「オホーツク校舎は良い所ですよ。是非1度、皆さんで行きましょう」と志太常磐松会の会合で小澤寅男大先輩からお話があったのは何年前だっただろうか。
「今度こそ、絶対に行こうよ!今から日にちを決めちゃっておいて。」と話が盛り上がったのは04年春の懇親会の席でだった。そこから話は紆余曲折、志太だけでは人数が集まりにくくどうしようかと思っていたところに、「それなら奥さん孝行を兼ねて行ってみたい」と県の校友会の方で話が盛り上がり、県校友会主催で行こうじゃないかという事になった。
しかしながら、それぞれの仕事を考えると年度末を控えた2月になかなか2泊3日の時間をとることが難しい人ばかり、とても人数が集まらないかと諦めかけもしたのだが、担当してくれた近畿日本ツーリストさんの頑張りもあり人数は予定を下回ったものの無事に旅に出ることができた。
残念だったのは是非行きましょうと誘ってくれた小澤先輩と、計画を具体化させようよと一番盛り上がっていた鈴木先輩が参加されなかった事だった。
2/20、昨夜の雨もなんとか止んだ。am5:00起きをして支度。焼津IC近くの待ち合わせ場所へ志太常磐松会のメンバーがそれぞれ家族に送られて集まってくる。我家の場合TANUKIのバイクに荷物を運んでもらうだけでテクテク歩いてだが…。ともかくも浜松西から順番にメンバーを乗せてきたバスはam6:20焼津を予定通り出発した。
清水ICで全員が乗り込み、一路バスは羽田空港に…、行くはずだったが東名の事故渋滞で御殿場ICで1度降り、次で入り直す事となった。一般道の渋滞は無くその後の東名もスムーズに進むが、北海道の天候悪化でなかなか女満別行き1番機が飛んだと言う情報が入らない。添乗員さんはだいぶ心配をして連絡を取っていたようだが、無事に飛行機は動き我々の乗る11:00発の便も飛ぶことが確認された。
羽田空港でチケットとお弁当を配られて荷物のチェックインをしていれば、もうそれほどの時間も残ってはいない。荷物になるのであわてて早弁をした人もあったようだが大荷物を抱えてゲートを通る。何故か私がブザーを鳴らして再検査となったが、ベルトのバックルが反応したらしかった。
「新婚旅行の飛行機で酔って以来飛行機の旅は断っている」と言ったK先輩の奥様には気の毒だったが、お天気のせいでかなりゆれたフライトになったが、お弁当を食べ終り12:30には無事に女満別空港に到着、北海道の旅がスタートした。
空港で待っていたのは元気の良いガイドさんと大型バス。1シートに荷物と共に1人ずつゆったりと座を占めてまずは網走の町へ。しばらく走ると夏とは様子の一変した網走湖。すっかり凍ってワカサギ釣りや氷上の遊びでにぎわっていた。
程なく網走監獄博物館。「3年半ぶりだぁ!」と言ったらA先輩に「何やって捕まったのぉ?」とからかわれた。ここからは赤いコートの館内案内のガイドさんについて説明を聞きながら1周。もっとも時間が限られているのでせっせと歩いて行く事になるが…。そのせいもあってどんよりした空の中でもあまり寒さは感じなかった。庁舎を利用したおみやげ物コーナーで甘酒を振舞われてお終い。出口の所に流氷を利用して氷詰めのカニをオブジェにしてあるのが面白かった。
次は流氷観光船のおーろら号に乗りに行く。この日は天候が悪くて午前中は欠航。乗れるかどうかと心配だったが午後から動いているそうだった。本日何度目かのラッキー。
途中、農大方向への道路案内板を発見。さらにこれが元々の網走監獄の門だったという門を持つ永専寺の前を通過。現在中は幼稚園らしく、雪だるまが立ち奥にはキリンさんの滑り台が見えた。十分に時間をとってやって来たはずのおーろら号の乗り場はすでに長蛇の列。「お土産など見ながら」と言われたものの律儀に1時間近くも並んでしまった。
乗り込んだらせっかくだからと皆で最上階の展望デッキまで上がったが人だらけ。船が動き出してから「下の階がまだ空いてますよ」と船員さんに言われて下へ。バスガイドさんが「エビセンをやるとカモメがたくさん寄って来ます」と言っていたが、餌やりは人任せでやって来たカモメをカメラに収める。カモメは飽きる事なく船の後を追ってくる。
主だった流氷は風で外へ行ってしまっていたそうだが、厚い・薄い氷の海と追いかけるカモメに囲まれて、なかなかできない体験をした。
本日の観光予定はここまで。いったん本日の宿・網走セントラルホテルに入って荷物をとき、夜の宴会に備えた。
