TOPPOの引っ越し大作戦

   3月にTOPPOさんのお父様が亡くなられた。体調が思わしくなくケア施設と病院を行き来しているお母様のためにも、職場と介護、実家と自宅の4箇所を独楽ネズミのように走り回っているTOPPOさんのためにもこの春の連休には実家への引越しをするようにDORAは勧めていた。
   ところが、そのお母様が4/27についに亡くなられてしまった。連絡を受けてボチボチと進めていた秋櫻さんの遺稿集を急遽印刷してDORAは4/28に横浜へ向かった。

   新しいプリンターが思いのほか印刷時間が掛かり、しかも途中でインクが足りなくなったりして、出かける直前までプリンターを働かせながら、一方でしばらく焼津を留守にするために父を送って銀行に行ったり買い物をしたり、ぎりぎりまで慌しかったが昼前には焼津を出発、今回は後で車が必要なので東名を使って横浜のTOPPOさんの実家まで行く。
   途中足柄SAで遅めの昼食。カーナビ任せで横浜ICを出たらとたんに道を間違えカーナビは再試行に時間が掛かる、こちらは行き当たりバッタリで直進するで迷い迷い、それでもここしばらくで何度か来ているために何とか見知った場所をポイントにしながらpm2:30頃にはTOPPOさんの実家にたどり着いた。
   そのまま妹さんの子供達や旦那さんまで動員して秋櫻句集の綴じ込み作業。こちらから持ち込んだホチキスも40年物だが、そちらにあったホチキスも良い勝負で、枚数はそう無いのに針が曲がりかなり苦労する。それでも人海戦術で無事に仕上げ、pm4:00頃にはみんなで斎場に向かう。

   お通夜は18時からだが、TOPPOさんは直前まで会場での細々とした打ち合わせに追われている。会場はお父様の時と同じ所で貸切なので、今回は入り口ホールに油絵の大作からケアホームで描いた水彩まで何点かお母様の描いた絵が飾られている。「個展を開きたがっていたのよ」との事だったが、こんな形で思いがかなえられることになった。
   そして今回はTOPPOさんの妹さんの弾くピアノ曲のテープがバックミュージック。お父様の遺影も臨席する中、優しい曲の連なりの中で白いカーネーションが遺影に捧げられていった。
   お客さんを送り出した後、TOPPOさん姉妹家族に混じって夜食。今回のお別れの言葉は妹さんの所の長女が担当で、せっせと文案を考えている。

   明けて29日は葬儀。遠い順に到着というべきか焼津組のTANUKIとマーミ夫妻、藤守の父さんが1番乗り、それに続いて富士から妹さんの旦那さんのご親戚、前後してTOPPO家のご親戚も集まってくる。受付や案内などの世話係はまたTOPPOさんの職場の方々。
   am9:00からの早い時間のお葬式で、お父様の時同様に無宗教で音楽が流される中での献花、今回はTOPPOさんあての石寒太先生からのメッセージが妹さんによって読まれた。さらに妹さんの長女による追悼のメッセージが語られ、今朝庭から摘まれた藤やツツジの花も含めたたくさんの花、絵の道具、DORAが以前お見舞いに作った『秋櫻句集』などと共に旅立たれた。
   火葬場から戻って祓いの席、何故か我ら焼津組がTOPPOさんを囲んで上座に座ることになってしまった。
   程々の時間に終り、お客さんが帰った後で撤収。一休みをして妹さんの一家も帰って行った。こちらも買い物がてら夕食に出る。
   一休みした後で、脱衣場が散らかっているのでここから手をつけようかと片付けだす。到来物の石鹸の山。全部箱から出してカゴの中に積み上げる。お母様の化粧品などはもう使われないという事で思い切って捨てる。気が付けば夜もふけ、一段落をしたところで風呂に入って寝ることにした。

