「旅に出ようよ」TANUKI・DORA・TOPPOの3匹がそう思ったのは、家も完成、ジジ&ババとの同居も始まり、パピ・チビ・慈郎の面倒を見てもらえる当てがついた時。
少しゆっくり遊びに行きたいけれど、先立つものを考えて、DORAが昔からやっていた親戚巡り。何せ和賀家は各地に広がっている。
そんな思い出を残しておこうと思って…。
北海道編
1993年8月4日〜9日
1993年6月、皇太子御成婚の年であった。何故覚えているかと言うと、まさにその日、和賀家の従弟の結婚式があったからである。それも2つ立て続けに。9日には岩手の長男が、20日には日比の三男が、それぞれ結婚式を挙げた。さらに、この年の5月には岡山の長男も。というわけでDORAは結婚式2つの出席と、日比へ行く途中で岡山の新婚さんまで突撃取材と慌しい日程をこなしたのだった。
しかし、後の2匹にとっては「2度も遠方まで旅行してうらやましい…」で、計画した北海道旅行だった。さすがに北海道となると車でホイとは行けない。日を決めて旅行会社に勤めるマーミの友人に飛行機の切符を取ってもらう。
日の方は、それぞれの休みの兼ね合せ、当時札幌に居たなにわの華(日比の従妹の連れ合い)の予定も考慮して決まった。
しかしまず、TOPPOが慈郎を連れて焼津へやって来る。じいちゃん&ばあちゃんとすでに6匹(みゆはまだ居ない)いるネコと慈郎に留守を任せて新幹線で羽田へ。ANA61便で千歳へ。乗ってしまえば早いもので、昼頃には千歳空港で迎えに来てくれたなにわの華夫妻と会うことができた。せっかく着いた北海道、という事でまずラーメンを食べて腹ごしらえ。ここからはドライブ。本州に比べて道も広いがまわりの風景が広い。ちょっとした高みから、「ここなら使えるはずだから」と、まだ珍しかった自動車電話を貸してもらって、焼津へ無事に着いた1報を入れる。
日勝峠で一休み、高みから広大な光景を眺める。結構広いドライブインも有った。TANUKIは「ここでじゃが芋餅を食べた」と言うが、DORAはすっかり忘れた。
日暮れ頃には池田の叔母の家へ。ここの従弟は清水に居たか船に乗って太平洋上だったか、年子の妹の方は京都での仕事を一時やめて帰ってきている時だった。
夜のご馳走は鮭のチャンチャン焼。TANUKIがリュックに入れて静々と運んできた焼津の酒も開けて、ゆっくりと夕べの時を過した。
ここの叔父はノンビリとした語り口で笑わしてくれる。
「用事で金光へ行くでしょ、そうするとね、あちらで会った先生に小樽の先生に宜しく、とか、函館の先生に宜しくとか言われるんですよ。でも北海道は広いからねぇ、そうそう会えないですよ。」とか
「今はともかく、汲み取りのトイレでは冬になるとね、中が凍って盛り上がって、だんだん高くなるんですよ。だから使用前に棒でつついて落とせるようにしてね」などなど。
いずれも早食いの3匹も、話しながらゆっくり食べる叔父のペースに乗せられていた。翌朝、なにわの華は愛妻をおいて出張先へ。北海道は広い、1泊の出張との事。
出かける前に、あっちへ行きたい、こっちが良いと言っていた3匹だが、ここでもDORAがせこせこと洗濯機をまわして、従妹2人の案内でお神輿をあげたのはam10:00。コースは地元2人のお任せとなる。TANUKIと十勝の従妹以外の3人は運転免許を持っているが、「任せなさい」と言うなにわの愛妻にお任せ。
まずは北上してオンネトーを目指す。静かな水の上に浮かぶ阿寒の山々を眺めて一休み。引き返して、TANUKIが行きから目をつけていた足寄湖の側の丘の上のチーズ工場へ。もちろんTOPPOも大喜びをして隅々までチェックしたのは言うまでも無い。
昼食はこの道中のどこかのドライブインで海鮮ラーメンを食べた。カニの足がドンと入ったりして良いだしがでた美味しいラーメンだった。
さて、本日最後は帯広空港近くの坂本直行記念館。林の中にポツンと立つ建物は物語の中のよう。帯広の老舗のお菓子屋さんの包み紙にもなっている植物の絵などがゆったりと飾られている。また、大きく切った窓から見える外の木々も額におさまった絵のようだ。
