市民児協理事視察研修in岐阜

 
   2月も末になると理事視察研修の季節がやって来る。今年の行き先は岐阜県可児市民児協。昨年秋に市民児協の全体研修でお世話になった先生の紹介だそうだ。
   初めの案では今年も早朝の出発予定だったが、いつの間にか8時出発に変わっていた。それでも6時起き。雨戸をあけて洗濯物だけ洗って部屋に干していく。
   今回は焼津集合組が8時、それから大井川庁舎集合組をひろって吉田ICから東名へ。東名に入ってから会長の挨拶、事務局は今回はいつもの担当さんではなく係長が同行でご挨拶、さらに添乗員さんからもご挨拶。30分もする内に遠州豊田PAで1回目のトイレ休憩。トイレはともかくコーヒー。午後から相手先と交流研修のためアルコールはご法度という事でお茶が配られバスの中も割合静か。
   窓の外を見ていると愛知県に入ったあたりから『鹿出没注意』の看板が所々に出ていた。次の休憩地点は守山PA。小牧JCTから中央道を東に小牧東ICで高速を降り犬山方面へ。ここまで来ると日陰には所々雪が残っていた。入鹿池という池がありその脇が明治村、ここには小泉八雲が夏を過ごした焼津の民家もあるそうだ。昔TOPPOさんの免許取りたて車で行ったリトルワールドもこの近くにあるようで案内板が出ていた。
   11時半前には名鉄犬山ホテルで昼食。和洋のバイキングで、ケーキ類が美味しかった。早めだったのでお客さんは多くなかったが相客の団体さんはお坊さんと和服姿のご婦人方だった。
   ホテルの隣りに有楽園と国宝の茶室・如庵がある。入館料\1.000、お茶が\500と聞いて、慌ただしく見るのではつまらないので今回はあきらめた。向かい合うように犬山城の櫓が見える。カメラ好きがそれぞれにアングルを求めてホテルの周りを歩き回った。
   お腹も一杯になってR41を通って可児市へ。   
   40分ほどで着いた可児市社会福祉センターは明るい建物だった。可児市民生児童委員連絡協議会の皆さんにで迎えられて大きなホールの会場へ。可児市は9単位民児協があり、それぞれの地域でかなり土地柄も違うそうだ。委員会(部会)は市民福祉委員会・事業委員会・広報研修委員会・児童委員会の4つがある。ただしこれは理事さん達がそれぞれのどこかに入り運営をしていくというもので、一般の委員の方はそれについて行けば良いので理事さん方が特にハードワークになるのではないかと思った。
   委員会は市民福祉委員会が研修計画、事業委員会は主に委員同士や他機関との連携だが、広報研修委員会は市民児連独自のハンドブックを作ったり、ホームページを作成していたり特色がある活動をしておられる。そして児童委員会はその下に主任児童委員部会を置き、子どもに関わることを主な活動としているが、特に各地区で月1〜2回行われている子育てサロン運営に主体が置かれているようだった。子育てサロンは各地区がそれぞれに色々な形で運営をしているが、企画は主任児童委員が行い民児委員数名が交代で加わって当日の運営をしているようだった。
   また、個々の委員の訪問活動では活動状況票を活動記録とともに出すことで、活動内容が細かく把握されるとともに地区会長が相談に乗りやすい形になっていた。
   広報に熱心な所なので双方熱心な話し合いの間にも記録写真を何名かの方と事務局の方が撮っていた。
   2時間の予定を少しオーバーして色々な刺激を受けて可児市社会福祉センターを後にした。
    その後は近くにある犬山焼き徳利杯館へ。個人のお宅で、昭和40年代からコツコツと集められたものだそうでが、部屋一杯にあふれかえっていた。岐阜県の町かど博物館・美術館に認定されているそうで、他にもこのような個人の収集品から県立の美術館や博物館までお仲間なのだそうだ。
   狭いので半々に分かれて、まず収蔵品の納められている部屋でお話を聞いた。犬山焼きは手びねりのためにみな微妙に形が違う事、染付にも何タイプかある事、雑器のためにこれだけまとまって集められている所は他にない事などのお話があった。
   交代して母屋の方ではこれまでのテレビ出演などのDVDをいくつか見せて頂きながらお茶を頂いた。
   ここからはR21を1時間近く進んで本日の宿、鬼岩温泉へ。細い道のドン詰まり、しかも手前の宿が改築中、氷・雪・つららと焼津ではなかなか見られない冬景色とちょっと心細い風景だったが、飛騨木曽国定公園内のラジウム温泉だそうだ。
   今回は女性6名で1部屋。とりあえず皆着替えて一休み。「寒いから風呂は後でもいいや」とみんなでそのまま指定の時間に夕食会場へ。珍しく先にお風呂に浸かった男性陣の方が後からの登場となった。
   「飲み物はそれぞれ自前」なのだが、本日の研修も終わったし、何人か芸達者のタレントもいるしという事で、途中からカラオケも入りにぎやかになった。食事は和食で山の中ではあるが海の物も色々出たが、アワビ茸という肉厚のキノコの煮物が珍しかった。
   お開きの後はもう1人の方と2人でサッサとお風呂へ。お湯はサラリとして気持ちが良かったが、大浴場というには広さがない。
   カラオケに回った何人かを待ちながら後は布団の上でゴロゴロとおしゃべり。カラオケ組もずいぶん盛り上がっていたようだった。
   翌朝は皆さん早々と5時過ぎから動き出す。朝風呂に行った人もあるが私は何するわけでもなくとりあえずお付き合いで起きたままボ〜と過ごす。
   朝ごはんは7時半から。我々の他は泊り客は女性の3人組だけだったらしく、朝もバイキングではなく和定食が並んでいた。しかし、最後にコーヒーが出て来てラッキー。
   ちらりと売店も見たが特に名物らしいものもなくそのまま荷造りをして9時に出発。
   
