新 潟  2007

   伯母の5年祭に新津教会50年祭を兼ねたお祭りをするというので出かける事にした。しかし、連休明け、まさかTANUKIを誘うわけにはいかず、母は車に弱いので1人旅となった。
   今回も前日に入り、翌日がお祭り、しかもその日も泊まって翌日の朝に焼津に向かえば良いのでかなり余裕があるはずだった。
   5/7、とのあえずは早起きをして洗濯物を片付ける。水を使う事で目を覚ますのだが、何となく風邪が抜けきらずに風邪薬を飲んでは眠気そのものに関しては相殺かもしれない。
   とにかくam7:00に出発。R150からR1バイパス、R52のルートを行く。安倍川橋や清水で朝の渋滞にはあうがこれは仕方がない。ぼちぼちと進み道の駅とみざわに着いたのがam8:50、トイレ休息と共にカーナビをセットする。するとカーナビ君、次の信号で富士川の対岸に連れて行ってくれた。県道富士川ー身延線。同じような道だがこちらの方が何もないかもしれない。山の藤や桐の紫の花がきれいだった。身延駅前からR52に戻る。増穂町の辺りは新バイパスができていて、カーナビがこんな道はないと悩んで騒ぐが却下して道路標識を頼りに進んでいく。中部縦断道の南アルプスICから自動車道に入り、すぐに双葉JCTから中央道。八ヶ岳PAで一休み。退屈になったので音楽CDなどかけてみる。姨捨SAまで進んで昼食休憩。
   ここまで来るとまだまだ桜がきれいだ。小さな日本とはいえつくづく広いと思う。お昼はレストランお勧めの冠着山の里御膳。長芋が名物らしく焼き物・揚げ物・凍み豆腐のあんかけの土台・デザート(オレンジ煮)と長芋料理。他には信州ポークのソテーとゼンマイなどの煮物。7種の料理にご飯・味噌汁・漬物の豪華版だった。
   ここでもらった信州風林火山スタンプラリーの台帳で次の松城PA・小布施PAにもちょっと立ち寄りスタンプを押してきた。
   上越JCTを越えてしばらく行くと米山SA。日本海を見ながらここでちょっと一休み。ちょうどツバメが巣作りの季節らしく飛び回っていた。
   高速なのでよく走ったとはいえ燃費の悪い車はそろそろ腹ペコ。カードの使えるガソリンスタンドではないが安心のため高速を降りる前に黒崎PAで給油。磐越道に入ってすぐに新津ICを降りる。今回のカーナビはとてつもなく狭い道をきっちりとナビをしてくれた。まだ明るいとはいえpm4:00。1日がかりの大移動だった。
   上がり込んでお供えの新茶とお酒を渡し伯父と話している内に従弟夫婦が買い物から帰って来た。車は1台が限度なのでそのまま駅前の宿に案内してもらい車を置いてチェックイン。町は焼津などより広そうだがここもあまり人通りは多くない。
   岩手の叔父も来るはずだがまだ着いておらず連絡をもらえるようにして1度家に戻る。ちょうど入れ違いに叔父も着いたようで従弟はとんぼ返りで叔父を迎えに行った。その間、伯父が祝詞を仕上げている横でお広前の片付けとご神米作り。それでも直前に畳替えがされ、障子は月1回位づつ様子を見に来る時に従弟夫婦で張り替えたそうできれいになっていた。それでも伯父の足が弱っていて転ぶ事が多いようで「ガラスを割っちゃってさ…」とは伯父のナイショ話。
   岩手の叔父も着いて一段落した所で近くに温泉があるからと従弟夫婦が連れて行ってくれた。場違いなほどキラキラとした立派な建物の温泉は弱アルカリ性・ナトリュウム・塩化物温泉で、もともとは石油掘削の副産物だったらしいが中越地震後湧出量が増えたそうだ。肌がツルツルになる良いお湯だった。ボディケアなどオプションもあるようだが今回はゆっくりと浸かって疲れを取って良しとした。
   温泉から1度家に戻って伯父も一緒に飲みに行く予定だったようだが、すでにきこしめした伯父のオミコシは揚がらず、4人で従弟が高校卒業以来通って酒飲み道と料理の勉強をしたというあじ新さんというお店に行った。とりあえず生ビールで乾杯。突き出しのフキノトウの胡麻和えが美味しかった。ここのお勧めだと言うアジのタタキはずいぶん立派なアジでつい写真を撮ってしまったのだが、後は出てくるものをホイホイと食べておしゃべり。後からもらった焼酎のお湯割りも美味しかった。残念な事に1日車に揺られていたのと体調がいまいちだったのとで最後のお茶漬けを食べているうちに酔いが回った。