   翌朝はゆっくりと起床。全自動の洗濯機に洗濯をまかせ、朝食の後、時間調整で食器戸棚の片付け。
   そこにTOPPOさんの大家さんからあまり帰って来ないのを心配して電話が掛かってきた。何せ、お母様の様子を見に行って帰る途中、急変を聞いてそのままUターン、そのまま慌しく時が過ぎていたそうだ。事情を話してこの連休に引き払う旨連絡ができた模様。
   それはさておき、午前中の内にお母様が入居していたケアマンションの荷物を引き取りに行く。日曜日だがちょうど施設長さんもいらしていて手伝ってくれた。2度は行くようかと思ったが無事に1度で荷物を積み込め、車椅子やタオル・紙おむつなどは施設で使ってもらうように置いていった。退去の手続きもできるとの事で、昼食の後、荷物を片付けて第2便でTOPPOさんの家に行く途中でもう1度寄る事になった。
   そんな訳で午後は書類仕事の後TOPPOさんの家にまわり、隣に住んでいる大家さんを安心させてこちらの片付け。「忙しかったから散らかっているよ」の言葉通り、本や事務用品・小物が山また山の連山になっている。とりあえずは絶対に要らなくなる新聞や雑誌の整理から。ほどほどのところで切をつけ、実家に戻ってお夕飯。その後、荷物を入れやすいように玄関の整理と寝室のタンス・押入れの片付け。気が付けば夜中、『俳句でおしゃべり』の選句だけしてバタンキュー。

   明けて5/1、早朝から昨夜作った大量のゴミ出し。下りが荷物を持って上りが空身なのがまだ幸いだが2人がかりで何往復もした。朝食の後は台所の片付け。
   今日はお父様の誕生日だったと聞いてDORAが「ケーキを食べよう」と提案。午前中に買い物に出たTOPPOさん、しっかりショートケーキを買ってきてご両親の写真の前で2人で頂いた。
   お昼ごはんの後でTOPPOさんの住処へ。こちらは明日がゴミ出しの日なので気合を入れて片付ける。夕方近く、流しの廃品回収業者が通りかかったのをつかまえた。「引っ越すのであれもいらない、これもいらない」というTOPPOさんと部屋の中の混乱を見て、「まず作業をすすめるスペースが無ければ」と一言。「明日は車を空で持ってきて手伝いますから」と旦那さんの置き土産のステレオセットとスピーカー(実は慈郎の祭壇になっていた)を片付けてくれた。レコードも要らないというTOPPOさんにほぼ同世代の業者さんの方が「これはもう買えませんよ」と惜しがって結局お気に入りだったレコードは引越しメンバーに加わった。
   奥の院にそびえていたステレオがどいたという事は、それを出すために前衛の山々が蹴散らされたわけで、我々は布団2枚を敷くスペースを作るためにもう一働き。途中で近所のお好み焼き屋さんで夕飯にし、酒屋さんに寄って段ボール箱を分けてもらう。シャワーを浴びて寝酒はオリオンビール。

   5/2、本日もゴミ出しからスタート。こちらは坂道でないのが楽だが、荷の分量はいい勝負となった。コンビニで朝食を調達。コーヒーははずせないが今朝はおむすび。
   片付けているうちに約束のam10:00、回収業者さんが缶コーヒーとドリンク剤をお土産に登場。「ずいぶん部屋が広くなりましたね」とまずは作戦会議。何がいらないかをとりあえずチェック。作業場を確保する事から始める。残念ながら雨、それも雷の伴奏つき。
   お昼ごはんの後、ようやく「壊れてしまっているのでいらない」と言っていた洋服ダンスに到達。そのままではかさばるので分解してトラックに積み込まれた。様々な不用品も含めてpm3:00頃には満杯。「1時間ほどでまた来ます」と業者さんは荷降ろしに。2便目で洗濯機・乾燥機・食器戸棚などを持っていってもらって台所のスペースがだいぶ広がり動きやすくなった。正直言ってもったえないのだが実家に行けばもっと良い物があるのだし仕方が無い。
   運ぶ荷物をなるべくたくさん車に積んでファミレスで夕食を食べて我々も実家の方へ。
   本日はTOPPOさんの叔母さんにそのお宅のすぐ近所にある温泉に連れて行ってもらった。銭湯の休み場所を広くしただけのようなシンプルな佇まいだが、れっきとした塩泉、体がとても暖まった。

