我が家&和賀家 06年
07/3/11
瑞穂の叔父さん夫婦と長男一家、娘夫妻+末っ子が団体で登場。従弟の所は食品を扱っていた間は飼えなかった犬を飼いだした。
家の猫と同じくらいのサイズだが、到着の後で子供達が散歩に連れ出した後は外に繋がれた事がないので、ホットドックになるのではないかと心配で外に繋いでみたりケージに入れたりしたが落ち着かず、結局車の中が良くて車で待っていた。
みんな元気そうで何よりだが、高校生になった従弟の長女が華麗に変身をしていた。「その格好で学校は無理でしょう」と言われていたが、どちらかと言えば少年ぽかった子がドロンと女の子に変身していた。次女は身長といい後姿が彼女の叔母さんそっくり。話し方もよく似ているので間違えそうになった。双方の末っ子もずいぶん大きくなった。
今日はバイトが忙しい従妹の次女は無事に高校を卒業、専門学校への進路も決まった。長女は夢は諦めていないようだが、なかなか活動に繋がらないようだ。
母が冬眠から目覚めてハイテンションで叔母を引っ張りまわして気の毒だったが、付き合ってもらった。
07/2/26
『千の風になって』という歌が流行っているらしい。色々とお世話になっている『風の頁』の主催の風さんのハンドルネームの由来がこの歌だというのは以前から聞いていた。
歌詞の大意は「私が死んでも悲しまないでほしい、私は風になって大空をふきわたっているのだから」というようなものだ。
和賀家の祖父が同じような事を言っていたのをふと思い出した。岡山で暮らしていた祖父には9人の子供があったが、北海道・岩手・新潟・東京・奈良・大阪とそれぞれかなり遠くで暮らしていた。「生きている間はなかなか行かれないが、死んだらすぐに駆けつけるから困った事があったらいつでも呼んでくれ」とよく言っていた。
歌の原詩はアメリカのものでかなり古いらしいが、祖父がこの詩を知っていたかどうかは知らない。しかし、気持ちは同じようなものではなかったかと思う。
今も煮詰まると「おじいちゃん、助けて!」とつぶやいている私が居る。
07/2/25
マーミ宅で義父の13回忌(1月早い)と義母の7回忌(半年早い)が朝9時から行なわれた。
準備が大変だろうと8時頃に行ったら、マーミとジュンちゃんの雲行きが…。以心伝心が効かずにマーミがじれて、ジュンちゃんも疲れが出たようだ。幸いどちらも大崩に倒れる事はなく、藤守の父さんと長男・横浜の義姉夫妻と兄弟から集まり始め、とどこおりなく準備も進みお客さんも集って来た。いつの間にか従弟に代替わりもしてきているが、我々の仲人をしてもらった長老のおじさんはまだお元気で、車も運転しているようだった。
今日見えたのは菩提寺のお坊さん。般若心経と修証義を皆であげお焼香をした。その後でお坊さんが菩提を弔うお経をあげてくれた。
皆がお墓参りに行っている間に食事の用意。とはいうもののまだ11時にもなっていなかったが…。お墓のお寺のお坊さんが年をとられて隠退されてから無住になっているのでご本尊をお参りせずに帰ってきたので、あっという間に皆が戻ってきた。そんなこんなでマーミが裏をバタバタと手伝っていると、「お前さんは挨拶役だろうが」とビールをついで廻っていた藤守の父さんが呼びに来てバトンタッチ。
今回は藤守の母さんが仕事で来られなかったが、義姉さんが居てくれたのでジュンちゃんと3人で裏を仕切った。
間でTANUKIが「記念写真を撮っておこう」と言い出してマーミがカメラを持ち出し無事全員でカメラに納まった。
ゆっくりしてもらったようだったが、お昼には皆さんお帰り。片付けて自分達もお昼らしい時間に横浜女子駅伝を見ながらお昼。
今朝は早いので夕べは焼津で泊まったという横浜を送り出し、それぞれに家に帰った。
07/2/24
明日はマーミ宅で法事。朝も早よからやるというので、今日は忙しかろうとお昼前にちょっと様子を見に行った。「何とかなるよ」と言うので少し掃除を手伝ってお昼に帰ってきた。
それでも、仏壇・座敷・廊下に玄関とやたらに広いし、座布団も風を通さなければならないし、回り灯籠や三段盛り、れいこう膳など出しておくものも多いので、ジュンちゃん・TANUKIとけっこう忙しく動いた。その間マーミは花を抱えてお墓の掃除。
07/2/12
お留守のマーミ宅にDORAおばさんはおみやげを持って行きました。一口サイズの小さな最中6個だけだけど、テーブルの上に置いておいたら義兄さんが自分の分だと思って全部食べちゃったようでした。
別の用事で夕方ジュンちゃんから電話がきて分かりました。
07/2/6
今回の市議会議員選挙もマーミは地元候補者の事務所に詰めきっていたようだ。この候補者氏は親類にも当たるようだが。「細かい所まで気を配ってよくやってくれたよ」と今日会った近所の人に言われた。だんだん地域の世話役として動き回っていた父が乗り移ってきたようだ。
07/1/12
今月の『和賀家の通信』を編集していて記事が足りなくなったので名簿を見ていたら亥年が多いのに気が付いた。
T12年の伯父を筆頭にH7年まで総勢14人。O家も義母と義姉・末っ子のマーミが亥年。
イノシシは多産のシンボルだそうだが何となく納得!