   酔いと共にコテンと寝てしまったので翌日は早くに目が覚めた。ベットでゴロゴロとしながら昨日は放り出してしまったメールのチェック。この部屋は電源がないので充電ができない。
   am6:00過ぎにシャワーを浴びて昨日しなかった荷物の整理。カメラがない!夕べ飲みに行った時に使ったので多分そこで忘れたのだろう。朝食を済ませた後で従弟にあじ新さんの電話を聞こうとしたら「店だけなので午後にならないと来ない」との事でカメラは諦める。何のために来たのか…、と言う点は残るが仕方がない。
   お祭りはam11:30からなので10時頃に迎えに来てもらう。宿を出たところに写真屋があったのでとりあえず使い捨てカメラを手に入れた。
   車には京都から見えた伯母さんの弟さん御夫妻も居ておみやげの笹団子を買うとの事で一緒にお菓子屋さんに行った。新潟というと伯父がよく送ってくれる笹団子がすぐ頭に浮かぶが他にも土地のお菓子が色々とあった。
   伯父の家に着くと教会はすでに教会らしくスタンバイして、お客様も見え始めていた。相変わらず直江津の先生が色々と伯父の世話を焼いてくれている。「オレは子供の頃ほんとの叔母さんだと思っていた」と従弟は言うが血の繋がりはないそうだ。金光教というのは狭い社会なのだが、確かに話し方やたったと動いていくやり方が日比の叔母や十勝の叔母によく似ている。
   ここまできて伯父にカメラを渡されて「写真を頼むな」と言われ結局私は写真班。伯父のカメラを首に掛け、使い捨てをポケットに入れてスタンバイ。ついでにコッソリ隅っこで携帯の充電。
   そうこうしている内に和賀家系のもう1人のメンバー、田原本の若旦那が登場。飛行機を使ったので宿もセットになっていて昨夜は新潟で泊まったそうだ。
   伯父の衣装変えも済んでめったにない正確さでお祭りはam11:30に始まった。神前拝詞から始まり伯父が昨日書いていた祝詞があげられ教会の50年が語られ、最後に信徒総代さんなどにより玉串が捧げられた。続いて伯母さんの5年祭が村松教会の先生によって執り行われ、最後に皆で玉串を捧げた。
   お直会は町へ出て枡形屋というお料理屋さんへ。教会関係者を正面に左右に親族と信者さん達。30名足らずが広く居並んでいるのと年配者が多いので割りと静かな食事会になったが、新潟は酒どころ、かなりのピッチでビールやお酒が消費されていった。
   最後に信者さんの挨拶に答えて伯父は「100歳まで後15年は頑張るから」と答えていた。そして信者さんにはまだ正式には嫁さんを披露していなかった従弟が嫁さんを紹介をして一本締めをしてお開きとなった。
   和賀家系の3人と信者さんの1人が付き合って教会に戻りお供えのお魚が刺身になりお神酒をお下げしてもう一度お直会。遠慮のないメンバーの中でまず出たのが伯父と伯母の馴れ初めの話。この伯父は修行の後、単身ここへ布教に入ってかなり結婚が遅かった。岩手の開拓団に居た叔父が「俺は結婚するまで顔も見なかった」と言うと「僕も結納の時に初めて会いました」と田原本の若旦那。皆さん間に立ってくれる人が居て本当に良かった。
   たまたまだが岩手と焼津だけが教会ではないのだが話は信仰の方向へ。岩手の叔父はその中で育ったので素養があるがこちらはサッパリ…。従弟がかなり熱くなって田原本の若旦那に突っかかっているのはやはり高齢化して足元も危なっかしくなっている伯父を1人にしておくのが気にかかっているのだろう。前回連島の祖父母のお年忌の時には天王寺の従妹がこの従弟にぶつかっていって結局、気持ちをまとめて天王寺教会に家族で入った。しかし街中と違って働き盛りで中学生の子供もいる現状で飛び込む事には相当なためらいがあるだろう。
