沖 縄


   年に1度、市内の民生児童委員の旅行(移動民協)があります。勉強会というよりは、顔を合わせる事で親睦を深め、色々な所で協力関係を築きましょうというもの。今回の旅は3年の任期満了時に当たるため今期でお辞めになる人にとっては今までご苦労様でしたという卒業旅行の意味合いもあり2泊3日の旅をしました。市役所の福祉課の方や社協の方も加わっての大所帯です。
   平日という事で、必ずしも全員参加ではなかったようですが、うちの地区はほぼ全員参加しました。


   10/25、朝6時過ぎ家を出てボチボチと駅に向かって歩く。行き先が沖縄なので大した荷物ではない。6:45駅集合だったが早々と皆さん集まっている。民児委員の旅行なのでしっかりと皆さん赤い羽根を付けての旅。とっくに羽根はネコのおもちゃになってクチャクチャになっていたので配布残りの赤い羽根を頂いて私も仲間入り。
   今年のバスのお仲間は昨年2地区合同で移動研修をしたK地区で、バスも予定時間より早くK地区の皆さんを乗せて到着。他のバスもそれぞれの地区で皆さんを乗せて浜名湖SAが合流場所との事でさっそく焼津ICを西へ。
   まず、K地区の会長さんの挨拶があり、旅行委員さんから注意事項などがあった。さらに添乗員さんから主に飛行機に乗るまでの予定と注意事項があった。
   そうこうする間に浜名湖SA到着。30分ほどトイレ休憩とお弁当の積み込みの時間をとる。何はともあれコーヒー。最近の自販機はミルで粉をひき入るまでの映像までつくが、\200の割には味がない。
   それぞれの所から来たバス4台が合流して、東名から中部国際空港セントレアまでの道はよく整備されていてまだ空いていて気持ちよく走れる。しかも空港の駐車場もかなり広く取ってあるようでまだまだ利用の余力がありそうだった。
   am9:30空港着。ここで昼のお弁当と航空券を受け取って、まず荷物のチェックイン。しばらく時間があるので朝も早かったしお弁当を持ち歩くのがわずらわしい人はここでお弁当タイム。広い所に一般のお客さんと一緒に居るのだが一昨年の熊野旅行の時には主任児童委員部会の人と自分の地区の人の顔がやっと分かった位だったが、今回はその他の人の顔も少しは見分けがつく。そして保安検査所で人間と手荷物のチェック。こちらは修学旅行生らしい若い人達も大勢居てかなり混雑した。とにかくam10:50の那覇行きは無事定刻に出発。さっさとお弁当にしてしまおうと飛行機が安定走行に入ったとたんにほとんど一斉にお弁当の蓋が開いた。それにしても飛行機の座席は狭い。後はすることも無く、真ん中の席なので外の景色とも縁がなく退屈をもてあまして約2時間、pm1:05那覇空港に無事に到着。

