3匹の和賀家探訪

   「旅に出ようよ」TANUKI・DORA・TOPPOの3匹がそう思ったのは、家も完成、ジジ&ババとの同居も始まり、パピ・チビ・慈郎の面倒を見てもらえる当てがついた時。
   少しゆっくり遊びに行きたいけれど、先立つものを考えて、DORAが昔からやっていた親戚巡り。和賀家は一回りしてしまったが、まだまだ親戚が各地にある。
   そんな思い出を残しておこうと思って…。


富山編
1999年8月6日〜8日


   この旅にはまず前段がある。この前の年、TOPPOの天文の会の夏合宿になぜか3匹顔をそろえて行ったのである。場所は乗鞍岳。乗鞍青年の家に宿泊し、天体観測と国立天文台乗鞍コロナ観測所を訪ねるものだった。
   1998年8月20日夜、翌日からの合宿に備えて3匹は家を出た。夕方の集合とはいえ、夏休みの週末、長距離は予定が立たないので朝までに長野県内に入ってゆっくりしようという計画だった。R150からR52、中央自動車道・韮崎ICのコースを行く。豊科ICで降りてR147という今ではお馴染みのコースはこの時開拓したコースだ。この時は池田の道の駅で仮眠、日帰り温泉・薬師の湯で朝風呂を浴びる計画を立てた。風呂上りには出来て間もない岩崎ちひろ美術館に寄り、ゆったりとしてから合宿に合流した。
   この旅では、初日にTANUKIが足をくじき、乗鞍コロナ観測所へ向かう道で杖を買うなどというアクシデントもあった。


   そしてDORAはこのコースがすっかり気に入った。地図を見ればもう少し頑張れば日本海。太平洋から日本海まで日本を横断できる。そこからちょっと行けばT家系の従妹一家が仕事の関係で引っ越したばかりで住んでいる。それが今回の旅である。

   8月6日のpm9:00、荷物一式に今回はおみやげも積んでスタート。R150からR52、中央自動車道・韮崎ICのコースを行く。豊科ICで降りる所まではつつがなく進んだ。真っ暗な田舎道、しかし道は新しく次々と出来てくる。「この前走った道はいったいどれなんだ」と、しばらく行き当たりばったりのドライブ。それぞれの記憶のカケラをつなげ合わせて何とか池田の道の駅にたどり着いた。am2:00。ともかく一安心して仮眠。
   昨年は朝日を浴びてさわやかな空気を吸いながら、ここで朝ご飯のコンビに弁当を広げたのだが、今回は先を急ぐ旅。一緒に仮眠をしたトラックとともにまだ暗いうちにそのままスタート。薬師の湯まで進出する。ここは朝6時半からやっている。朝風呂を浴びた後、休憩室でコンビニ弁当を広げる。開けた窓からは涼しいを越えた冷たい朝の空気が入ってくる。少し仮眠をしようかとゴロゴロしたが、だんだん賑やかになる館内にそうもいかずに出発。朝のR148をあくびをしながらせっせと北上して行く。何しろまさに仮眠の数時間しか休んでいない。

   やがて先に海!日本海に到着である。ドライブインでともかく一休み。『太平洋岸からここまで来た!』と書き込み用のノートに書き込む。
   糸魚川ICから北陸自動車道へ。この道はトンネルだらけ、しかも対面車線でえらく道が狭く感じられて怖い。am10:00頃には富山市内に入った。富山市内は道路工事の真っ最中。TOPPOが希望した科学文化センターを探し出す。地域の動・植物や恐竜などの展示をおいてTOPPOが目指すは天文コーナー。担当の方とお話をし「天文台も是非訪ねて下さい」と言われた。
   その天文台は市内の北にある呉羽山の一角。高台の公園になっている。カンカン照りの駐車場に車を止め、木陰もない道を天文台に向かって歩いていく。セミの声が賑やかだ。そろそろ昼、一番暑い時間帯だ。ようやく到着して日差しをさえぎる屋内で一息つく。もちろんこちらでもTOPPOは館員の方に案内して頂く。プラネタリュウムの舞台裏などを見せてもらったのはここだっただろうか。
   駐車場に戻ったのは昼もとっくに過ぎた時間、側にある観光施設をかねた蕎麦屋で遅い昼食を取った。
   ようやくR8を西に向かって新湊へ。新湊の道の駅で従妹達と待ち合わせをする。「いったいどこへ行っていたの」と呆れ顔の従妹夫婦と末っ子に迎えられて無事に駐車場で合流。まずは家へ。お姉ちゃん達と犬とネコに迎えられ、カンカン照りの駐車場に置いてきぼりを食ってすっかり解けてしまったみやげのマグロもようやく冷蔵庫にしまわれる。もう1つの焼津名産志太ナシはお姉ちゃん達の好物。もちろん抜かりなく1箱抱えていった。

