我が家&和賀家 03年


04/3/27

   今年はいささか早くなったが本家でお雛様の餅つきと雛人形飾り。
   4色のお餅をつく。若草の緑(よもぎ)・雪の白・菜の花の黄色(くちなし)・桃のピンク(食紅)でそれぞれの色のお餅をつく。餅つきは機械にお任せだし、お供えも家の神様に上げる小さな丸餅だけ、後は草もちをきなこ餅にするために丸めるくらいなので、ほとんど伸せば良いので仕事は速い。マーミとTANUKIの活躍で無事に午前中に終わった。
   午後からはお雛様を飾る。これが半端ではない。兄の子供達の天神さん(男の子)と7段飾りのお雛様(女の子)、ケースに入ったお人形達までは良い。古いところがマーミの兄弟4人(TANUKIも含む)の天神さんやケース入り人形、その上のOじいさんの代の弟妹の分まで都合3つの段を座敷に作る。
   古いものは傷みが来ているし、7段飾りは持ち物や並べ方が毎年分からなくなり並べ終わるまでにはかなりの時間がかかる。
   ともかく今年も無事に終了。もらってきたお餅は明日じいちゃんに切り分けてもらって、菱餅を家のお雛様に供えた後はあちらこちらにおすそ分けをして食べてもらう。


04/3/15

   我が家はチョコレート屋が後ろに控えているだけにバレンタインデーは乗る事にしている。しかし稼ぎ時のタニカさんに無理なお願いはできないので商品研究とばかりに色々と買ってみてプレゼントする事になる。
   お菓子屋さんの計略はそれで終わらず昨日はお返しのホワイトデー。
   兄さんからもマーミからもTANUKIからもしっかりと頂き♪じいちゃんからも「ご馳走にしよう」と前に資金を渡されていたのだが、いささか疲れていたのとTANUKIが台所を占領しているので後日にお預け。

   TANUKIが何故台所にこもっているかというと、彼のお返しは手作りクッキー、これも学校名物となっている。

材料を買ってきてせっせとこねて
それぞれの材料に合わせて形を整え

焼きあがったものを1人分ずつ袋詰
今年はこれだけの種類を作った

 


04/3/6

   夕べは数年ぶりで北海道からわんわんの飼い主がやって来た。めったに無い東京出張の会議の途中のようで、ずいぶん遠方に宿を取ったわけだ。
   仕事を終えて夕方登場、TANUKIと痛飲して焼津の魚を食べていった。
   忙しくて疲れていたか学生時代ほどの夜更かしはせずにオリンピック予選のサッカーの試合の途中で眠ったようだ。
   本日は会議の続きのためにゆっくり目の朝食後に酒瓶1本抱えてまた東京へ。
   何時の間にか静岡市になってしまった学生時代に住んでいた清水まで足をのばす余裕はなかった。


04/3/1

   高校はもう卒業式。O家関係で2人、和賀家系で1人、今年は卒業する。
   そして、T家系の中学生から高校合格の知らせ。
   それぞれが自分らしい新しい道への1歩となる事を願っている。


04/2/29

   我が家のコブシの花が開き始めた。
   盛岡の従弟の結婚式の時に叔父から苗木を頂いて来たものだ。スルスルと伸びたが気候の違いに戸惑ったのか、なかなか花はつけてくれなかった。
   ようやく今年はポツポツとつけた蕾が開き始めた。この3月で盛岡のボクも8歳、赤ん坊の時以来会っていないが、コブシの木同様大きくなっている事だと思う。


04/2/5

   本日はKANMA氏の50回目の誕生日。仕事を休んで免許の書き換えに行った帰りに立寄ってくれたが、あいにく留守にしていたので夜3人で飲みに出た。
   KANMA氏はTANUKIとは高校時代からの仲間。私とも結婚当初アパートが溜まり場になっていた頃からの長い付き合いだ。
   スキーや自転車を教えてもらったり、林道ドライブの面白さを教えてもらったり、20代〜30代は遊びまわったものだったが、お互いに仕事が忙しくなったり、親が亡くなったりでだんだん慌しくなり、最近は年に何度か飲みに行く位の時間しか取れなくなってしまった。
   彼は今も空き時間のほとんどをスポーツ少年団のバレー部につぎ込んでいる。「そろそろ後を継いでくれる人を探さなくちゃ」と言いつつまだまだやる気のようだ。


