岡 山 2004


   和賀家の祖父が亡くなったのが昭和44年7月21日、祖母が亡くなったのが昭和50年2月27日、今年は祖父の35年祭、祖母の半年早い30年祭のお祭りが行われた。和賀家のメンバーは全国に散らばっているので、この5年に1度のイベントが祖父母の子供達にとって多くの兄妹に会える唯一と言ってよい機会である。
   新津の伯母と大阪の叔父が亡くなってしまったが、幸いな事に血の繋がった兄妹は新津の伯父の82歳を筆頭にまだ全員が健在である、どころか10人兄妹の祖父の妹もまだ一人が健在である。
   今回も両親が参加するつもりでいたのだが、母のエンジンがかからなかったので代わりに私が参加をすることになった。


     

   7/31、本日は日比の叔母の所に夕方着けば良いのでam11:00出発。
   1人なので新幹線で行くことにしたのだが、これがものすごく不便になった。以前なら1時間に1本位は直通で岡山へ行く便があったのだが1本も無い。直通で行けるのなら両親を乗せる事も出来たのだが、乗換えを考えると不安なので結局私が行くことになった。名古屋まで新大阪行きのひかり、それ以降は広島行きののぞみに乗り換える。その代わり母が旅費を奮発してくれたので座席指定を取る。
   静岡駅でお昼用のカツサンドを買い、12:12のひかり269号に乗る。車内でコーヒーを買ってひかりの道中は昼食タイム。3人がけの相席の外人さん母子もつられた様にお昼ご飯。13:00丁度に名古屋、同じホームで13:16のぞみ51号に乗り継ぎ。この待ち時間を利用して日比の長男のミッチャンと携帯で連絡を取り合うが、ホームの音が大きくて聞き取れない。互いに携帯でメールを打つのは苦手だが、ノブエちゃんの仲立ちで岡山駅まで車で迎えに来てくれることになった。
   近付いている台風の影響で四国への交通は止まっているらしく、案内のアナウンスが度々入る。
   岡山駅の在来線側の出口で待ち合わせ。はて何処だ?と駅前でキョロキョロしているところへミッチャン登場。
「しばらく来なかったら車を止めにくくなって駅の回りを3周もしていた」との事。
   この従弟は年齢の近いので共通の記憶も多くある。思い出話をしたり近況を話したりしているうちに地元ルートを通って16:30頃日比へ。
   叔父さん、叔母さんとミッチャンの連れ合いのマリちゃんとコウキ君とミワちゃん、この家の末っ子のノブエちゃんとショーゴ君、天王寺の末っ子のアコちゃんと連れ合いのセリ君とミキちゃんとハジ君、総勢11名のお出迎え。
   「ゆっくりしていて」と叔母さんはじめ女性陣は買い物にと出かけて行った。子供たちはおとなしくビデオを見ている。
   その間、神様にご挨拶方々叔父さんに新装成った教会を見せてもらう。かなり大掛かりな改築でお広前部分は新築された。このような建物は始めての普通の大工さんだそうだが、いくつかの教会やご本部も見てまわり設計をしてくれたそうだ。シンプルだが、広々と感じられ何よりも明るくなった。
   「玄関と御神前の天井板は檜の一枚板なんだ」と叔父さんはうれしそうに説明して下さる。外側に面したガラス窓は障子を入れたので明るくなったし、音も漏れなくなったそうだ。
   小さい子供もいるので6時頃から手巻き寿司のお夕飯。裏側に残る元のお広前はおりからの雨天に洗濯干し場。それでも広いからと洗濯物をまわりによけてテーブルを出す。ビールや麦茶とともに子供も大人も良く食べる。
   「音楽でもかけようか」との叔母さんの提案にミッチャン秘蔵のクラッシックのCDやレコードを出しても、子供たちが飛び跳ねるしいささか危険な状況だ。
   食後は人海戦術でお茶碗洗い。教会の台所は大勢の人が入ることを前提に作られているので作業がしやすい。「家は大きい食器洗い機を買ったから安心してダンナを置いてきた」とノブエちゃん。