バスは温泉街からメインストリートに出て直に道の駅陶匠の里志野・織部。名前の通り売店は焼き物のオンパレード。すぐに使えるお茶碗やカップ類などから工芸品に近いものまである。外では野菜や花なども売られていたし店の一部にはお菓子のコーナーもあった。かなり時間を取ってくれたが、雨がぱらつくお天気で、外にある個々の工房の店まで見る元気はなく、箸置きと栗のチップが入ったクッキーを買っただけでバスに戻った。
   そこから40分近く一般道を進むと日本大正村。ここには一昨年地区での研修旅行でも訪れた。あの時大正100年であったが、今年は大正102年。しかしガイドさんも同じ方で、ほぼ同じコースを回った。大正村の開村記念日は役場の前にある。碑の上に地域の産業であった蚕の繭と大正モダンの象徴のカンカン帽が乗せられている

   2度目の良い所は説明のある位置は大体覚えているので、この位置からなら写真のアングルとして良いだろうという事だったが、どこの団体でも写りやすい人と写りにくい人がいる事で今回も編集には苦労した。やはり最後は大正村資料館から大正の館で椎茸茶を頂いて一休み。
   次はR363を戦国時代に織田信長の叔母が女城主として治めていたという岩村へ。
   まずはお昼。12時半を回っていたが朝しっかり食べたのであまりお腹は空いていない。古い街並みの風情を残した道から山道に入り岩村山荘へ。天守閣型の5層の器にそれぞれおかずが入った城下町弁当を食べた。少し時間がずれていたせいか広々とした座敷に我々だけ、別の部屋でもう1組お食事中のようだった。

   食後はバスで岩村振興事務所脇の駐車場まで戻り街中散策。そこはかとなくノスタルジックな街並みの中をまずは岩村醸造へ。女城主という銘柄のお酒を作っている。昨夜も飲んだがサラリとして飲みやすいお酒だった。お店でも精米率を上げて醸造していることを強調されていた。他に日本種ベースのゆず酒や梅酒、甘酒もご自慢のようだった。昔は間口に税が掛ったので、手前は店、奥には住居、さらに奥が醸造所になっている。昔は重い物を運ぶのにそこをトロッコのレールが通っていたそうで今も名残りがあった。
   試飲をし買い物をして次はお向かいのカステーラの松浦軒本店へ。和菓子屋さんだが見た目が厚焼き卵のようなカステーラがご自慢のようだ。しかし、お雛様の時期のお菓子だというウイロウのようなからすみを買ってみた。
   ここまではほとんどの人と一緒だったが、後は三々五々に街をぶらつきながら駐車場の方へ。雛まつりをテーマにほとんどの店で外から見える所にお雛様を飾っていたが、今風の7段飾りから、お内裏様だけ、昭和初期に流行った御殿飾りなど新しいものも古いものもあったがどれも大切に飾られていた。また、江戸時代の岩村藩出身の儒学者・佐藤一斎という人の格言のような言葉があちらこちらに飾られていた。
   ブラブラと歩いて一般住宅のある方に入っていったらどこの玄関にも餅花が飾られていた。少し先に行くと子供達が家の人に渡している所にであった。どうやら近くの特別支援学級の子ども達が作ったものを家々に配っているようだった。
   さて、バスに乗って中央道恵那ICから高速へ。そろそろ3時。土岐JCT漢東海環状自動車道、鞍ヶ池PAでトイレ休憩をした後は豊田JCTから東名へ。ほとんどの皆さんが疲れてウトウト。途中でDVDを点けてくれたのだが「なくても良いよ」となって気が付けば吉田IC。まだ明るいのがうれしい。ここまできて大井川を越すのに渋滞。大井川庁舎で半分が降り、ほぼ予定通り焼津に到着。2日間の旅が無事に終わった。
     


今回の旅のおみやげ