04/1/30

   母が甦ってきたおかげで、電話魔復活。そこで得たのが、天王寺の叔父が亡くなったという知らせだった。
   叔母が『元カレ』と言うように、いろいろ事情があってだいぶ前に離婚しているのだが…。故郷の北海道に帰って、老人ホームに入っていたようだ。12/30に心不全で急逝したそうである。
『お父さん大好きやったから、私がお父さんの事いつも気にかけていたり、会いたいと思っていた事なんかを、知らずに逝ってしまったと思うと、とても悲しいです。父の方も会いたがってくれてたと聞きました。今となってはどうしようもないけど、やっぱり二度と会えないと思うとものすごく淋しいです。』とメールをくれたのは天王寺の末っ子。
   末っ子一家が駆けつけて後の世話をしたそうだが、年末年始は教会は色々な行事に縛られて身動き取れず、元旦早々のお葬式、寂しい送りになったようだ。
   昔、大阪に遊びに行った時に、家族で大きなレストランに連れて行ってくれて、「もう大人になったよね」と白ワインをついでくれたり、なかなか派手好きな人だったのだが…。


04/1/10

   そろそろ成人式。今年も甥っ子や従妹の子供達が成人する。何時の間に大きくなったんだ!
   藤守の長男が二十歳。子供の頃からたいてい家に居る子だったが、本日はお留守。遊びに行く場所や仲間が増えたというのは大変結構。春には専門学校を終了して社会に乗り出していく。
   裾野の従妹の娘からは、『何時も何かある度にお祝いの手紙をありがとう』とハガキが来た。
   そして、和賀家系の子も今年2人が成人式。
   こちらもそれだけ年を取っているのだが、よその子は速く大きくなるものだ。

04/1/11

   焼津市は今日が成人式。中学校区ごとに行なわれる。花火見物仲間のお嬢さんも成人式。
   早朝から髪を結って着物を着付けてもらって、ご両親に車で送られて家のお向かいの中学校に来たようだ。
   帰りにちょっと寄っていってくれた。赤いお振袖にちょっと渋めの帯を小ぶりの変り結びに締めて、あでやかなお嬢さんぶりだった。

04/1/12

   昨日成人式を済ませた藤守の長男が父さんと一緒にあいさつ回り。きちんと「お祝いありがとうございました」と口上を述べて内祝いを渡してくれた。実は子供の頃は人見知りでめったに自分から出て来なかった子だけにたいした進歩。
   春からは社会人、がんばれ!


04/1/3

   本日もお天気の良い穏かな日。午前中から年始まわりに出た。
   スタートは大の叔母宅。孫達は今日は初蹴りだそうで、昨日三島に帰ってしまって静かだった。ここから港の叔父宅へ。こちらは叔父がお寺参りに出ていて叔母と年始の挨拶。今年も1日に法多山へお参りに行ったそうだ。
   ここから町をUターンして、保福島の叔母宅。お嫁に行った従妹が来ていて、しばしパソコン談義。帰ってきてメールボックスをチェックしたら彼女からのメールが早速入っていた。
   次は藤枝に廻って高柳の叔母宅。独身の従弟達3人はそれぞれに休みを楽しんでいるようで、叔母夫婦がのんびりしていた。ここから築地の叔母宅、と言っても叔母はケアホームに入っているので叔父が1人でお昼ご飯中だった。時計を見ればちょうどお昼。
   時間潰しに志太郡が跡に行く。発掘・保存されているのはほんの一部だが、石を敷いた道、板塀の囲いの中には建造物群(柱跡)井戸や溝などが復元されている。小高い丘の上からはうっすらと富士山も見えた。
   最後はジュンちゃんの実家。ちょうどジュンちゃん達も来ていた。お姉さんの一家は生まれた赤ちゃんに会いに行っているそうだ。こちらが家に帰って来た頃にマーミ達も戻ってきて、義兄さんの実家からのおみやげの法多山の厄除け団子をおすそ分けしてくれた。

