大阪食い倒れ旅行???

   

   野球球団さまざまあり、ファンもそれぞれ贔屓のチームを応援するが、例の3匹の間では、阪神タイガースがリーグ優勝した今年、阪神ファンであるDORAが大阪で大盤振る舞いをする事になっていた。
   それぞれの贔屓チームを整理しておくと、今を去ること数年前、悲願の優勝を果たした横浜ファンのTANUKIは日本一の熱気さめやらぬチームの本拠間近の横浜中華街で大盤ふるまいをした。もっともTOPPOもDORAもそうそう山ほどは食べられず、ほとんどは感激のTANUKIのお腹に吸い込まれたのだが…。
   そして昨年は巨人が優勝してファンのTOPPOの番。しかもJ1はジュピロ磐田の総合優勝でこちらはTANUKI。これはまとめて静岡と御前崎で祝ったのは『ちょっとした感想』で報告済みである。
   しかし、今回はTOPPOは何かと忙しくて時間が取れない。せっつくTANUKIと冬休みを待っての2人旅となった。


   さて、こちらの冬休みは12月20日から始まった。善は急げと早速スタート。
   せっかく大阪へ向かうのならば、途中の奈良県田原本の伯父の所に寄らない手はない。都合を聞くと午後から孫娘が大学のクラブでやっているお能の公演があるということで、午前中に着いて出来れば一緒に見に行く計画を立てた。
   ところがこの20日は冬将軍の大接近。途中名古屋の天気予報は前夜から雪マーク。とりあえずと早朝5時前に目覚めて仕度。雪も2時間かけて名古屋に入る頃には朝日に融けているだろうと楽観していたのだが…。

   am6:20出発。東名高速を西に向かう。寒いが晴天。ところが、天竜川に差し掛かる頃には雪がちらつきだす。さらに進み浜名湖の辺りは雪景色。道路にこそ積もっていないもののあたりは真っ白になっている。美合PAで小休止。朝が軽かったDORAはツナマヨネーズの手巻き寿司と缶コーヒーでおやつ。
   高速情報は小牧から先の高速閉鎖のまま。それならばとam9:00、豊田ICで高速を降りる。R155からR1へと抜け、伊勢湾岸自動車道へと入る計画。しかし、その伊勢湾岸自動車道も雪で閉鎖。この道とほぼ平行に走っているR23に入る。しかし渋滞の道路はほとんど先に進めない。道路情報を聞く地元のラジオ局の番組が次々と進んでいく。甥っ子の嫁さんが伊良湖の方の子なのだが「そうそう、このイントネーション!」という感じで頭の中にすっかり愛知弁が住み着いた。
   実はこの時点ではTANUKIの方が状況を把握していた。田原本の従妹に「とても昼までに着けないので土産だけ届けておく」と連絡をした。
   ノロノロと進む車の中でTANUKIが「トイレ!」と騒ぎ出す。バイパス仕様の道路でルートにコンビにもないし喫茶店もない。仕方なく1度この道を降りてガソリンスタンドでトイレだけ借りる。10:20、大府でのことだった。

   えんえんと動かないまま、晴れたなと思うと翳って雪が舞ってくる。名古屋港水族館の観覧車が見えたのはとっくに昼も過ぎた頃。2時過ぎにようやく名古屋の隣り飛島村の標識を通過。実はこの頃には中央自動車道の岐阜側は除雪がかなり進んで条件付開通になっていた。
「名古屋はなんて雪に弱いんだ!」と助手席のTANUKIがじれてくる。ただただ前の車のテールランプを見続けてタイヤを一回りずつ転がしていく。
   pm3:33ようやく県境を超えて三重県に入った。pm4:14四日市市へ。ここでR1へ入り亀山方向へ。道路そのものがそのまま繋がっているようだった。ようやく道路も少しは走れるようになり、pm4:45、コンビニを見つけて小休止。とにかく朝から飲まず食わず。トイレを借りて、缶コーヒーと肉まん・サンドイッチを買い込んで一休み。駐車場も雪が積もり、しんしんと冷える。しかもこの季節、すでに空も暗くなり始めている。早々に一休みを切り上げて名阪国道(R25)へ。あまりの遅さにどうしたのかと従妹から電話が入る。しかしまだ先は長い。
   この道はほとんどが山の中を通っている。空は暗くなり、前から渦を巻くように雪が吹き付けてくる。雪の中に吸い込まれそうな、ハンドルを持っていかれそうな気になる。実は今の車のチェーンは無い。真面目に必要になるのではないかと心配になった。しかも、我々が入った後で、後方は雪のために通行止めになったようだ。前進あるのみ!