   こちらはあまり突っ込めないので信者さんに「お年忌で来るばかりなのでこの辺の観光地は行った事がなくて…」というような話をしていたら「近くに北方文化博物館がありますよ、今頃は藤が見事ですよ。」と教えて頂いたが、残念ながら訪ねる余裕はなかった。
   信者さんが帰られた後、あじ新さんから「カメラを忘れている」と電話が来た。「席がある」と言うのでそのまま夕食を兼ねて皆で向かう。
   小上がりを占領して3次会…。それでもまだみんな飲む気満々。サワーで乾杯をして話題はそのまま続く。「クチボソのから揚げが美味しいよ」と言うのでこちらは多摩川で子供の頃に釣った小魚のイメージだったのだが、出てきたのはカレイの一種だそうで結構大きな魚だった。
   田原本の若旦那が「新潟の宿まで帰らなくてはならないから」と腰を上げたのがpm10:30。それでもまだ伯父&叔父軍団は楽しそうに話ながら飲んでいる。しかし、何時までもというわけにもいかないので荷物をまとめ、今度は忘れ物をしないようにみんなでオミコシをあげたのはすでにpm11:00をまわっていた。かなりハイになっている従弟と別れ叔父と共に角をひとつ曲がった所にあるホテルまで歩く。昨日と同じ部屋でそのままバタンキュー。
   さて最終日、am7:00にノンビリ起床。先に荷物を整理して叔父を誘って朝食。今日はお客さんが少なかったのか別の食堂に案内された。夜には居酒屋さんになりそうな造りになっている。食事の後、部屋に戻って荷物を持ってチェックアウト。
   ここまで来たので同じ新潟にあるもう1つの親戚(母達の従弟)に当たる沼垂教会に寄っていく。3匹旅で初めて新潟に来た時1度寄っただけだが道路がだいぶバイパス化したようで、カーナビ任せではあるが頭の中では全然風景が合致しない。それでも何とか30分ほどで着いた。教会なのでちょっとお参りをして挨拶をしてそのまま失礼する。
   後はカーナビを自宅に設定してひたすら車を走らせる。初っ端からバイパスを逆方向に乗ってしまったが次のICでUターン。後はそのまま北陸道へ。とりあえず1番初めの黒崎PAでトイレ休憩&おみやげ買い。さらに米山SAでもう一休み。関越道を通って行けというカーナビのお勧めを無視して上信越道へ。珍しく妙高高原付近が晴れていて山がきれいだった。小布施Pでちょっと停まって栗菓子を購入。お昼にはちょっと早いのでもう少し先まで進む事にする。
   梓川SAでお昼。「軽くていいな」と言う叔父とお茶碗サイズのご飯とお蕎麦がセットになっておかずがちょっと付いた安曇野セットを食べる事にしたが、信州は蕎麦の国、たっぷりのお蕎麦にお腹が一杯になった。腹の皮がつっぱれば目の皮がたるむ…、とも言っていられないので少し歩き回って消化促進。ここから見る山もきれいだった。
   ところが問題が発生。高速に乗った時点から事故通行止めが出ていた小淵沢の解除がこの時点でもない。案内所で聞いてみたら事故車両は取り除いたが道路の補修中で何時解除になるか分からないし、渋滞もしているので岡谷IC辺りから出てR20を通った方が早いだろうとの事。という訳でお勧め通り岡谷ICで降りのどかなR20をノコノコと走っていく。小淵沢から入り直した中央道はさほど混んでいなかった。双葉JCTから中部縦断自動車道。あるところまで走って行ったら増穂ICまで出来ていた。ここからはR52。いい加減疲れ果てて眠くなりかけた頃、身延町のゆばの里が見えてきた。迷わずここに車を入れて一服。叔父は文字通り車を出てタバコに火をつける。こちらは豆乳ソフトを買ってきた。普通のソフトクリームよりさっぱりしているように感じた。向こうの崖に見える若葉と藤の花をぼんやり眺めながら一休み。
   後はひたすら清水にむけて山を下っていく。帰りもそろそろガソリンが心もとなくなって給油。R1バイパスに出て清水港に叔父が感嘆の声を上げる中、そろそろ夕方の渋滞が始まる頃なので清水ICからカーナビの顔を立てて東名へ。幸い東名は空いていて焼津ICから家まではすぐ。家の玄関でまだ家に入る気が無い茶々が夕飯を待ってまったりとしていた。