04/1/1

   甥っ子が家族で来たのでマーミの所で新年会。藤守も長男と末っ子が父さんに付いて来た。
   藤守の末っ子は従兄姉の中でも最年少。甥っ子の娘にまとい着かれて戸惑っていた。この子もずいぶん大きくなって、向けられるカメラに興味津々。自分も写すんだとカメラを持つ。

幼子がカメラ構える新年会   DORA


03/12/30

   マーミの所で餅つき。
   実はこの辺りでは丑の日に餅つきはしない。9の日もダメだし、一夜餅も良くない。しかし、気候が暖かいのでなるべく後ろに持っていきたいし…という事で29日の午後の家が多かったようだ。
   こちら、気にする年寄も居なくなり、30日の朝から餅つき。
   ジュンちゃんのお姉さんも今にも生まれそうなお腹で子供達を連れてきてくれた。
   子供達が「上手くいかないよぉ」と言いながら一生懸命作ってくれたおさんこちは、彼女達の2組のおじいちゃんおばあちゃんの所へ行くはずである。

   この日、帰った直後に女の子誕生!
   おめでとうございます!! 健やかな成長を祈ります。


03/12/11

   瑞穂の従妹とその娘から初メール。今の携帯はほぼメール機能がついているので、1度アドレスを伝えると電話で喋るよりも俄然こっちが優勢になる。
   電話だとこの時間は居るかな、忙しいかなと気になって結局用事がある時しかかけないので、かえって交流が密になるかもしれない。


03/12/10

   岩手の牛飼い家の従妹から電話。
   「こっちはもう寒いよ。ここしばらくお天気が悪くてツララも大きくなったし…、今牛舎から帰る時に見たら2℃だった」それでも玄関の中ではゼラニュウムやシャコ葉サボテンが元気に育っているそうです。

   そういえば岩手の叔父夫婦は今年11月で金婚式だったはず。(和賀家の古いデーターによる)
   「私の誕生日の前日に入籍したらしいよ」と言うのはそこの長女。あら…、タイムラグが…。


03/11/24

   本日はO家の古いお祖父さんの23回忌とOばあさんの3回忌。曇り空の寒い日になってしまった。
   11時半にお坊さんが見える予定で今年は落ちなく準備したつもりだった。
   今年は本寺のお坊さんは息子さんが見えられた。やはり丁寧に卒塔婆の文字に付いての解説などをしてくれる。皆で般若心経などのお経を上げてお墓参り。
   その間に精進落しの準備をする。ところが、お客さんの確定数が誰にも分からない。(我々は頭数に入っていてもお給仕など裏方へ廻るので)
   「いいよ、並べちゃえ」と全部並べて結局テーブル1つ残ることに。お客様に狭い思いをさせてしまった。
   お昼過ぎにかかってしまったので、お客様も形だけ飲んで食事を食べていってくれた。
   しかし、片付けて我々がお昼を食べようかと言ったのは3時過ぎ。
   それでも真っ暗になったとはいえ6時には終わった。

   あまり他人に気を使わない義兄さんが「いつもありがとう」とボジョレーヌーボーをくれた。感激。
   「俺達にも昨日飲ませてくれたよ」とマーミ。


03/11/13

   なにわのボクは5歳。夏にさいたまに引っ越して、七五三のお参りには大宮の氷川神社に行ったようです。ちょっとおすましの写真はパパのHPで。
   さて、エリザベス女王杯(競馬)はどの馬が良いかなぁ…。

03/11/7

   もうじき七五三です。
   三島の従妹の次男坊は5歳のお祝い。3月生まれの彼はお祝いを1年延ばしたので来春はもう1年生。
   ご当所だけに千葉のおじいちゃん・おばあちゃん、焼津のおばあちゃんも揃って、三島大社にお参りをしたそうです。