   ようやく伊賀上野を抜け奈良県に入ると雪もおさまった。天理ICでR169に入る。実は次の郡山ICの方が真っ直ぐ行けるのだが、西名阪に入り料金を取られるのも癪なので、R25を西へ、さらにR24へと道を進む。ここから先の細道は何度か来てもさっぱり分からない。こちらから電話を入れて誘導してもらう。幹線道路を離れると車1台やっと通る道になる。伯母が「ここで運転出来ればどこでも通用する」と豪語するほど大変な道だ。道に出て待っていてくれた従妹夫妻に言われて、左折では入れないので1ブロック回ってくることになる。ようやく、いつの間にか屋根まで付いてきれいになった車庫に車を止める事が出来た。pm7:50。

   もちろん大学生の娘の発表会はとっくに終わって本人も帰ってきていたが、舞台で転んで足を痛め、そのまま救急車で病院へ行ってきたそうだ。幸いくじいただけらしいが、「お父さんも救急車の後について大阪の町を走って大変だったのよ」との事。
   お昼から待っていたんだよと言うホットプレート一杯のお好み焼きとちゃんぽんの鍋でお夕飯。
   伯父は口の端の筋肉が上手く働かないからともっぱらおしゃべり。娘達は「先に食べて」と譲ってくれる。「飲んだら迷子になる」というTANUKIに残念がる九州男児の従妹の旦那。
   最後に神様にご挨拶。年越しの大祓いもお願いして、西名阪までの出方を教わってpm9:30、田原本を後にした。

   今回は郡山ICから西名阪自動車道に入る。何ヶ所かのチェックポイントで料金を取られながら、松原Jctから松原線へ。文の里ICで降り、天王寺公園を目指す。公園はすぐに分かったが、最後の曲がり口の細い道が分からない。結局公園のまわりを1周。角ごとに徐行して後続車にぶつけられそうになりながら、何とか道を発見、pm10:45、無事に天王寺の叔母の家にたどり着いた。
  「2Fに布団を敷いてあるからお風呂に入って寝なさい」という訳で、ありがたくお風呂に入ってダウン。

   翌朝はTANUKIの携帯が朝6時に起こしてくれる。天王寺公園がすぐなのでカラスも朝からにぎやかだ。目は覚めたけれどゴロゴロと結局8時頃までのんびりとさせてもらう。
   喉がかわいて下の居間に行き、かってにコーヒーを飲んでいると叔母も起きてきた。一緒に食事の仕度をしてゆっくりの朝ご飯。テレビでは全国高校駅伝の女子の部が始まっている。

   結局本日の我々のスタートはam11:00。まずはお腹をすかせるために隣りの天王寺公園へ。庭園・美術館・動物園に植物温室まであるかなり広い公園なのだが、ゲートの入場料は¥150。案内板に従って行ったらなかなか道路から中に入れない。結局1/4周して美術館の前のゲートから中に入った。美術館は今回はパスして茶臼山の方へ。さらに元は住友家の本邸の庭園であった慶沢園へ。撮影会らしく、大勢のカメラマンがモデルさんを囲んでいた。ここの東屋はガラス戸入りで風に当たらずに池の景色が楽しめる。紅葉も残っていたが、池の陰になるあたりは氷が薄く張っていた。
   外から通った道を園内から戻る形で植物園の方へ。噴水の周りではそこここでネコが水を飲んでいる。まだ若い1匹に後ろからそっと近寄ったが、噴水の音で気が付かなかったらしくホイと捕まえた。なつっこい黒猫でしばらくゴロゴロと転がってかまわれていた。
   正面花壇はお正月を前にして葉牡丹の植え込み中。一方で温室はクリスマスムード。そこここにサンタの人形があった。