07/1/8
成人式が1月15日から動いてしまって、慌しくなった。
最近はちょうど同世代の子供達が一斉に大人になり始め我々も年をとったものだと思うのだが…。
親戚筋では、T家系が3人、和賀家系が1人。それぞれに自分の目指す人生を歩んでくれたらと思っている。
07/1/2
今日は近くの親戚にお年始周り。何事かないとなかなか行く機会もないので、叔父さん・叔母さんをぐるりと表敬訪問する。皆さんそれなりにお元気のようで何より。
最後に本家に当たるマーミ宅。たまたま藤守の父さんも来ていて、兄弟3人箱根駅伝を見ながらおしゃべり。男ばかりだが良くしゃべる3人が揃っているのでにぎやかな事限りない。今日はジュンちゃんは実家のお母さんや姉さんと初売りに出かけていた。藤守の母さんはお正月早々から勤務。肩を痛めたとか言っていたので大変だと思う。
午後から島田市の道端にあると暮れにローカルニュースの人気者になっていたわら細工のイノシシを見に行った。毎年、地域で干支を作っているそうだ。
06/12/30
マーミ宅で年末恒例の餅つき。この時ばかりは火の番の長男、餅取りの次男、丸めたり伸したりの三・四男と兄弟4人ガッチリと協力体制ができる。
今年はジュンちゃんのお姉さん一家が来なくて「静かだね」と言っていたら三島の従妹が子供達を連れてきた。親子で好奇心満々でおさんこちにチャレンジ。次男坊は「あんこがきらい」と言っていたがお兄ちゃんはあんこがはみ出した失敗作を食べていた。「おじさんがあんこも食べさせてやる」とかまわれていた次男坊、「もう帰ろう」と言っていたが、年取り餅はあんこをつけたまま食べていた。
06/12/29
♪大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計♪という歌が数年前にリバイバルヒットしたが、我が家にも大きな古時計が存在する。この時計、そもそもの来歴は知らないが、私が幼い頃、ほんの一時、父が時計屋をしていた時に店の奥に鎮座していた。その後の行方も覚えていないのだが、叔父の所にずっとあったらしい。
叔父の引越しと共に最近こちらに廻ってきた。さすがに古時計で止まっていたのだが、時計屋さんに修理に出したら無事に動き出して時を刻んでいる。ちゃんとした置き場所が無いのが残念なのだが…。
06/12/13
瑞穂の従妹の2番目の娘の進学先が無事に決まったようだ。後はバイトに精を出して卒業するだけ!とは本人の弁。
06/12/3
本日はマーミ宅でおじいさんの27周忌法要。坊さんにお経を読んでもらうだけと言っていたので気軽に行ったのだが、準備万端整えてくれていた。
もっとも、今回はマーミ夫婦と義兄さんと我々だけ。藤守は今年は隣組長で防災訓練に駆りだされていて後からお参りに来た。
坊さんの方も後の予定があって朝9時から。型通り仏壇の前でお経を上げお焼香をしてから、お墓に参り、お寺の仏前でもう1度お経を上げてお焼香をした。
普段大勢を呼ぶお年忌だとその後の準備でお寺まで行く事はないので、新しくなってから初めて中に入ったが、ずいぶんきれいになっていた。
簡単にするからと言っていた割には、お料理を準備してくれていたが、時間が早いので少しおしゃべりをして昼前に家に帰った。
06/11/29
函南の従妹が長女と叔母さんと一緒に来てくれた。彼女は裾野、叔母さんは函南、娘は静岡と順に乗せてたようだ。「いつも兄の車に乗って来るだけだから道が良く分からなかった」と彼女。旦那さんが心配をしてネットで地図をダウンロードして持たせ、娘のナビで来たようだった。
最近仕事を辞めてお義母さんと一緒に畑仕事をしていると沢山の野菜をおみやげにくれた。
