我が家&和賀家 02年


 03/3/30  

本日はマーミの所で餅つき。
   今回はマーミの家が神社の年行事で今日は春の祭りで忙しい。DORAの方は、日比の叔母さんとなにわの華一家が来宅中。しかもTANUKIは陸上の審判講習会で留守。という訳でかなり変則的な餅つきとなった。
   とにかく早く始めようと、かなり早い時間にかまどに火が入ったようだ。ジュンちゃんのお母さんも早い時間から応援に。DORAも餅つきに慣れている日比の叔母さんとぼくを連れて1枚目がのし終わった頃に登場。
   とりあえず2枚目の白で神様のお供え用の小さい丸餅とおひな様用の丸餅を取る。次の黄色で再度お供えを取り、これをのす頃にはマーミは「着替えなくちゃ!おれ司会だから。」とダークスーツで神社へ。
   入れ替わるようにジュンちゃんの姉さん一家となにわの華夫婦が登場。赤の1枚目で最後のお供えを取り、子供達がチョッピリ味見。日比の叔母さんとDORAで「こんなものかな」とのし餅をのしていく。なかなか厚さが均等にならないし、「アッチッチ!」と言っている間に餅の表面がしわになってくる。騒動の間に子供は庭で草遊び。お姉ちゃん達が世話を焼いてくれる。
   義兄さんも登場して、こちらはジュンちゃんのお姉さん夫婦に手伝ったもらっておひな様を出す。
   餅屋の方は最終コーナーでヨモギ餅。半分位を丸めて黄な粉餅にする。蒸篭の移動は男手が欲しくてなにわの華、餅つき機からの取り出しはDORA、餅の千切りは日比の叔母、丸め役は子供達となにわの愛妻、何とか流れ作業のラインができる。
   スタートが早かったのでam11:00頃には終了。「今帰れば夕方のラッシュ前に帰り着く」という大阪組に、マーミが追いかけで家まで昼用にさかなセンターのマグロ寿司を届けてくれた。ジュンちゃんがお祭りのお直会のご馳走も預ってきてくれたので、これでお昼を食べて1時前には帰っていった。

03/3/29

   「春休みには行くよ」と言っていたなにわの華一家に日比の叔母さんも一緒に来宅。それにあわせて厚木から三男一家もやってきた。「昼頃」とは言ったものの西組は京都で渋滞に捉まって、東組は行きがけの耳鼻科で待たされて、ともにpm1:00頃到着。そのまま皆で食事。
   子供たちは食べるより遊びたい。上の2人を連れて日比のばあちゃんと公園から川の方へ。ブランコに乗ったり、川で石投げをしたり、土手で花を摘んだりして遊ばせる。今春小学校へ上がる厚木の長男は、野球をしていた父さんの影響か、かなりいい感じで石を投げる。幼稚園児のなにわの子はその後を次々とマネをしながらついて行く。
   1度家に戻ったものの、食事の片づけが終る頃にはオチビさんも外に出たくなってママ達とまた公園へ。暖かい日で良かった。
   夕方暗くなった頃「明日の予定があるから」と厚木組は帰宅。


03/3/21

   お彼岸の中日。
   まずお彼岸の中日にだけおはぎを売るお菓子屋さんへ。奥でせっせと作って、お店からどんどん売れていく。こんな形なので余分なものの入らない素朴な薄味。でも値段は他の店と同じ1個¥90。黄な粉などもあるが、こしあんと粒あんを4つづつ。
   ついでに買い物も済ませて、お昼を食べて即お稲荷さん作り。油揚げは味付けのものを買って来て済ませ、酢飯にはゴマと刻み漬を混ぜる。少し暖かいうちに詰めてお夕飯まで味を馴染ませる。
   我家のお彼岸の定番食である。

   今年はジュンちゃんに彼女のお母さん手作りのおはぎを頂いた。
   「朝から頑張って、あんも手作りです」というもの。ご飯は程々に潰し、甘さ控えめの粒あんをたっぷりとまぶしたもの(写真)。これも美味しかった!


