我が家&和賀家 05年


06/3/20

   八王子へお墓参りに行った帰りに瑞穂へ。今年は従妹の長女が高校を卒業。演劇をやりたくて学校からの就職斡旋に頼らずアルバイト生活に入ることに決定。今月一杯最後の春休という事で休みを満喫中だそう。
   従弟の長女は今年中学を卒業。従妹の次女の高校の後輩になったとの事。面接の先生が彼女の従姉の担任だったという出会い付き。従弟の所は次女も小学校を卒業して中学へ。
   中学はちょうど今日が卒業式。中学にもなれば結構ドライだそうだが、子供の出番ではママも結構感動したようだった。従妹の所は高校になれば行かなくても良いつもりでいたら、他所がみな行くというので急遽行ってきたとか。小学校は後いく日か先。

06/3/14

   タニカの叔父さん来宅。
   悪化した資金繰りの金利と追いかけっこをするよりも新機軸を打ち出そうというようだが、話を聞くのが精一杯。
   ヤフー!マーケットに出店したというがバレンタインでデーには間に合わず、今年の前半も厳しい状況になりそうだ。

06/3/13

   昨日の夕方、出張のついでに北海道からわんわんの飼い主氏がやって来た。
   タイミングよく夕食時に着いて、TANUKIと2人、よく食べよく飲み。とにかく妙なものが好物な2人、今回はマグロのヘソ(心臓)の刺身。あの大きなマグロに1つしかない貴重品で、すぐに悪くなるので地元でもめったにお目にかかれないものだが、1年物の古酒と絞りたての新酒を飲み比べながら一番のつまみにしていた。こんな隠し玉があったのならあんなに刺身を買わなかったのに…。
   遅くになってマーミ&ジュンちゃんが「珍しい人が来てるって」と登場。10時近かったがこの時間まで中老会(青年部を卒業して老人会に入るまでのおじさん会。主に小中学生を持つお父さん達が主力となるはずなのだが…)の会長決めをやっていたそうだ。結局引き受けてしまったそうだが…。
   共に自営業のマーミとワンワンの飼い主、「何かと言うと役がまわってくる」「自分より若い人がなかなか入ってこなくて何時までも下で」と悩みは同じようだった。
   今朝、ワンワンの飼い主氏はお仕事スタイルに戻って神奈川県の三浦の方まで出かけて行った。

06/3/4

   将棋小僧、中学に入ってますます将棋の腕をあげた模様で初段になったそう。
   『1ヶ月前、強豪学校が8校で戦う8中学リーグ戦という団体戦の大会で団体戦は5位でした。しかし僕は7戦全勝で個人賞を取ることができました。』とのメール。

06/3/1

   1年が本当に早く過ぎていく。その上、世の中も前倒しが盛んで本日は高校のかなりが卒業式。
   という訳で、一族の中で今年高校を卒業するのは3人。それぞれの進路は聞いていないが、元気に目標に向かって羽ばたいてほしい。

06/1/10

   『和賀家の通信』発行時に新潟の伯父からタイムリーにハガキ到着。
   来年が教会50周年になるそうで、伯母さんの5年祭と共に来年の5月にお祭りを予定しているそうだ。それまでに回想録『旅路』を完成させたいとの事。今年は鬼ヘンをやらなければ…。

06/1/9

   成人式。今回O家の甥・姪が成人式。和賀家系では岩手の長女家の3男。おめでとう!
   先日来た函南の従兄が「男の子はスーツ1着でしたくも済むけど女の子は大変だよね」としみじみ。彼の所は次男が来年、長女は今年が高校受験。まだ余裕があります。

06/1/7

   義兄さんの所へ長男が家族で遊びに来た。春から幼稚園に行く長女も去年赤ん坊だった次女も良く動き回るようになった。義兄さんの目じりは下がりっぱなし。もっとも遊び相手はマーミとDORAおばちゃん。
   家の中ではエネルギー爆発で今年も近くの公園に遊びに行った。マーミが用意したシャボン玉は公園で遊んでいた子供達皆の注目の的となり、「やらせて、やらせて」と集って来た。家のお嬢さん達、長女はめまぐるしく次々と遊具を試して歩く。次女はシャボン玉の飛んでいく先を追っていたかと思えば滑り台の階段を這い登っていく。大人の目がいくつもあるし傍で遊んでいた大きなお姉ちゃん達も気を付けてくれていたので、彼女達が楽しければそれで良いのだが。
   他の子供達が帰ってしまった後、残りがもったいないとママが一生懸命にシャボン玉を飛ばしていた。

