我が家&和賀家 22年
23/3/9
世田谷のはとこの葬儀。
同い年なのだが1人暮らしをしていたので発見が遅れたそうだ。マンションの管理会社から家賃が入らず連絡が取れないと連絡が来て、警察とともに様子を見に行って発見されたとの事だった。「元気でいると思っていたから」と弟妹達にとっても青天の霹靂だったらしい。今日のお葬式だったが、亡くなったのは1月16日となっていた。
子供の時から伯父さん似で神経質な所があったから、部屋はきちんと整いすぎて、必要なものを探すのがかえって大変だったそうだ。
最近の写真は無くてと使われた写真は証明写真を加工したそうだ。それとともに子供の頃一緒にディックミネさんのお宅を訪ねた時の写真が飾られていて懐かしかった。
お棺の中には花とともに幼稚園から高校までの卒業証書や小学生の時の書道の賞状なども入れられて彼らしかった。戒名は釈慶信。
火葬場へ向かう道路で満開の緋寒桜?が印象的だった。
すぐ下の妹さんは一緒によく遊んだ仲だが、その下の弟妹は年が離れているので逆に私にとっては大人になってからの付き合い。
そのすぐ下の妹さんから「私達のつながりとしてはどうなっているの?」と聞かれて、彼女達のお父さん方のお祖母さんと私の母方の祖母が姉妹、さらに、彼女達のお祖母さんと私の母方の祖父の従姉が親友だったはずなど、おぼろげながらの説明をしてきた。
23/3/4
世田谷のはとこから彼女の兄さんの訃報。彼は私と同い年、小さい頃は親に連れられてよく行き来して遊んでいた。
前回お会いしたのは伯母さんのお葬儀の時だったろうか。
23/3/3
夕方義弟から「ちらし寿司作った?」と電話。今日はジュンちゃんが留守らしく、「もらいに行っていい?」ひなあられなどとのバーターになった。
どうせ作ればたいてい押し付けて食べてもらうのだが…。
23/2/26
誰か分からないけどいかにも和賀家系らしいメッセージがスマホに入った。
当たりをつけて返事をしてみたら同年齢の従妹で、「ようやくスマホデビューした」との事。娘達が居るので、あっという間に使いこなせるようになるだろう。
天王寺の従妹からは叔母さんの5年祭だったというメール。大津の従妹が夫婦でお参りに来てくれたようで、「ゆっくり話せなかったけど、大阪を満喫して帰ったらしい」との事だった。
23/2/25
天王寺の従妹からメール。2/17に長男の所に2番目の子が生まれたそうだ。今度は女の子。出産直後の写真をくれたが、ママも余裕の笑顔で写っている。
長女の子供もだいぶ顔つきがしっかりしてきた。
23/1/31
連島の従弟からでんわ。赤ちゃんの名前を教えてもらった。
上の子は年中さん、クラスでコロナが出て学級閉鎖中との事で、家の中でも赤ちゃんとママ、上の子とパパで隔離中との事で、電話の奥が賑やかだった。
23/1/27
O家の親類から電話。100歳を超えたおばさんがおられるのだが、どうされているのだろうかと思っていたのだが、もう立つのが大変になってショートスティの施設を利用しているのだが、ここしばらくは泊まりっぱなしになっているそうだ。コロナ禍でもあり「面会はできないの」との事だが、食べ物なども預ける事はでき、調子が良ければ食べられるとの事だった。
昨年息子さんが亡くなった時は遺体の前でずいぶん泣いていたそうだが、後では分からなくなっているらしい。
次の誕生日で103才だし、後は静かにみとる事になるだろうとの事だった。
23/1/16
大津の従妹からのメールで連島の2番目の子が1/4に生まれたそうだ。
大津は年末にコロナにかかったようだが、軽く済んだようでホッとした。ただ、まだ末っ子の咳がなかなか止まらないらしい。
天王寺も長男の所に2番目の子が生まれるそうで、天王寺の従妹は昨年生まれた娘の所の子も含め、皆同学年になるねと楽しみにしていた。