03/3/18

   三島の従妹から電話。「兄ちゃんは1年生ももうじき終わりです。最近サッカーにも通い出して元気です。」「今度は島田に転勤だけど、引っ越したくないから朝早くなるんです」などなど。
   じつは次男坊のほうがもうじき誕生日。


03/3/14

   函南の叔母から珍しくこちらに電話。
   長男の長男が今年高校を卒業、無事に進学先が決まったというのでお祝いのハガキを出したのが着いたようだ。「おばさんにお礼の電話をしな」と言ったら「どんなおばさんだっけ…」と腰が引けたとか。
   ここは末っ子も今度中学生。他所の子の成長は早い。
   裾野の長女(こちらも函南の孫)も今年は無事に志望校に合格。教育学部だそうだ。そして次女は「大学よりも美容師の専門学校がいい」と進路決定。こちらは後1年高校生活を楽しめるようだ。


02/12/31

   大晦日になった。我家の大晦日は忙しいのだか暇なのだか分らない1日になる。
   まずTANUKI。am9:00近くまでゴロゴロ。掃除機のお出ましでやっと諦めて起き出し、勝手に食事。台所ではじいちゃんが神棚の掃除のために色々しているので、新聞は程々で退散。古いお札や注連縄等を庭で燃す。
   その間、やはり起き出したのはam8:00頃のDORAは洗濯物を集めて洗濯機をまわし、玄関に取り込んである植木鉢を外に出し、裏庭のプランターとともに数日手が抜けるほどの水を撒く。そして掃除機のお出まし。こちらも数日手を抜くつもりで、キッチリと。居る場の無いTANUKIは車洗い。猫達も外。
   洗濯物も干して段落がついたところで、マーミの所へ餅をもらいに行く。ついでに買い物。その間にじいちゃんが台所の片付けと掃除。お昼頃には、みゆもクーも炬燵の中で一休み。
   お昼を食べて午後からはまず、DORAが台所を占領して、お煮しめをはじめとする料理。テーブルが少し片付いた頃からTANUKIの蕎麦打ちも始まる。何しろ4件分。高校サッカーを見ながら熱闘2時間半。TANUKIが蕎麦の配達に行く頃、DORAは煮物を器に盛り付け。物によっては蓋物に入れて冷蔵庫へ。じいちゃんはその間にゴミを出したり、ストーブの灯油を足したり。暗くなってクロンがようやく帰宅。
   お夕飯は年越し蕎麦。山のような鍋や道具を片付けた後で、DORAは布巾類の洗濯。じいちゃんはガス台の掃除。TANUKIは「腰が…!」とテレビの前。そしてDORAはパソコンの前。
   じいちゃん・ばあちゃんは早々とお風呂へ。
   そして、DORAの大祓いでこの1年も暮れていく。   


02/12/30

   本日は餅つき。マーミの所にジュンちゃんのお母さんと我々が集合。逆に今年は神社の年行事に当っているマーミの所は、ジュンちゃんが神社のお掃除に参加。その代わり今年は義兄さんが、かまどの番を買って出てくれる。
   まずは御鏡から。実は家は今朝は寝坊。マーミの「1つ目が蒸けたよ」のモーニングコール。
   次の臼で今日のお供え餅。さらにお正月のお供え。そして次からはいよいよおさんこち。あんこを餅で包み込むのだが、鳩の形に作るのがこの辺流。全部を丸めていると冷めてしまうので、そこそこのところで、のしてしまい、次の熱いところでまた始める。
   しばらく伸餅を作って、最後の臼で年取り餅を取る。稲藁の髄を2本置き、その上に丸めた餅を乗せて、あんこをかける。その餅を稲藁を絞って3つに切って食べて年を取る。
   今年はマーミが蒸篭を2つ新調したので、数があった割には早く終った。

   お昼はジュンちゃんのお母さんが作ってきてくれた五目寿司。残念ながらお餅でお腹が一杯で、あまり食べられなかったが。
   お昼を食べている所へ三島の従妹が子供達を連れてやって来た。庭でペッタンペッタンとやっているのかと思ったそうだが、さすがに搗くのは機械。おさんこちを食べて一緒に食事をして帰った。


02/12/12

   瑞穂にはもう1件従妹の家がある。今日はこちらから電話。
   まだ雪があるよとの事。あの雪の日は中学まで子供達を送り迎えしたそう。「タイヤ交換してなかったけど(東京なら当然)4駆だから…。」さすがに富山に居ただけあった。
   こちらは本人が風邪。最悪の時に末っ子の保育園のお遊戯会と長女の三者面談が重なって、根性で出席したそう。ようやく体調が戻ってきたようだ。

02/12/10

   タニカのママから電話。次女のバレーの発表会も無事に終ったそう。ホッとしたのと一昨日の雪にはしゃいだので、次女が珍しく風邪をひいてしまったらしい。という訳で、ママも看病で早上がり。
   タニカもついにパソコンを買ってインターネットにも繋いだ模様。しかし、小6の長女以外には、大人達も使い方がまだよく分らないらしい。PTAの仕事はあるし、仕事は忙しい時だし、ゆっくりとパソコンと向き合えるようになるのは、春になってからかなぁ…。