06/1/5

   午後、ふらりと函南の叔母が訪ねてきてくれた。長男が今日まで休みで運転手が居たためらしい。しかし、東名が雪で清水まで止まっていてR1で来たらしい。「言い出したら聞かないから…」とお兄さんも諦めムード。
   それでも叔母さんは元気そう。お兄さんに言わせると家でノンビリしているらしいが、「暖かくなったら老人会のゲートボールや輪投げが始まる」と今から張り切りモードになっておられる。
   近況などを交換してしばらくノンビリムードでお茶をして帰って行った。

06/1/3

   朝、今年初の洗濯物を干している内に晴れてきたので本日は行き当たりバッタリの横浜行き。
   その前に、私が干し物中、TANUKIはストーブの灯油を入れようと外へ出た所で茶々発見。両方で呼んだら吹っ飛んで逃げた。我々が出かけたら帰ってくるかと思ったのだが、結局帰ってこなかったらしい。それでも元気そうで安心した。
   そんなこんなで箱根駅伝をラジオで聞きながら10時前にスタート。東名はまずまず順調で足柄SAで一休み。その時のやり取りで姉の所からTOPPOさんの所へまわる事に決定。
   ところが厚木IC手前から渋滞。大和トンネルを抜けるまでに1時間かかった。それでも駅伝のゴールより早く義姉の家に到着。おばあさんと長女が迎えてくれた。そのまま箱根駅伝をテレビで見ながらおしゃべり。今年は亜細亜大学が優勝した。帰って来て話に加わった義兄と「学連選抜がトップを取ったら面白いよね」っと盛り上る。
   次女は仕事、義兄と義姉は別々にお買い物に出ていた。義姉が
「早めに言ってよ」
と言いながらご馳走を準備してくれる。こうなると義兄がドン!と酒瓶を持ち出す。結局TANUKI相手に酒盛り。あれよという間に1升瓶が空いてしまった。その上、
   「来年は建替えるからこの居間は無いよ」
と言われ、つい腰が落ち着いてしまった。
   お土産に持って行ったおさんこちは「懐かしいね」と義姉が喜んでくれた。
   そんなこんなでここを出たのが7時過ぎ、TOPPOさんの所へは8時近くに飛び込む事になった。
   「あなた達が何時来るか分からないからお餅しか食べてない」と言う彼女はお土産のマグロのネギトロを肴にお酒。こちらはコーヒーにお菓子。しばしおしゃべり。酔っ払いTANUKIは間で大いびき。
   そんなこんなで横浜スタートはpm10:00。いつもは川崎ICへ出るのだが、カーナビが青葉ICへ行くと言うのでそれに従う。どっちみち一般道は路上駐車が邪魔なのを除けば空いていた。しかし、東名に乗ったとたんに目がついて来なくなった。前のテールランプは滲むし、後ろのヘッドライトはまぶしいしで車間がつかみにくい。事故は禁物とノタノタと走って行く。
   ちょうど真夜中の12時頃、富士川SAで疲れて一休み。暖かいものが欲しくなってうどんを1杯。カーナビは静岡ICで降りようと言ったがそれは却下。焼津ICを降りて1時頃自宅に着いた。

06/1/2

   昨日は三島の従妹が子供達を連れて寄ってくれた。お茶を飲みながらしばらくおしゃべり。「DORAさん、今年こそ一緒にどこか行こうね」という約束ができた。
   そして本日は午後から叔父さん・叔母さん宅の年始周り。年に1度の玄関先でのご挨拶。TANUKIの挨拶は年頭の挨拶からどんどんと脇へ転がっていくのだが、そちら方面の親戚ばかりなのでブレーキもかけずに付きあって聞いている。1軒の叔母さん宅では姉弟(TANUKIの従姉弟)が集まって盛り上がっている所へ闖入。少し混ぜてもらっておしゃべりをしてきた。冠婚葬祭ですれ違っているかもしれないが私は弟さん一家以外はほとんど初対面。こんな時でないとなかなか出会えない。
   家に戻ってみると、藤守が来てくれていてすれ違ってしまったので追いかけ。今年は次男坊が成人式になるのでお祝いを渡す。ちょうど非番で帰って来ていた。長男は忘年会で川根の方からだんだん焼津の方へ降りてきて、酔いつぶれて朝帰りの話を聞かせてくれた。末っ子は高校受験生。ちょっと見ぬ間にまた大きくなったようだ。
   最後に昼間留守だったマーミの所(本家)へ。あちらも1日動き回っていたようで2人でのびていた。