おみやげ売り場でお土産を見つけ、絵葉書も、あれこれと迷いながら選び、暗くなりかけた道を池田へと戻った。この年の1月に釧路沖地震で十勝教会もだいぶナマズに揺すられ、風呂場も段差ができてしまっていた。そこで皆で温泉へ。教会の裏の緩やかな丘、清見が丘公園をはさんだ反対側に温泉があった。ゆっくりと温泉に浸かった帰り道、夏とは思えない涼しい空気の中、頭上にはたくさんの星が輝いている。TOPPOが張り切ったのは言うまでも無いが、湯冷めせぬうちに帰路をたどる。
翌日は、十勝の従妹は「昨日、車に乗りすぎた」とダウンしたのでお留守番。代わりに「今日は空いている」と言う叔母の運転で、糠平湖から然別湖方面へ。糠平湖はいわゆるダム湖で、ひっそりとしている。まわりにはコロボックルが隠れていそうな大きな蕗の葉の林。水の側のせいか長袖でちょうど良いような空気の冷たさだった。
湖の側にひがし大雪博物館がある。ナキウサギを初めとする大雪山系の生き物や自然が紹介されている。
然別湖は糠平湖に比べると観光化されて人も多い。ここで昼食。オショロコマの定食を食べたと思った。…、今ガイドブックを見ると『この湖は、鮭科のオショロコマが湖に閉じ込められて固有種となったミヤベイワナの生息地として道の天然記念物に指定されている』となっているが、オショロコマは食べて良いのだろうか…。とにかく湖を魚が群れになって泳いでいたのは覚えている。
ここから扇が丘の展望台へ。水平線が丸く見えるのは驚かないが、ここは眼下に広がる地平線が丸く見える。一面の緑も目に心地良い。展望を堪能して池田町へと戻る。途中のソーセージ屋さんを目ざとく見つけたのはTANUKI。家へのお土産を選んで送ってもらう。さらにアイスクリーム屋さん、ハピネスディリーへ。この時は叔母のお勧めだったか誰かが見つけたのかは忘れたが、記録によるとやはり藤守へのみやげはここで手配している。おみやげ買いでゆっくりしたために、出張帰りのなにわの花が部下を連れて十勝の家に着いてしまっていた。
ここは和賀家のパターン、叔母の「あるもの使って何でも食べて」で、なにわの愛妻だけ彼らとお夕食のため下車、我ら3匹は叔母に連れられてワイン城のレストランへ。
まだ明るい時間だったがレストランは混んでいた。叔母は目ざとく支配人を見つけると、にこやかに立ち話。まきばの家で音楽の勉強をしている人達のサマースクールが開かれているそうで、こちらにも夕食のお客が来ているようだった。そんな話を聞いているうちに席に案内される。
そこで2人前セットになっている牛1頭コースに挑戦。牛がゴロンと出てくるのではなく、タンとテールのシチューと肉のステーキがセットになっている。もちろん付け合せがつくしワイン城でワイン無しとはいかない。TANUKIは叔母と組んで2人前のかなりを1人占め。TOPPOとDORAはちゃんと半分こ。ともかく食べ終わる頃には下が向けないほどの満腹になり、認定賞のテレホンカードを頂いて帰途についた。
叔母はなにわの華たち別口のお客を心配して車で先に帰ったが、我ら3匹、少しは消化を助けようと、裏道を散歩がてら歩く事にした。ブドウ畑の中を歩いていけば、教会の裏に広がる公園にたどり着く。
しかし、散歩が足りなかったか、帰り着いて腰を落ち着けたとたんにTOPPOの胃袋の中で牛が暴走を始めた。消化剤のお世話になって1晩安静。翌7日は土曜日。十勝に別れを告げて、なにわの華の運転で富良野へ。実はラベンダーが見たかった。しかし花期は7月、すでに8月という事で、「ラベンダーは終ったかもしれないけど、夏の花もきれいだから」と言われて諦めてはいたのだが、この年はいささか冷夏だった。
日本離れした広い農地の中、小麦の黄色、じゃが芋の濃い緑・牧草の淡い緑など様々な色でパッチワークされた中を進んでいくと、なんとラベンダーは満開だった。冬はスキー場になるらしい中富良野町北星山リフトに乗ってラベンダーの咲き競う丘を登っていく。『北の国から』のテーマソングが流れ、かぐわしい香りの中、ラベンダーの紫、町の赤い屋根、畑の緑、それらの向こうには十勝岳がそびえている。花の中でさんざんはしゃぎまわってきた。
ここからより観光施設を整えたファーム富田へ。お土産なども見てまわり散策。確かここで「うちが納めたボイラーがあるはず」となにわの華がチェックに回った。