02/11/27

   新津の伯父から梅干とラッキョウ漬が届いた。伯母さんの形見かと思ったが、庭の梅で伯父さん自ら漬けた梅干らしい。ちょっと柔らかめだけれど、良い色によく漬かっている。


02/11/26

   十勝教会は無事に大祭が終ったそうだ。ここで3才のヤンチャ姫もお舞でデビュー。同じ年頃の従妹と一緒に奉仕。
   お母さんも名手なだけに、先が楽しみ。


02/11/24

   本日はOばあさんの一周忌。お坊さんの解説では小祥というそうだ。来年の三回忌は大祥。タイミング良く祥月命日。しかも天気予報は雨を告げていたのだが、暖かく良い日になった。
   ただし、ご近所の家の一周忌と重なり、お坊さんもおしょうやのおばあさん達も掛け持ちの大忙しの日となった。
   法事は朝10時から。am9:00、藤守と同時に到着。藤守の長男はようやく買った自分のバイクでやって来た。
   ジュンちゃんのお母さんが早くから来てくれて、座敷の準備もお料理もあらかた2人で進めてくれていたので、ノンビリとお供えの三段盛の準備や霊コウ膳(お供えの料理)を盛り付けたりする。その間に男性陣がお返しの袋詰。
   そうこうする内にお客さんも到着。お隣のお坊さんも見えて、仏前の準備が始まる。本寺の方丈さんは時間キッチリに見える。早速、般若心経を始めとするお経とお焼香。
   終って、卒塔婆を立に皆がお墓に行っている間に、座敷では精進落しの準備。ちょうどタイミング良くお昼。
   横浜の義姉さん一家は家族4人なかなか揃わないから、とそのまま次の予定に。後のお客さんも1時からおしょうやがあるので、あまりゆっくりとはしてもらえずにお開きにさせて頂いた。
   お客さんがお帰りになったところで座敷を片付けて、手の空いている人から食事。「おばあさん達、喉自慢を見終わってから来るさ」とマーミが言っていたが、時間キッチリに4人皆さんで来て下さる。
   間の生姜湯は最近は出さないと言うので、お茶にする。
   終わった後、食事を出すのには半端な時間なので、お茶とお菓子だけにして、お料理は持って帰って頂いた。
   スタートが早かったので、すっかり片付いても3時。マーミが気を利かせて買って来てくれたプチケーキでお茶を頂いて、4時頃には家に帰ってきた。


02/11/21

   今週のしりとり俳句のお題は『根』。前句の大根から来ているので、なかなかそこから抜け出せない。
   ふと思い出したのがOばあさんの姿。元気な頃どころか、足腰がずいぶん弱ってからも、お天気が良いと庭の草取りをしていた。小さな台に腰をかけて、しっかりと根まで起こして丹念に草を取っていた。病院に入院中も、施設に入ってからも畑や庭の草が気になっていたようだ。
   義母が居なくなってから、庭の草の生えようはすさまじく、時々義兄が除草剤をかけるくらいではとても追いつかず、お盆に坊さんが庭から見えるときも、お葬式も、まず人手を集めて庭の草の始末から始めなければならなかった。

着膨れて草の根を掘る姑なりし   DORA


02/11/18

   秋はTANUKIのアップルパイ作りの季節だ。
   まず信州の農大時代の友人に紅玉リンゴを注文する。もちろん1箱。当然冷蔵庫には入りきらないので、大鍋一杯、皮をむいて刻んでプリザーブを作る。この過程で出るリンゴの皮を煮出したお茶もピンク色で美味しい。ただしそう何杯も飲めないが。
   こうして中身が冷蔵庫と冷凍室に収まると、次はパイ皮つくり。材料をこね合わせ、冷蔵庫で休ませてはバターを練り込んでいく。この作業を思い出したように数日置きに続けて、ますます冷蔵庫の中を混乱状態にする。
   そして、頃や良し。おもむろにパイ皮をのし、中身を収めて表面に卵を塗りつけて、オーブンで焼き上げる。さらに冷めたところで、アンズジャムをブランデーで割ったものを塗りつける。
   1つ1つ袋に入れて分けやすいようにして出来上がり。ほとんどが学校へお供する。
   授業の内容も、仕事の内容も忘れられても、同僚や教え子やそのお母さん達に、「今年は何時かな」とか「アップルパイ作ってくれたよね」と言われるので、季節の一大行事となっている。

 


君の夢かなうと良いね七五三   DORA

02/11/13

   長女が3才のお祝いだった滋賀の従妹からも、10日にお参りに行った写真がメールで到着。
   この子は1歳になる妹が居るのでれっきとしたお姉ちゃん。しかし、かえってママにぺったり張り付き。妹とママの取り合い中なのかな。
   この姉妹のママは、弟2人を引き連れて、小さい時からしっかり者のお姉ちゃんをやっていた。
   そろそろ2人で遊べるようになって楽になってきたとママの弁。