本日の宴会はこれも小澤先輩お勧めの五十集屋(いさばや)。街中のホテルから海のすぐそばまで、バスでほんの数分。もともと網元さんの番屋だったものを店に改装したものだそうだ。1Fは倉庫のまま?2Fが店になっている。3つの炉辺の2つを占領。農大からも伊藤生物産業学部長はじめ3名がみえた。
まずはカニサラダが登場。とりあえずのビールで乾杯。そして巨大な茹でカニが大皿に山盛りで登場。「カニを食べると無口になるね」と言いつつ、まずは黙々とカニと格闘する。脂の乗ったホッケやカレイもちろんカニも目の前の炭火で焼いてくれる。途中から赤ワインや日本酒も登場。この店のオリジナルの鮭の燻製がまた美味しい。丸ごとやって来たのを一口大に切り取って食べるのがつい止まらなくなる。
pm6:00頃から2時間、最後にはおむすびまで出て一気に食べて飲んでしゃべって、にぎやかな時間が過ぎていった。
S先輩の小さなお孫さん達もしっかり食べて帰り道も眠くもならずツララを折り取ったりして元気だった。
明けて2/21。7時起床。良く晴れている。相部屋のMさんと支度をして1Fのレストランへ朝食に行く。本日は和定食。焼き魚が白身の魚なのとイクラが付いているのが北海道らしいが、まあ当たり前のたっぷりの朝ごはん。メンバーは三々五々、それぞれの部屋ごとに集まってきて食事のようだった。
食後気まぐれでそのままちょっと外に出てみたが、あっという間に冷え切ってしまった。あわててロビーに逃げ込むと、A先輩がしゃっきりお出かけスタイルで「ちょっと営業に行ってくる」と颯爽と出て行った。
9時にお迎えのバスが登場。運転手さん・ガイドさんに迎えられて乗り込む。何故か皆が昨日座った席へついている。添乗員さんは人数確認が楽だったかも。
まずはすぐ側の網走駅へ。ここて昨夜行った五十集屋さんの海産物の店がある。テントを張った店の中は今ようやく商品を並べようというところだったが、昨夜食べたカニを中心におみやげを買う。買わない人間も一通り冷やかし。最後に皆で記念写真。それもあちらこちらからカメラを渡されて、カメラマン役の添乗員さんも忙しい。
そして、いよいよ農大キャンパスへ。町を抜けて山の中を通り次の新興住宅地のような町を抜けてそれでも30分ほどで到着。幹線道路から大学への曲がり角に単位落とすな スピード落とせと大きな交通安全の看板。後で聞いた事だがここでは学生も車通学を認められているので、広々と駐車場が取ってある。とりあえず、建物のすぐ側でバスを下されたが、周りは膝近くまでの雪。普段通る部分だけ雪が除けられている。手近な建物に入ったら研究棟だったようで、女子学生が本部棟まで案内してくれた。
まずは会議室に通されて、合田総務課長からオホーツク校舎の沿革と現在の状況などを説明があった。
平成元年、網走市の前面バックアップで発足以来、地域産業・地域住民と密着した学校運営がなされてきた。現在1646名いる学生の9割が北海道外の出身で、女子学生は30〜35パーセントだそうだ。「女子は優秀ですよ」との事で、Uターンや大都市でが多いそうだが就職率も100パーセントだそうだ。
学生寮などは無く学生達のほとんどが民間アパート住まいで、教職員も含めると町への経済効果も大きなものがあったようだ。
さて、肝心の生物産業学部という学部だが、まず生物生産学科で植物・動物・水圏の生物の研究を行い生産をになう。そして食品科学科がこれら生産物の加工をにない、産業経営学科が流通・経営をにない生産から流通まで一貫した体系で学ぶことを考えている。もちろん大学院まであり、マスターコースは人気が高いそうだし、ドクターコースにも毎年8名位が入るそうである。
伊藤学部長からもご挨拶があり、その後学内を案内してもらう。さすがに外に出ずに済むように建物全体が地下や廊下で繋がっているそうだが、同じような通路を何度も行き来しているうちにどこに居るのだか分からなくなってしまう。まずは先ほど最初に入った研究棟へ。ここは網走市が建ててくれたそうで、中央に吹き抜けがあり広い通路のある建物だが、研究室内から押し出された備品その他が通路に並んで、我々が知っているいかにも農大らしい雰囲気を作っていた。
研究室はそれぞれの使いやすいようになっているようだが、講義室はあまり広くなく、マスプロ教育時代の我々には隔日の感がある。学食・生協・パソコンスペースなど冬は外が使いづらい事を考慮した学生がくつろぐためのスペースも屋内に確保してある。また学生のためのトレーニングジムや、合宿などに使われるゲストルームなどもありなかなかうらやましい環境だった。最上階にあるゲストルームからは晴天だと海の向うに知床半島まで見える見晴らしを誇っている。