   一段落した後は子供達からお風呂。これまたゾロゾロと子供皆で入りにいく。「誰が見てくれる?子供だけにしてると何時までも遊んでいる」と誰かママの声。こういう時はお父さん達の出番。
   風呂から上がったショーゴ君はハジ兄ちゃんに教わった何やら怪しげな歌を楽しそうに歌っている。こうして裏文化も幼いうちから伝承されていく。
   叔父さんは運動着に反射タスキをして犬の散歩。子供たちが寝に行った後ミッチャンやノブエちゃんセリ君らとサッカーのアジア杯のヨルダン戦、PK戦での勝ちにはさすがに入れ込んでしまった。
   本日は私が一番年上ということでお客座敷を占領。お隣はアコちゃん一家。彼女は子供もダンナもそれぞれに楽しんでいるのを幸いに早くに部屋に引き取って本を読んでいた。
   翌8/1も残念ながら雨。ローカルニュースでは台風10号の被害状況が映し出されている。今年は水害の多い年で、「近いじゃない、どこだ」という所をはじめ、また各地で水が出たようだ。
   朝ごはんは適当に家族ごとにトーストなどを作って食べる。ノブエちゃんお気に入りのメロンパンのもと、食パンに塗って焼くとメロンパンのようになる。子供達は気に入った様子。
   昼頃にお墓参りに金光へ出かける予定なので、そのままお昼ご飯の準備。鮭をほぐしたり、梅干をほぐしたり、ふりかけを入れたりして子供の一口サイズのおむすびつくり。若いママ達はみんな幼稚園のお弁当で慣れている。小学生のミキちゃんも加わって皆でおむすび作り。中でもウインナーを焼いたものを芯にしたおむすびは皆の人気になった。
   子供達は朝から張り切ってはしゃいだので腹ペコ。できたおむすびは早速口へ。誰かちびさんがおむすびの芯のウインナーを掘り出し始めて、それならと残っていたウインナーもみんな炒める。
   余裕がある方が良いからと叔父さんに留守を頼んで、12時頃に出発。ミッチャン家は寄り道をするとのことで別行動。ノブエちゃんとセリ君の車に分乗してスタート。もちろんショーゴ君もハジ兄ちゃんを追ってセリ君家の車に乗り込む。
   「こっちにいた頃はよく、夜ミッチャン兄ちゃんの所までお使いで車を走らせた」と言うノブエちゃん。土砂降りの山越え道を的確に進む。時々小降りになるものの一瞬後には台風特有の土砂降りに変わる。
   金光も幹線道路を外れれば細道。最後は車幅ギリギリの山道を登っていく。予定よりもかなり早い時間の到着。「こんな日だから大丈夫」と道の端に車を寄せてとりあえず降りる。
   降りたところでお墓掃除には不向きな按配。足元の草むらで小さなバッタがピョンピョンしているので子供達を呼ぶと、セリ君家の子供達は平気で捕まえるがショーゴ君はちょっぴり苦手そう。
「その先は坂から転げると危ないからこっちに来なさい」とお父さんとしてのセリ君は用心深い。
   待つほどもなくミッチャン家の車も到着したが雨は降り続く。ノブエちゃんが帰りのUターン場所を探していると、地元のミッチャンが「もう少し先の橋を渡ると少し広くなる」と言うが「新車のレンタカーなんですからね」と妹は疑いの目。それならとミッチャンが車を走らせて方向を変えてくる。
   ようやく連島の叔父さんが到着。段ボール箱の中のお供え物をそのまま墓前に置いて、「墓掃除はできないね」とそのまま先導をミッチャンにバトンタッチ。お祈りをして早々に眼下の本部の待合室?で雨宿り。ここで岩手の叔父や十勝の叔母を待つことにする。

   連島の叔父さんが子供達にお供えしたお菓子を配る。奉仕の人が少しいるが広いスペースを子供達は飛び回る。日比の叔母さんは超能力があるのか「そろそろ来るんじゃない」と入り口の方へ立っていくと岩手の叔父さん到着。しばらくしてまた立っていくと十勝の叔母さんと連れ立って帰ってきた。

