ちょっとした感想   

23/1/28

   ようやく法多山へ初詣に行った。人でごった返している松の内は行きたいとは思わないが、立春が来てしまえば初詣とは言い難い。
   昨日は県西部で雪が舞っている映像がテレビにも出ていたが、時間を遅らせれば良いだろうと10時頃出たが、まだ道路の端やトンネルは危うい所があり、何だか分からない渋滞にも何度かあった。
   平日よりも人は多いし屋台店の開いている所もあって賑やかだったが、日陰の山道は風が冷たかった。
   今年のおみくじは小吉。それでも割と希望の持てる内容だった。昨年のおみくじを結んでいこうとおみくじを結べる場所に行ったら、脇の方に昨日の雪か今朝の霜か真っ白に残っていた。
   例年通り厄除け団子を食べ、お昼を食べて、義弟達の所へお土産の厄除け団子を配って帰ってきた。

23/1/26

   『茶々との時間』を書くためにホームページの中を彷徨いながら記憶を辿っている。
   本筋からは離れるが、自分の体調の記録をかなり残していた。当時あまり気にもしておらず、一過性の体調悪化だろうと思っていたのだろうが、咳喘息も胆石の症状もかなり前から経験していたようだ。
   同様に猫達の状況もクロン・みゆ・茶々とみんな同じような状況から死に至っているのだが、早期発見は残念ながらできなかった。もともと猫は腎臓が弱いらしく、研究をされている先生を応援しようというサイトまであったような気がする。(読み捨ててしまって出てこないが…)
   他人にとってはつまらない記録かもしれないが、書き残しておくことは本人にとっては意味があるのかもしれない。

23/1/20

   自動車学校へ高齢者講習に行ってきた。70歳を超えての運転免許更新の前に必要になったそうだ。
   まだ半年あるのだが「お早めに」との事で、さっさと予約をしたのだが、たまたま今日、自動車学校へこれから予約をしたいという人が来ているのに出くわした。「次は4月です」と言われていたので、多分、2月・3月は今も学生さん達が卒業前に免許を取ろうという事で混雑するのだろう。
   講習そのものは半分が「高齢化とともに身体機能も衰えるので注意しましょう」というビデオと視力検査。普通の視力検査に動体視力、夜間視力、視野の確認。「あくまでも参考です」との事だった。
   後半は実車教習。しばらくぶりの教習車もさすがに現代化していた。ただ、バック確認のモニターが無いし、シートの位置で足のおさまりがいまいち窮屈で怖かった。
   内容は教習コースをグルグル回りながら、一時停止や横断歩道、信号での停止、障害物のよけ方や他車とのかかわりなどのチェック。面白かったのが、段差に乗り上げるというもの。アクセルを踏みすぎて突っ込まないようにとか、慌ててアクセルとブレーキを間違えないようになどの体験をさせているようだ。方向指示以外は「大丈夫ですよ」「落ち着いて」と先生も穏やか。特に講評も無く最後に終了証をもらった。
   この終了証を持って免許更新に行くので、「大事にしまい過ぎて忘れないようにしなくちゃね」とご一緒の方と言い合って帰ってきた。
   なお、75歳を超える時には認知症のチェックがあるそうだ。

23/1/11

   岸田総理が異次元の少子化対策をすると言っているが…。
   本当にやる気なら、まず、嫡出子だ非嫡出子だという差別をやめるべきだろう。さらに、シングルで子育てをしている保護者、お母さん2人、お父さん2人という家庭でも子育てが普通にできるようにシステムを作るべきだろう。
   さらに、最近は1つの家庭での子供の数が少なく、赤ちゃんと触れ合うことなく親になろうとしている人達が居るという事も意識すべきだろう。子育て支援だけでなく、子供時代に赤ちゃんとの触れ合いの体験が豊富にできるように学校などのカリキュラムを組むべきだろう。
   そして、新婚さんや子育て中の親の単身赴任など人道的にあり得ない、という意識を企業が持つべきだろう。育休も年間で何時間という形で子供が高校を卒業するまで(大人になるまで)取れるようにすべきだろう。小さい内は次々と病気にかかるし、大きくなるとクラブ活動のフォローや進路の相談など、両親でかかわるべきではないだろうか。そもそも、学校から地域にクラブ活動を取り出しても、よほどの都会以外にその指導者になれる程の時間の余裕のある人など、無いのではないか。
   個人にお金をばらまいても異次元の対策にはならない。まとめて保育・教育・児童福祉などの専門職の増大と給料保証などに充てるべきだ。

