ちょっとした感想   

08/1/31

   昨日の餃子の件だが、幾重にもミスが重なって先月の中毒事故以来昨日まで公表もされなかったらしい。
   もっとも、1番のミスは味がおかしいと思って食べてしまった人達なのだが…。味がおかしい、しかも薬臭い・腐敗臭など身体のセンサーが危険と感じるものは食べてはいけない。
   病院や保健所ははじめは食中毒を疑って細菌・ウイルスの検査をしたというので、その点は仕方がない。その後の検査で薬品が出たということで、そこから騒ぎになるまでのタイムロスは気にかかる。中国の工場の安全管理も問題だが、日本の危機管理もお粗末としかいえない。
   今回自主回収対象品に業務用食材がずいぶんあるようだが、外食もコンビニ弁当も大丈夫かしらと思いながら食べたくはないのだが、この忙しい時に困ったものだ。

08/1/30

   中国で生産された冷凍餃子を日本で食べた人が有機リン系の中毒にかかって何人かが入院をしたそうだ。同じ工場で生産された冷凍食品が回収され始めている。加工品、しかも業務用のものまであるとなっては我々は何を信じて食べたら良いのだか分からなくなる。さらにはCO-OPの品まであるようだが、CO-OPは商品管理についてはものすごく厳しいはずなのだが…。
   残ったものの検査から残留農薬が出なかったとの事で、部分的に混じってしまったのか、後からどこかの段階で作為的に農薬が混入したのか(となると犯罪だが)これからの日中の様々な機関の調査が気になる。

08/1/29

   ガソリンの上に乗っかっている揮発油税の暫定税率が国会での焦点になっている。
   道路特別財源での暫定だったはずだが幾星霜、半年前には余剰を福祉に使おうかという話も同じ国会で出ていたはずである。しかし、庶民の体感では思い切り不景気の昨今、揮発油税の掛かった料金から消費税まで取られているガソリン料金を正常な価格に戻す事によって物流コストを下げた方が結局のところ景気のためにも国民の気持ちの上からももっとも安上がりな対策ではないかと思う。

08/1/26

   『蒼へ』を書くために古いメールの記録や『4匹ネコズルーム』をひっくり返している。
   一緒にいる間は気がつかないものだが、実は家に来て数ヶ月、夏あたりには2匹ともだいぶ普通のネコらしく過ごしていたらしい。家の中を走りまわり、結構スルリと抜けて外へも遊びに行って、ちゃんと帰って来ていた。ネコとしても生後半年あたりは親からの独立の頃、その頃に信頼をして放っておけば、今頃は普通に付き合えるネコになっていたのかもしれない。ちょっと過保護にして育て方を失敗したかも…。

08/1/23

   食品の次は紙の偽装だそうだ。再生紙のほとんどが古紙の利用率を偽っていたらしい。しかし、最近のハガキやコピー用紙のきれいな紙面を見れば、もし古紙を利用しているのならその漂白にかなりのコストが掛かるだろうなと思わずにはいられない。
   本来、紙のすべてに真っ白さを要求する事はない。我々の世代は学校の配布物はわら半紙、漫画本や週刊誌などもすぐに破れるような紙が使われていたし、トイレの落とし紙は黒っぽかった。そしてそれで充分だった。
   無駄に木を切る必要はない。しかし、森を育てるつもりなら間伐も枝打ちも必要である。つまりチップの形で使う木は出そうと思えば出るものだし、それが産業廃棄物でなく商品として流れればその作業が仕事になり森も守られる。外国から燃料をかけて運ぶのではなく、国内で一石何丁にもなる仕事を作る事を考えたらどうなのだろうか。
   環境を考えるとはコストだけでなく全体の無駄を省く事だと思う。

08/1/22

   昨日、蒼が車にはねられて死んでしまった。小慈朗をはじめ歴代家のネコにとっての危険地帯でだった。生あるものはやがて死ぬ、それは仕方がないがクロンやみゆが老境に入ってその後を繋ぐ子が先に死んでしまったというのは何とも悲しい。
   今回は家の側の事故だったが市役所経由で帰ってきた。そうでなければ「雨の中どこに居るのか」とまだ行方不明のまま心配をしていたのではないかと思う。焼津市のネコは市役所に登録して首輪をもらう。その首輪のタグ番号から飼い主が分かる仕組みになっていて、このような時には連絡をもらえるようになっている。
   さて、我が家は毎日新聞を取っているので22日の夕刊には『ネコ新聞』の抜粋が載る。今回は眉村卓さんが住んでいる家の側にむかし猫屋敷があって、その塀の上に乗っているネコが時々ぽたりと落ちて走っていったというような話を書いていた。実は蒼の得意技、グッスリと眠っていて猫タワーの天辺や和ダンスの上のほぼ天井に近い所から時々ドタリと落ちていた。蒼としてもみっともなかったと思うのか、あえて「わざとだよ」とでも言うように走って行ったりしたものだ。そういえばクーも時々タンスの上から落ちてきた。普段ならああ、家にも居るいると思って笑って読むところだが、今日はいささか辛い。

