我が家&和賀家 11年

12/3/20

   夕方、藤守の父さんがこちらが帰ってきたのを見計らったようなタイミングで父のお参りに来てくれた。
   今年は末っ子が看護学校を卒業。就職も決まって月末にはアパートに引っ越すそうだ。ただいま自動車学校で運転免許取得中だそうだ。しかし、看護師の国家試験の結果はこれからだそうで、「ま、それで就職がどうなるわけでもないし」という事のようだ。

12/3/14

   天王寺でネコを飼い始めた。三毛猫ミケちゃん。2年ほど空き家で暮らしていて保護された子だそうだ。ケージに入れられてやって来たようで、しばらく怯えて引きこもっていたようだが、ようやく落ち着いてきたようだ。
   天王寺は犬はずいぶんいたが、ネコは初めてかも。という訳でネコも怯えていたし、手を出して引っ掻かれたらと人間の方も引き気味だったようだが、子どもの友達がかまったらすり寄ってきたようで、一気に安ど感が広がったようだ。
   今後、どんな猫話が聞けるやら…。

12/3/3

   マーミが様子を見に行くというので乗せてもらって横浜の義兄のお見舞いに。
   ずいぶん痩せてしまっていたが、手を握れば身体を動かすし、「関節が固まらないようにマッサージをした方が良いよ」とマーミが膝のあたりをさすれば足先がモゾモゾ動いたり口を開けたりかなり反応をするので、もっと良くなる希望はあると思った。
   しかし、義姉は反応が返ってこないのがかなり寂しそうだった。彼女もまだ目の手術後の調子が安定をせずに「まぶしい」と目を眇めていたので、本調子というのではなさそうだった。
   その分長女の肩に家の細々した事がすべてかかってきているようで大変そうだが、もうじき90歳になろうというお祖母さんもまだお元気でシャキシャキ動けているので、その間に義姉が元気になれると良いのだがと思った。

12/1/21

   横浜の義姉から電話が来た。
   そういえばマーミが今日、義兄の容体について医者の説明があると言っていたが、見舞いのお礼とともに様子を聞かせてくれた。
   打ち所のせいもあるのだろうが、きちんと意識が戻るのかどうかも難しいようだ。ただ、救急病院なので症状が安定したら出なければならない。しかも痰の吸引などの医療行為が必要なために長期療養型の病院を探さなければならない。義姉も病み上がりだというのに大変な事だ。
   それ以上にお互いに退職をしたばかり、これから第2の青春で気楽に一緒に旅行に行ったりしたかったのに出来なくなったのが残念そうだった。

12/1/19

   マーミが横浜まで義兄姉のお見舞いに行った。
   義姉は予定の上での白内障の手術が終わって退院したところだが、義兄は暮に転んで頭を打ってまだ入院中。命に別条はないがまだどの位こちらの言う事が伝わっているか分からない状況のようだ。
   かなり心配をしながら帰ってきたが、だからと言ってみんなで見舞いに行っても迷惑そうだし、しばらく様子を見るしかないようだ。

12/1/7

   しばらくぶりで義兄の長男が家族連れで焼津にやってきた。
   いつの間にか子供が1人増えていた。上の子2人はもう小学生だが、パパはようやく30代、ママはまだ20代。話題もすっかり家庭持ちらしく落ち着いてきた。
   じいじはもちろん子供達を見て相好をくずしているのだが、お相手はもっぱらマーミ。上のお姉ちゃんは計算好き、次の子は字を書いたり絵を描いたりが楽しいようだ。そして末っ子はハイハイの1歩手前。お腹で進んでいるようだが、飛行機ポーズでご機嫌だった。

11/11/21

   そろそろ年賀欠礼のはがきが舞い込んでくる。親類縁者からのものでビックリする事はほとんどないのだが…。沼垂の叔父が亡くなられたそうだ。母の従弟にあたるはずだが、母よりかなりお若いと思うのだが…。
   お会いしたのは新津の伯父を訪ねた時と、新津の伯母のお年忌の時くらいだが、ご冥福をお祈りしたい。