03/11/4

   ピッピ動物病院の院長から開院1ヶ月の感想メールが届いた。

   『開業してから早一ヶ月、なんとか無事がんばっております。
カルテの数も60件を超えて、今の季節のOPENとしてはまずまずな感じです。
OPENの準備も大変でしたが、いざ自分の病院で診察するとなるとすべて自分の責任のもとに行われることを強く感じて日々緊張の連続です。どんなに責任を意識しても勤務医はやっぱり他人の看板で仕事をしているわけでその分気は楽だったですね。
でも、試練を乗り越えた分人間は大きくなれると信じてますので困難を肥やしにしたいです。』

   月末頃には本人も初めての子供のお父さん。頑張れ


03/10/15

   先日、和賀家の新津の伯父から『回想録:旅路』の第1回の原稿が届いた。
   まだほんの入り口、小学校時代の思い出である。祖母の回想録や色々な形で母の所に集まっている古い写真の母の解説、伯父の回想記でジグソーパズルのピースが埋まるように、私の頭の中でその頃が色づけされ立体化されてきた気がする。


03/9/23

   今年は私は初日、TANUKIも昨日焼津のお墓は参ったので、本日は八王子へお墓参り。本当は昨日行きたかったのだが、花火の順延で予定が後ろへずれてしまった。
   お彼岸の中日となれば混むのは分かっていたので、あせらずにam10:00にスタート。東名はむしろ空いていて45分で富士川SA。サービスエリアをめぐっていたらタイガースあやかりの柿ピーを売っていたのでつい買ってしまう。
   12時には厚木IC。ここからは渋滞。いつもの事だし、今回は先を急ぐ予定も無いのでおとなしく並ぶ。R129に入った頃にはお腹が空いてくるが、適当なお店が無い。相川でファミリーレストランを見つけて落ち着くことにする。1時。TANUKIはメニューのカロリー表記を見比べてリゾットとサラダ。私はビーフシチューとサラダ。値段から見て思ったとおり量は少なかったが、ともかく食べた気になったし、40分程休めた。
   しかし、渋滞は続く。次は法政大学の先からつまって動かない。右から流入してくる道路はあるがR20まで一直線。ここで渋滞も終わるかと思ったら、その先も延々と混んでいた。やっとの思いで霊園に着いたのは3時。石屋で花と線香をもらい墓の側までたどり着いたら、先に団体さんが…。なんと瑞穂の2家族がちょうど来ていた。
   従妹の長女は部活、次女は修学旅行で京都に行っているそうだが、後は全員集合。子供達に混じってTANUKIも携帯電話で写真を撮り合う。墓中のお祖父さん・お祖母さん・叔母さんも大勢集まって来て楽しかっただろう。ここから別の区画の親戚のお墓に移動。さらに石屋さんへ戻ってもう1度合流。誘われたけれどいささか疲れていたので、今回はここで別れて帰ってきた。
   そういえばタニカの叔父も今年古希を迎えたそうだ。
   帰り道は相模湖から中央道へ。中央道はきれいになってスムーズに流れたが、御殿場へ入ったところで相変わらずの渋滞。今回は日本平SAで夕飯。セルフサービスだが使いやすくできていた。
   何のかのと言いながらも8時には家に到着。でも渋滞は肩こりに繋がる。