一方、十勝と田原本からは「岩手へのお悔やみは誰に送った?」の電話。自宅は1人暮らしで子供達は近くにそれぞれ散らばっているので、はてどうしようとなったらしい。
23/1/3
藤守の娘一家が年始に来た。今日はお父さんも休みらしい。お父さん方の実家、自分の実家、家とマーミ宅、主に赤ちゃんのお披露目だが、1日には藤守の親戚へのお披露目もしてきたそうだ。
赤ちゃんはそろそろ人見知り。お眠も加わって、親が変わりばんこにだっこで大変だったが、ここで手を出して大泣きをされても困るので、それはそれとしてしばしおしゃべり。
「お父さん似だね」と言っていた赤ちゃんは、表情がしっかりしてきて個性が出てきた。
そして、そのままだと分からないのだが、カメラのファインダーを通すとこのダンナ、藤守の次男坊とどことなく似ている。類は友を呼ぶというのはあるのかもしれない。
23/1/2
正月恒例、TNUKIの親戚への年始回り。ありがたい事にほとんどが近くに住んでいる。
まずは保福島の叔母の所。運転免許を返納してしまったという事で、「どこへ行くのも不便で」とぼやいていた。ジュンちゃんの実家は今日はお母さんも在宅でお元気そうだった。
築地はしばらくぶりに兄弟集合。次女家の娘婿さんが一緒に見えていた。
高柳は叔父さんが大腿骨骨折で、ついこの前まで入院していたとの事だったが、歩行器を使って歩けるようになっていた。ディサービスにも通うようになったそうだ。
小土はご夫婦ともお元気そう、こちらが「皆さんどうしている?」と逆取材された…。藤守は父さんが「今日は1人で留守番。」と猫の世話をしていた。
港は施設に入っているお母さんの具合があまり良くないようだが、「コロナのせいでしばらく会っていない」との事。
当目の叔父さんはお元気だったが、はたして我々が誰なのか分かってくれたかどうか…。猫を構いながら細い道路でしゃべっていたら、通りがかりの車に「浜へ出る道を教えて」と聞かれ、「案内してやる」と車に乗り込んで行ってしまった。
大の叔母さんもお元気。孫君が国家公務員から都庁職員へ鞍替えしたそうだ。
最後はマーミ宅へ餅箱を返してきた。後は横浜の姉の所があるが、最近はなかなか行く機会が無い。
DORA方はT家は県東部と東京・埼玉方面なのでこんな時には出たくないし、和賀家は全国ネットなので、どちらも年賀状がせいぜい…。
23/1/1
岩手の叔母さんが12/26に亡くなられたと連絡が入った。11月のお誕生日で90歳になっておられた。
さすがに最後は1人暮らしは心配で、施設の手を借りたそうだが、「楽しいおばあさん」と看護師さん達にも評判だったそうだ。「単に冗談好きなだけなんだけど…」は長女の評。
亡くなる直前には家族は会わせてもらえたそうで、なかなか来れなかった次男家の孫たちと会えたのを待っていたかのように亡くなられたそうだ。
お葬式は29日に済ませ、「実は今日が初七日なの」との事だった。
22/12/31
八王子の従妹の娘から電話。末っ子ちゃんが保育園でインフルエンザをもらってしまったらしく、「お正月は自宅待機」だそうだ。
しばらく見ていない内に子供達もみんな大きくなったようだが、お兄ちゃんが「猫の家に行きたいね」と話しているよとの事だった。
22/12/30
マーミ宅での餅つき。この数年は兄弟3人の寄り集まり。藤守が順調に家族を増やしているので、またつく量が増えてきた。本日は藤守の次男一家が登場。だいぶ大きくなった姫はまだ手を出してこないが、そろそろ興味津々。
藤守の父さんも薬で手荒れがひどく手は出せないが、自分で車を運転してきたので、だいぶ調子は良いようだ。
今回はジュンちゃんがだいぶ餅つき機の番にまわった。
22/12/22
連島の従弟から電話、年末ギリギリに2番目の子が誕生予定だそうだ。
盛岡の従弟の嫁さんともちょっと電話でおしゃべり。元気そうな声でホッとした。
22/12/9