02/11/10

   三島の従妹の次男も今年は数え年の5才。お祝いのハガキを出しておいたが、この子も3月末生まれなので、来年の満年齢でお祝いをする事にしたそうだ。
   1年生のお兄ちゃんも学校に慣れ、この次男坊も幼稚園。ママは少し余裕が出来て、習い事でも始めようかなぁという気になっているようだ。

02/11/9

   今月は七五三シーズン。
   和賀家の大阪の5歳児はお父さんとのツーショット、十勝のヤンチャ姫、3歳は着物で大変身の写真がメールでやって来ました。
   世の中便利になった!とにかく元気が一番!健やかな成長を祈っています。   

02/11/8

   タニカのママから電話。
   次の日曜日に末っ子の7つのお祝いとの事。みんな風邪気味だけど、すでに本人も綺麗な着物を着るのを楽しみにしているらしい。神社も写真屋さんも予約取っちゃったし、という訳で、無事に終わると良いのですが。
   長女はそろそろティーンエージャーの入り口で難しいお年頃。次女は相変わらずバレーの練習。ついにトゥシューズもはけるようになり、発表会に向けて頑張っている模様。


02/11/7

   前回のしりとり俳句のお題は『信』。

   信心は和賀心なり夜の寒し  DORA

   このページの『和賀家』、O家・Y家・T家同様ニックネームである。ただし、かれこれ80年は経つのではないだろうか。私の母方の祖父は10人兄弟の2番目である。名が和賀之助。つまり『和賀さん家』な訳である。
   祖父のルーツをたどると金光教という江戸末期に岡山で設立された宗教に行き当たる。その基本理念のような部分に『和賀心』が登場する。母は教会がいやでスタコラと逃げ出してサラリーマン家庭の父のもとに来た。だから私も信心とは無縁だが、酒好き・人好きの祖父の影響はけっこうあると思う。
   という訳で、自分でも理解不能だけれど、何となく書いてみたくて作った一句である。


02/10/13

   今週のしりとり俳句のお題は『菊』。早々浮かび出るものもなくなり、発想の貧困さを呪っていたら、思い出した事があった。

   まだ母が東京で勤めていた頃、礼宮(秋篠宮)様が井の頭公園に来園した事があった。園長室だか所長室だかでお休みになる宮様にジュースをお出しするというだけで、母が電話口で大騒ぎの報告をしてくれた。直後に三鷹の母子でお世話になっていた美容院に私が行く機会があったのだが、「もう、髪のセットにまで来て、大変な騒ぎだったんだから」と美容師さんからもう1度話が聞けた。
   そして、こういう時の慣例らしく、事務所全体で幾箱かのタバコを下賜品として頂いたらしい。それを皆で分けてバラで何本か頂いてきたけれど、父はすでに禁煙成功、TANUKIも禁煙中ということで、ずいぶん経ってからタバコ好きの義父の手に渡った。
   ごく普通のタバコで吸口の方に金の菊のご紋が1本ずつに入っている。バラのままはるばるやって来たタバコなので気は抜けてしまっただろうが、義父は「戦争中にも恩賜のタバコをもらって吸ったなぁ」などと懐かしそうに話していた。


02/10/2

   昨日はすごい風台風が通り過ぎて行った。
   そして今日、十勝の従弟からメール。家のすぐ裏にある公園の大木が何十本と折れたりしたらしい。北海道らしい広々とした公園で木も多いが、これは大変。斜面のすぐ下に家があり、窓から公園の木々が借景になっているような所だが、無事で良かった。


02/9/22

   板橋の従弟が坊やを連れてやって来ました。ぼくのお目当てはおじいちゃんとの将棋。おじいちゃんも将棋好きなので、さっそくあまり日の目を見ない将棋盤と駒が登場。「えっ、駒の字が読めない」とか言いながら、すぐに馴染んで勝負。
   お昼を食べてまた勝負。とうとうお泊りと相成りました。

02/9/23

   昨晩は結局夜中の11時過ぎまで将棋盤の前から離れなかった将棋好き2人。
   今朝も朝ご飯を食べたとたんに将棋盤をはさんで座り込みました。駒はいつの間にやら普通の文字の駒に変更。1局の時間は大した事がないものの、終るとまた初めからのくり返し。
   「先が読めるのだから、慌てないで考えて」とおじいちゃんに言われるものの、さっさと駒を繰り出していく。もっともそのおじいちゃんも「新戦法についていったら負けた!」なんて事も…。
   昨日のさかなセンターにはお父さんについて来たものの、今日は散歩にも出ずに、ひたすら将棋盤の前。
   お昼を食べて「帰るよ」と言われても、「もうちょっと。」
   結局坊やとおじいちゃんは将棋三昧の2日間でした。
   そして、おばあちゃんは負けずと自分の甥を話し相手に色々とおしゃべりを楽しんだ模様。お相手ご苦労様でした。