   天王寺公園はこの位にして、入ってきたゲートから外に出て、動物園の真中にかかった形の歩道橋を通って通天閣をめざす。この歩道橋には先日来テレビニュースでやっていた路上カラオケの小屋らしいものがずらりと並んでいた。ゴミゴミとした通りはちょうどお昼頃ということもあって活気に満ちている。TANUKIがずぼらやというネット検索で見つけた店を見つけたが、いかんせん1時間の運動ではお腹がすかない。そのまま歩を進めて通天閣へ。
   とりあえずのエレベーターに乗って2Fの切符売り場へ。ここで¥600の入場券を買って上に上るエレベーターに乗り換える。何故かエレベーターボーイが乗り組んでいる。そういえば乗り口を仕切っていたのも男性だった。7年前にDORAが来た時よりもきれいになったが、相変わらず3F・4Fは何も無いらしくそのまま5Fへ。
   きれいになった台座の上に相変わらずのビリケンさんが座っている。像の足の裏を撫ぜてお願いをすると願いを聞いてくれるというのだが…。小さなみやげ物屋さんも見える町もあまり変わりはない。一回り景色を楽しみ、おみやげを見てまたエレベーターに乗る。暗くなったエレベーターには星座の輝き。上りの時には気が付かなかったのだが…。

   降りたところでまだ30分も経っていない。そのまま新今宮駅から環状線で大阪城公園駅へ向かう。ちょうどpm1:00到着。俳句ページの方に教えてもらったホテルニューオータニが近かったのだが「もっと大阪らしいもの」というTANUKIのご所望で通過。テコテコと大阪城ホールの脇を通って青屋門から城内へ。
   大阪城公園にも仮小屋暮らしの人の団地が出来ている。何故か犬も一緒に暮らしている。
   大阪城の天守閣は平成9年に改修工事をされたばかりで、白壁も金ぴかの飾りもまだ輝いている。しかも大きい。すぐそこのように見えながら延々と歩かされた。
   せっかく来たからには入場料¥600を払って、歴史資料館になっている内部へ。まずはエレベーターで7Fへ連れて行ってくれ、8階から町の展望を楽しみ、順次階段を降りながら中を見学するように作られている。
   まずは秀吉の気分で8Fから大阪の町を眺望する。実はこの復元された天守閣は徳川時代のもので、秀吉の天守閣はこの下に埋まっているらしいのだが…。
   7F以下は秀吉の生涯や大阪夏の陣の合戦屏風の解説、大阪城そのものの歴史などがジオラマと展示物で見るようになっている。秀吉が作ったという黄金の茶室も出来ていたが、これは熱海のMOA美術館で見たものの方が迫力があった。
   ゆっくりすれば1日でも見ていられそうだが、駆け足で廻る。しかし、下に降りたらpm3:00。さすがにお腹もすいた。

   だが、場内の売店には豚まんくらいしかない。町に出ようとTANUKIが地図を調べる。「こっちだ」と言う方を廻るが、石垣沿いにぐるりと大回りをしただけで大手門へ。何の気なしに出た大手門側はお城の正面らしく官庁街。NHKの前を通りフラリフラリと休める所はないかと谷町筋を歩く。結局、天満橋駅の側の松坂屋まで何もなし。静岡人にとって松坂屋は安心できる空間である。すでにpm4:00。松坂屋の中の喫茶店でコーヒーとクラブハウスサンドイッチとミックスピザという食い倒れらしからぬおやつを食べる事になった。
   ぼやぼやしていると日が暮れるので、ここから地下鉄に乗って天王寺へ帰ることにする。
   天王寺駅に着いたのがpm5:00。駅ビルと近鉄をブラブラと廻ってお土産を考える。買い物は明日の話にして、pm5:30叔母の家に帰り着いた。

   お夕飯は早めの時間に叔母に連れられて近くの日本料理屋のたかおかへ。近い事もあるのだろうが叔母のお気に入りの落ち着いたお店。
   小上がりに通されて早速にお酒のメニューが出てくる。舌なめずりしたTANUKIは結局大将の隠し酒を注文。特徴の違うものが何種類かあるようだが美味しいお酒だった。
   お料理は大皿に盛り合わせた突き出しから。「良いお皿ねぇ!」と皆で気に入ったドッシリとしたお皿は、陶芸も楽しむ大将が教わっている先生が創ったものだそうだ。お料理も細々と一口ずつ取り合わせてあって目でも大いに楽しめた。
   次に出てきたお椀は季節柄かぶら蒸し。仲居さんが懇切にお料理や材料の説明をしてくれる。お刺身に天ぷら、そろそろお酒がなくなる頃合には「次はいかがしましょう」と若い衆が聞きに来る。そして野菜の炊き合わせ。一口ずつ出てきているのだが、この辺りでお腹が一杯になってくる。最後にハスとサツマイモを炊き込んだご飯とお漬物、そして熱いお蕎麦。デザートは自家製のゴマのジェラードとリンゴのジェラード。柿もついて豪華版だった。
   「そもそも食い倒れに来たのだから奢ったげる」とDORAも一応言ったのだが「せっかくこっちに来たのだからいいよ」と言われてあっさりと叔母にご馳走になった。
   あっという間に時間が経って、帰れば9時前。本日は早めにお風呂に浸かって休む事にした。