ジュンちゃんの実家に暮れのご挨拶。お母さんがディサービスに通いだしたそうで、今日はお父さんお1人。「ご飯の支度に片付け、洗濯、掃除、娘が天気が良い日は布団を干せというし、大変だよ」との事。
ついでの用で寄った藤守は長男坊1人。これから出勤だそうだが、父さんは次男1家とともに買い物に出かけたそうだ。それだけ元気なら何より。
22/12/7
日比の叔母から電話。ようやく長男の引っ越しも終わったらしいが、次男も居るので「3軒分の荷物があるからねぇ…。」と家の中がずいぶん狭くなってしまったようだ。
22/12/5
天王寺から11/4にミケが虹の橋を渡ったとメール。ミケも具合が悪くなってからずいぶん頑張った。
代わりに本日、長女家に娘が誕生とのうれしい知らせも。
22/12/3
藤守の父さんから電話。だいぶ元気そうな声が出るようになった。
絶賛リハビリ中のようだが「階段を降りるのがきついし怖い」というような話をしていた。
22/11/3
マーミが追突されて車をだめにしてしまったそうだ。幸い人間は大丈夫そうだったが、乗り慣れた車だけに残念だろう。代車が普通の車なので「視点が低いし乗りにくい」とぼやいていた。
22/10/29
藤守の娘が赤ちゃんを見せに来てくれた。ちょっとお眠のようだったが、まだあまり人見知りもなく、大きな目を開けてキョロキョロしている。
パパは本業以外にもバイトで施設の当直医などをしているようで今日も仕事。お留守番の猫はしっかり赤ちゃんのお姉ちゃんと化しているようだ。
庭の方が温かいので、外でちらりとしゃべって帰って行ったが、ようやく首の座った子をベビーシートに乗せて1人で運転してきたので、大変だったと思う。
藤守の父さんも車の運転ができるようになったそうだ。かなりしっかりとリハビリをやったようだが、まだ若いのだから頑張ってもらわなければ…。
22/10/24
夕方、横浜の義姉から「焼津で竜巻があったらしいけど、飛ばされていない?」と電話。
こちらは騒ぎもなく、全然知らなかったのだが、天気予報で写真が出てきてビックリ。どうやら大井川港の海上あたりだったようで、被害はなかったようだが、あまりにきれいに映像が撮れていたので出たらしい。
何かと心配をしてくれるのはありがたい。
22/9/27
横浜の義姉から「台風は大丈夫だった?」と電話。
よもやま話の後、「またエスカレーターから落ちた」との話。幸い医者に行くほどの怪我はなかったようだが、「あっちこっち打ち身が痛い」とぼやくことしきり。しかし「買い物に行かないわけにもいかないしねぇ」という訳で、気を付けてくれることを祈るばかり。
その後、日比の叔母から電話。お彼岸に母にブドウをお供えしてくれたのだが、「電話が遅くなっちゃった。」
長男が戻ってきているはずなのだが、「引っ越しはまだ途中なの」との事。娘と連島の従弟に手伝ってもらって今日も荷物を片付けに行ったとか。近くならば手伝いに行くところだが…。
22/9/23
お彼岸の中日。台風が接近しているが、雨の止み間を見てマーミ宅へ。仏さんにご挨拶をして墓参り。
2人とも仕事が忙しいらしく、お仏壇はきれいになっていたが「お花買っていないよ…」この台風ではあっという間にダメになりそうだし、「良いにしたら」でお参りを済ませた。
夕方早めにお稲荷さんを半分押し付けにもう1度訪問。菓子屋に寄っておはぎを買って戻ってきたら、いよいよ土砂降りがやってきた。
22/9/13
岩手の長女家から引っ越しのお知らせ。同じ町内で落ち着いたようだ。
22/9/10
厚木の従弟が知り合いのお葬式が焼津であるのでと泊りに来た。
荷物を置いて、お通夜へ。昔の仲間達とも会えたようで、最近のお通夜にしてはずいぶんゆっくりと帰ってきた。
後は夕飯を食べながらのんびりと。何故か茶々が側に寄り付いて「何かくれ」とねだっている。とら丸も登場。こちらは遠慮なくかまわれていた。