05/12/31

   今年も今日まで。我が家のおせちは煮しめとキントン、黒豆・キンピラ、紅白なますといったところが中心。お客さんも来ないし元旦からスーパーも開くしコンビにもあるのでわざわざ準備をする事もないのだろうが、新年早々食事の時間にバタバタしたくないので、蒲鉾や伊達巻なども一通り準備する。もちろんお刺身も。ただしお刺身はほとんどすべてもらい物で間にあってしまう。
   じじ&ばばが食べやすいものを準備しておけば、お年始まわりから時間通りに帰らなくても心配しなくても済むという事もある。
   TANUKIの方は同時進行で年越し蕎麦を打つ。家の分だけでなく、弟達の所や友達の所の分も含めて半日がかり。
   それでも7時頃には段落をつけてノンビリと時がまわって行くのに付き合っている。

05/12/30

   気が付けば今年も残り2日で餅つき。
   今年は藤守の餅つき機の調子が悪いとかで自分の家のはともかく叔父さんの所はこちらでという事で藤守の父さんも手伝いに来た。ジュンちゃんのお姉さん一家も登場。上の2人の女の子はすっかり戦力になった。末っ子のお嬢ちゃんは餅とり粉で真っ白けになる前にじいちゃんとばあちゃんがお迎え。
   鏡餅を取り、お供え餅を取り、何枚かのした後でお姉ちゃん達が楽しみにしていたおさんこち作り。おさんこちは餅の中にあんを包み鳩の形にこしらえる。慣れないとただのボッテリとした細長い形のトドになる。あんこを入れすぎればお腹がはじけるし、足りないと食べた時に寂しいことになる。大なべ一杯煮たあんを包むので最後には慣れで勘所が分かってくる。小学生の2人も始めこそ大騒ぎだったが上手にできるようになった。次女は最後に上手にできたのをおばあちゃんへのお土産にする気になったようだ。
   おさんこちを作りながらあんこのある内に年取り餅の用意。年取り餅は2本の新ワラの上に餅を丸くして置きその上にあんを乗せて、ワラで3つに切って食べる。この家の伝統行事である。この地方一帯でやっていたのだろうが今でもやっている家は珍しいらしい。
   数があったので昼までに終わるというわけには行かなかったが、片付けてしまってから遅めのお昼を頂いて帰ってきた。
   そして、改めて夕方、お餅が落ち着いた頃に家の分をもらいに。お鏡の上下の大きさが合わないとTANUKIが散々並べ替えをしてきた。

05/11/3

   今月は七五三。メンバーの多い和賀家系の子供達は今年は3歳が1人、5歳が1人、7歳が1人だと思う。
   他では甥の娘が3歳のお祝い。その甥っ子本人の七五三がついこの間のような気がするのに月日の経つのは早いことで…。

05/9/10

   午後から敬老会。招待の来ている爺&婆は行く気もなく私がお仕事で行ってきた。とは言うものの民生児童委員はお客さん。お年寄りと同じ紅白饅頭を頂いて帰ってきた。
   午前中ははだかっ子で明日は人が来る事になっているので途中で失礼するつもりだったりだが、最後の歌謡ショーがコロンビアの歌手だというのでつい最後まで座り込んでいた。戦前から戦後にかけてT家の祖父がコロンビアレコードに勤めていた。多分技術屋さんとしてだと思うが、どんな仕事をしていたのかは知らない。創業何周年だかのレコードをもらったのは祖父の退職後ですでに私の記憶の中にある。特に音楽好きでもないのだが、何となくシンパシーを感じる。

05/8/29

   昨日の午後から今日にかけて、遊びに来た日比の一同それぞれから電話やメールが入った。
   信ちゃん家が帰りに御殿場に寄って渋滞にまかれたようだが、後は夏休み最後の日曜日とはいえ時間が早かったので比較的スムーズに帰ったようだった。
   叔母さんと光ちゃん家は帰りも天王寺で1泊、今日の午後の帰宅だったそうだ。