長女は教育学部だったはずと「採用試験は?」と聞いたが「教員はやめた」そうだ。「教育実習で子供達は可愛かったけど、先生という仕事も大変だ」と思ったそうだ。幸い就職は内定した模様。妹は専門学校なのでやはり来春卒業。従妹のお母さん業も最終コーナーのようだ。
ところで、東部地域ではクマもサルも生息しているようで、「クマ注意」の同報無線が流れたりサルが通ったりしているようだ。庭木の果物の実をきちんと採ったり、外に生ゴミや食べ物を置かないようにしたり、何かと気をつけているそうだ。
06/11/15
今年の七五三、和賀家系の子供ばかり3歳の男の子1人、5歳が1人、満7歳が1人、健やかな成長を願っています。
06/10/14
氏神様のお祭り。夜宮で中老会が色々な屋台をやるのだが、今年のお祭りの年行事がお神酒のつまみ用のおでんなどを作らないという事で中老会の方が多めの用意をする事になった。会長はマーミ、TANUKIもまだ引退していないという事で役員さんと一緒に動員されてしまった。会名物のお汁粉は無料、大鍋一杯作って1口大の餅を焼いて入れる。他にもソーセージや焼きソバ、飲み物、遊びの方ではスーパーボールやミニ4駆レースなど色々の出店を担当する。また福釣りも恒例のお楽しみで楽しみにしている人も多い。そんな訳でネコの手も借りたい忙しさとなるので夫婦で戦力になる子供達も巻き込んでの仕事となる。
TANUKIは陸協の用事もあったので準備と片付け、間で私がお汁粉の鍋と火の番に出た。程々にマキをくべて火を絶やさず中を焦がさず通る人に火傷をさせなければお役目になる。立ち番をしているとかなり色々な人に会うもので、いつの間にやらみんな孫連れになってきている。しかし、会の役員さんはかなり若返ってマーミ夫婦と家のとなり組の役員さん夫婦くらいしか分からない。
一気に人が集まって息つく暇も無く8時前に鍋が空になるまでいった。ここが最後で片付けが始まったが、人出もお汁粉が無くなるまで、以前に比べると終いがずいぶん早くなった。
06/10/8
春にとうとう会社を倒産させた叔父が「車を知り合いに引き取ってもらって借りて乗れるようになった」と近況報告に登場。とりあえずそこにあっても差し押さえられたものを使ってはいけないそうだ。
菓子といっても大手ではやりにくいアレルギー除去のお菓子や栄養添加のゼリーなど特殊なものを作っていたので色々と引き合いもあるらしいが…。
06/8/21
昼前に来たマーミ、「昨日TANUKI兄貴は来たは良いけど子守をするでもなく話をするでもなく転がってテレビを見ていただけ!」と。
実は一昨日の盆踊り、お祝儀は出したがタイミングが悪く接待は受けなかった。会長さんとして「悪かったっけねぇ」という訳で缶ビールを持って来てくれたのだった。盆踊りは大盛況の人出だったが、手が足りなかったり意思の疎通が充分でなかったりと大変な部分もあったようだ。
06/8/20
義兄さんの長男一家がマーミの所へ遊びに来た。電話をもらったので掃除はしていないし忙しいしでこれ幸いとTANUKIを代表団で送り出す。
子供達も大きくなったようだ。
06/8/19
本日は地区の盆踊り。お仕事としてもお誘いを頂いているのだが、今回は盆踊りを取り仕切る中老(おじさん会)会長がマーミ、という事でこちらで。
元会長のTANUKIはそれなりの祝儀を持って、こちらは手ぶらのつもりだったが元会長が「せっかく会長自ら案内を持ってきたのだから…」とフォローがうるさいので些少を包んで一緒に出かける。ただしTANUKIは陸協の用事で祝儀だけ置いてそちらへ。
