高津区民文芸祭09 俳句大会

   かねてTOPPOさんからお誘いがあった、高津区民文芸祭09俳句大会が11月8日に高津市民館で行われた。
   せっかくの俳句大会なのだからと、夏休みの宿題にあらかじめTOPPOさんから『俳句でおしゃべり』のメンバーに投句用紙が送られてきていた。また、今年はこの地で生まれ育った岡本かの子の生誕120周年・没後70周年という事でかの子ゆかりの句も募集されていた。
   宿題はそれぞれに任せられたが、せっかくだから集まろうよとの話が持ち上がり、この場を借りてよっこさんのイチゴ畑以来のしばらくぶりの『俳句でおしゃべり』オフ会となった。
   メンバーそれぞれのご都合や体調もあり、最低TOPPOさんと2人かなとも思ったのだが、当日はたまごさん・ガス灯さん・TOPPOさんと私、さらに「これから出かけるのだけど、駅に来る途中だから」と顔を見せてくれた悠さんも含めて5人。まずは受付をして事前投句をしていた人達には入選作品集や本日のレジメなどが当日投句用紙とともに渡された。そこでまず、投句用紙を前にしばらく考え中。

句想を練る悠さん たまごさんとTOPPOさん

   この市民会館はショッピングセンターの中にあり、それぞれに投句をした後で混まないうちにと下の階にある食堂街にお昼を食べに。もっとも案内の悠さんは歳時記を抱えてまだ考え中。
   甘味屋さんも兼ねたお店で、たまごさんはうどん、ガス灯さんとTOPPOさんと私は特製きじ焼き重、これからクラス会でご馳走が出るという悠さんは軽く磯辺焼き。おしゃべりをもう1つのご馳走に楽しい時が過ぎた。
   「そろそろ行きましょうか」
と会場の階に皆で戻り、先にトイレへ。トイレの広い窓の先を指差しながら
「ここから家が見えるのよ」
と悠さん。夏の間うっとうしい思いをされていた改装工事も無事に終わり外装が輝いていた。
   戻って投句を済ませた悠さんは颯爽と次の用事に出かけていった。

挨拶をする高津文化協会長 ガス灯さん・たまごさん・TOPPOさん

   さていよいよ開会。主催者である高津文化協会長の挨拶で溝口は江戸時代から大山街道とのつながりで俳諧が盛んだった事、昨年は10年ぶりに行われた俳句大会が好評だった事などが話された。さらに、この川崎市高津市民館長の挨拶の後、いよいよ石寒太先生の講演となった。

講演をする石寒太先生


   演題は『芭蕉・蕪村・一茶そして子規  俳人の晩年力とその俳句』
   高齢化社会だからこそ、人生の後半の生き方を大切にし、「終わり良ければすべて良し」となるようにしたいものだという話しから、まず芭蕉が日本橋から深川に居を移し旅を始める頃の話に入った。
     野ざらしを心に風のしむ身かな  芭蕉
   この句を芭蕉が詠んだのは41歳、『野ざらし紀行』の初めの1句だそうだ。これから51歳で亡くなるまでの10年間、芭蕉は『鹿島紀行』『笈の小文』『更科紀行』そして最後に『奥の細道』と旅を続け俳句を詠んできたそうだ。そして、我々が辞世だと思っている
     旅に病んで夢は枯野をかけ廻る  芭蕉
となるのだが、芭蕉自身はこれを辞世だとは思っていなかったそうで、あえて言えば詠む俳句すべてが辞世の句だと言っていたそうだ。
   芭蕉から100年の時が経って蕪村の時代となる。蕪村は南画から俳画へと絵師としての仕事が中心の人だった。そしてまたフィクションの上手な人で、奥さんはピンシャンと蕪村より長生きをしたのに
     身にしむやなき妻のくし閨に踏む  蕪村
などとケロリと詠んでいるそうだ。そして辞世の
     しら梅のあくる夜ばかりとなりにけり  蕪村
のような絵画的な句が多い。
   ここから70年経って一茶の時代になる。一茶は大変なメモ魔だったそうで、生活がよく分るのだそうだが、実人生はかなり苦労した人だそうだ。1度は江戸に出るのだが、
     これがまあ終の栖か雪五尺  一茶
と北信濃のふるさとに帰る。しかしこの家も
     焼土にほかりほかりや蚤さはぐ  一茶
火事で焼けたそうである。しかし、私の中のイメージは一茶というと暢気そうなおじさんで変わらないのだが…。
   残念ながら講演はここで時間が来て近代は「また来年にでも致しましょう」と相成った。
   しばらくの休憩時間に女の方が弾いて下さったピアノはどこかで聞いた懐かしい曲で「練習曲だね」とTOPPOさんとたまごさんが話していた。その後はソプラノ歌手の方が童謡など何曲かを歌ってくれたが、「ピアニストの青年のネクタイが素敵ね」と隣でたまごさんが楽しそうに仰った。最後はやはりこの高津市民会館で吟詠の講座をされている先生が寒太先生の句
     ふるさとに鷹ひとつゐる野の起伏  寒太
などを吟詠して聞かせてくれた。
   たまごさんはお時間がなく、ここで先にお帰りに。


   さて、いよいよ後半は事前投句の入賞・特選・佳作の発表。披講の方の読むのに合わせてパソコンから投影された作品が正面に映し出される。事前に周辺の歴史散歩のようなイベントもあったようでその中に句題をとられたものも多かった。
   川崎市教育委員会賞を取られた方の句もその時のもののようだったが、賞状を渡す高津文化協会長さんが「僕が案内した歴史散歩の時に…」と裏話なども出て楽しかった。

講評をする石寒太先生 表 彰 披講者と司会者のお二人

   先生の講評や作者の作品意図の発表などもあり勉強になったが、時間が短くバタバタになってしまったのが残念だった。
   さらに、当日句の特選5句と佳作20句が発表され、表彰が行われた。さらに入選句についてはプリントが配られた。
   だいぶ時間が押していたのでガス灯さんは「そろそろ行くわ」とそっと退席。
   最後の挨拶をされた方が、「机・椅子の片付けにご協力下さい」と言われたので、TOPPO&DORAも少しお手伝いをして、会場の向かいでやっていた絵画展をチラリと拝見してとりあえず横浜に出た。


メンバーの事前投句で予選・準予選の作品

くちづさむかの子かの地の鰯雲
TOPPO
かの子忌や野仏さまのそばが好き
ガス灯
遅れたる歩みにありし花野かな
秋惜しむ八ヶ岳の坪庭人あふる
暗闇の祭りの笛や神さびぬ
DORA

※たまごさんはお出しにならなかったそうです。萌さんのも発見!

   そして、当日投句での予選通過句に残ったのは
小春日の集い来し方滲みをり