   一休みをした夕方、隣町高岡の七夕に連れて行ってもらう。小学生のお姉ちゃん達は浴衣姿である。まずはそのお仕度に女手が総動員されたが、明るいうちに高岡の町の駐車場に車を入れる事が出来た。
   駅前の商店街には色とりどりの飾りが飾られ、歩道にはすでに露店が並んでいる。子供達のお目当てはもちろんこちら。カキ氷から始まって目を輝かせてあちらこちらをのぞいている。
   車の通行を止めた道路では、多くの連によって踊りが披露されていく。
   しばらく雰囲気を楽しんで子供達が疲れないうちに引き上げてきた。帰り道で買い物をし、家に戻ってからゆっくりとお夕飯。ここの旦那は飲まない人でむしろ甘党なのだが、それでもTANUKIは飲んだのだろうか…。記憶がない。
   買い物をしたスーパーの洋菓子屋で「絶対におばちゃんが喜ぶ」と子供達が言ったネコのカップに入ったプリンだったかムースだったかの入れ物はお土産にもらってきたはずだった。他にも結構甘いものをつまんだ記憶はある。

   さて翌日、朝などという時間はとっくに過ぎ去るまで寝坊をさせてもらった。遅い朝食の後で海王丸パークへ。釣好きの旦那の大好きなスポットのようで、投げ釣で結構楽しめるそうだ。
   まずは市場へ。しかし北陸のおいしい魚の旬は冬。あまりめぼしいものは無くTANUKIをがっかりさせる。
   次はもちろん海王丸の見学へ。堂々と帆を広げた帆船はなかなかエキゾチックだ。学校で海王丸の海洋教室に参加した長女が勝手知ったるとばかりに案内してくれる。あちこちをのぞきながら船の狭い通路を進んで行く。それでも人が少ないので気楽に歩ける。最後に甲板に出て記念撮影。
   側にある記念館の帆船の模型などを見学した後で、喫茶店で一休み。空はカンカンとよく晴れてここもまた影の少ない場所。アイスコーヒーでほっと一息。店に飾られている黒部渓谷の写真を見ながら、「冬も良いんだよ、スキー場も近いし…」という話になる。
   帰り道で名物鱒の寿司を買いに行く。従妹曰く「ここのが一番美味しいと思う」を買ってもらい家に戻って遅めの昼食。現在只今でおばさん達が詰めてくれたものなので馴染んでいないが、その分ご飯が締まり過ぎていなくて美味しかった。
   申し訳なかったが明日の朝までに帰り着くには食い逃げである。北陸自動車道小杉ICまで送ってもらう途中で「ここのお菓子なら間違いない」という菓子屋でお土産を買い、インターの乗り口間近まで案内してもらう。「ガソリン大丈夫?」と従妹に問われて半分弱あるのでOKを出したのだが、同乗者一同「入れておこう」という訳で、フラリとインターを行き過ぎた先のスタンドに飛び込んでDORAの方向音痴を十分承知の従妹一家をびっくりさせた。車もお腹一杯になったところでいよいよお別れ。夏の日はまだ高いがpm4:00。

   親不知海岸で一休みした後、今回は糸魚川を通り越して上越ICへ。まだ上信越道が繋がっていない時で、R18を使って上信越道の先端になっている中郷ICまで。この道路がたいした距離でもないのにめちゃくちゃな渋滞で、ついに日が暮れた。無事に上信越道に入り、ほっとしたところで新しくできた小布施PA。ものめずらしさで入ってみたが、どこかの花火大会の花火見物の人であふれ売店などは閉まっていて入った甲斐が無かった。
   しかしそろそろ休みたくもあるし、どこかでお夕飯にしなければならないという事で、姨捨SAで休憩。
   後はせっせと車を走らせて、今となってはお馴染みのコースを韮崎ICからR52、R150を通って帰り着いたはずだ。帰宅時間はメモによると8/9am2:00となっていた。


   ところで、前年は帰り道もかなり遠回りを楽しんだ。その話はこの続きへ…。
   続きを書くつもりで資料を調べていたのだが、記憶の中のコース(R153を通って飯田から天竜へ)はそのまた前年の大鹿村でのキャンプの記憶だったようだ。
   1998年の帰り道は平湯で温泉につかり、「せっかくだからこの辺でなければ食べられないものを食べよう」(青年の家の食事は予算もあるし、あたりまえの食事だったので)と食事をして素直に松本から帰ったのではないかと思う。

   この頃から、じいちゃん・ばあちゃんにあまり長い留守を任せるわけにもいかず、パピや慈郎の健康状態も心配で、長い旅が出来なくなった分、夜立ち・車中泊・1泊・夜中帰りなどという事を毎年のようにやっていたらしい。

   じつはこの富山の旅も絶好のタイミングで、この後、この従妹一家はまた東京で暮らしている。


参考 ザ・20世紀 1999年