例年、年配の方が多くて踊るよりも飲む人ばかりなのだが、今年は子供達がたくさん集まって、そうなるとその親達やおじいちゃんおばあちゃんと人が集まって賑やかだった。
踊りの輪をひょいと眺めれば義兄さんがギクシャクと踊っている。ジュンちゃんは裏方で忙しそうだったがジュンちゃんのご両親も遊びに見えていた。自治会関係や民児協のメンバー、その他諸々の見知った皆さんと「お天気で良かったね」とご挨拶。
一踊りした後、太鼓の演奏を聞いて帰ってきた。
06/8/16
お盆の最終日とともに我が家の合宿所も最終日。
朝、藤守の父さんがTOPPOさんと瑞穂一家へのみやげを持って来てくれる。
お昼前にはマーミ&ジュンちゃんもおみやげとともに登場。今日は首の調子が悪いというマーミにマッサージ関係の専門学校を志望している瑞穂の次女が、「来年は見てあげられるかも…。」しばらくおしゃべりをしてともにカントリーロードの巨大プリンを食べに行く相談がまとまった。ただ、TOPPOさんが棄権したので私もやめておいた。そのままさかなセンターで買い物をして帰るという瑞穂一家は荷物を満載して行った。「仕事場のワゴンがあるんだけど休みに入るので道具を満載したのを積み替えるのが大変だったから」と自家用車で来たそうだが、一考の余地があったかも…。
続いてお昼を食べてTOPPOさんもオミコシをあげた。どうやら心配したほどの渋滞には当らずに帰れたらしい。
その間私はせっせと洗濯。明日から台風余波でお天気が悪くなるらしいので6枚の客用布団と枕を干し、タオルケットとシーツと枕カバーを洗濯した。幸い晴天で風も良く日も長いので全部乾いた。
夕方TANUKIの誕生日なのでバースデープレゼントにGパンを購入。何しろサイズが大きいので探すのに苦労する。マーミ&ジュンちゃんからもバースディプレゼントを頂いた。
皆が帰って涼しくなった夕方、蒼や茶々もどこからともなく姿を現して玄関の板の間でゴロゴロ、しばらくぶりで4匹揃ってお夕飯を食べていた。
06/8/15
花火余波で午前中は皆、朝寝をしてまったりと過ごす。午後からはマーミのお誘いでTANUKIと瑞穂一家はテニス。その間、函南の叔母さんが長男の運転でやってきた。こちらも道路状況は良かったようだ。
函南の長男家の長男もようやく派遣会社に登録をして仕事を始めた模様。末の長女はこの春から高校生。家から駅までは送り迎えをしてもらっているようだが元気に通学しているようだ。
06/8/14
本日は港の花火。夏休みは皆これが目的で集まってくる。マーミの友達など合わせてかなりの人数が集まって夕方花火を待つ間に持ち寄りの宴会、花火を見て解散の年中行事になっている。今年は藤守の末っ子が家族とではなくお友達と2人だけで初登場した。TANUKI伯父さん、来るまでがかなり心配だったようだ…。
我が家でも午後から食べるものの準備。殻つきピーナツを茹で、はんぺんフライを揚げてお稲荷さんを作る。マグロのカマも暖めかえしてタレを足す。手はたくさんあるので大丈夫。ただし、梨は梨大好き娘達に頼むと途中でみんな無くなりそうなので最後にこっそりむいていった。
瑞穂の子とマーミの友達の子供達は暑い中ゴザの上でゲーム機を抱えて熱くなっていた。
後は花火。ゴザの上でゴロゴロしながら、写真を撮ったり居眠りをしたり。私の携帯のカメラは本日アウトになった様で真っ黒のまま何も写せなかった…。買い替え予算は無いのだが。
最近はかなり早く帰れるようになって、10時頃には家に着いた。
06/8/13
瑞穂の従妹一家が登場。朝早く出てきたそうだが渋滞にもはまらずに着いたようだ。