   ここからはまた4台のバスに分乗。添乗員さんから今日の予定の説明の後ガイドさんにバトンタッチして案内開始。
   さっそく出てきたのがサーターアンダギー(沖縄風ドーナツ)。カボチャが入っているそうで普通のものより黄色っぽいが焼津のスーパーで売っているのよりさっぱりしていた。
   沖縄民謡の『安里屋ユンタ』などを歌いながら本島最南部を空港から横断をする形で最初のポイントのおきなわワールドへ。玉泉洞という鍾乳洞を中心に観光施設をすえた所らしい。
   しかし、時間があまり無いので、入り口付近にある鍾乳洞入り口へ一直線。かなり長い洞窟の中をせっせと歩く。「沖縄の鍾乳洞は蒸し暑いですよ」というガイドさんの話だったが、それほど暑くない代わりに水が豊富で頭からもポタポタと水滴が垂れてきた。「きっと生き物がいるよ」というMさんの言葉で水の中を注目していたら、かなり太いウナギのような生き物が泳いで行った。出口の方には水槽もあってその他にも色々な魚などが入れられていた。所々ライトアップされて見立てがあったり撮影ポイントがあったりしたがひたすら出口へ。地区の人で一緒に入ったはずだが段々にバラバラになり最後は1人で上りのエスカレーターへ。穴の中を歩いている内に今にも落ちてきそうだった天気も持ち直したようで青空が広がっていた。
   色々な体験施設や復元家屋の売店などが立ち並んでいるが全部素通りで次はガイドさんお勧めのエイサーの見学。
   エレキ蛇味線と太鼓による賑やかな踊り。韓国の農村の踊りなどにダイナミックな動きは似ている。獅子舞は真っ赤な長毛で中国風。これも動きは激しい。
   地ビール工場やハブ博物館もあるようだが時間切れ。
   次にバスは南下してひめゆりの塔へ。途中に摩文仁の丘が見える。ガイドさんは同世代かあるいはもう少し若いかという人だったが、見てきたように当時の戦況を話し、「島の人達もたくさん亡くなったけれど、本土から来た各地の兵隊さんも、知覧から飛んできた特攻隊の若い学生さんもアメリカの兵隊さんもたくさん亡くなりました」と語った。各地の慰霊碑も建立されているそうで静岡県の慰霊碑には富士山が刻まれているそうだ。「せっかく通るのだから静岡出身の亡くなられた方のために何か歌いましょう」とガイドさんに言われて『旅姿三人男』『のうへい節』『富士山』などを歌ったがガイドさんは焼津と清水をごっちゃにしているようだった。こちらも那覇市と名護市の位置関係さえ地図を見てもなかなか探せないのだから仕方がないが…。時間にすればおきなわワールドからひめゆりの塔までは15分位だが濃い時間だった。
   さて、このひめゆりの塔は学徒動員されて陸軍病院に配属されていた沖縄県立第1高女と沖縄師範学校女子部で結成されたひめゆり学徒隊の亡くなった方達を供養するものだが、南風原から撤退して陸軍第3外科が使っていた壕は他との連絡に手間取り撤退が1日ずれたばかりに米軍の攻撃で特に多くの犠牲者を出した所だそうだ。
   ほぼ1時間の帰り道、ガイドさんの話は先ごろの歴史教科書問題へと飛び、「集団自決」検定意見撤回を求める県民集会には「今話しておかなければいけない」と年配の方々も多く集まり12000人近くが参加をしたそうだ。会津の人が戊辰戦争を、京都の人が蛤御門の変を自分の世界の戦争と意識しているように沖縄には生々しく太平洋戦争の傷が今・自分の問題として開いている。

   次にバスが着いたのは我々のお宿、町の真ん中のビジネスホテルにちょっと観光地モードをプラスさせたような沖縄かりゆし琉球ホテル。ベットルームでスペースの余裕がなく寛げないのと、大浴場がなく部屋のユニットバスで済ませてくれと言うのがいささか使い勝手が悪いのだが、連泊なので荷物を毎日まとめる手間は省ける。
   余り時間もなく荷物を整理したらもう本日の夕食の時間。旅行初日という事で市民児協会長をはじめとした挨拶の後、オリオンビールで乾杯。初めに琉球舞踊のショーがあり、その後はメンバーの皆さんの合唱や踊り、カラオケなどが続けられた。特筆はご一緒のバスのK地区の皆さんのフラダンス。男性も一緒になかなかの踊りっぷりだった。宴会料理という割にはちょうど食べ頃の分量だったが、延々と続く宴席でビールの飲み過ぎ、さらに泡盛も追加して夜の街に出かけようという計画はあえなくダウン。
   しかし、部屋に戻って順番にお風呂を使ったらいいかげん深夜に突入してしまった。当然その間トイレも洗面台も使えないので、我々は3人部屋でまだましだったが、5人部屋の男性達は往生したようだった。
   さて1夜あければ朝食。am6:50から、来た人から端から順にお座り下さいとの事で我々の部屋はかなり早い方だったが、地区の皆さんのほとんどがもっと早かった…。ごくあたりまえのお宿の和朝食のメニュー。我々静岡県人としてはそろそろ緑茶が恋しいがほうじ茶。部屋にあったのもゴーヤー茶とさんぴん茶(ジャスミン茶)だったしバスで分けられたのもさんぴん茶だったので緑茶はこちらではあまりメジャーではないのかもしれない。個人的にはコーヒーがないと目が覚めないのだが、コーヒーサービスはなさそうだった。