23/1/7

   夜、茶々が死んでしまった。足掛け20年。私の両親が生きている頃、父に可愛がられ、母の布団に潜り込んでいた頃からの長生きの猫だった。
   外ネコのお母さんからしっかりしつけられて保護されて連れて来られたので、初めは用心深くてどこに隠れているのかもわからなかったし、食事も人が居ると出てこなかった。外が大好きで、1度出てしまうとなかなか家の中に入ってこなかったが、ここがテリトリーだという認識はあったらしく、呼べば姿位は見せてくれた。
   一緒に来た兄弟の蒼はかなり早くに車にはねられて死んでしまったが、その分までもしっかりと長生きをしてくれた。
   来て数年後くらいから、「そろそろ夜食だろう」とパソコンに向かっている私の足元でウロウロとするようにはなったが、撫でられるほど側にいるようになったのはこの数年、ヒョイと抱き上げられるようになったのはここ数か月、私の布団に入りにきたり、朝起こしに来たりするようになったのも昨年の秋位からではなかっただろうか。
   腎臓はかなり悪いとの事で昨年秋の終わりから補液の注射に通っていたが、体重は順調に減っていた。ゴロゴロ喉を鳴らしているのか、ゼイゼイと痰が絡んでいるのかよく分からない喉音も出していたし、時々口の周りをかきむしって辛がっていた。満身創痍だったのだろうが、生物である限り寿命はあるので、寿命の限り精一杯生きて幸せであってくれたのなら、それが一番良い。
   写真は今日のおやつ時。左右の前足の太さが違うのは、昨日、獣医さんで補液をしてもらったものが背中から足にまわってしまっているから。

23/1/4

   暮れから『すずめの戸締り』(新海誠著/角川文庫)を読んでいる。
   縦糸は素直すぎる青年と少女の恋物語なのだが、東日本大震災から関東大震災までの災害が横糸となり、記憶がもう1つのテーマとして散らばっている。
   暮れにテレビでアニメ映画としてのコマーシャルがかなり大量に流されていて気になっていたのだが、本屋で出会わなければそれで過ぎただろう。たまたまパラパラとめくってみて、テーマの底に居る黄色い目をした白い子猫と緑の目の黒い大猫に魅せられてしまった。猫達は日本の災いを封じる要石の化身なのだが…。
   物語の初めで青年が子猫の呪いで椅子と一体化されたところから大冒険が始まる。子猫の行方と彼らにしか見えない空に現れるミミズという災害の予兆を追いながら、ミミズ(災害)があふれ出してくる扉に鍵をかけ、廃墟となった土地を土地の神に返還していく。青年にとってはそれは家の仕事であり、少女にとっては母の形見の子供椅子と一体化してしまった青年と行動を共にすることで自身の心の中にある謎を解いていく旅となる。
   アニメが先にあるからか問題をこじらせる悪い人は出てこず、一直線にゴールに向かって走り過ぎていくが、災害だけでなく、過疎・人の欲望や気まぐれが作った廃墟など、考えさせるテーマが色々と詰め込まれているようにも思う。
   椅子が主人公というと松谷みよ子さんの『二人のイーダ』を思い出すが、ここでも黄色い子供椅子は重いテーマを子供にも印象付けるキャラクターとなっている。

23/1/1

   新しい1年が始まった。茶々も無事に年を越すことができた。
   天気も上々で年賀状とテレビを見るだけの穏やかな1日だった。
   日本も含めた世界各地で異常気象による災害や戦争や紛争などで命の危機にさらされている時に贅沢なことかもしれない。しかし、この穏やかな暮らしが続くことを願う事は、有限な命を生きるものとして必然だとも思う。

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