ゆっくりと一回り見学をして学食で食券を買ってお昼。麺類・丼もの・定食など、OB連は「僕らの頃は※円だった」などとにぎやかだ。学生のお腹のすき具合に合わせてご飯は大盛り、麺類と丼やチャーハンを合わせると20円バックしてもらえるシステムらしく、「儲かった♪」と喜んでいる数人…。食堂では一緒に見学をした添乗員さんだけでなく、バスの運転手さんやガイドさんも食事をしたようだった。
お腹も一杯になったところで、シンボルタワー前で記念写真をとって大学を後にした。
午後はバスに戻って観光。途中、原生花園辺りの海岸線で列車を使った流氷見学ののろっこ号とすれ違った。こちらは観光ポイントではスピードを落としてゆっくりと見物ができる列車だそうだ。
バスは山に向かいまず硫黄岳の駐車場へ。すぐそこに硫黄を含んだガスが風と共にあちらこちらにゆれる。うっかり手ぶらで降りてしまい遠くの山が綺麗なのだが、携帯のカメラにはなかなか上手く収まらない。
ほんのちょっとバスを走らせて次は屈斜路湖畔の砂湯。砂を掘ると湯が出るそうで、簡単に囲った足湯もできている。お客を見ると湖からはパンくずの餌をもらおうと白鳥がやってくる。木の上ではカラスの若鳥もパンが欲しくて狙いをつけている。
ガイドさんがバスの中でさんざん「私的にはベストテンに入る美味しいソフトクリームがあります」と言っていたのに乗せられて、ついソフトクリームを買ってしまった。皆でストーブの側で食べるソフトクリームも美味。ふと見るとTANUKIが欲しがっていた珍しい系の缶詰。トド・エゾ鹿・熊などを土産に買い込んだ。
次は30分ほどで摩周湖。霧の無いくっきり晴れた摩周湖だったが、すでに3時を廻って空気が冷たい。しかし、さすがにメジャーな観光地でバスも人も多い。土産物屋で色々な木を使って色を出したネコの額絵を自分用の土産に買った。
後は1時間ばかりバスに揺られて本日のお宿、阿寒湖のほとりのあかん遊久の里鶴雅へ。宿の中にいくつものみやげ物屋や食処をそなえた大型の宿だ。とりあえず食事までの小1時間、「お風呂に入ってから外に出ると髪まで凍り付いてバリバリになりますよ」というガイドさんの教えを守って、同室のMさんと2人で部屋でコーヒーを飲みながらくつろぐだけにした。
今晩は宿の広間でお夕飯。すでにお風呂に入ってくつろいでいる人、食後に阿寒湖まで出るつもりの人と予定は色々なので、まず記念写真を撮影。
お膳には、こくわ酒・前菜の海鮮サラダ・お刺身・小鉢・カキとタラの鍋・イノシシ・エゾ鹿・知床地鶏にたっぷりのネギを振りかけて焼くこいこい焼きとぎっしりと並んでいる。とりあえずのビールから始まり、ジャガイモから作られた焼酎なども登場、後にお出かけを控えている人達のために仲居さんはさっさと火を入れるものには火をつけ、煮物・揚げ物なども持ってきてくれる。ペースの違う20名を相手に1人では忙しいだろうが、そこはプロ、手馴れたものだ。
7時半、ホテルのロビーに阿寒湖氷上フェッティバルお出かけ組の集合。ここから会場まで商店街を通って徒歩数分はホテルの人が案内をしてくれる。
会場ではお楽しみ券\300也を売っている。この券でホットミルクとワカサギの天ぷらと本日只今の気温を記した体感証明書がもらえる。氷切やらカーリングやらの体験コーナーを横目にMさんと8人乗りのバナナボートに乗ってスノーモービルで氷上をひいてもらうドライブ。たいした距離を走るわけではないが、風が気持ち良かった。\500也。
身体が冷えたところで先ほどの券でホットミルクと天ぷらをもらいに行った。脇のふくろうをかたどったメインステージにはアイヌの火の神が登場。お客さんの代表と共にファイヤー台に火を点してクライマックス。ノンビリしているとあっという間にミルクも天ぷらも冷たくなってしまった。
しばらくすると会場の一角から花火が上がった。短い時間とはいえ凍てつく空に上がる花火もなかなかのものだった。
帰り道は三々五々。みやげ物屋を冷やかしながら、S先輩、Mさんとアイヌコタンまで歩く。アイヌコタンの入り口の店でS氏がムックリの練習をしている。奥から出てきたM先輩などすっかり土地の人にまぎれている。(ここまできて気が付いたが今回の旅、S氏が4人も居た!)