   am8:00出発。ホテルに駐車場はないので目の前の路上から2台ずつ10分の間合いを取って乗車して出発。昨日は自社のバスの手配がつかなくて他社の車と運転手さんだったそうだが「今日はうちの会社のバス、ハイビスカスの絵はうちの社だけだから分かりやすいですよ」とガイドさん。そして本日のコースは高速道路を北上して名護市から本部町の方へ。途中、宜野湾市から嘉手納町にかけて「こちらに見えるは全部米軍基地、日本の中の日本ではない所、しかも滞在予算は全部日本の税金から出ています」と分かりやすい解説。幸い航空機はさほど飛んでなく静かだったが。
   ほぼ1時間で本日最初の目的地、琉球村へ。古い佇まいの村を1つ作ったような施設だが、各地の古民家を移築してあるそうで国の登録有形文化財になっているそうだ。5月に友人達と行った西湖の湖畔の根場の里と同じように各家では色々な物を売っていたり紅型などが体験できるようだ。また、水牛を使って昔ながらのサトウキビ絞りをしていたり、登り窯で焼き物(主にシーサー?)を作っていたりする。
   85歳だというおばあさんが三線に合わせて頭に1升瓶を載せて踊る姿にはみな驚いた。Sさんが「家のおばあさんは90を越えています」と言ったら「じゃあ、私の方が若いね」と仰ったそうだ。
   さて、バスは海岸沿いをさらに北上。この辺りは沖縄サミットの時の豪華ホテルが立ち並んでいるようで、「あちらはフランスの大統領」「こちらがロシアの大統領の宿」とガイドさんの案内が続いた。ツアーならこの辺りの宿の予約も取りやすいそうだ。
   日が高くなると共に海の色もきれいになってきたが、何色かの横じまになっている。沖は深いのだろうが、浅瀬はモズクなど海藻の養殖地になっているそうだ。その色が反映して黒っぽくなったり緑がかったりしているようだった。
   次の目的地は万座毛。昔、琉球の王様がお供達を連れてやって来た時に万人を座らせるに良い場所だと言ったという地名の起こりがあるそうだ。「毛」は「草」の事で広い天然芝が生えている景色の良い所だが風が強かった。
   ここの駐車場のお土産屋さんは両側ともひたすらに衣類。Tシャツやアロハ・ムームーなど色鮮やかに飾られていた。
   次にむかうバスの中で沖縄の歌謡は8-8-8-6のリズムで本土の5-7-5(7-7)とは違うそうだが、そんな説明とともにガイドさんが『てんさぐ(鳳仙花)の花』を披露してくれた。「沖縄の言葉が難しいのではなくて日本の古語が今に残っている」という話もあった。

   そろそろお昼。昼食場所はゴーヤーハウスだというのでゴーヤーチャンプルはじめゴーヤーの天ぷらにゴーヤージュースなどゴーヤーフルコースかと思ったのだが、ゴーヤーは欠片も出てこず沖縄ソバを中心にした定食だった。
   食後は同じ経営母体のナゴパイナップルパークへ。こちらもパイナップル畑はほんのお印でパイナップルワインの試飲(4種類)、パイナップルジュース、パイナップルのお酢にパイナップル入りシュークリーム&ソフトクリーム。ぐるりと廻って泡盛のコーナーに引き寄せられパイナップルワインから始まった試飲に次ぐ試飲でつい勢いよく『琉球の旅』という銘柄の泡盛をお土産に買った。今帰仁の蔵なのでご当所中のご当所だと思う。パイナップルワインは甘目かあっさりしているか位の差だったが、泡盛は千差万別、香りと口当たりの良いもの中心に試飲を出しているようだが、あまり居ついていたので「これも飲みなすか」と最後に出されたのはかなりアルコール濃度も高いようでスコッチの癖の強いもののような感じだった。最後にせっかくなのでパイナップルシュークリームを1つ。\250もしたが私が招き猫になったようで後から何人かが買っていた。
   次はここからほんの少し離れた所にあるやんばる亜熱帯園。ヘゴの原生林だそうだが、下草のアンスリウムやヘゴに着生したランの花は植えられたもののようだが…。とにかく沖縄では温室に植えられているような植物が雑草のように道端や庭に生えている。シャンシャンと蝉の鳴き声も盛んで、実ははじめ音の感じが違うので蝉の声とは思わなかった。蝉は普通のサイズでそこいら中に止まっていて昔の腕白ぼうずが何人か蝉取りにチャレンジしていた。バッタにも遭遇。こちらは茶色で作り物めいた硬そうな身体で一回り大きかった。
   始め下りの山道は登らなくては帰って来れず食後の良い運動になった。   
   次はやはりバスでほんの10分ほどの所にある海洋博公園。あの沖縄海洋博の跡地で今回の目的地は美ら海水族館だが、他にも色々と見所がありそうな広い公園になっていた。ここは海洋博当時に来た人、海洋博が終わった後の様子を見に来た人など来た事のある人が何人かいるようだった。
   沖縄の浅瀬の海から深海まで、また川の生き物なども展示されていて充実した水族館だが、何と言っても巨大な水槽で悠々と泳いでいる7m級のジンベイザメやかなり大きなマンタ、群れで泳ぐマグロやもっと小さな魚達など海の中をそのまま見ているようだった。焼津のおじさん達、「美味そうだなぁ」などという声も聞こえたが…。この大水槽はガラスの厚みが30cmもあるそうで大手メーカーではなく香川の小さなメーカーで作ったものだそうだ。また海の側なので海水の入れ替えもスムーズにでき、海そのものになっているらしい。
   水族館を1周すると各ポイントの説明のファイルが集まるように出来ていて、せっせと全部集めてTANUKIへの土産にしたが、何人か同様にチャレンジして、集まらないのでとスタートから無い分を探し歩いた人あり、出口で「取れなかったのだけど」と貰う人あり、記念やお孫さんへのお土産を作った人は何人かいたようだった。