   5/3、焼津からTANUKIと藤守の父さんがトラックで援軍に来てくれる。早起きをして洗濯物を干し、コーヒーだけ飲んで実家を出発。TOPPOさんの家に着いてからコンビニで朝ごはんを買い食べるが、カップ類が見当たらずコーヒーカップでスープを溶いて飲むことに。具沢山でいささか入れ物が小さい。
   本の荷造りなどをする間にトラックが到着。整理ダンス・布団・望遠鏡の足など、家の車では乗らない物を積んでもらう。家の車にも細々したものを積んで2台で運ぶ。着いて荷降ろしをする頃にはちょうど昼。TOPPOさんがお昼を買いに行っている間に荷降ろし終了。お昼を食べて「帰ったら籾播きをしなくちゃ」と藤守の父さんはトラックで帰っていった。
   残る3人は荷物の片付けをして洗濯物を取り込んで2度目の便。本日TOPPOさんの亡くなったお連れ合いカエル氏の誕生日、商店街でケーキを買い求めたがすでに皿は運び出した後でそのまま手づかみで食べる。カロリーを補給したところで暗くなるまで片付け。商店街の蕎麦屋で夕飯を食べて実家に戻り、荷降ろしをした後、車と運転手をTOPPOさんに替えて温泉へ。この温泉病み付きになりそう。

   5/4、本日も洗濯機を回しながら大量にゴミ出し。ゴミ出しのルールについてご近所の奥さんからクレーム。大量なので多少仕分けがファジーでした。ゴメンナサイ。もっともそれに便乗してよそ様もファジーに出したようですが。法律がベースにあるので集め方はともかく分け方は焼津と大差ないようだ。
   今日は回収業者さんがまた来てくれるので、いらなくなった布団やヒーターなど、こちらで使わないものを持って行ってもらうために、まずこちらで荷積み。朝ご飯を食べて出発。
   さていよいよ開かずの間に近かった図書室に作業の場を移す。TANUKIが棚から下ろし、持って行く本と処分する本の仕分けはTOPPOさんが、DORAが必要な本は麻紐で、要らない本はゴミ出し用の紙紐でまとめていく。TOPPOさんは台所用品の仕分けもしながらこの作業延々と続く。間にビデオテープやカセットテープ、写真なども出てくる。さらには望遠鏡を詰めてあった箱や備品なども。
   業者さんのトラックはam11:00頃には満杯。荷降ろしに向かった。段落の着いたところで昼食。近くにコンビニがあってありがたい。
   午後も同じような作業が続く。テーブルやイス・パソコン台などもいらないので出してしまったが、イスが無いのが意外と不便。本棚も全部は持って行けないので傷んでいるものは処分してもらう。pm6:00頃には業者さんのトラックはほぼ満杯。本日の作業終了。
   ホコリだらけになったTANUKIの着替えを探しに商店街へ。安い作業ズボンとトレーナーを買い、ついでに商店街の中の居酒屋で夕飯。定食もある店で素直にご飯にしたが中々良い店で、もっと早く知っていたら飲みに来ていたと思う。
   実家で荷降ろしをして今日も温泉へ。

   5/5、仕分けに気を使ってまずゴミ出し。洗濯と布団を干して朝食を食べてスタート。昨夜持ってきた古い望遠鏡は使い物にならないという事で折り返しで持っていく。他にも利用終了の箱など不用品を。
   着いたところで持っていく荷物と詰め替えて、TANUKIを留守番にTOPPO&DORAはとんぼ返り。次は何時戻る事になるのか分からないので荷物を運び込んだ後でせっかく干した布団も仕舞う。戻り道の途中で回収業者さんが来たとTANUKIから連絡。本日は回収業者さん、スタートで1人では動かせない大型テレビを引き取ってきたので2人で登場。ついに図書室の奥の院までたどり着き、カエル氏が押入れの中にきっちり整理していた様々な書類も出てくる。卒業証書や成績表、卒業文集・結婚式の寄せ書きや写真などこんな時にしか日の目を見ないものも続々と出てきた。せっせと片付けている内に昼をまわったが、「もう少しだからやっちゃいましょう」という事で合意。pm1:00近くまでかかったが、慈郎の転げ落ち防止のために庭に張っていた網なども含めて回収業者さんに引き取ってもらうものは完了。
   業者さんが満載で帰った後、我々も昼食。この図書室がこんなに日当たり良好で良い風が通るとは思わなかった。じゅうたんを引いていたので畳もきれい。難をいえば本の重みで所々ひずんだ事か。食後のお散歩で商店街の和菓子屋さんに柏餅を買いに行った。残念ながら味噌味は売り切れで粒あんを買い求める。
   最終的に1度では積みきれない荷物の分量なので今度はTOPPOさんが台所の最終片付けとご近所への挨拶回りに残り、TANUKI&DORAで第2便の荷物運び。よく乾いた洗濯物も取り込んでとんぼ返り。いよいよ最終の荷物を積み込む。TANUKIは「向うに行くとコンビニが無いから」とコンビニでお買い物。その間、鍵を返しに行ったTOPPOさんと共に大家さんも来てくれてお名残を惜しむ。pm6:00頃には実家に到着。荷物を運び込んだ後、しばらくぶりの家でのご飯。
   一休みした後で台所とユーティリティの片付けを始めたが、気が付けば温泉に行くには遅すぎる時間。しばらくぶりでお風呂を沸かしてam1:00頃布団にもぐりこむ。