03/9/22

   お盆から雨で中止続きだった焼津港の花火がようやく行われた。
   1月の時の流れは肌寒さと暗さに如実に現れた。開始1時間前の6時頃にはもう薄暗い。しかも目の前は海で肌寒い風が吹いてくる。しかも休みの間の平日という事もあって会場も閑散としている。
   家のメンバーもマーミの所が昨夜テニスの合宿から戻ってきた仲間が6人程と会場で出会った1家族。藤守は父さんと長男。我々と友人夫婦。いつもの半分位の場所でちんまりとまとまった。
   ビールもようやく大手を振って飲めるようになった藤守の長男が欲しがる位。TANUKIはさっさと酒に切り替え、マーミの友人も焼酎にシフト。それでも突貫工事で作ったお稲荷さんとはんぺんフライ、買った焼き鳥とおでん、それぞれが買ってきた揚げ物や焼きソバ、スナック菓子などでおしゃべりをしている間に花火開始。
   ドカン・ドカンと快調に上がる。巨大なものは少ないかわりに数を固めて演出を凝らしている。何故か皆で携帯のカメラで花火撮影。しかし近年仲間内では不評だった音楽付は少なくなった。海をはさんだ正面から打ちあがるので、音もお腹に響く。花火が一休みをすると雲の切れ間の真正面からまだかなり大きい火星がのぞく。
   気が付けば会場も段々に人で埋まっている。
   最後に巨大な花が空に開いて無事に今年の花火も終わった。
   全体の人数も我々の人数も少なかった分、片付けも早く済み、家に戻って9時半。しかしやっぱり、暑い中で大勢で楽しむ方が花火は良いなと思った。


03/9/15

   敬老の日です。
   私の知っている範囲では、今年は横浜のお義姉さんのお姑さんが傘寿(Oばあちゃんと同い年)。和賀家の田原本の伯父さんが傘寿、天王寺の叔母さんが喜寿、連島の叔母さんも還暦でした。
   そしてTOPPOさんのご両親が傘寿と喜寿。
   皆さんまだまだ現役でお元気に日々を楽しんでお過ごしください。


03/8/14

   本日、焼津港の花火を目的に瑞穂から従弟一家が来宅。夏も仕事が詰まって忙しく、やっと取れた夏休みとか。しかし、残念ながら雨。花火も中止。夕方には部活の終わった藤守の娘も合流。
   パソコンは一緒に来た藤守の兄さんに取られて、昔DORAが貰ってそのままになっていたジグソーパズルが登場。初めに頑張ったのは子供達だったが、次第に大人の方が夢中になる。
   夕方、藤守の父さんと兄さんは帰ったものの、娘は夜10時頃まで一緒に遊んで、父さんのお迎えで「明日は部活がある」と言いながらやっと帰る。

03/8/15

   残念ながら今日も雨。午前中はパソコンゲームとジグソーパズルの続きで間を持たせる。ジグソーパズルはおじいちゃんも大好き。一緒になって座り込む。
   「お日様が見たい。海に行きたい」と従弟一家は午後から新潟方面を目指すはずだったが…。ジグソーパズルに心惹かれている間にマーミ&ジュンちゃん、お盆でやって来た義兄さんの長男一家と長女も登場。この長男が子供の時からのパズル好きでそのままはまり込む。義兄さんも後から登場。そこに部活の終わった藤守の娘もやって来て、めったにない賑わいとなる。
   結局は、「ここまで出来たなら最後まで」となり、夕方4時頃までかかって2000ピースを完成させる。マーミに完成図とともに記念写真を撮ってもらって散会。バシャバシャと雨の降る中、それぞれの車に別れて帰って行った。瑞穂組はそれでもR52から日本海を目指して行った。
   大騒ぎが終わって夕飯時、やっと我が家の猫達がそれぞれの隠れ場所から顔を見せた。


03/6/18

   三島の従妹から電話。
   子供達も学校や幼稚園に慣れ、空いた時間でパソコンやパン作りなど自分のやりたい事をする時間ができたようだ。
   「今年は暑中見舞いを作ってみようかなぁ…。」などと言っていた。


