23/2/28
TANUKIの付き添いで島田市総合医療センターへ。
最近できたばかりなので、とてもきれいで慣れれば分かりやすい作りになっている。外来病棟の2Fにコンビニや食堂も入り便利にできている。
今回は焼津市立病院の眼科から回されて涙の流れの検査。
脳炎以来、どうも目がシャッキリせず、日赤では2度の眼瞼下垂の手術(一気にやり過ぎて引き攣ってしまっても困るのでとの事だったが)、そして今回は涙が溜まりすぎるのが何故なのだという検査兼治療。
涙は目から鼻に抜けていくようにできているのだが、そのどこかで詰まっているのだろうからという事でそれを探る検査だったようだ。とりあえず開通したようだが、このまま持ちこたえられなかったら次の手を打つことになるらしい。
それにしても、10時にたどり着くためには9時出、次回予約の9時半のためには8時半出、それまでに家を片付けて出ていくのは結構忙しい。
23/2/19
NHKの『ダーウィンが来た!』でニホンオオカミを取り上げていた。
120年前に絶滅したことになっていて、写真なども無く、いくつかのはく製や骨格標本、毛皮などが残されているだけで、謎の生き物になっているらしい。
オランダにある指標標本がDNA鑑定で日本犬とのミックスだったという事実から始まって、それなら本来のニホンオオカミはどんな生き物なのかというCGによる復元作業をやったようだ。
骨格から、日本の地形に合わせて急な坂でも安定して動ける小型で足も太く短かったようだ。さらに寒さに対応して耳も小さかったらしい。大きくはないが足も顎もガッシリした、いかつい生き物であったようだ。さらに、実はニホンオオカミが犬の近いルーツにあたるらしいという事も分かってきているらしい。
現在、シカやイノシシがこれだけ増えてもオオカミの姿が現れないのは、やはり絶滅してしまったのだろうが、自然のバランスを取るためには居てほしかった生き物だ。
23/2/17
『茶々との時間』を書くためにこの20年の日記をひっくり返している。
今日はちょうど母が入院をしたり、介護保険を使って様々に制度を利用して介護したり、その上にTANUKIが退職してホッとしたためか、あちこち具合を悪くしたりの中で、よくもまあ、自分があれこれやっていたと自分の事ながら感心している。
自分も結構体調は崩しているが、何となく上手いタイミングで次へと進める事が出来ているのは、お繰り合わせというものがあったのかなぁとあまり信心深い方ではないが、思ってしまう。
そして、お互いに調子が悪くてもTANUKIも協力的だった。O家の母の介護の時もそうだったが、こういう時は良いタグが組めている。
23/2/7
総理秘書官がLGBTQの人々や同性婚対する差別発言をしたというので政権の立ち位置が問われている。彼が総理のスピーチライターだったという事で、岸田総理の発言の底にあるものの解説をもらおうという記者達とのオフレコ発言中に出たらしいが、オフレコとはいえ「隣に住んでいたら嫌だ」はないだろう。岸田総理だけでなく内閣全体の見識が問われる。
昭和の人間としては非常に個人的な事は踏み込まないのが大人のマナーだと思うのだが…。それがDVや児童虐待を生むというので批判もあるが、1人で暮らそうが誰かと一緒に暮らそうが、本人達がそれで良いと納得しているのなら、傍でとやかく言うのはおかしいと思う。
ともかくこの秘書官は更迭されたが、それで岸田内閣がこの件についてどう考えているかの免罪符になるわけではない。
23/2/1
あっという間に1月が終わってしまった。
『茶々との時間』のためにHPのあちこちを振り返っている。すっかり忘れている事かある半面、覚えてはいるものの、この頃だったのかというものもさまざまある。記憶というものはさほどあてにならないと思いつつ、思い出に残るものというのは私というものを構成しているものなのだろう。
しかし、バタバタと慌ただしくても動けていたあの時代、良い時代だったのかもしれない。