   ところで、この従弟とマーミは学校こそ違うものの、同じ頃に東京で美術の勉強をしていた仲。朝、墓参りのついでにTANUKIが話したので、お昼前にジュンちゃんと一緒に会いに来てくれました。お互いに話には出ても、会ったのは1度かそこら。旧交を暖めると言う程のものではないが、ちょっとおしゃべりをしていきました。


02/8/18

   大阪のヒロさんから夏休みに日比で撮った写真がメールで届いた。日比は海水浴場が近いので、相変わらず和賀家の夏の家となっている。今年はあこちゃんやひさちゃんも子連れで合流。という訳で、じいちゃん、ばあちゃんはともかく、一団の子供たちはどの子がどこの子かさっぱり分からない状態。しかし、こうやって子供達が集まる事自体が彼らを逞しくしているように思う。
   焼津にも行くよ、と言っていて今年も夏休みが終ってしまったようだが、そのうち会えるといいな。


02/8/16

   昨夏、富山から瑞穂へ戻った従妹一家が、夏休みを利用して富山へ遊びに行った帰りに寄ってくれた。富山ではそれぞれ友達に会ったりして来たようだ。
   さっそくに犬のヒメも一緒に裏の瀬戸川で水遊び。まずまず水も綺麗で小魚が泳いでいるが2番目のお姉ちゃんが1匹すくい取っただけだった。
   「お天気が不安定だったけど、海にも行ったけど」やはり「焼津の海!」と言っていたのだが、どうも台風もやって来そう。明日はお天気によっては海は遠くで見て、ディスカバリーパークかな。
   それよりも「あの喫茶店の巨大プリン!を食べに行きたい。」皆かなり印象的だったようだが、お店はあるけどあるのだろうか…。

02/8/17

   とりあえず天気はまずまずだが、台風は順調に近付いている。
   よって、巨大プリン攻略を第一目標に。お店の開くam11:00に合わせて家からスタート。最近は10:30から開けているようだったが、タッチの差で混んできた。ラッキー!
   前回子供達のお残しの総ざらいをしたお父さんはつつましく餡蜜。とは言えかなりの量。お母さんはアイスコーヒー。「絶対食べたい!」と長女が5色アイスクリームのジャンボプリン!末っ子の弟はお姉ちゃんと一緒。(もう1つという訳ではありません)次女はクリーム餡蜜(アイスクリーム2色つき)。そしてDORAおばさんは普通のお昼で野菜サンドとコーヒー。実はこれも普通の喫茶店より値段も高いが量も多い。
   大きなプリンを作るためには、形が崩れないようにかなりの卵を使うので相当にお腹にたまる。始めはニコニコのお姉ちゃんも、まわりのアイスクリームが溶けてこぼれだす頃には「一休み!」その間に餡蜜を食べ終わったお父さんの容器にアイスクリームを分けて、弟が一気呵成に食べて行く。結局6歳の彼はアイスクリーム2個半は平らげた。クリーム餡蜜の次女もアップアップ中。溶けたアイスクリームの中に浮かぶ寒天はお母さんの口へ。一休み中のジャンボプリンのアイスクリームは反対側からお父さんの口へ。2度の一休みを取ってプリンその物のかなりの部分は長女のお腹に無事にすべりんだ。

   これだけ食べれば運動をしなければとディスカバリーパークへ。まずは身体に良い踏み石の道を靴を脱いで1周。その後堤防の上に出たが、台風の影響かものすごい波。堤防を通って遊具のある広場へ。ぼくにはちょっと難しいし、お姉ちゃん達はもう卒業なので、そこそこに屋内へ。
   夏休み中という事もあって賑やか。お姉ちゃん達はパソコンの科学問題に。弟はお父さんお母さんを引き連れて色々と見て廻る。ちょうどダンボールのおもちゃや恐竜などの展示があり、彼もダンボールの切れ端のこまを作った。そのうちに公開実験のおじさんによるシャボン玉の話。表面張力についてシャボン玉を使って小さな子供も飽きないように話をしてくれた。
   時間を見計らってプラネタリュウムへ。8月の星空の話と『スタータクシー』という番組。星の話というより星空を使ってイメージを膨らませたような話だが、それなりに楽しかった。終わった後屋上からちょっと外を眺めてエレベーターで下へ下りた。このエレベーターもちょっとした細工がしてあって楽しい。
   外は台風模様の雲の流れ、目の前が海なのでしぶきも飛んで来た。帰ってきたら3時過ぎ。子供達にはちょうど良い遊び時間、これから帰り道を運転するお父さんにもちょうど良い時間だったのではないだろうか。