05/8/28

   夏休みの最後に大行事が突然やって来た。日比の叔母さんと光ちゃん一家(長男・幼児2人)・将棋小僧(中学生)とその父(次男)・信ちゃん一家(三男・小学生と幼児)・なにわの華一家(ママが末っ子で長女に当たる・小学生)が五月雨式にやって来た。
   まず、26日の夕方、叔母と光ちゃん一家が到着。幼児2人を連れて岡山からの長丁場なので天王寺で1泊してきたそうだ。ばあちゃんはもちろんハイテンション。さっそく子供達にお土産を渡してご機嫌を取り結ぶ。
   どこにも連れて行かないのもと夕方の焼津の町を漁港からディスカバリーパークまでドライブ。台風余波の海を眺めてきた。石を投げたり貝殻拾いをしたり、遊具で遊んだり、子供達にとっては短すぎる時間だったが、ノンビリしすぎてDORAは夕飯を食べずに会合に行く事になってしまったが…。
   「猫ちゃんは?」と子供達は楽しみにしていたようだが、クロン以外は雲隠れ。パピ以来の総領が子守役を守っている。しかもここの長男、猫アレルギーがあるらしい。猫のタワーやおもちゃを触っているうちに皮膚に影響が出た。
   翌朝はDORAがはだかっ子に行くのと一緒に瀬戸川まで散歩した光ちゃん一家はそのまま水遊び。服のまま川に入って子供達はびしょ濡れで帰ったようだった。
   お父さんの仕事終了を待ちきれず午前中に将棋小僧が1人で新幹線に乗ってやって来た。焼津駅までのお迎えは本人のばあちゃんと伯父さんが行ってくれた。
   着いたとたんに待ち構えていたじいちゃんと将棋盤に向かったようだ。前回からすでに数年、すっかり強くなってじいちゃんの負けがこんだようだが、飽きずに何時までも続けていた。
   お昼はTANUKIが腕を振るったパエリア。
   午後から子供を置いて光ちゃん夫婦は浜松の楽器博物館へ。従兄弟達が到着するのを待ちかねていた子供達が待ちくたびれてお昼寝をしている頃、信ちゃん一家が到着。じいちゃんからバトンタッチをして将棋小僧の相手をした信ちゃんは彼の長男が「お父さんが負ける」と予言したとおり敗退したようだ。
   待ちかねていた光ちゃん一家の長男も一緒に近くの公園へ。しばらく遊んだが蚊の大歓迎を受けて瀬戸川の川原まで足を延ばす。信ちゃんが野球をやっていた関係か、ここの子供達は石投げ。ひたすら川面に向かって石を投げる。3年生の長男はすでに対岸まで石が届く。水切りをしたり遠投をしたり。小さい2人はひたすら大きな石を投げ込んでドボンと上がる水しぶきを楽しんでいた。そのうちにお昼寝をしていた下の子を連れて叔母さんも登場。さらに浜松から返ってきた光ちゃんも。子供を置いて行ったのでゆっくり見られたとご満悦。
   暗くなってそろそろ来ないかなと思う頃に、なにわの華一家と善ちゃんがおっつかっつに登場。
   TANUKIが腕を振るった刺身と買ってきたマグロのカマと頭の照り焼き、頂き物のシュウマイなどで大宴会。実はご飯を仕掛けたものの将棋に夢中になっていたじいちゃんが炊飯器のスイッチを入れるのを忘れてご飯を買いに行くアクシデントもあったが…。
   子供達はさっさとお刺身を食べ尽くしてはしゃぎまわり、男5人はビール・酒・焼酎と片隅で盛り上がっている。ばあちゃん2人が世話をする中で(叔母さんは確実に家のばあちゃんはいささか的外れなのだが…)我々女5人もしたたかにしっかりとしゃべりながら食べる。
   気が付けば将棋小僧とじいちゃんはまた将棋盤の前。さすがのじいちゃんが疲れた頃には年下の従弟達に捕まって鬼ごっこの相手。「ちょうど半端なんだよね」とご本人。DORAおばさんと同じ立場。子供の頃、従弟妹と遊ぶとはほとんど子守だった…。
   男達の話題が従兄妹の誰彼の事になると、「小さい頃会ったなぁ」というのが圧倒的。「お前らも大きくなったら会わんかも…」と急に子供達のはしゃぐ姿をカメラに収めるお父さん達だった。
   世も更けた頃、なにわの華一家は予約していた宿に引き取り、その他の酔っ払い達は部屋のキャパシティオーバーでマーミ宅へ。マーミ方もジュンちゃんの実家の家族旅行で留守。お蔭様で遠慮無しに使わせてもらった。
   音なしの構えの茶々&蒼が明け方に我々の足元で運動会を始め、子供を踏みつけて引掻き傷を付けるのではないかと心配したが、どうやら皆無事だった。
   子供達がおばあちゃんに連れられてお父さん達を起こしに行く頃、なにわの華一家はすでに朝ごはんを済ませて登場。
   皆が帰って来たところで今日のために取っておいた頂き物のダチョウの卵をTANUKIが割る。子供だけでなく大人も興味津々。
   鶏の卵のようにパカッと割れるわけではなく、この辺りが割りやすいと印をしておいてくれた所にキリを当てトンカチで叩きながら穴を開ける。そこから中身を出すのだが、白身の後から黄身も崩れてきれいに出た。
   大きなボールにかなりの量。ここでシェフ交代。光ちゃんがフライパンを手にバターを使ってスクランブルエッグを作る。普通サイズのフライパンで都合5回。大皿一杯になった。バターをだいぶ使っていたがサッパリした口当たりなのは卵の性質なのかもしれない。
   子供達はまだまだ遊び足りないのだろうが、親はそれぞれ帰り支度を始めた。とてもこれだけの数を冷蔵庫にストックしておくわけにはいかなかったのでDORA&TANUKIはさかなセンターへお土産を買いに。その間にまた子供達は川まで遊びに行ったようだった。
   荷物を積み込んだところで門の前で皆で記念写真。昼前にそれぞれの家路を目指して帰って行った。

