ちょっとした感想   

24/2/24

   宮城野部屋の幕内力士・北青鵬が部屋で弟弟子に暴力を振るうなどして引退させられた。引退届を出したという事だが事実上の解雇という事だろう。
   宮城野親方自身も監督不行き届きという事で、平の年寄りに降格との事だ。いくら大横綱と言っても現役引退をしたばかりで部屋を引き受けるのは難しかったのだろう。また部屋に同居していなかった事で問題を悪化させたともいわれている。
   大柄で体力自慢の10代の男の子の集団を育てていくのはかなりの大仕事だろうが、相撲の世界だからこそ大成したというヤンチャもたくさん顔を思い起こせる。だからこそ相撲部屋を預かる親方には伝統とともに最新のノウハウを吸収して子供達を大人の漢に育ててほしい。
   大柄力士が少なくなってきた中で、大きな北青鵬には期待もしていただけに相撲以外の所でコケてしまったのはとても残念だ。まだ若いのだから、格闘技界でもプロレス界でも誰かが引き取って大人に育ててくれることを願っている。

24/2/22

   足の骨折のその後。
   やっと歩いている時の違和感がほぼなくなった。本日はどの位治ったかチェックのレントゲン。前回と違って、線は短くなったもののここだと指摘できるような直線が残っている。
   という訳で、「完治したわけではないので無理はしないでね」とまた膏薬をもらって4週間後のレントゲン確認という事になった。

24/2/20

   将棋の青野照市9段が通算公式戦800勝目をあげたそうだ。焼津市出身で現在71歳。今年度末で引退されるが、史上26人目の快挙、もちろん最年長での達成だ。
   A級での活躍もあるが、タイトル戦は立ち合いばかりで、ご本人がチャレンジしたことは無かったのではないだろうか。
   ちょうど私の両親がこちらに来た頃が活躍の時期だったので、父と「焼津の人だって」と話して活躍を見ていた思い出がある。

24/2/18

   幼児の虐待死事件が立て続けに2件おこった。
   東京の事件では4歳児が、青森では5歳児だった。どちらも児相が虐待情報をつかんでいた中で、ちょっと知識があれば「危ない」と思う事例であったのにもかかわらず、亡くなるまでに対策を打てなかった。
   東京の事件では3番目の子が亡くなった。多分、母親はこの子の妊娠・出産がかなり不本意なものだったのだろう。上の子供達の世話はそれなりにしていたようだし、3人とも両親の実子だったようだ。母親が精神的に不安定でもあったようで、妊娠・出産・産後に伴走できる体制と必要ならば上の子供達に手を差し伸べるなどして、生まれた子との間の親子共の愛着形成をするべきだったのではないだろうか。
   青森の件は、母親の連れ子だった子が殺された。今の父親との間に実子ができたばかりで、上の子にとっては母親を赤ちゃんにとられたようで不安で、父親にとっても母親が赤ちゃんにかかりきりになった事がイライラの原因になったのではないだろうか。これも周囲に多くの手と目があれば、避けることができたと思われる。
   岸田総理は子育て世帯すべてに同じような支援をしようと思っているようだが、生まれた命がこのように不幸な終わり方をしている事にもっと目を向けるべきだと思う。子育ては家族のみでするものではない。地域が受け入れるのはもちろんだが、専門知識を持った保健師・保育士・児童福祉士などをきちんとした待遇で必要数を手配するなど、子育てのサポート体制を作ることも大切な事である。
   そうでなければ、一方では大学進学どころか今日食べるものに苦労する親子がある一方で、支援金で塾やお稽古・海外旅行などができ、同じ国に生まれた子供達の生活の質の格差を広げるだけで、問題の解決は遠のくのではないだろうか。

24/2/11

   先日の国会中継で旧統一教会と文科大臣の関係が追及されていた。
   どうやら選挙で旧統一教会系の団体からの推薦状を受け取る際に政策協定を作ってサインしたという事のようだ。
   ご本人は「多くの団体から推薦をもらっていちいち覚えていない」と追及を躱しているようだが、おかしなことだという事に、民主主義国家について習っているはずの小学校高学年の子供達にも気づいてもらわなければならない。
   どんな団体に関係しようと日本国籍を持てば日本人であり、成人していれば選挙にかかわるのは義務である。そして選挙とは、自分が政治にかかわる代わりに自分と意見の合う主張をしている立候補者を選ぶことである。つまり、意見が近いから応援するのであって、当選したとたんにそれを反故にしては政治家として信頼されない。
   大阪の方らしいが、有権者の皆さんは次もこの方に投票するのだろうか。