   夕飯後、DORAおばさんの写真作業が遅れて出発が伸びている間に、彼女の兄さんから電話。あちらは仕事の都合で水曜日から東北へ出かけているそうだが、「遅れた分休むので」と月曜日の仕事の話。「月曜日は早出だ」と言いつつ一家は帰路についた。


02/8/14

   今晩は焼津港の花火。いつものように揚物などのつまみを用意する。ビールはどこからか廻ってくる予定。今年は家が子供連れでないので、ご飯は用意せず。
   藤守は父さんと末っ子と従姉のお姉ちゃん達。マーミの所はジュンちゃんと彼女のお母さんも参加。他に友達多数。家はTOPPOさんと3人。友人夫婦と今年から関東の大学に通いだした長女。もう一方の友人は兄弟3家族9人。
   明るいうちにそれぞれが用意したつまみが分けられ、ビールや麦茶が出て宴会。お腹も一杯になった頃に、まだ明るい空に突如花火が上がるが、これは何だったのか?しばらく間が空いて暗くなった頃、開会のご挨拶が行われ、ポンポンと景気よく打ち上げられだした。今年も魚の形、土星の形、出色はきれいに出たハート。小ぶりの物が目立ったが、時々大物もド〜〜ンッ!と打ち上げられる。
   しかし例年より早く8時には終了。一時の華だった。片付けも早く終わり、また来年を約束してそれぞれの家路に向った。例年なら家に戻ると深夜なのだが、今年は10時前、まだ宵の口!


02/8/12

   1日早いけれど、今日の夕方Oばあさんの初盆の法事。横浜から午前中で仕事を抜けてきた義姉をはじめ兄弟とTOPPOさんまで、皆集まってお坊さんにお経をあげて頂く。
   般若心経、初盆の読経、お盆の供養経。
   藤守は子供達もみんな集まった。長男は免許を取ったばかりでさっそくバイクで転倒。軽症で良かった。

02/8/13

   夕方おしょうやと林叟院の方丈さんのお経があると言うのでそのつもりで居たら、おしょうやは朝のうちに終ったそうだ。林叟院の方丈さんも予定より1時間も早く見えて皆を慌てさせた。
   ともかく初盆の行事も無事にお終い。一番ホッとしたのは当の仏様かもしれない。


02/8/9

   十勝の叔母から珍しく私の方へ電話。
   「お母さん大丈夫?」・「この前送ったワイン届いた?」
   そう言えば宛先が母だったからそのまま渡して、ワインはさっさと私が暑中見舞いに使っちゃってた…。失礼しました。このワインのラベルが十勝教会の前景で、量をたのむと作ってくれるものらしい。
   十勝は今年も寒い日が続いているらしい。別天地だなぁ…。


02/7/29

   珍しく夕方、藤守の父さんが寄ってくれた。もうじき初盆だし、相続の相談もあるのだろうが中々兄弟全部が寄れないままでいるようだ。
   その間に藤守の長男は無事運転免許を手に入れた模様。しかし通学にはバイクの方が便利なので、50ccで良いから欲しいと持ってきたカタログには半端でない値段が…。さてどうなるやら。
   直接胃へ経管栄養を送るようになって、おじいさんもだいぶ元気が出てきたとか。夏を元気に過されると良いのだが。


02/7/28

   本日は函南の叔父さんの1周忌。ちょっと時期は早いのだが、お寺の都合等で都合の良いのが吉日と行われた。
   お寺の墓地には、仲良しだった方のお墓の真正面に立派なお墓もできた。
   三島の本寺から住職さんも見えて、叔父さんからいえば孫達もそれぞれ一回り大きくなり、親族20名余で法事をした。
   お寺での法事の後、姫沙羅で精進落し。叔母さんはここで仕事をしていた事もあるらしい。盛大なご馳走だが、それぞれみな運転手であまり飲めない。ゆっくりと食事を楽しんだ。


02/7/26

   横浜の義兄から電話。義姉は明日までほぼ2週間長女の居るイギリスへ行っているそうだ。
   長女は2年間の留学を終えこの夏の終わりに帰ってくる予定。多分いまは卒業制作の発表会の真っ最中。


02/7/24  

   学校も夏休み。三島の従妹から電話が入った。
   今年1年坊主になった子と幼稚園の子の2人も20日からお休み。さっそく千葉のおじいちゃんの所へ行ったそうだ。もう1度幕張へ恐竜展を見に行きたいとか。そろそろ子供達も色々な事に興味を持つ頃。お盆には「やっぱり荒祭り」と地元三島のお祭を振り切って帰ってくるつもりらしい。
   土地柄でこの6月はW杯で盛り上がっていた模様。子供達サッカーは?と聞いたら、大きいお兄さん達に気圧されて入らなかったとか。「三島1のノンビリ屋さんだから」ですと。