05/8/22

   新津の伯父から珍しく手紙。分厚いので回想録の続きかと思ったが近況報告だった。
   戦後60年、兵隊に行った世代としては思いも色々とあるようだ。
   夏休みには子供達もそれぞれ家族で帰省をしたようで、にぎやかな夏だったようだ。

05/8/13

   マーミの所でお盆のお経。お隣のお寺のお坊さんが引退されて若いお坊さんが見えた。隣のお寺の本寺筋のお坊さんだそうだ。
   ジュンちゃんの実家とTANUKIの従妹の所には初盆見舞い。ジュンちゃんの実家はカトリックだが、地域のお付き合いで初盆のような形でお参りはするのだそうだ。

05/8/10

   『この時期は、子供たちのキャンプやイベントで全道を飛び回っていますが、8/5〜7と長女を連れて、朱鞠内というところでのキャンプに参加してきました(私は主催者なんだけどね)。
   日本最寒の地で、日本最大の人造湖があって、山中なので自然がそのままということで、蚊、虻、ブヨなど虫さん天国な所です。湖でカヌー乗らして、川で泳がせて、ピザとパンとたこ焼き作って、筆の代わりに手足で絵を描かせて遊んできました。
   子供向けのキャンプの会場として何度か行っている場所なのですが、森村誠一さんの「笹の墓標」という戦前の強制連行・労働を題材にした小説の舞台になっているところです。山中のダムの建設のために日本人、朝鮮人労働者3000人が働いていましたが、いまでも数百人の行方がわからず、笹藪の下、ダムの基礎の中に相当の方が眠っているはずということで、空知民衆史講座というグループを中心に、日韓の青年が遺骨の発掘返還、相互の歴史認識についてのワークショップを開いている場所です。
   知人が事務局をやっていますのでよかったら見てやってください。
http://homepage3.nifty.com/sorachi/
http://www.geocities.com/shumarinai/index2.htm
とワンワンの飼い主氏からメールをもらいました。

05/7/26

   遅くなったが今月の和賀家の通信に書ききれなかったいくつかを。  
   職場でドラマの撮影があったというのは難波の華氏。
『米倉のマンションの玄関が事務所の玄関で高島のオフィスが私の部署の机で、田代の座っている机が私の机です。私は映りませんが(当然)、よろしく!! http://www.tbs.co.jp/nyokeikazoku/』
   キョウさんは『仕事も新世界の串カツ屋さんにかわりました。レゲーな串カツ屋で、『串や』と言う店です。従業員も、ヒップホップダンサーやレゲーダンサーや音楽をやってる子なんかが多くてみんないい子達で、なかなか楽しい職場ですよ。8月に東京の新橋に出店します。また、違う店名になるみたいなのですが、近辺の方、美味しいのでヨロシクお願いします。』

05/7/3

   横浜の義姉は定年まで何年か残して退職をしたようだ。子供達も大きくなったし、少しゆっくりしても良い頃かも。

05/6/20

   三島の従妹から電話。仕事に行き始めたし、子供達のサッカーの役員もしているしで忙しい毎日だそうだ。最近焼津にもあまり行ってないとの事。叔母さんもお元気だとの事でそれで良いのだろうが。
   8月のお祭りと花火には帰ってくるつもりのようだ。

