおなじみの高村千恵子の6人である。
   最後におみやげを見てほぼ2時間の滞在を終えまたバスへ。
   帰りの飲み代をコンビニで仕入れて二本松ICから東北道へ。一休みの後、もう1本の早川一光氏のビデオ。相変わらずパワフルな語り口だが、同じ所での(毎年?)連続の講演らしく、時々話が重なって記憶の中では見事に交じり合ってしまった。要は、病の半分は気から。だから病・気と書くでしょ。年をとってしまうと体中色々と病が出てくるのは仕方がないが、気に病まずにいれば元気に過ごせると言ってしまったら纏め過ぎだろうか。
   公演が終わる頃に上河内SA。トイレ休息。栃木といえば宇都宮餃子、というわけで、おみやげに買ってきた人が何人も。
   この辺りは関東平野の真ん中で広々と田畑が広がっている。

   坂東の青田の中のハイウエイ     DORA

   pm4:00前には利根川を渡って埼玉県へ。蓮田SAでもう1度トイレ休息を取って首都高へ。運転手さんはギャンブルというよりは緻密にSAで情報を入れたようだった。首都高の退屈しのぎのつもりのビンゴはあまり渋滞をする前に終わってしまった。
   そして、退屈しのぎがなくなった辺りから渋滞に。池袋のサンシャインビルとはなかなかお別れができなかった。それでもpm6:00前には無事に東名に入ることができた。
   海老名SAではメロンパン伝説は広まっているようで今回も買いに行く人が…。ここで夕飯のお弁当の積み込み。おみやげを買ってバスの中は混み合っているので、さっさとお腹の中に片付ける。
   富士川SAで最後のトイレ休憩を取り、もう1度民生委員の歌のおさらい。その後は旅行幹事長・会長・ガイドさんがそれぞれにご挨拶。pm8:20、無事に焼津ICに到着。市内を順に廻ってそれぞれ近い所で降ろしてもらった。それで知ったのだが、我がテリトリー、結構広い。藤枝との境から港まで瀬戸川に沿って続いている。
   バスが止まりやすいようにという事で我々は最後から2番目。歩きで迎えに来たTANUKIに半分荷物を押し付けて無事に我が家に到着した。