03/5/29

   最近はおじいさん・おばあさんなど家族が子供に昔話を聞かせなくなったそうである。どうも「テレビでやっていたのと違う」とか「本で読んだのと違う」と言われると続けにくくなるらしい。しかし、『我家のオリジナル』を大切にしてもらいたい。
   私が子供の頃、母がよくお話を聞かせてくれた。昔話ではあるが、そんじょそこらのおとぎ話ではない。題して『お母さんの小さい時の話』
   だから母が2〜3歳の頃、兄さん達が水遊びをしているのを見て、府中の家(広島)の庭の池に飛び込んで溺れた話。お父さん(私から言えば祖父)が家の子供や親戚の子供や近所の子供までゾロゾロと連れて、金光(岡山)の川に貝掘りに行ったり、海に泳ぎに行ったりした事。やはりお父さんが学校の運動会にやって来て、羽織を目印に木にかけて、一杯やりながら子供達のお弁当の番をしていた話。母はお使いが嫌いで弟達に押し付けていた話。何度も様々なバリエーションで聞かされているので大体こんな日常だったのだろうなという情景が思い描けるようになっている。
   一緒に暮らしていた父方の祖母はあまり昔の話はしなかった。しかし関東大震災も戦争も東京で体験している。テレビのニュースで地震や戦争の様子が出ると、あの時は…などとポツポツと話してくれた。
   この祖母はコインのコレクションをしていた。と言っても普段使われている5円玉や10円玉などだが、戦争中の瀬戸物のものなども混じっていた。そんなものを見せてくれながら「本当に金属のものが無くなっていたんだよ」と言っていた。


03/5/26

   スタジオAさんの庭に巣立ちをしようとしたカラスの子が不時着したそうだ。今日写真が出ていた。
   Oばあちゃんがゆうゆうに居た頃、隣りが神社の森だった。ちょうど田植えの終った頃、その田圃を目指して神社の森を巣立ったカラスの子供たちを、Oばあちゃんと一緒に見ていた。兄弟らしい数羽が田圃の手前の道にたどたどしく降り、ふざけるようにパタパタしていた。
   そのままどこかに行ってしまう訳でもなく、何日かこの周りで羽慣らしをしていた。田圃の中に危なっかしく降りたり(墜落?)追いかけっこをしたり、しばらくそんな様子を見せて、こちらが飽きる頃にはそれぞれに独立したのか、親と変らないほど一人前になったのか、居なくなってしまった。


03/5/10

   日比の孫の将棋小僧は順調に将棋会館の子供スクールで腕を上げて、「次には焼津のおじいちゃんに勝てるかな」と倦土重来をねらっている様子。
   その話を聞いたじいちゃん、そうはさせじとプレイステーション相手に練習に余念がありません。
   次の和賀家名人戦は何時になるのでしょうか…。


03/5/4

   瑞穂から従弟一家が登場。
   早朝から焼津港で釣りをしていたものの釣れなかったので早く着いたようだ。
   そこで裏の瀬戸川を海の近くの公園まで行ってお昼を作る事に。当然ながら藤守の娘も呼びに行く。
   料理はTANUKIの独断場。メニューは牛モモ肉のシュラスコと野菜焼、パエリア。子供連れなので飲み物は冷たいお茶だけ。
   ただし準備はキャンピングカーでやって来る従弟一家の方が上手。テーブルを始め道具も色々装備している。
   駐車場もまわりの道も車だらけ、芝生の上は何組ものグループがテントを張ったりゴザを広げたりして集まっている。
   置きっぱなしだった炭に火が点くまでに時間がかかったが、後は火力に任せて強めに塩コショウをした固まり肉をあぶる。一方でパエリアを仕込む。「これ良いね、今度やってみよう」と瑞穂のママは作り方をチェック。
   肉は表面が焼けてきた所で、焼けた部分を切り取って食べて行く。残りは食べているうちにまた火が通るという寸法。脇の方ではボチボチと野菜を切って焼いていく。火力があるのであっという間に火が通る。肉を食べているうちにパエリアも出来上がり。ゴザもいくつもの椅子も用意しながら、火の側で「上手くできたね」と立ったまま食べる。

   食後はお姉ちゃん達は釣り。ポンポンとボラが跳ねているが釣れない…。からかうようにすぐ近くでボラが跳ねる。さんざん試して小さなフグ1匹。持って行っても仕方が無いのでそのまま放す。そのうちに潮が満ちてきて、今まで遊んでいたあたりまで水が入り、小魚や小型のボラの群れがそこまでやって来る。お姉ちゃん今度はタモ網を持ち出して魚をすくう。小さいのは面白いように取れるらしく4人そろってしばらく夢中ですくっていた。
   釣り好きの1名を除いて飽きてきた頃、あまりポンポンと飛ぶ魚を写真に取ろうということで、皆でチャレンジ。結局写ったのはTANUKIの1枚だけだったが、ボラだけでなく鯉も跳ねていた。
   さて、帰るためには火が消えなくてはならない。炭の燃え尽きるのを待つ間に今度は下の2人が案内板登り、木登り。瑞穂の次女はバレエをやっているだけに体の柔軟性は人一倍、足も速くて100m走のライバルは男の子という子である。器用に看板に取り付いて上に登って見得を切る。
   火の始末ができた所で撤収。家に荷物を置いた後で、釣らしい釣りができずにつまらない瑞穂のパパと長女、その他ギャラリーも一緒に夕方の焼津港へ。結局サカナには振られたようだが。

