ちょっとした感想   

16/4/19

   新東名とR52の関係を知りたくて、天気も良いのでTANUKIも乗せてドライブ。まさに走るだけが目的。
   結論から言うと楽になった。岡部ICで乗って新清水ICを出た所でR52に接続。R52自体も道幅がしっかり広がり走りやすくなっているので無理をせずに富沢の道の駅まで自宅から1時間。9時過ぎに出たので以前ならそろそろ昼かという湯葉の里辺りは10時台に軽く通過。中部横断道の増穂ICを11時半頃、中央道との双葉JCTまではそれから10数分だった。ここまでは踏査。
   本日はここから東へ。双葉SAで食事。豚肉がご自慢らしく、ヒレカツもTANUKIの食べたカツカレーのカツも美味しかった。双葉SAは裏に一面にローズマリーを植えた散歩道があった。微かに富士山が見える見晴らし台もあるのだが、たくさんある電線がなんともお邪魔。それでも新緑がきれいだった。
   いつもとは逆方向から大月JCTを富士五湖道へ。目にゴミが入って見辛くなり谷村PAへ飛び込んだが、TANUKIはあわてず騒がず自分の話をしていた。花粉症用の目薬ではダメで洗面所で目を洗い仕切り直し。
   本日は河口湖ICで出てR139を富士五湖方面へドライブ。こちらはまだ桜もきれいに咲いていた。鳴沢の道の駅に着いたのが2時前。三つ葉つつじと富士小桜があまりきれいなので有料(\100)の散歩道を逍遥。本来は富士山の噴火の後の溶岩流の通った後などを見るコースなのだが、コースの中に富士山に関する大人向け・子供向けのクイズなども置かれていてクイズラリーもできるようになっていた。座りぱなしだったので1時間ほど足を動かして出発。
   次は朝霧高原道の駅。やっと静岡県に帰ってきた。富士山を撮ったり、隣にあるあさぎりフードパークを回ったりしてここでも結局1時間。上野製菓でお饅頭を買い、いも工房かくたにではTANUKIが「芋ケンピはもっと太いのが良い」とお店の人に言いだし、富士正酒造の2Fから醸造所の見学をし、朝霧乳業のソフトクリームを食べた。最後に道の駅に戻って巨大化したなめこを買った。
   あとはひたすら東名富士ICを目指して車を走らせる。最近はこのコースは途中の新東名へ入ってしまう事が多いのだが、カーナビのバツ印が気になって今日は東名まで進んでみた。後はひたすら帰り道。スーパーで買い物をして、猫たちがそろそろ「お腹がすいた」と騒ぎだすタイムリミットの6時過ぎには家に着いた。日が長くなって、帰って来た時にまだ外が明るいのは助かった。

16/4/18

   焼津VCで聞いた土嚢袋の話をしただろうか。
   そもそもは広島の土石流災害の時に全国から支援物資として大量の土嚢袋が集まったそうだ。使いきれずにしまってあったものが、清水での水害の時に回して頂いた。さらにここでも使い切れなかったものが常総市の水害の支援物資としてお役に立った。もしも残っていたら、さらにこれら土嚢袋は熊本へも支援に駆けつけることになるだろう。
   避難所ではまだ水・食べ物など必要な物資もなかなか来ない状況のようだ。今の日本、情報の廻るのは早いので必ず近くまで送り主の気持ちとともに支援物資は届いているはずだ。
   我々は東海地震の場合、道路事情が悪ければ数日から1週間は自助・共助で持ちこたえようという刷り込みがされている。熊本のどこかの地域でも、待っているだけでなくそれぞれの自宅の食料を集めて地域で食事作りをしようという動きもあるようだ。
   余震が怖かった中越地震の時、ご近所が集まってビニールハウスで夜を過ごしたという話も親類から聞いた。
   最近災害列島化している日本、先輩被災地には色々な知恵もあるはずだ。今回の熊本・大分はまだ発災したばかり、被災地の皆さんには気持ちをしっかり持って乗り切ってほしいと願っている。

16/4/16

   1昨日から九州熊本を中心に地震が多発している。1昨日の震度7が前震で、今日になったとたんの1時過ぎにまた震度6強の本震が起きたのだそうだ。断層帯が複雑にくっつきあっている所で、阿蘇山もあり、かなり大きな余震が続いているだけに、まだまだ何が起こるかわからない不安がある。
   テレビ時代のおかげで国内の大地震だけでも何度も視覚的な体験はしてきている。阪神淡路の時は火事が何といっても印象に残っている。中越では今回と同じように余震の不気味さが残っている。そして東日本大震災は津波。地震と一口に言っても災害の様子はそれぞれに違う。
   今回は被災地域はさほど広くないようだが、空港・新幹線・JRさらに道路の寸断と交通インフラが軒並みやられたのが気にかかる。
   これ以上の大きな災害にならないことを祈るとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げる。

16/4/2

   『風の頁』で知合ったままねこさんが、風さんの7回忌を機にブログ『本郷風月堂日記』を閉じる事にしたそうだ。
   もう7年も経ったのかという感慨の方が深いが、ままねこさんにとっては風さんの療養・会社の閉鎖などその前の数年から始まって怒涛の日々だったのではなかったろうか。
   『風の頁』との付き合いは私にとってネット世界に足を踏み出してすぐからだったので、『しりとり俳句塾』などの牧さんのページとともに多くの人と出会わせてくれたありがたい場だった。様々な世界に生きる人・考え方などをそれぞれのホームページやブログで交流することで、世界が広がった気がする。
   しかし、その頃の子供たちが皆もう大人になって、就職したり結婚したりの年頃になってきた。我々はちょっと見変わらないが、周りの時間の過ぎて行く様子がそんなところからも窺える。

16/4/1

青空に一本すくと山桜     DORA

3月    5月