   ミッチャン家は明日コウキ君の幼稚園の夏季保育があるので、ここで皆と別れて自宅へ。連島の叔父さんも「明日はよろしく」と自宅へ。子供達と岩手の叔父さんはセリ君家の車で日比に直行。お墓参りがまだだし用事もあると言う十勝の叔母さんに日比の叔母さん、私も加わったノブエ車は再度お墓参りの後、金光の町へ。商店街を徐行しながら走っていたら本家のお兄さんにバッタリ。挨拶をして「こんな所で悪いけど」と十勝の叔母さんは本家へのお供えを差し出す。
   最後に十勝の叔母さんが金光饅頭を買って帰宅。私も同じ店で好物の御蔭煎餅を買った。
   「お夕飯はどうしよう」と近くのスーパーへ行ったが予定のものは見つからず、再度、セリ君の運転でアコちゃん・ノブエちゃんと共に少し先の大型スーパーへ。日曜日の夕方で駐車場も混んでいたので、女性3人先に降ろしてもらう。叔父さんの腕時計の電池交換も頼まれたので、まずそちらから。どちらにせよ待たなければならないので、周りのお店を見ているうちにセリ君登場。どうやらアコちゃんの行動パターンはしっかりと彼に読まれているようだ。
   「ちょっと本屋をのぞきたい」と言うノブエちゃんのリクエストで別のお店へ。このお店のあたりはお祭りのための歩行者天国になっているらしく、あの道、この道と封鎖された外側を通って駐車場まで行き着く。お店の駐車場も「お店に来たお客さんだけ」と警備員がいちいち封鎖中。ところが、本屋さんは無くなってしまったようで、1Fのスーパーでアコちゃん達はお菓子、ノブエちゃんは昨日からこだわっていた納豆を買う。
   若手が町でブラブラしている間に、日比と十勝のベテラン主婦2人で冷蔵庫にあるもので鳥のから揚げ・揚げナスの煮浸し・野菜の煮物・サラダとご馳走が次々と出来上がっていた。お昼の塩鮭もたくさん残ったし、賑やかにしているのがご近所に知れて、おすそ分けの豚シャブやサラダ、ひじきの煮物まで届いた。
   岩手の叔父さんが腰をすえて焼酎を飲み始めたので、妹2人(日比と十勝の叔母)が相手に残り、後片付け。日比の叔父さんはいつも通りご祈念の後で犬の散歩。子供達はビデオに満足した後はセリ君父さんとお風呂。家ではもうお父さんと一緒に入りたがらないと言うミキちゃんも一緒だったようだ。
   一段落したところでノブエちゃんとアコちゃんがマニュキュアの塗りなおしを始める。何の気なく見ていたら「お姉ちゃんも塗らない?」と言ってくれるがかなり迫力の色。「1度塗りならそんなに目立たない」と言うのだが…。やすりを借りてささくれた爪先をきれいにする。そこにやって来た十勝の叔母さんも勧誘されて、淡い紫を塗ってもらう。「サンダルなら」とアコちゃんに勧められてペティキュアも。
結局1度で塗り上げるのに自信がなかった私もノブエちゃんに塗ってもらった。
   古いアルバムなどをひっくり返して冷やかしたりした後、それぞれ部屋に引き取る。本日は岩手の叔父さんが客間。隣の部屋に十勝の叔母さんと私、アコちゃん達が塾部屋に移った。
   さて8/2、結局どんよりと曇り。それぞれに朝ごはんを食べた後で、セリ君と子供達は天王寺のおばあちゃんをお迎えに新倉敷へ。道案内の日比の叔母さんとショーゴ君もこちらに乗り込む。
   入れ替わりに田原本の伯父さん・伯母さんが日比へ。しばらくおしゃべりをした後でこちらも出発。田原本の車に岩手の叔父さんが乗り、ノブエ車が連島まで先導。「しばらく行ってないから分かるかなぁ」と言う彼女。そんなことはお構いなしで、十勝の叔母さんを中心にアコちゃん・私としゃべり続ける。おじいさん・おばあさんの大恋愛の話、子供の頃のおじいさんやおばあさんとの思い出…、アコちゃんは若過ぎてほとんど聞き役だが、ノブエちゃんは若い割には近かったせいで色々と覚えている。おじいさんの臭い布団で一緒に寝た事、マユさんと2人でおばあちゃんにお小遣いを5円・10円ともらって駄菓子屋さんへ行った事。「DORA姉ちゃんとも遊んだ」と言うのだが…。