05/6/19

   函南の従弟妹達としばらくぶりに会った。話の中で「DORAさん兄より上だったよね」と言われてショック。あちらの方が1つ上だったはず。と思っていたら叔母が「26年生まれだよ」との事で2つ違う。という事は小さい時によく遊んでもらったYちゃんと一緒。Yちゃんは祖母の末の妹の子に当たる。という事は彼ら系図上では1世代違っても同い年だったのだ。T家の系統は東京で震災(関東大震災です)と戦災で割とバラバラで法事などで一堂に会する事も無かったので気が付かなかったが…。

05/5/22

   ジュンちゃんのお祖母さんが亡くなられて本日はお通夜。自宅でだがカソリックなのでミサ。何曲もの賛美歌が歌われる中でのお別れとなった。
   お身体が悪いという話も聞いていなくてお見舞いにも行かなかったが、穏やかなお顔で最後の眠りにつかれていた。享年94歳だったそうだ。
   「日本の葬式には違いないし、それなら両親を見送って慣れているから」とマーミがしっかり裏方さんでお茶汲みをしていた。

05/5/21

   十勝わんわんの飼い主家、無事に女の子が生まれたそうです。北海道はちょうど桜の季節。花のように健やかに育つことを祈っています。

05/5/17

   新茶のご注文に答えて十勝に送ったのが着いたようで叔母から電話。
   月末頃には家族が一人増えるようだ。

05/5/16

   新茶を送ったので横浜の義姉から届いたと電話。
   長女は最近留学時代の作品を発表する機会があったとの事。大きな会場の中のブースに出品料を払って展示するそうだが、癒し系のなかなか良い雰囲気になっていたそうだ。「会場が広いし人は多いしで探すのが大変だった」そうだが…。
   次女は雑貨のお店を出すことを目指して他所のお店で修行中らしい。
   子供達もそれぞれの目標に向かって一生懸命歩いているようだ。

05/5/15

   本日はお日柄もよろしく大安吉日、連島の末っ子の結婚式。とは言うものの新婚旅行を兼ねてハワイでお式との事だった。
   この子が和賀家系の従弟の最年少になる。
   私が大学時代、多分祖母が元気だった最後に訪ねた時、この子がよちよち歩きだった。2人の弟が居てしっかり者のお姉ちゃんをしていたここの従妹をお風呂に入れていたら、長男の方が自分で服を脱ぎ散らかしてチョコチョコと入り込んできた。まあ良かろうと思って3人で遊んでいたら外で末っ子が自分も行くんだと大泣き、結局まだ五右衛門風呂では足の立たないのをおっかなびっくり引き受けた。
   年齢も距離も離れているので、多分この子達と遊んだのはその時だけ、30年も昔の話になる。

05/4/9

   TANUKIの従妹の旦那さんが亡くなった。まだ高校生の子供もいる家でショック。
   TANUKI方のいとこ達は近くに居る人が多いが、逆に何かなければ会う機会がなく、それがこういう場というのはかなりつらいものがある。

05/4/5

   一族の新人さんも各地で頑張りだしている頃です。
   藤守の次男坊は今年初め頃から県西部でおまわりさん。裾野の次女は東京で美容学校。それぞれに1人暮らしが始まっています。
   高校生になるはずの子が5人、中学進級が将棋小僧を含めて3人、小学校が難波の華家とわんわんの飼い主家の2人、幼稚園が3人というところです。

05/4/2

   タイミング良くひな祭り前日に餅つき。お雛様の餅は気候が良いのですぐカビが来るが、休みの日でないと時間が無い。
   ジュンちゃんのお母さんが来てくれたが、姪っ子達は今日は他所へお出かけのようだった。
   マーミはなんとかジュンちゃんに作業を全部引き継ごうとしているが、細々とした事で忙しいジュンちゃんはなかなか捕まらない。それでも何とか「少しはやってよ」と餅のしを押し付けるが、彼女がノンビリとのしているのではなかなか平らにならないので、結局口も手も出して夫婦で両側から1枚の餅をのしている。
   お雛様の餅は白・黄・桃・草と4色作るが、お正月のようにお鏡やおさんこちを作るわけではないので手早く進む。最後に草餅を一口大にかるく丸めて黄な粉餅。
   本日は黄な粉餅をおやつに一休みをした後でお雛様を出す。何しろこの家のお雛様は半端ではない。男の子用の天神様が、TANUKI達兄弟の分からずらずらと並ぶ。さらに7段飾りにケースのお人形(これなど叔母さん達のものまである)で座敷2間が満員になる。
   お人形を出してから昼食。それでも半日仕事だった。

04年へ