実は前後を覚えていないのだが、地図を見ると多分ここから拓真館にまわった。美瑛を撮り続けた前田真三氏の写真ギャラリー。「うれしい事に無料なのよ!」と、ここがお気に入りになっているらしいなにわの愛妻が言う。土地によく合った可愛い建物だが、実は周りが広々としているために可愛く見えるだけでかなり広い。そこにまた広々とした風景の写真が並んでいる。
そこから先の道中は、「あの写真はここから写したのだろうか」と、あちこちで話題になった。
最後は日が西にまわりかけた頃、十勝岳の途中にある望岳台。山の森林限界の上まで登る道路の途中で、キタキツネの営業部長氏に出会った。このキツネ、恐れもせずに車に近寄ってきて、写真まで撮らせてくれた。十勝岳は現役の火山なので、駐車場の先にはゴロゴロと溶岩が転がった別世界が広がっていた。
ここから一路なにわの華夫妻の本拠地札幌へ。お夕飯は、せっかくだからと札幌ラーメン。なにわの華夫妻も食道楽だが、当時ラーメンに凝っていたとみえて、この店はモヤシが山盛りのヘルシーラーメンだった。なにわの華の気に入りのコーヒー豆屋さんで、味見用に飲ませてくれる¥120のコーヒーを飲み、どうせならとお風呂屋さんの広い湯船に浸かり、スーパーで買出しをして札幌の夜は暮れていった。
翌日曜日は、なにわの華夫妻の案内で小樽へ。運河沿いに倉庫が立ち並ぶ。車を駐車場に預けてゆっくり歩く。往年の港町の活気というよりは夏の観光地の活気に満ちている。
まずは蒲鉾屋さん(だったかな?)の2階の食堂でお昼ご飯。
小樽市博物館ではTANUKIが蝦夷タヌキの剥製の前でご満悦。その隣りはなにわの華おススメのブリキのおもちゃ博物館。DORAはホイホイとネコのシールを買い集めた。
そして小樽といえばガラス工芸。ここで夢中になるのはTOPPO。かなり広い売り場を見てまわった気がする。そして彼女は倉敷で買ったグラスとお対になるようなグリーンのグラスを買い求めた。
さて、札幌に帰ってビールとジンギスカン、と腹の虫は言っていたが、「サッポロビールはメジャーすぎて混むから…」と地元の2人。「サッポロビールは焼津にあるさ」と残る3匹。という事でアサヒのビール園。ジンギスカンよりシャブシャブがいけるというので、食べ放題コースのシャブシャブ。もちろんラム。確かに脂が落ちる分お腹によく入る。たらふく食べてまた風呂屋へ。帰りがけにDORAはスーパーでてんさい糖をおみやげに手に入れた。そしてついに3匹の旅の最終日。月曜日なのでなにわの華は朝から出勤。それを見送ってDORAの最後の目的地へ。実は札幌には和賀家系の親類がもう1件ある。祖母の姉の孫娘が結婚して住んでいるのだ。母の従兄である彼女の父が家の父と親友だった。彼女の実家は世田谷にあるのでDORAとは小さい頃遊び仲間だった。せっかくここまで来たのだから寄ってみようと思っていたのである。
しかし、DORAは方向音痴である。前日に電話をして道を聞いても要領を得ない。なにわの愛妻に代わり、なにわの華に代わり、ようやく場所を確かめた。何条と何丁目を合わせた地番は本来分り易いものだそうである。ともかくなにわの愛妻の運転で無事に着き、小学生の2人の子供とたくさんの金魚も一緒に迎えてくれた。
札幌の町で驚くのは住宅街の道までかなり広々としている事である。「冬に雪が降れば半減するのだから」と言われても、そちらの方はなかなか実感できない。ともに雪の無い所からやって来て住みついた2人「1年目は雪が降ると嬉しいのよね。一生懸命雪かきグッズをそろえて雪かきしたり…。」「でも2年目からは又だぁ…とウンザリするんだよ」と盛り上がっていた。飛行機の時間は決まっている。ほどほどのところでお別れをして、なにわの愛妻に高速道路を使って、千歳空港まで送ってもらう。飛行機・モノレール・新幹線を乗り継いで、今回の旅も楽しく終った。
参考 ザ・20世紀1993年
後書き
この旅の終った秋、なにわの華は大阪へ転勤となり、文字通りなにわの華となりました。(話が煩雑になるので今回はこのハンドルネームを使いました)
十勝教会は一昨年の北海道旅行記で書いたように、長男の結婚と教会の80周年を記念して改築されました。従妹はまた、京都で元気に仕事をしています。写真は旧十勝教会前。地震による階段や歩道のずれが分りますか?