熊野三山 2005年秋
年に1度、市内の民生児童委員の旅行(移動民協)があります。勉強会というよりは、顔を合わせる事で親睦を深め、色々な所で協力関係を築きましょうと言うもの。今回の旅はこの移動民協の旅。市役所の福祉課の方や社協の方も加わって150名近くがバス4台で行きました。
平日という事で、必ずしも全員参加ではなかったようですが、うちの地区はほぼ全員参加しました。
10月4日、朝まだ暗い5時半前、旅の荷物を抱えてバス道路沿いのコンビにまで歩く。ここでもう1人のお仲間と共に相乗りタクシーに拾ってもらう。天気予報はあまり良くないものの傘の必要はなさそう。集合地の駅前には、同じ1号車に乗るY2地区と我々Y3地区の人達が歩いたり、送ってもらったり、タクシーを使ったりして集まってくる。今回は都合で欠席のFさんが早朝だというのにミカンを持って見送りに着てくれた。am5:50、すでにW地区のメンバーを乗せてバスが到着。全員が乗ったところで焼津ICから東名を西へ。20分程で牧の原SA。ここで他の3台のバスと合流する。2号車はM地区とK地区、3号車はY1地区とT地区、4号車は無くて、5号車がO地区とH地区。
am8:45頃には豊田JCTから伊勢湾岸道へ。刈谷PAでトイレ休息。ここのトイレは大金をかけたとかで、女性用のトイレのフロアは絨毯敷きで真ん中はドレッシングルーム、ソファまである。周りを取り囲むショーケースの中はヨーロッパタイルのコレクション。その周りにいわゆる個室が並んでいる。バスを降りる前にガイドさんが力を入れて案内をしたので、男の人達までがカメラ片手にのぞきに来た。
伊勢湾を眺めながら、四日市JCTから東名阪自動車道そして伊勢自動車道へ。安濃SAで再度トイレ休憩。バスにも乗り疲れ、朝が早かったので車内は皆ウトウトしている。am10:00には勢和多気ICで高速を降り、R42をひたすら南下。高速道路の計画は尾鷲市まであり橋脚は立っているのだが開通までは長そうだ。そして脇を通る紀勢線は線路だけで1度も電車と出会えなかった。
それはともかく、R42に降りて20分ばかりでドライブインあら竹に到着。ここでお昼の弁当を積み込む。『元祖松坂名物 特上牛肉弁当』。まだ時間が早いのでお弁当はお預け。道の周りはお茶にミカンに杉・檜の山…。あまり遠くへ来た気がしなかったりして…。しかし、ちょっと入ると熊野古道があちこちに残りハイキングコースにもなっているようだ。
荷阪峠を過ぎて熊野灘の海が見えてくる。この辺りでお弁当。ガイドさんがお茶をいれてくれる。基本的に山の中の道だが時々ちらりと海も見える。景色を楽しみながらのお弁当、そしてさすが松坂牛、たれの味が濃い目だったが美味しかった。
柿の実の色づき初めし旅のバス DORA
海山町の道の駅でトイレ休息の後、pm0:40ようやく本日初めの目的地、鬼ケ城へ到着。道路事情が良かったか、運転手さんの頑張りか予定よりも1時間近く早く着いた。
石英粗面岩が海蝕を受けて洞窟化し、壁面はフリルのようになっている。遠くから見るとライオンが口をあけているように見えるそうだ。
鬼が住んでいたという伝説もあり、鬼退治に来た坂上田村麻呂が近くの小島からその鬼をうかがったという事で、その小島にはまぶるが島という名前が付いているそうだ。(まぶる=見るの方言)
周りに土産物屋もたくさんあるのだが、メインは那智黒石。上質の碁石や置物は高価だが、ミニチュアのネコは\940。散々顔を選んでレジに持って行ったら「箱に入ったのをあげますね」とお店の人に取り替えられてしまった。
ここで志太常磐松会の会長と遭遇。T地区で民生委員をされているので当然の出会いだが、「この前の県の役員会でね…」と県内のOB会の行事計画を色々と教えてもらった。
鬼ケ城でほぼ1時間を過ごした後は、また1時間ほどバスに揺られて熊野那智大社へ。ここにいわゆる那智の滝がある。
駐車場から階段を上りちょっと開けた所に那智の滝をバックに写真屋さんがスタンバイしている。側には壷装束の女の子も。バスごとに記念写真を撮ってもらう。
後はせっせと階段を上へ。うちの地区会長が下で借りた杖を片手に「金比羅山も大変だったが…。」久能山の階段と比べる人もあり、法多山と比べる人あり。手水を使って拝殿からお参り。傍に大きな苔むした楠が立っている。平重盛のお手植えと伝えられ樹齢800年が経っているそうだ。ここからも滝が見えるので地区の居合わせた人達と記念写真。