   さて12/22、今度の旅の最終日である。am8:00頃起床。今朝は叔母の方が早くて「TANUKIさんはご飯の方が良いんでしょ」とご飯を炊いてくれた。ご飯を炊いても残ってしまう事が多いので神様がご飯を食べそこなう事もあるそうだが、今日は神様も暖かいご飯がお供えされた。
   朝ご飯の後で近くの四天王寺へ。結局am11:00近くなったが、歩いてすぐの距離。ちょうどお祭のようでお参りの人も門前のフリーマーケットも賑やかだった。
   四天王寺は聖徳太子が建てたという由緒ある古刹である。伽藍配置は南から北へ向かって中門・五重塔・金堂・講堂を一直線に並べてそれを回廊が囲む形は「四天王寺式伽藍配置」 というのだそうだ。太子殿と呼ばれる夢殿のような建物がある区画があり、猫の門と虎の門がついている。
   建物を見物してフリーマーケットを冷やかし、昔来た事のある亀の池を探したのだが、よく判らなかった。30年前は大きな亀が池の真中の石の上でたくさん甲羅干をしていたのだが…。
   40分程もブラブラした後で駅の側の近鉄へ。TANUKIは大阪寿司、DORAはお菓子をお土産に買って、お昼過ぎに大荷物を抱えて叔母の所へ。
   「それならお昼を食べて行きなさい」とチャーハンを作ってもらって食べている間に叔母も忙しくなってきたので、程々のところで失礼して帰途に着く事にした。pm2:00。

   帰るためにはまず車にガソリンを入れなければならない。普通に走れば十分間に合うのだが行きはあの渋滞。ガソリンも底をつきかけている。とりあえず左折で入れるスタンドを地図でチェックして、今度は車で四天王寺の方へ向かう。歩道の植え込みの先のスタンドは満員。狭い道との交差点の真中で座り込むと、気のきいた店員さんが「レギュラーですか?」と聞きに来てくれる。「その車が出ますから歩道を走ってバックで入って下さい」と此方ではめったに無い誘導をされた。おかげで車もお腹一杯。その代わり分離帯があるので左折しか出来ない。(反対方向に行きたかった) 
   次の大きな較差点で曲がるか手近の環状線から自動車道に入って松原線(自動車道)へ出れば良いわけだが、TANUKIナビはなかなか入り口を見つけ出せない。結局千日前のゴタゴタした通りを通過、国立文楽劇場の前を過ぎ、新今宮の駅前を通って、何の事は無い、昨日歩いた範囲を車で1周して、めでたく阿部のから松原線に入った。
   DORAはホッとして車を走らせるが、TANUKIは不安そうに「逆方向かもしれない…」 結局、守口線との分岐のICから降りることに。出口から混んでいるので大きな道はあるのだろう。どうやら昨日歩いた大阪城付近もドライブした事になった。普通の街中の道をTANUKIナビに従ってあっちだこっちだと進んで行く。ようやくまた高速の入り口へ。近畿自動車道のどこからか無事に入り込み、松原Jctから無事に西名阪自動車道へ入り2人ながらホッとした。

   西名阪から名阪国道へはそのまま道が繋がっている。三重県境の五月橋SAでpm4:45。トイレへ行って菓子パンを1つ補給。TANUKIは疲れて車から出て来ず。亀山ICから東名阪自動車道。行きと違ってせっせと走る。四日市Jctから先は分岐点がたくさんある。うす暗くなってきて目が追いつかなくなりそうな中を『東名』を追って行く。まだ『東名阪』なのだが最後に『東名高速』に行き着けばそれで良い。
   東名高速に入って初めの上郷SAでお夕飯。pm6:45。TANUKIは八丁味噌ラーメン。運転して疲れたDORAは名古屋コーチン弁当。そもそも阪神優勝食い倒れツアー。ようやくここで星野仙一監督の現役時代のホームで名古屋の味を楽しむ事になった。

   pm8:00過ぎには浜名湖SAで小休止。すでにお店が半分閉まっていていささか寂しい。先を急いでせっせと走り、pm9:30、無事に自宅に帰り着いた。

おしまい