   宿に帰り着けばもうすぐお夕飯。今夜は町へ行きたい人も多いという事で、はじめからご飯やおつゆも用意されていたが、座りこめば皆さん宴会モード。本日の余興ではみなと群舞が出た。隣でうちの地区のお好きな方が「私も踊りたかった」とメロディを口ずさんでいた。
   それでも昨夜よりは早めのお開き。三々五々と言いたい所だがとりあえず出かけると言う地区の皆さんと「国際通まで皆で行きましょう」と外に出る。我々は割合に早く出たようで、あちらこちらのお店を覗き込んでいるうちに同じ焼津の各地区の団体さんが後ろからやって来る。結局、外出した皆さんは地区ごとに団体行動をしているようだ。
   我が地区では「お腹が空いた…」と言う1名のためにスパゲッティ屋さんに腰を落ち着ける。この方は残念ながら沖縄の味があまり口に合わなかったようで、スパゲッティを食べてホッとされていた。後はデザートだったりワインだったりコーヒーやジュースで一休み。とりあえずここで解散。「あまり遅くならないように、気をつけてね」と言う会長さん達と別れてもう少しお店を冷やかす。
   フラリと入ったTシャツ屋さんで手描きの獅子のTシャツをTANUKIのお土産に買った。目玉が点になるほど高かったが、布も丈夫そうだししばらくよそいき!
   遅くなって同室のもう1人の方に悪かったかなと思ったが、彼女は別グループでアクセサリー屋さんで楽しんでいたようだった。順番にお風呂を使えば本日も夜中。しかし、明日の朝は朝食時間が1時間近く遅いので良いのだが。

   夜が明ければ沖縄の旅も最終日。まずはam7:00から始まるという売店でお土産など送る荷物の発送。カバンごと送ってしまう方もありで売店のレジ付近はごった返しているが対応している職員は2人。ついでに言えば中位の箱1つで\2.600とかなり割高だが翌日着の航空貨物では仕方がないのか。
   とにかく荷物を送って一段落する頃には朝食の時間。昨日の朝よりも始まりが遅く設定されていたせいか、我々は始まりの時間に合わせて出てきたつもりだが、今日は皆さんの出足が早かった。たまたま隣になった同じ地区の違う部屋の方が、「虐待の疑いのあったお母さんは、下の子も幼稚園に行くようになって、余裕が出来て心配は無くなったようだ」とコソッと教えてくれた。なかなか地区会でもケースごとの細かな話はできないので教えてもらってホッとした。
   本日はam9:10出発。昨日と順序が入れ替わって別の2台に乗る方がam9:00出発だったのだが、集まりが早い民児委員さん達、10分前には全員がホールに集まり、別のお客さん達も出発時間の人が多かったので、狭くはないホールもラッシュアワー並みの混雑になった。しかし、つつがなくバスは少し早めに出発。