隣は青岸渡寺。西国33カ所観音巡りの第一番礼所になっているそうだ。さらに下って行くと三重塔がある。何人かの有志で滝への道を進んでいたのだが、ガイドさんに「時間的にギリギリかもしれませんよ」と言われてピッチを上げる。途中から自然石を組み合わせたような階段状の道、早い話が山道になる。うっそうとした杉木立で湿った道だが意外と滑らない。せっせと下って滝の真下に出る。那智の滝は飛瀧神社としてお祭りされている。割合に早く行き着いたので、帰りはゆっくりとバス道路の坂道を上る。
バスまで帰り着くと当然のようにさっき撮った写真をバスの前で売っていた。表紙付きで1枚\1.300はちょっと高いかも…。
夕暮れが近付いた熊野那智大社を後にして今日のお宿、ホテル浦島へ。バスを下されて船着場から船で湾内を横切ってホテルの玄関に付く構造になっている。着いたホテル正面のすぐ脇には海釣りコーナーがある。
部屋割りは6月の時と同じ4人になった。前回の学習で着いたら荷物整理もそこそこにすぐに温泉へ。この宿は温泉が自慢でいくつもある温泉の湯めぐりが出来るようになっている。まずは忘帰洞へ。ここは目の前が海。露天風呂からは波音が大きく聞こえる。ゆっくりと湯に浸かって座り疲れた身体をほぐした。
pm7:30から全員が集まって大広間で宴会。今回は総勢148名が参加しているそうだ。ここでも地区ごとに席がセットされている。
会長の挨拶、市役所の児童課長の挨拶、社会福祉協議会事務局長の挨拶に続いて、副会長の乾杯の音頭でにぎやかな宴席となった。乾杯のお酒は紀州らしくお膳に付けられていた梅酒。かなり甘かった。
大勢の仲居さんが、ビールやお酒、ウーロン茶などを持って広い会場を行き来する。食材は海の側なのでお刺身やカツオのタタキ、魚介のうどんすきなど海のものが多い。ここの感心なところは天ぷらを次々と大笊に作ってきて仲居さんが1つずつ取り分けてくれた事だ。熱々とは言わないが出来たてを食べることが出来てうれしかった。
ホクホクと食べているうちに、ステージではカラオケが始まる。何しろ行きのバスの中から入れ込んでリクエストを募集していたのだから…。熱唱しているところにはおひねりも飛んでくる。これは会の趣旨でちょうど季節の赤い羽根の募金として社協さんに渡された。
人数が多すぎるせいかあまり席から動く人もなく、最後の山菜釜飯(もうちょっと水加減大目が良いな)と味噌汁、デザートのフルーツを食べて、pm8:30には中締め。「三本締めで!」と言っていたのに何故か三三七拍子に。
ここからが旅の醍醐味の方々も多かったかもしれないが、我々の部屋は、1人がそのまま足揉みマッサージへ。残る3人は部屋に戻ったとたんに次の温泉へ。「明日の朝ではきっと行けないから」と一番遠い山上露天風呂・天女の湯。本館から山上館の32Fまでエレベーターであがり、そこからまた海を見ながら回廊をテクテク歩く。それなりに対岸の夜景がきれいに見える。
あまり大きくないひなびた湯船の熱いお湯に浸かって虫の音を聞きながら高台から見る夜景はメガネをはずしているのでにじんでいる。月の無い時期だったが曇りがちで星は見えなかった。
風呂上りには東屋においてある給水機のお水。何故か美味しい。隅にベッタリと大きな蛾が止まっている。しばらくこんな大物には出合っていなかった。
1時間近くノンビリしたので、マッサージも終わっているだろうしロビーで会えるとキョロキョロしてみたのだが、すれ違ってしまったようだ。部屋に戻ってしばらくしているうちにフロントを通して彼女から電話。彼女もロビーにいれば分かると思っていたそうだが…。結果的に締め出してしまって申し訳なかった。
後はざっと荷物整理をして寝るのみ。今日の1日は長かった。
一夜明けて10月5日、am5:00頃にはすでに部屋の1人が起きて朝風呂へ。しばらくしてもう1人。昨日2度も入ったからいいやと私はゴロゴロと。そのうち残る1人も起きた気配に諦めて布団から這い出す。それでもまだam6:00前。
皆が帰って来て、ざっと荷物整理をして朝食に。まだam7:00にもなっていないのに大勢の人。とりあえず空きテーブルを見つけて確保したつもりだったが、バイキングの会場をひとまわりしている内に、テーブルは他の人に座られていた。部屋の4人で一緒に来たのだがバラバラになってしまった。たまたま一緒になった人と2人で空いた席を見つけて食事。関西の奥座敷、関西弁優位の朝食会場はバイタリティに溢れている。ついパンを中心にメニューを考えて取ってしまったが和食の方が質量ともに良かったようだ。
食事の後はおみやげ探し。海産物は焼津とダブっているし、けっこう難しい。
買い物を済ませ部屋に戻って荷物をまとめておしゃべりをしているところに地区会長から「ロビーに集まるように」と呼び出しの電話。あわてて下りて行った我々が最後のグループ。でもまだ予定の集合時間には余裕はあった。
ロビーに全員集合した地区から船で対岸に待つバスに移動。
木犀の甘き香りや旅の朝 DORA