24/2/8

   足の骨折の続報。
   1週間たってレントゲンを撮った結果、素人には「ここ」と指摘されないと折れた個所か分かりにくい程度にはなった。しっかり治ったわけではないのだろうが、順調に治りつつあるようだ。
   ようやくギプスは卒業。代わりに朝晩張り替えるようにと膏薬をもらってきた。一応、消炎鎮痛薬らしい。
   ところが、ギプス対応で、TANUKIのサンダルしかはけない事もあり、分厚い毛糸の靴下で居たので足がむくんだらしい。ギプスを取り包帯も取り、普通の靴下をはいても自分の靴がはこうとすると痛い。さらにはサンダルまで(硬いので)痛い。明日は歯医者に行かなくてはならないので、しばらくぶりに車を出して買い物にも行きたいのだが、果たしてそれまでに足は落ち着くのだろうか。骨折からの治りかけの足に無理は禁物、とはいえ、用事もたまっているのだが…。

24/2/5

   能登半島地震から1月余りが過ぎた。道路網の寸断のせいでまだ災害時ボランティアも入れない所があるようだが、それでも少しずつボランティアも入り始めた。親戚が居るから、自分の所が災害時に皆さんにお世話になったから、旅行に来た事があるからなど、ボランティアに来た理由もさまざまのようだ。
   彼らボランティアさん達が被災地に希望と活気を届けてくれることを祈る。
   災害時だけでなく「大変だったね」「手伝うよ」と言う言葉に当事者を元気にする力がある。
   「あの時は大変だったよね」と言うまでには、まだまだ時間がかかると思うが、それでも1歩踏み出せば前に進んでいく気持ちも生まれてくると祈りたい。

24/2/2

   昨日からの足の骨折続編。
   昨夜は「お風呂に入るのならギプスを濡らさないように」と言われていたのだが、疲れてしまってお風呂どころではなくなってしまった。そのギプスも夜寝ている内にしっかりと固まったようで、足をついた時のフニャフニャとした感触は朝には無くなった。
   午後にはまた通院。今日はTANUKIのサンダルをはいて(それしか足の入るものが無い)テクテク歩いていく。気を抜くとサンダルが脱げそうになるので、さすがに信号厳守。
   足に沿ってギプスがしっかりと整形されているので、今日からお風呂はギプスを脱いで入って良し。その代わり看護師さんによるギプスの取り方と入浴後の着け方のレクチャー。ずれないように絆創膏を巻き付けてガッチリと留めれば包帯は緩衝材と気休めのようだが、ギプスの外側が綿なので毛羽立たないように巻いておいた方が良さそうだ。ただ、今日は昨日よりしっかりと巻かれたらしく、やっと慣れたバランスが崩れてまた立ちにくくなってしまった。
   看護師さんの見立てによると「1~2週間かなぁ」との事だが、そのあたりがメチャクチャに忙しいのだが…。

24/2/1

   先月半ばに椅子ごとコケて痛めた足がなかなか治らない。
   とりあえず、腫れは引き、見事に青ずみった内出血もほとんど引いたのだが、ここが痛いと言い切れる場所は無いものの足の裏が痛かったり、脇が靴に当たったり、どうもおかしい。今日、鍼の先生でそんな話をしていたら、スポーツ選手のトレーナーなどもしている娘さんが「レントゲン撮りました?亀裂骨折という事もあるよ」というので、午後は近所の整形へ行ってみた。
   先生に軽い調子で「まずレントゲンを撮りましょう」と言われ、結果、見事に小指側の骨に筋が入っていた。とりあえずギプスでグル巻きにされ、痛み止めを処方されたのだが…。痛みはともかくこれでは靴がはけないし、車をどうしようとかなり焦った。しかし、当分車どころではなさそうなので、突っかけた靴で恐々自分で運転をして家まで戻った。「明日もう1度いらっしゃい」と言われたが、先ずはける靴がない。何でもなければ5分も歩けば着く所にあるのだが、この足で行くとなるとかなりの遠足になりそうだ。
   家に戻って今度はスリッパもダメ、靴下が無ければ足が冷たくて、あっちこちかき回して毛糸の靴下を探し出したが、何枚も持ってはいないし、歩ける買い物範囲に衣料品店は無い。
   車が無いと全く動きが取れない場所に住んでいるのだと、つくづく感じた。

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