   夏は海が近くて一族の子供が寄り集まってくる日比で、お兄ちゃんばかりの末っ子のノブエちゃんとすぐ下は弟だったアコちゃんの姉のマユさんが仲が良くっていつも一緒に居た記憶はあるのだが…。この子達が小学生の頃、私はもう大学生活に入っていた。そしてアコちゃんにいたってはまだ抱っこの頃だった。もっとも私が頻繁に岡山に行っていたのはおじいさんが健在の頃だったので、連島に軸を置いて日比には遊びに行くくらいだったし、冬休みばかりだったので日比の海とはご縁がなかった。
   自信が無いと言いながら、車はすんなりと連島の古い町並みに到着。(右の写真は昔のままの細い道を入ってすぐの造り酒屋さん。この先に連島の家がある。)連島教会も改築をしてきれいになったが、お広前は比較的昔の面影を残している。こちらは叔父さんと叔母さん、マサキ君・セイジ君の男の子2人と長女のヒサママが小さな子を3人連れて来ていた。さらに岡山の叔父夫婦もすでに着いていた。
   そこに新津組から道を聞く電話。1度では分からなかったらしく「DORA姉さん、ヨシカズ兄ちゃんの携帯番号分かります」とヒサちゃん。先月新津に行く時に入れた番号を出してそのまま地元のヒトに電話を代わる。何度かやり取りをして「大丈夫かな」と小雨の落ちる中をヒサちゃんと表に出ているとようやく狭い道を入ってきた。甚平の下にだぼっとしたパンツの普段着姿を見て「何や、その格好は…」とさっそく女性群のカモになる。
   さて、お客さんもそろって予定の11時からお祭り。連島教会は長男のマサキ君も教会の仕事を継いでいるので、連島の叔父さんを祭主に2人で執り行われた。
   今回の祭文はおじいさん・おばあさんの来し方と連島教会の歴史が語られたなかなかの名文で、『和賀家の通信・特集』として残すことになった。

   お祭りの最後に長男の新津の伯父さんが神様の話を、次男の田原本の伯父さんが思い出とともにおじいさん・おばあさんの最期を看取ってくれた連島の叔父さん・叔母さんへの感謝を改めて述べた。
   お祭りの後はお直会。皆でイスを片付けて隅に積んであるテーブルを広げ料理を並べる。今回はもうじき結婚するというセイジ君の彼女も手伝いに来てくれていた。
   この時のためにTANUKIまで動員して印刷をして来た新津の伯父さんの回想録『旅路』の出来たところまでを当の執筆者に手渡す。伯父さんは身軽く皆に配って読んでもらっていた。
   お供えになった焼津の酒・新津の笹団子・岩手のアイスクリームなども配られて、お腹いっぱい。
   子供達は今日仲間に入ったばかりのヨシカズ家の末っ子まで皆一緒になって遊んでいる。実はこのヒロキ君が今回の子供組の中の一番のお兄ちゃん。小柄なヒロキ君(小5)と身長はクラスの後ろから何番目かのハジ君(小2)が良いコンビになっている。
   後片付けの後、子供達を連れてそれぞれに遊んだ思い出の残る裏の山に登る。立派に石段ができている!ずっと雨降りだったのでカタツムリがたくさんいて子供達はそれを捕まえながら登っている。途中にお地蔵様を祭った祠があり、小高い頂上には厄神社がある。薄田泣菫の立派な詩碑は初めて見た。ただし、私が前回ここまで来たのはヒサママがその長女のモモちゃんよりちょっと小さい位の頃だと思う。

   「行こう!」と張り切っていたヨシカズ夫婦が登って来ないので「どうした?」と聞いたら「年寄りはよう登れない、だって」と誰かが答えたのには日比の叔母と爆笑してしまった。
   「子供の頃によく、小さかったヒサちゃんを置いてきぼりした」とノブエちゃんが話していたのだが、今回もそのヒサちゃん置いてきぼりをしたようで、彼女は末っ子のソラ君を抱っこして急な表階段から先回りをしていた。
   昔はこの道がどう付いていたのかすっかり忘れていたが、もう少し家に近いところから防空壕の脇を通ってお地蔵様の脇に出て来るらしかった。昔、この裏山とバス道路にあった駄菓子屋さんくらいまでが、遊びに来た子供達の勝手に遊びまわれる行動範囲だった。