   5/6、本日はゆっくりam8:00起床。本日もゴミ出しから。本日も良い天気につき洗濯機にはせっせと働いてもらう。朝食の前にTANUKIは本日の仕事を書き出して確認。玄関前の物入れの棚つくりに、絵を掛けること、持って来た本棚の組み立てと置き場所の確保。
   朝食の後、昨日の続きの片付け。実はTOPPOさんのお母様の妹さんが亡くなられ今日はお葬式。お昼前に叔父様が迎えに来て彼女はお葬式へ。TOPPOさんを送り出してからTANUKI&DORAはホームセンターへ棚の材料を買いに。静岡に比べると割高だし物が少ないが仕方がない。
   材料がそろったところでTANUKIは玄関前に足の踏み場も無いほど荷物を放り出して棚作り。その間DORAは台所にスペースを確保すべくいらないものを出してみる。ゴミ袋や紙袋、頂き物らしいラップやホイルなどがあちらこちらから出てくる。要するにそこらじゅう足の踏み場の無い状況になっている。
   TOPPOさんからカエルコールが来たのはpm2:40頃。駅に迎えに行ったのだがTANUKIナビは駅の反対側に案内してくれた。というわけで大苦労してUターン。待ちくたびれたTOPPOさんも「ヒールのある靴で立っているのは辛かった…。」帰ったところで3時のお昼。TOPPOさんがTANUKI&DORAの結婚記念日のお祝いにケーキを買ってきてくれたので食後はコーヒーとケーキ。
   せっせと棚を作ったTANUKIが不安定に押し込まれていたものをしまい直し、DORAの方も台所の床下収納を含めてスペースを作った頃にはもう夕方。次はTOPPOさんが持ってきた物やお母様の絵から掛けたい絵を場所を皆で考えながらTANUKIが掛けていく。どうしても掛けたいものもあれば、壁のぼろ隠し、あまりしまっておいても痛むから等々理由は色々だが、これでTOPPOさんにとっても我が家らしくなったことと思う。
   本棚は大まかな設置位置だけ決めてTANUKIに任せてTOPPO&DORAで夕飯のお買い物。本日はお昼が遅かったので買い物だけして先に温泉。とはいえすでにpm8:00。これが絶妙なタイミングで割合に空いていた。暖まって帰って最後の晩餐ならぬ飲み会。とにかく予定していた程度には片付いてそれぞれに達成感!

   5/7、夜更かしをしたのでゆっくり朝寝。TANUKIが1番で起き出してコーヒーを入れてくれる。今にも降りそうな中でまず我が家に持っていくものの荷積。
   朝ごはんの後、ノンビリしている内に書類仕事担当のTOPPOさんの叔父様と叔母様が見える。力仕事担当の我々はこれでお役ゴメンだがTOPPOさんの方は名義変更や相続など書類仕事がたくさんある。
   とりあえず引っ越しの終わった家の中を見てもらった後、「帰りに食べてね」とシュウマイ弁当とお土産のシュウマイを叔父様から頂き、叔母様からは自家製の蕗の煮物を頂いてam11:00頃出発。
   まずは近くのガソリンスタンドで給油。バイパスから東名に乗って海老名SAで自宅ほかへのお土産に中華饅頭とTANUKIもすっかり味をしめたメロンパンを買う。この後いよいよ雨が降ってきて、かなりの土砂降りの中を進む。いい加減神経が疲れてpm1:00頃に富士川SAでお昼。土砂降りだがお弁当は持っているし海老名SAでお茶も買っていたので車から降りずに済んで助かった。
   pm2:00前には焼津IC着。そのままマーミ宅と藤守にお土産を置きに行き、スーパーで買い物をしてpm4:00頃、家に帰り着いた。