   夕飯後は2台のパソコンは子供達に乗っ取られてお絵かきとゲーム。面白い事に長女と三女、藤守の子と次女がコンビを組む。
   泊まる予定の無かった藤守の子が「私も泊まる」となって、家まで着替えを取りに行く。同い年の瑞穂の長女も一緒に来る。こうなると中1同士。勉強やクラブの話に花が咲いている。
   帰ってきてもまたパソコン。さすがに末っ子は眠ってしまったが、後の3人TANUKI先生の指導が入るまで起きていた。

03/5/5

   本日も快晴。怪我をしているクロンが箪笥の上の子供達の手の届かない所に居る他は、クーもみゆもさっさと雲隠れをしてしまった。
   子供達はネコなど目もくれずに朝ご飯の後はパソコン。末っ子の動議でしばらく公園に遊びに行ったが、じきに戻って来てまたパソコン。
   親は散歩がてらさかなセンターへ。「すごい人だった」と手ぶらで帰ってきた。しかし藤守の父さんがネギトロを、TANUKIもマグロとシラスを土産にしたので、焼津みやげは出来た。
   そして昨日は別口のバーベキューを仕切っていたマーミとジュンちゃんも登場。こちらのおみやげはもちろんお茶色々。下の2人にはぬいぐるみをくれるが末っ子がお気に召さない。「同じのが良いの?」と車から別のを取ってきてくれる。
   瑞穂の一行は「今日は混むだろうから」と昼ごろ帰っていった。
   藤守の娘はお見送りの後ひとしきりパソコンでゲーム、たまたまテレビでやっていたハリーポッターも見て、夕方ようやくお神輿をあげた。

   瑞穂の方は、東名にするか途中から中央道に入るかで迷ったようだが、富士で降りて富士五湖の方へ入り渋滞に巻かれたらしい。やっと着いたと電話がかかったのはpm8:00をだいぶ過ぎてから。お疲れ様でした。


03/4/2

   日比からは丁寧に叔母さんから手紙が来ました。皆で珍しがって食べたそうです。

03/4/2

   なにわからも、お餅が着いたよ〜と携帯の写真つきでメールが来ました。

03/4/1

   3/30についた餅はマーミが気前良く「手伝い人の分も」とくれたのだが、手伝い人の方は「渋滞の前に」と、餅が切れる状態になる前に帰ってしまった。
   そこで昨日せっせと餅を切ってあちこちに送った。(1ヶ所に送ると重くなりすぎるし、今時の餅はすぐにかびてくる。)
   本日は各地から到着の連絡。

   まずは瑞穂。午前中には着いたようだ。借りてきた七五三のスナップを返すのを忘れたが、話のメインはじいちゃん同士で5月に行われる親戚の法事の打ち合わせになったらしい。

   次いで厚木。「え〜、家でお餅をついたんですかぁ?」「子供達がお餅大好きです。」

   そして三島。「今日は近所の人とお花見に行きました。」「ダンナは今日から島田まで通勤です。でも千葉のおじいちゃん達に言わせると1時間半は普通だって。私なら15分を超えると遠いのに…」と感覚の違いにビックリの様子。

   さらにTOPPOさん。「忘れていったズボンも一緒にしっかり冷やされて着いたよ。これで当分忙しくなっても食べるものがある」と。

   そういえば日比となにわ、肝心の手伝い人にも送ったのだが、着いたかな?

02年