11/10/22

   和賀家の従弟の娘がついにテレビデビューした。趣味で音楽をやっていた子はこれまでも何人か居たが、本気で表舞台に出ようとしているのはこの子が初めて。HAPPY BIRTHDAYという女の子2人組。内容については私の知識ではさっぱり分からないのだが、元気が良い事だけは確かだ。
   仕事になってしまうと良い事ばかりではないだろうが頑張ってほしい。
   写真はたぶん40何年ぶりにテレビ画面を写したので、きれいに撮れていないが、大昔のハーフサイズのバカチョンカメラに比べると撮りやすくなった。   

11/9/5

   台風12号は紀伊半島南部に水害と土砂崩れの大きな爪痕を残して行った。死者行方不明者は100人近くになりそうだ。これで終わりとはならず、台風12号は日本海で温帯低気圧となって太平洋側にある台風13号と北海道を挟み撃ちしそうだ。まだまだ警戒が必要そうだ。
   さて、今回大きな被害が出た奈良県十津川村はわんわんの飼い主氏によると十勝の家の初代の出身地だそうだ。その時も大水害の結果、北海道に新天地を求めたそうだ。
   旭川の近くに奈良の十津川村から集団移転を果たした際の新十津川という地名が残っている。

11/9/4

   台風12号がノロクサと四国から岡山を縦断していった。雨量がひどく各地で河川の氾濫や土砂崩れ、高潮の時期なので海に近い日比の家も気になったし、避難勧告が出たらしい岡山の叔父の所も気になったのだが、日比は「避難勧告が出てたみたい」と言いながらも何事もなかったようだ。
   紀伊半島が1番被害が大きいようだが、和歌山・三重だけでなく奈良県の南部も大変なようだ。大阪や滋賀も含めて和賀家系の親戚が多いので気がもめるここ数日だった。

11/8/14

   今年も焼津港の花火の日がやってきた。
   従弟の所は長女がアルバイトを休めなかったようだが、ずいぶん早い時間に到着。子供達が大きくなって化粧のせいもあるのだろうが2人ともママに似てきた。今年高3の次女は卒業をしたら本気でニーヨークへ行く気になったようだ。ヤンチャだったのがずいぶん女らしくなってきた。
   少し遅れて従妹の所も到着。今年は旦那が仕事で来られなかったが、長女の旦那が運転手、赤ちゃんも初登場。
   お昼を食べた後は例年通りに花火に持って行くつまみの支度。出来あがって一休みをしたころマーミのお迎え。従弟の車と2台で行く。今年から見物場所が新港の側だけになってしまったので、歩きではきつくなった。ゆっくり目に出たのだがまだ日は高い。幸い風があるので暑さが耐えられないほどではない。
   子供達(大供になったが)はかき氷を買いに行ったり、早めにトイレの場所を確認に行ったり。
   周りの人通りが落ち着いた頃に持ってきたつまみを広げて宴会開始。今回はマーミの方はジュンちゃんと2人だけでお友達は来なかった。運転する2人が飲まないのでどちらかと言うと食事会だが…。
   食べ終わった頃には花火開始。目の前の海に上がるので大きいのが上がるとお腹に響く音がする。赤ちゃんは大丈夫かと思いきや「平気で見ているよ」との事。この子達みな小さい時から花火の洗礼を受けている。みんな意外と平気で寝ていた。
   帰りは車を駐車場から出すまでに時間がかかったが無事に帰宅。従弟一家は翌日仕事だと一休みをして帰って行った。