08/1/19

   瑞穂の従妹のお舅さんのお葬式だった。叔父も従弟も仕事が忙しくて昨夜の通夜だけ出たとの事で図らずもTANUKIと2人でT家代表。長男のお嫁さんで入っている子なので、一世代昔人間としては誰も来ないことにならずに良かったとホッとしたが、先方にとっては相手をしなければならないのが増えて大変だったかもしれないが…。
   亡くなられたおじいさんは敗血症で亡くなられたそうだが大変急だった。ところが葬儀場の都合でお葬式は1週間待ち、その間家族はゆっくり休む間もなく大変だったようだが娘達も大きくなってよく手伝ってくれていたようだ。
   瑞穂町の斎場はまだ新しいもので広々としていた。その中の一番大きい会場でのお式だった。告別式のお経の後、そのまま7日法要に入り、それからお棺に花を入れて出棺、火葬場までは手押し車で屋内を運ばれる。時間待ちの間は隣組の方だという何人かと四方山話。骨上げの後は精進落しの膳。「知らない所に入ってもつまらないからこっちにおいでよ」と従妹に言われて家族席の真ん中に割り込んでご馳走になってきた。
   故人は大工さんをされていたので戒名は棟軒義忠信士。お坊さんがお経の中で語られる故人の話は聞き取りにくかったが大きなプロジェクトにも関わっておられたらしい。
   ところで、10時からのお葬式、道路事情も考慮して早めに着けるように6時に家を出発、東名高速から御殿場ICで降りR138を須走へ、東富士五湖道路から中央高速へ、そこから八王子JCTで圏央道へ、これが関越道まで繋がったおかげで青梅ICで降りてすぐにR16、斎場はそこからすぐだったので9時過ぎには着き、ずいぶん時間に余裕があった。帰りは同じ道を行くものではないと河口湖ICで降りて富士山を見ながら東名富士ICへ向かうコース。行きは早朝で御殿場から先は道路が凍結している所もあって緊張したが、R139は路肩に雪が残る道、さいわい真昼間なので道路そのものは凍っていなかったが、空気はかなり冷えていた。

08/1/8

   06年8月に福岡市で起きた3児死亡追突事故の地裁判決が出た。結果として、危険運転致死罪は適応せず、業務上過失致死(わき見運転)に酒気帯び運転・ひき逃げを加え懲役7年6ヶ月となった。
   お子さん3人を一気に失ったご遺族には理不尽な判決かもしれないが、運の悪さが幾重にも絡まった死亡事故であったように感じる。交通事故を起こした事のある人なら必ず事故処理の警察官や対応する保険屋さんに言われると思うが、車同士の事故に10−0は無い。かなり理不尽でも車間距離、スピード、前後左右に「あなたがもっとよく注意をしていれば」と言われる。たまたま橋を越えて川に被害車両が飛び込んでしまった結果、子供達が助けられなかった。
   残念だが、これだけ車が走っていれば悲惨な事故はこれからも起きる。少なくとも飲酒事故の重大さをこれだけ大きく訴えたという事の意義があった事で被害者・加害者ともこれから先を考えて生きていく方が良いのではないだろうか。
   そういう意味でマスコミのセンセーショナルな騒ぎに同調せず良識のある判決だったと思う。

08/1/6

   今年のニュース論調は地球温暖化にどう対処するかで明けたようだ。
   この日本でも、すでに主食である米に高温障害が出てきていたり、本来寒さで死んでしまう害虫が死なないための作物に被害も出ているようだ。また、海流の影響で沿岸漁業にも影響も出ているらしい。まだ我々消費者の目には見えないが、食料自給率の低い日本でますます食物が自給しにくくなるという大変な状況が起きようとしている。
   さらに温暖化に対処するために石油ではなくトウモロコシなど植物由来の燃料を使おうという発想から、食料が食料としてでなく使われつつある。これでは温暖化による被害以上に貧困者を中心とした飢餓が世界を襲うことになりそうだ。飢餓は戦乱を呼ぶ。確かに違う世界になるかもしれないし、地球にとっては良い世界になるかもしれないが、そこは人類が主人公ではない世界になっているかもしれない。
   また、公共交通機関が不便な地方では、広くなり過ぎた町を車無しで移動する事は事実上無理だし、世界中が1つの物流で繋がれている現在どこが止まっても全体に影響が出てしまうのだろう。さらには、買い物籠を持って買い物に行っても出るゴミはゴミ袋に入れて出さなければならないわけで、1度使ったペットボトルも瓶のような使いまわしは出来ない。石油文化が悪だという以前に我々は石油製品の利用と使い捨ての文化にドップリと溺れている。
   使い捨てと熱の大量消費という文化から発想を変えない限りこの問題の答えにはならない気がする。

08/1/1

   明けましておめでとうございます。
   昨年は法さえクリアしていれば何をやっても許されるという風潮に極端な反応が出た年のような気がします。
   法的に問題が無くても何の関係もない人の死ぬような状況は許しがたいし、逆に中身の状況ではなく法のために賞味期限や原材料名の記載順で大騒ぎになるのも何だかなぁと思いました。そしてブランドに寄りかかりすぎた偽装が出る反面、ブランドに寄りかかりすぎた米の値崩れ現象が起きているという話も今朝の新聞にありました。しかし日本の食料自給率は40パーセント代、もし輸入食品が入らなくなったら人口の半分の食料もまかなえない状況です。
   杓子定規ではなくもう少し常識という感性が働く世の中にならないものかと思います。

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