とりあえずゆっくりしてもらっている間にこちらはマーミ宅へお盆のお経のために集合。約束は11時だったがお坊さんは順番に廻っている間に時間がずれるので10時半頃から待機。今回は少しゆっくりでお寺さんの方でも「頂きます・ご馳走様」の挨拶をしましょうとのキャンペーン中でそのお話があった。またこちらからもお寺の駐車場と墓地が家の脇に来る事について話が来ていないのでお寺の方から檀家総代さんを通してきちんとしてほしいとのお願いもしたので小一時間かかった。
お昼からマーミ・TANUKIそれぞれに初盆見舞いに歩いて、午後は一段落してから瑞穂の一家はマーミ達とテニスへ。TANUKIも一緒。その間にTOPPOさんと2人で明日の買い物に廻る。
テニス組は人数が集まりすぎたようで意外に早く帰ってきたが、後は夕飯を食べてノンビリと。
明日は末っ子と父さんは海に行きたいといっている。
06/8/6
日比の叔母さんを静岡駅へ送っていく途中でようやく少し話ができた。3泊もしてくれたのにほとんどばあちゃんが独占していたのでそれまでほとんど話ができなかった。
日比の長男家は先月子供達がおたふくかぜに取り付かれてママまでが罹ってしまって大変だったそうだ。三男家は上の子の少年野球のコーチを父さんがはじめて楽しんでいるらしい。娘家はダンナが出張で東奔西走している間に母子は実家で夏休み、ボクは短期の水泳教室で鍛えているそうだ。
「引っ張りまわされて疲れたでしょ」と聞いたら、それでも「家にいるよりノンビリした」との事。
06/7/31
田原本の伯父からものすごく古い写真が送られてきた。昭和の初めの頃、まだ広島に住んでいた頃のものらしい。母達にとってのひいお祖母さんがまだ健在、母のすぐ下の弟までが生まれている。
06/7/7
和賀家系のいとこ会をやろうと若手が春から頑張ってくれていたのだが…。当の幹事が仕事が忙しすぎ、みんなの日程も上手く合わなくて今回は残念ながらお流れ。
またの機会を考える事にして、あまり細かい事は考えずに、この日の昼(あるいは夜)は皆で宴会だというのだけ決めて、場所だけ押さえて、きっといつかは集まりたい。
06/6/29
横浜の義姉の所がいよいよ自宅改築のための引越し。ほんの15分位離れただけなのに、まだ田舎の雰囲気が残っていて広々しているよ、との事。今年秋には新しい家ができるそうだ。
06/5/31
キョウさんからの情報によると田原本の伯父さんがヘルペスで体調が悪い様子。80代に突入し始めたの伯父・叔母世代とはいえ、まだまだ元気でいて下さい。
06/4/18
新津の伯父が自転車に乗っていて「どうも見えにくい」と思いながら車と2度も接触事故を起こしたらしい。
それでも電話ではなく律儀に手紙をくれる伯父なのだが、5月、6月と片目ずつ白内障の手術をする事になったそうだ。
06/4/10
入学式シーズン。今年の一族の新1年生は幼稚園が数人(多分)、小学校が1人、中学が1人、高校が3人、専門学校に1人です。
新しい世界でそれぞれに精一杯チャレンジしてほしいものです。
06/4/1
お節句の餅つき。土曜日なのでジュンちゃんは仕事。いつものようにジュンちゃんのお母さんが援軍に来て下さる。途中からマーミのテニス仲間のお母さんと女の子3人。
白・黄(梔子)・赤・緑(草餅)の順で2臼ずつ。今回はお供えとお雛様の丸餅、最後に草餅で黄な粉餅を作れば良いので早く進む。今回ののしてはTANUKI。兄さんも仕事でいないのでその間にマーミが屋根裏かにお雛様を下ろす。
上のお姉ちゃんが今度小学校という女の子達も草餅を丸めて黄な粉餅を作ってくれた。
お昼を食べて午後からはひな壇を組んでお雛様を飾る。これが細々としたお道具などがああでもない、こうでもないで大仕事。それでも夕方までにはすっかり終わった。