11/8/13

   お盆の季節、今年は昨年の内に夫婦ともなくなったO家の父の妹宅と我々の結婚式の時の仲人を務めてくれた遠縁の伯父の初盆見舞いに行った。
   まずマーミ宅でご先祖様にお線香をあげる。お坊さんは1番で8時頃には来てくれたそうで、マーミはすでにテニスのコーチでお出かけでジュンちゃんだけいた。
   次に近所にある伯父宅。お線香をあげてお参りをした後、伯母さんが元気な顔をして相手をしてくれたが、春先には腸閉そくで入院をして大変だったそうだ。話をしている内に別の親類の伯母さんも登場。「しばらくだねぇ」としばらく話をしてきた。
   次に藤枝の叔母宅。ご夫婦とも昨年亡くなって子供達はそれぞれ別の所に家があるので、誰か居るだろうかと心配だったが兄弟皆さんがそろっていた。こちらでもお線香をあげてお参りをした後、しばらくとりとめのない話をしてきた。

11/7/30

   新潟から福島にかけて大雨による災害が起こっている。
   阿賀野川・信濃川とも目一杯の水位で支流など所によって堤防が決壊したようだ。土砂崩れなどの被害も大きく、一時40万人ほどに避難勧告が出されていた。
   新潟市周辺は38豪雨後の河川改修で、水害は大丈夫だと新津の叔父が以前言っていたが、何度か訪れた周辺の地名が出る度にひやひやした。
   ようやく大きな雨雲は通過したようだが、まだ上流から流れてくる水量もばかにならないと思うので、何事もなく無事であることを願っている。

11/5/31

   五月雨や寡黙な父の子守唄  DORA
   前回の『俳句でおしゃべり』で選に残った句だ。「歌」という題でできたこの句、実は私の記憶にはない記憶だ。どこかで書いたかなと思ったが、また書いておこうと思う。
   私の父はあまり子供を構いつける方ではなかった。何だかんだと話すようになったのは最晩年の一時で、私もあまり口数の多い方ではないので、家では母が1人で3人分しゃべっていた。
   そして、その母が何かの機会に、私が生まれて間もなく父が私を抱き上げてこそっと東海林太郎さんが歌った『赤城の子守唄』を歌っていたという話を聞かせてくれた。私は6月生まれ、梅雨空の中で嬰児をあやしながら口の中でこそっと歌う父の姿をなんとなくイメージしている。
   父は外国映画好きで、映画音楽も歌謡曲も聞くことはよく聞いていたし、祖父がコロンビアに勤めていてその関係のレコードなどもあったのだが、私自身は父が歌を歌っていた記憶はない。

11/5/15

   瑞穂の従妹の所は無事に1月経って娘は孫を連れて自宅に帰ったようだ。

11/5/13

   本日朝、和賀家の祖父の妹に当たる叔母さんが亡くなられた。享年100歳。連絡をくれた叔母が「白寿のお祝いをしたんだよ」と言っておられた。
   祖父は10人兄弟。この叔母が最後の1人だったそうだ。
   日曜日に通夜に当たるお祭り、月曜日がお葬式だそうだが、残念ながら岡山まで行っている暇がない。

11/5/12

   今年は孫ブーム。和賀家の岩手の従妹の所にも孫が生まれた。こちらは女の子、健やかな成長を祈りたい。

11/4/9

   瑞穂の従妹の長女の所に男児誕生!親子とも元気だそうだ。
   ひとまわり近く下の従妹がもうおばあちゃん!彼女の所は代々結婚年齢が早いので、従妹のお祖母さんから5代がそろった。

11/4/2

   ここのスタートもしくは終わりは雛まつりのための餅つきの記録になる事が多い。
   昨日までの肌寒さがうそのような良い天気の土曜日、最近の助っ人はジュンちゃんの姪の末っ子、今日もおばあちゃんと一緒に来て、大張りきりでお餅のめんどうを見てくれた。
   お餅が縁に張り付かないようにチェック
 きれいにのしてね  
   色とりどりのお餅
 つきたてのきな粉餅  

10年