am8:35、バス発車。今日の1日がスタートした。和歌山と三重の県境をR168を通って熊野本宮大社へ。お宮へ着く前に半端な所に大鳥居が立っているが、昔洪水で流された大斎原と呼ばれる旧社地だそうだ。もう少し先に進んだ所に本宮大社はある。もちろん石段をせっせと登ったその先に。バスを降りた所にある茶店(お菓子屋さん)が『もうで餅』のお味見を配りながら販売している。自分の店で餅をついて作っているので熊野三山の自分の店以外には卸していないそうだ。あんこの入った餅に炒った玄米粉をかけて香ばしくしていてなかなか美味しい。
とりあえずお参りが先とせっせと石段を登る。昨日の那智大社ほど長くはなく、桧皮葺のシックな山門をくぐると桧皮葺白木造りの社殿が並んでいる。上四社、第一殿からずらりと立ち並んだ社殿にお参りをする。ただしお賽銭はなし。境内は広くはないが木立に囲まれ、写真撮影が禁止されている事もあって意外なほどひっそりとしている。
お参りを済ませ、熊野古道の一部だという急な道を別のバスのガイドさんの案内で下った。蟻の熊野詣と言われるように古来より人々がお参りに来る事。女人禁制ではないため女性の参詣も多かった事などを話してくれた。おみやげを買おうと餅屋さんに並んだが売切れてしまった。「大急ぎで餅をついてます」との事で…。
ここから新宮市まで道を引き返すと熊野速玉大社。こちらは朱塗りの社殿だ。ありがたい事に階段もない。山門前に巨大なナギの木がありご神木になっている。「ナギなら家にもあるぞ」と言っていたのは側にいた志太常磐松会の会長だが、実が家内安全のお守りになっているようだ。皆思い思いに写真を撮っている。
とりあえずまたお参り。ここは社殿の前に拝殿がある。途中からは拝殿というよりも柵のようなものだが…。それでも社殿に祭られている鏡が見える。顔のように見えたのだが「八咫烏が2羽で鏡を背負っているんだよ」と側にいた地区の人が教えてくれた。
末社までぐるりとお参りをして、入り口で先ほど買いそびれた『もうで餅』を買う。
ここは『秋刀魚の歌』の佐藤春夫の故郷で、駐車場の隣に記念館が建っていたが残念ながら休館日だった。
これにて今回の観光目標はすべて終了。海沿いの道を進みパーク七里浜という道の駅でお昼。入り口のみやげ物売り場はミカン!食事は海を見ながらお刺身と魚介と野菜の鉄板焼き。それでも腹ごなしに廻った館内で紀州犬のコーナーを見つけた。
おなかも一杯になりバスに乗れば後はお昼寝をしながら帰るのみ。ちょうどpm1:30にバスがスタート。しばらく行くと昨日行った鬼ケ城が反対側から見えてくる。こちらから見るとライオンが口をあけているように見えるそうだ。側にゴリラの頭のように見える岩もあり「ゴリラ岩と言って分かってもらえますかね?」というガイドさんに皆笑いで答える。彼女の持ちネタがこれで1つ増えたのかも。
鬼ケ城と道路を挟んだ反対側がイザナミの尊の墓所だという花の岩屋。バスからだとよく分からなかったが山全体が聖域となっているらしい。
さて、ここから一番最後を走る我々1号車だけのスペシャルツアーが続いた。他のバスがせっせと距離を稼いでいる間、まず道の駅・熊野きのくにでトイレ休憩。さらに1時間後、道の駅・紀伊長島マンボウでトイレ休憩。ほんの10分位ずつだが道の駅のトイレをチェックしながらの旅となった。そして、ようやく他のバスとの合流地点ドライブインあら竹へ。我々が道草をしている間、他のバスはここで大休止をとって待っていてくれた訳だが、我々もここでは少し身体を動かす程度の休憩を取った。行きのお弁当の肉が美味しかったので、財布と相談して牛のそぼろ煮をお土産に買う。
pm4:00、ここからは4台並んで出発。しばらく『赤い羽根共同募金』のビデオを見る。
30分ほどで勢和多気ICに到着。後はひたすら高速を行くのだが、まずは亀山PAでお夕飯の弁当の積み込み。pm5:00を廻ってすでに薄暗いといってもお夕飯には少し早いので、次の刈谷PAでのトイレ休憩の後でお弁当とお茶が配られる。今回は当たり前の幕の内弁当だ。しかし、メインのおかずの中で鳥のから揚げや焼き魚の中で大きな顔をしていたのはあんこを包んだデザートだった。別の場所に居てくれたらもっと歓迎ができたのだが…。
東名に入って遠州豊田PAで最後のトイレ休憩を取り、pm8:15には吉田IC。昨日朝、先に乗ったW地区へ行くためにはわざわざ焼津ICまで行くよりもこの方が早い。W地区会長さん・同乗した市役所の課長さん・ガイドさん・添乗員さんと挨拶が次々に続いて、W地区の皆さんが下車する場所に到着。もう一乗りしてpm9:00、焼津駅に到着。何とか傘をささずに済んでいた雨がついに本降り。バス道路沿いまでタクシーを相乗りして帰ってきた。