   本日の目的地は首里城。町の中を通って30分ほど、添乗員さんの日程説明とガイドさんの朝の挨拶をしているうちに着いてしまった。
   巨大な地下駐車場で「迷わないで時間までに帰ってきて下さいね。でも、早く帰って来てもエンジンが掛けられないのでクーラーが使えず暑いですよ」とガイドさんに言われながら守礼門まで引率される。ここで記念写真を撮られなければ先には進めないらしい。バスごとに記念写真を撮った後ガイドさんに連れられて先へ進む。歓会門の前でガイドさんの説明。首里城はさほど広いわけではないがいくつもの門を通り抜ける構造で広く見せているそうだ。泉の脇が瑞泉門、漏刻門、ここまで上がると城壁から遠くの海まで見渡せる。広福門、そして真っ赤な奉神門と通ると正殿前の御庭(うなー)へ出る。正面には赤に華やかな模様が描かれた正殿、右側には白木の番所と南殿がある。正殿では中国の使節を南殿では日本の使節を接待したそうでそれぞれの国の様式になっている。番所から入って南殿へ。その奥の書院は間取りなどは沖縄風が取り入れられているようだった。庭は残念ながら工事中。庭とのバランスも是非見てみたいものだ。
   琉球王朝の系図などもあったのだが覚えていない。
   正殿は復元された建物だけなので撮影も可で、2Fには女性の・1Fでは男性の係の方が当時の琉球の官人衣装で案内に当たっていた。
   ゆっくりと見てまわりビデオなども見ていたらあっという間に1時間半の時間が過ぎてしまった。あわてて「遅くなりました」と帰ったが、もっと剛の者は「早く帰って来ない方が良いんだったよね」と出発時間ドンピシャリにバスに乗り込んできた。
   さて、バスを少し走らせて時間調整も兼ねて最後のお土産屋さんへ。もう買うものも無かろうというところだが、皆さん嬉々として店内を歩いている。実は私と相棒さん、来月の地区民児協のお茶当番、引継ぎの顔合わせを兼ねて新しい方も見えるので沖縄でお茶菓子を買っていこうかと言っていたのだが、まだ決まっていなかった。ちんすこうは皆買ったろうし、数や予算もあるのでどうしようかと店内を見回して相棒さんがチョコレート菓子を見つけたのでそれで決定。

   いよいよバスは空港へ。荷物とお弁当と航空券を受け取って建物の中に入る。まずは余分な荷物をチェックインして身軽になる。「他に落ち着ける場所があるかどうか分からないからここでお弁当を食べようよ」と荷物を預けたフロアーにある椅子に腰掛けてお昼のお弁当。ゴーヤーチャンプル・昆布の煮物など沖縄らしいおかず。かなりボリュームがあった。しかし、飛行機の出発はpm2:00、お土産屋さん込みでも良いから食堂で落ち着いて食べたかった。
   後は待合室で時間待ち。TOPPOさんから台風接近のメールが来ていたが飛行機はほぼ時間通りに離陸、いささか気流が悪かったがまた真ん中の席だったためグッスリと眠り込んでしまった。4時頃には中部国際空港に到着。こちらはつい先ほどまで雨だったようだが、傘は必要なくバスに乗り込む。予定より少し早く出たバスから足元だけの虹がしばらく見えていた。
   途中、浜名湖SAでトイレ休息を取っただけでバスは東名高速を東へすすむ。静岡ICを過ぎる頃、今回の旅行の締めの挨拶をうちの地区会長さんが述べ、その後を受けて添乗員さんが最後の挨拶をするうちに焼津IC。名古屋のバスなのでこちらのバスと少し違うルートで駅に向かったが、うちの地区では「ここで下ろしてもらえると近いけどね」と数ヶ所で声が上がる。ともかくうちの地区は駅で降ろしてもらって解散。近所のSさんが「娘が迎えに来るから一緒に帰ろう」と近所の何人かを誘ってくれた。おかげで大荷物を抱えて歩く事なくpm7:30前には家に到着。
   目一杯詰め込んだ2泊3日の沖縄の旅も無事に終わった。