02/6/28

   函南の叔母と従妹が祖父の33回忌をしないで済ませたので、仏さんのお参りにきてくれた。
   一緒にお昼を食べて少しおしゃべりをした。従妹の長女が今年から東京の予備校で、叔母も様子を見に行って蒲田の町を歩いたけど、戦後の焼け野原からすっかり変ってしまって面影も無かったと話していた。
   その予備校生は今春は美術系をいくつか受けたがダメで、納得して方向転換するようだ。次女はちょっと背伸び加減の高校に合格、頑張っている様子。2人進学で大変な時だったが、従妹は仕事をやめて家庭菜園に精を出しているようだ。 


02/6/17

   昨日は新津の伯母の1年祭だった。
   15日の早朝6時、TANUKIと共に土砂降りの焼津をスタート。雨は直に止みボチボチと休みながらR52を北上して韮崎から中央高速へ。曇りで風景は単調だが運転するのには目が疲れなくて良い。しかし昨年同様野尻湖あたりから霧が出て、あっという間に土砂降り。結局、小降りになったかと思うと土砂降りの追いかけっこをしながら、先へ進むことになった。昼食休憩の米山SAは幸い小降り。新潟でW杯の試合があるので道路も混むかなと覚悟をしていたのだが、気抜けをするほどに渋滞なし。程々の時間に磐越道津川ICを下り麒麟山温泉に着いた。こちらはW杯の影響での渋滞が気になっていたのだが、伯父達は我々が試合を見に行ったと勘違いしていたようだった。
   翌朝はTANUKIの時計が5時に鳴り出して朝寝の予定がフイになった。朝ご飯をたっぷり食べて8時過ぎに出発。磐越道はそれこそW杯の影響か新潟から来る対抗車線はかなりの車が通っていた。9時頃には新津教会に迷わず到着。相変わらず準備の真っ最中に飛び込んでお手伝い。信者さんがご飯とお汁、伯父の漬けた糠漬を準備する間に、九州の単身赴任先から出張のついでに来たという従妹の旦那と食器の準備。祭主の先生はお供え担当。
   沼垂の親戚、信者さんも集まりお祭。伯父がお祭の直前までかかって編集をした『しのび草』を頂いた。
   その後お直会。TANUKIがお供えに買ってきた焼津の酒磯自慢と、新潟の麒麟山の飲み比べ。魚屋の従弟とは魚談義。直前に腰を痛めて立つのが大変だという伯父も去年のようにとんがらず、和やかな時間を過した。
   一段落した頃、伯父の盆栽を見せてもらう。去年は忙しくてずいぶんダメにしたと言う割りには沢山の鉢が元気に育っていた。
   良いお天気にも恵まれて、皆さんの帰った3時頃、我々も失礼してきた。それなのに妙高周辺ではまたも土砂降り。あの地帯に雨降り通と命名。小布施まで来たらTANUKIが「腹減った」小布施PAでとりあえずお蕎麦をすする。しかし、酔っ払いTANUKIはともかく運転しているこちらは蕎麦1杯では持たなくて、諏訪湖SAでもう1度食事休憩。ソースカツ丼に挑んだものの半分で敗退。ゆっくり休んだ後中央道〜R52を経てR150という、いつものルートでその日の残り時間も少なくなった頃、帰り着いた。


02/6/7

   今日は私の誕生日。誕生日というとケーキだが、子供の頃何度か叔父の作ったケーキを食べた。こちらはTANUKIのような道楽ではなく、当時は洋菓子の修行中だったはず。
   真っ白なバタークリームの土台に咲くピンクの大輪のバラやそこにぱらっとかかる銀の粒、真っ赤なチェリー?チョコレートで器用に書かれた字、何もかもが嬉しかった。覚えている割に写真は無かった。多分、写真を撮るまで待てなかったのだろう。この写真はS31の正月と書かれている。
   修行時代を終えて仕事が忙しくなってからは叔父のケーキも食べていないが、懐かしい思い出である。


02/5/26

   タニカの叔父から父の所へ電話。結局工場移転は取り止めとか。平たく言えば資金不足。政府は景気は底を打ったと言っているが、町の中小零細企業が元気にならなくては、日本の景気は上を向かない。なぜなら、小回りの良さと職人気質の頑固さで発想し工夫もしてきたものが日本の工業生産の原点だからである。
   それはともかく、こちら方面にも祖父の供養のお菓子は無事に届いた。