ここでも端から木彫を中心にしたおみやげを見て歩く。
スタートが早かったので部屋に戻ったのは9時頃。10時で男女の風呂場が入れ替わるのだが、「まだ間に合うかな」と8Fの展望風呂へ。いくつかの浴槽・サウナ・露天風呂など広々とあるのだが、何しろこちらは目が悪い。一つづつ順に入っているうちにすっかりのぼせてしまった。
本日は品行方正に10時就寝。
2/22、最終日。昨夜は早寝だったので6時過ぎに目が覚めたが、同室のMさんはすでに居ない。スケッチをしたいと言っていたのでお散歩かなと思ったが、スケッチ帳は残っているので温泉に行ったようだ。こちらは怠惰にゴロゴロ。
朝食は和・洋・中がそろったバイキング。とりあえず中華粥を中心に軽く食べる。ただし、せっかくの北海道なのでミルクとヨーグルトを追加。メンバーはそれぞれ部屋ごとに食事に来ているようだ。
先に失礼して、ホテルご自慢の1Fのドレッシングルーム(トイレ)に寄り、ホテル内のお店を見て廻る。
am8:30、お迎えのバスが来て出発。阿寒川に沿ったR240通称まりも国道の両脇では鹿が群れている。
1時間近く走って阿寒国際ツルセンターへ。明治以降絶滅寸前まで数が減ったタンチョウは地元の人々の給餌などの努力で数は増えてきているが、今度は湿原の減少などで生活環境が脅かされている。この施設は町営のもので道の駅にもなっているようだが、飛来するタンチョウを観察する場と、展示飼育場(羽を切って飛べなくしている)、屋内のタンチョウに関する展示室に別れている。
幸い、羽を休めている何羽かを見ることができた。飼われているタンチョウは羽が切られているそうだが、両方のバランスを取って切ると飛べるのでバランスを崩すように切るそうだ。そうこうしている内に野生の親子3羽が目の前を飛び去った。
ほぼ1時間で阿寒国際ツルセンターを後にして、釧路駅前にある和商市場へ。焼津さかなセンターを小ぶりにして、野菜やお惣菜など魚以外の商品も取り揃えた所だ。
「さかなセンターでたんと買っていく人の心理がわかるよ」と言いつつ皆さんおみやげを買ったようだが、送料を考えたら焼津で買ってもトントン、珍しいのは本物のシシャモと、S氏が「絶対に違いが分かる」というタラコくらい…。結局面倒になって海産物のおみやげはやめにした。
変わりにお菓子屋さんでベコモチを1つ。上新粉と黒砂糖で作った牛の舌という意味の素朴なお菓子。\95也。1人でちょっとおやつ。
次は、たいした移動距離でもないが、バスで移動して本日のお昼は全日空ホテルでバイキング。こちらは洋食が主体のようだ。S先輩、どれを食べようかと迷うお孫さんたちに「カレーにしよう!」の鶴の一声。「どうせなら色々少しずつ食べたいよね」はA先輩。
食事を終えた面々は道路を挟んだお向かいのフィッシャーマンズワーフへ。こちらもおみやげ屋さんの入ったビルだが、あまり人が居ない。
六花亭が入っていたのでここでおみやげを買う。道東まで来てわざわざ帯広のお菓子だが、分かっているものはやはり安心できる。結局招き猫をやって旅行メンバーのほとんどがここでおみやげを買うことと相成り、「どういうグループでいらしたの?」とお店の人に聞かれてしまった。
隣りの酒屋さんも興味深かったが重くなるので割愛。けっこう皆さん帰りの飲み物を手に入れたようだったが…。
目の前は釧路港。一昨日乗ったおーろら号は流氷のシーズンが終わるとここのドックで点検をして、夏は知床観光船になるそうだ。
12:50、バスの前で最後の記念写真を撮って空港へ出発。
30分ほどで釧路空港着。14:25発のJAL羽田行き。せっかくの窓際の席だったのだが、ぐっすりと眠ってしまった。4:20羽田着。かなり外れた所で下されてバスに乗って空港の建物に戻ってきた。ここからは中型バス。高速3号線から横浜まわりで横浜インターから東名へ。トイレ休息の海老名SAで、「ここのメロンパンが美味しい」という話になり、皆でゾロゾロと買いに行く。メロンパンだけ、行列ができても良いように売っている。確かに香り高く美味しかった。
この後は富士川SAでトイレ休。道を急いで清水ICで降りる皆さんと別れたのが7:20頃。焼津ICで降ろしてもらったのが8時前。浜松までは後1時間というところか。無事に楽しい旅を終えることができた。