   3時過ぎに連島を出発。雨も上がり空も海も青さが戻ってきた中を車に分乗して王子が岳の麓のホールサムインせとうちへ。5年に1度の和賀家の合宿である。日比の家から近いので、日比の叔母がここの設営はいつもやっておいてくれる。
   社会保険庁の施設だが、改装してずいぶん垢抜けた施設になった。丘の上の3階建てだが、エレベーターからも食堂の窓からも瀬戸内海が一望できる。とりあえず岡山の叔父の車に乗せてもらってここまで来たが、ノブエちゃんを捕まえて日比の家に連れて行ってもらい、送ってしまって良い荷物を荷造りしてコンビニから宅配で送る事にする。その前にまず部屋割り。両親用に取ってくれたツインの部屋に十勝の叔母さんと泊まる事になった。後はみな和室。子供達は部屋割りなどお構いなくあっちこっちに入り込んで「一緒に寝る!」とやっている。
   一段落したところで2人で日比へ。ガムテープをもらって荷造りをしてコンビニへ。荷物を出した後フィルムを頼まれたという彼女と隣のドラッグストアへ。その間1時間位。ショーゴ君、お母さんが居ないのも気にせずちゃんと遊んでいたようだった。
   6時、いつの間にか明るくなった夕景の中でお夕飯。広い窓から青い瀬戸内海と白い瀬戸大橋が見える。田原本の伯母さんは昨日からの運転でお疲れが出て部屋でお休み。連島の叔父さんは「孫のお守りはしきれない」と叔母さんを代表に送り込む。(教会は必ず誰か居なくてはならないので)
   おじさん軍団が奥にひとかたまりになり、子供達は子供達で集って席を取る。アコちゃんやノブエちゃんが気を利かしてお酌に回る。始まりはミッチャンの仕切りで、三男の岩手の叔父さんの音頭で乾杯!
   ミッチャン家やヒサママは子供達が小さいのでまずその世話に手を取られる。モモちゃんは「お姉ちゃんが良い」とミキちゃんの隣り。それでも膝にソラ君、隣りにハルちゃんのヒサママ。ハルちゃんの隣におばあちゃんが居てもやっぱりママが良い。それでもこの小さなお姉ちゃん達、「ソラ君の分」とフライポテトやご飯を弟にまわしてくれる。ミッチャン家はママがミワちゃん、パパがコウキ君と分業している。
   子供達はお腹が一杯になると「ごちそうさま!」とともに皆で2Fの温泉保養スペースへと上がって行った。何も無いのだが、広々と人少なので探検気分なのだろう。ヒサママが食事が出来ないので、モモちゃんとハルちゃんの手を引いて上に上がってみると、子供達は交代で固定自転車をこいでいた。
   年上のヒロキ君とミキちゃんに「頼むよ」と声をかけてしばらく一緒に遊んでいたが、新津の伯父さんからお呼びがかかって子守は連島の叔母さんとバトンタッチ。
   新津の伯父さん、この機会にと『旅路』の取材に余念が無い。「色々思い出した事や書きたい事があってさ」と張り切っている。オニ編集長のDORAも「伯父さん、書く事がたくさんあるんだから頑張ってよ!」とつい発破。伯父も「あと何年かで新津教会の布教50年祭もあるし」と気が長い。
   外がすっかり暗くなる8時頃には食事会はお開き。天王寺と十勝の叔母さんと誘い合わせて温泉へ。アコちゃんとノブエちゃんが入っていて入れ替わりになった。他のお客さんもいるのだか和賀家の貸切状態。広くて気持ちの良いお風呂だった。
   風呂から上がって一段落した頃「DORAはお母さんの代わりなんだからおいで」と誘われて、伯父さん・叔母さんの集まる部屋へ。お茶を飲みながら四方山話。新津の伯父さんはせっせと昔の話を掘り起こすが、「メモ、メモ」と言うだけで、やはりこんな事が好きな岡山の叔父さんがせっせとメモを取って渡している。「DORAの母さんが居ればもう少し分かるのだが…」と新津の伯父さん。
   念のために兄妹を並べてみると、新津・田原本・焼津・岩手・岡山・日比・天王寺・十勝・連島と続く。新津と田原本はきっちり2年違いで誕生日は同月同日、ちょうど真ん中に母が入って岡山までが男、その後に女3人続いて、締めが男となる。