02/5/24

   昨日は沼津の従弟から、今日は函南の叔母から電話が入った。皆それぞれに元気にしている様子。同じ県内なのに法事でもないとなかなか会う機会が無い。今回も「遊びに来てね」の交換。

02/5/22

   昨日送ったお菓子が着いたと裾野の従妹の所から電話があった。
   今年受験だった子供達、高校受験の下の子は目標クリアで無事進学。上の子は上京して予備校通い。それぞれに頑張っているようだ。
   「家も介護が忙しくなって仕事をやめた」と彼女。お互いにそんな年齢に突入したという事だろう。

02/5/21

写真は左が祖父母、中が家族、
ともにS38年頃。

右はS41年、私がはじめて写真に
凝りだした頃に井の頭公園で
写したのもの。  

   5/23がT家の祖父の33回忌に当たる。しかし、昨年は函南の叔父を初めいくつかのお葬式があったので、今年は法事(初盆・1周忌)がいくつもある。その上、タニカは工場移転の計画の最終段階。そんなこんなで法事はパスする事になった。
   そこでささやかではあるが、DORA作の祖父の写真を入れたハガキをこしらえた。そして中村屋の月餅を添えてT家関係の叔父・叔母といとこ達に送った。全部で五軒。しかも全部姓が違う。ちょうど祖父の祥月命日の頃に着くはずだ。
   ところで祖父とお菓子というと中村屋の月餅。祖母とお菓子というと舟和のあんこ玉か芋羊羹。こちらは小平の叔母の好みだったのかもしれないが。何故そうインプットされているのかは?なのだが…。


02/5/11

   送った新茶がついたと横浜の義姉から電話。
   イギリスに留学中の長女は6月に作品発表会を済ませて、8月には帰国予定だそうだ。ちょっと見に行くには遠すぎて残念!


02/5/10

   日比の叔母が母を送ってきてくれた。5/3が大祭、前日が月次祭で、大忙しの時。大祭のお餅つきの話では、こちらでも餅はつくので同じやり方、違うやり方で大いに盛り上がった。
   さて、日比の叔母といえば一昔前は子供自慢、いまや孫自慢。次男の中学生の娘から、ついこの前生まれた長男の娘まで。女の子はこの2人だけで後は男の子。このお正月も全員集合して大にぎやかだったようだ。皆親に可愛がられた通りに、子供達を可愛がって育てているようで、スクスクと素直に大きくなっているようだ。


02/5/6

   本日は何回目かは内緒にしておくが我々の結婚記念日。
   「結婚します」と言う後輩達に送る私の言葉は「騙し合いはこれからが本番だよ」というもの。ちょっとした一言で滑らかに進むものなら、わざわざ軋ませる事もない。自分の行きたい方向に進もうと思ったら、ほんの一言滑らかになるおまじないを!我が家の場合は「とっても美味しい!」しかし、今日の夕飯にありついたのはpm8:00。ハラペコは最大の調味料だったかも。

02/5/5

   まだO父の居る頃の話しである。何かの行きがかりでお節句の柏餅を買いにいけなかったらしい。夕方近くなって柏餅を売っている所はないかと電話がかかってきた。仕方ない!TANUKIと2人、焼津菓子屋めぐりをした。
   単に家族で食べるよりもお供えの意味合いが強い。お伊勢さん・焼津神社・氏神様・地の神様・荒神さん・おいべつさん(恵比寿)・だるまさん・お月さん・仏さんにお節句なので人形にも供える。さらに人間が食べる分も含めて30だか50だかをかき集めた。
   こちらのお節句は1月遅れなので6月の話だったが。

02/5/4

   今日はタニカの叔父夫婦が来宅。渋滞にはまると予定が狂うからとam5:00前に家を出たそう。結局渋滞は無く、東名の由比PAで1時間ほど休んできたそう。それでもam9:00到着。
   父と工場移転の相談。手狭になった今の工場を手放して、ドンと広い所を借りようという算段。バブル期の貸し工場がいまや借り手を探し回っている状態とか。
   この夏の新商品は緑茶の消臭機能とミントでお口スッキリのグミだそう。かなり強烈なミント。どこかで見かけたら、よろしく!
   お昼過ぎ、またまた渋滞が始まる前に…、と帰途に。

02/5/3

   驚いた!この前成人式を迎えたばかりの甥っ子の所にもう赤ちゃんが生まれた!『結果責任!』と周りに言われて、めでたく出産、結婚。ついに義兄さんがおじいちゃん!時の経つのは早い。
   今晩は友達がお祝いの席を儲けてくれたそうで、明日は家族の顔を見に、彼女の実家へ行くそうだ。

01年