   そのうちにノブエちゃんからメールで呼び出し。アコちゃんが張り切っていたカラオケは開いていなかったようだが、2Fでヨシカズ君夫妻とノブエちゃん・アコちゃんが、こちらは缶ビールを飲みながら集っていた。こちら渋く信心の話なども…。そういえば私以外はみんな教会育ちの子だった。新津も天王寺も先を考えると気にもなるのだろうが、じゃあやりますと言うほど簡単な世界ではないと思う。
   11時、ホールの灯りが落ちたのでお開き。「ジジ&ババはまだ盛り上がってるさ」とみんな思ったが、早寝になっていたようだ。結局我々が一番最後まで起きていたらしかった。
   8/3朝、ようやく空が晴れ渡った。
   レストランの朝食開始時間のam7:30に三々五々集合。宿の朝ごはんらしい朝食を食べる。
   チェックアウト時間はam10:00だが、早めに出ようという事で衆議一決。田原本の伯父さんが連島教会の親教会にあたる長浜教会(おじいさんの兄弟筋になる)にお参りに寄るというのにみんな付き合う事になった。「今日こそ海!」と言っていた若手も参加。お迎えを待つ連島の家族を残して車を連ねて行く事になる。
   帰りに焼津に寄ってくれるという岩手の叔父さんと岡山駅まで送ってくれる岡山の叔父さんの車に荷物とともに乗り込む。まずは鷲羽山を越えて下津井港にある長浜教会へ。金光教会のある場所のセオリーのように、ここの教会も最後は細道。しかも改築とともに駐車場を広げて道を付け替えたのを知らずに、元の道にヘアピンカーブで入り、最後の急坂を直滑降!ちょっとばかりスリリングだった。
   きれいになった教会でまずお参り。麦茶を頂きながら、伯父さん・叔母さん達は体調を崩してリハビリ中のこちらの叔父さんや叔母さんと再会を喜び合っていた。
   最後に記念写真を撮って失礼しようかという時、「初代金光様の天地書付けをたくさんコピーしたのであげましょう」と言われて、きちんと額に入ったものをみんなで頂いた。
   さて、和賀家の今回の集りもここで解散。十勝の叔母さんは今日はこの近くでクラス会との事でここに居残り。田原本の伯父さん夫妻は伯母さんの運転で田原本へ。子供連れの一行は海へ。新津は「ゆっくり話しが聞きたい」と金光のミイチャン叔母さん(おじいさんの妹)宅へ。我々の車は岡山へ。 
   岡山の叔父が運転をしながら岩手の叔父に「懐かしかろ」と言うが、「覚えとらんなぁ…。」 確かに道も広くなったろうし、風景も変わってしまっただろう。途中の菰池という水溜りのような所、連島から長浜までおじいさんおばあさんが徒歩でお参りに行く途中で、アンパンと牛乳などのお昼を仲良く食べていた所らしい。
   岡山駅に着いたのはお昼前。駅前の広い通りのきわで下ろしてくれようとしたのだが、パトカーが止まっている。仕方なく並んでその先の駐車場に入る。「駅前なのに小さい駐車場でね」と叔母さんがブツブツと…。駅には来年の国体開催の横断幕が掲げられていた。
   座席指定で取ったので、1時間半くらい時間が余り、喫茶店でお茶。
   「座席指定だから乗り間違えなければ良いから」とは言いながら、早めにホームのクーラーの効いた待合室に入り込む。のぞみ54号は程々の混み具合。岡山の叔母さんに買ってもらったお弁当をまず食べる。そのままこちらはウツラウツラしているのに、岩手の叔父さんはしっかりと文庫本を開いている。名古屋でひかり276号にに乗り換え。掛川を過ぎる頃からはしっかり窓の外をチェックして自宅を見つけた。静岡で在来線に乗り継ぎ、焼津からはタクシーに乗って4時過ぎに無事に帰り着いた。

   ※ ホームページ上はなるべく名前を出さないようにしてきたのですが、今回はそれをやると複雑になりすぎるので、内輪の呼び名を使います。内輪の皆さんはニヤニヤと、そうでない人にもつながりが分かるように、書けるかな…。
金光教本部前の駐車場にいた猫