いつもは食べ終わるとふいと消えるTANUKIも一緒になってずっとしゃべっていた。
22/9/4
藤守の父さんがようやく退院したというので、顔を見に行った。さすがに2月も絶対安静でベットに縛り付けられていたので「歩けない…」とぼやいていた。
ベット周りにトイレも歩行器もあるので、ぼちぼちとリハビリをして体力を取り戻していく他ないのだろう。口は元気で娘の所に生まれた孫の写真をたくさん見せてくれた。
ちょうど次男坊一家が来ていて、こちらの子はすっかりお姉さんに育っていた。それ以上に育っていたのが、こちらの父さんのお腹で、すっかりお相撲さん体形になっていた。
長男坊はスズメバチに刺されたとかで休日診療医に行って来たところだったが大丈夫そうだった。ただ、お祖父さんがアレルギー体質だったそうなので、次を気を付けないと危ない。
22/8/14
昨日が台風で出られなかったので今日はお盆のお参りと初盆見舞い。
まずは本家で両親はじめご先祖様のお参り。そのまま近所の遠縁の家の初盆参り。これから行くと言ったら、「忘れてた!」とマーミ達も後からやって来た。
ついでと言っては何だがその足で藤守へ。藤守の父さん、まだ入院中だが、リハビリに入っているようだ。農家の多い地域なので色々役をやってきているが、母さんが「もう運転も厳しいだろうし…」と、ちょうど来ていた母さんの妹さん夫婦に愚痴を言っていた。昨日も農業用水の取り入れ口の様子を見に行ったとかで、何かと大変なようだ。
22/8/2
藤守の父さんから電話。娘の所の孫の名前が決まったので知らせてくれたらしい。
22/8/1
天王寺の従妹がお嫁ちゃんや孫と撮った写真を送ってくれた。従妹が彼女のお母さんソックリでビックリ。
「そんなに似てたっけ?」と返したら、「お装束を付けた後ろ姿とかはソックリと言われる」との事。
22/7/25
藤守の父さんが入院中のため、米をどうしようと連絡をしたら、母さんと長男で持ってきてくれた。精米機が壊れて修理してもらっているので、機械屋さんで精米をしてもらったとかで「いつもと同じかどうかわからないよ」との事だった。
長女の所は無事に14日に出産、女の子だったそうだ。自宅に戻っていた父さんが再入院も重なってバタバタだったようだが。
22/7/13
横浜の義姉から電話。日曜日の選挙の投票日に会場の学校の水道場で転んでしまったそうだ。幸いすぐに周りの人が助けてくれたようだが、以前駅の階段から落ちているだけあって、「注意していたのに…」とぼやくことしきり。今回もあちこち出血して、顔を打ったとかで目の周りにあざができてしまったらしいが、目は何ともないらしく良かった。
22/6/29
藤守の父さんから電話。
今回の入院はかなり危なかったようで、血液データーがかなりひどくて何度も成分輸血などをやったそうだ。ICUを卒業して個室に変わったようで、電話ができたらしい。
「来月には娘の所に孫が生まれるから」と楽しみにしているようだ。
まだ声に力がなかったが、私が電話を受けてしばらく話して、TANUKIに代わってまたかなり話していたので、だいぶ元気は出てきたのだと思う。
22/6/11
埼玉から叔父夫婦と従弟夫婦、長女一家が登場。
長女家は男の子が1年生、昨年生まれた女の子がようやく歩く程度になっている。兄ちゃんの方は少し人見知り気味でゲーム機にしがみついていたが、妹はミニトマトにイチゴとよく食べる。(赤いものが好きらしい?)まだ、口に次々放りこんで満タンになるとベェ~と口から出してしまうが、場になじんでご機嫌さんだった。
叔父も「しょっちゅうトイレ」「ついに禁酒」と言いながら、叔母さん共々お元気そうだった。
従弟の次女はアメリカで向こうの人と結婚、もともとはバレエの仕事仲間だったらしいが、見せてくれた写真は海軍さんのセーラースタイルだった。「次女が通訳してくれないと通じないのよ」と言いつつも、彼も片言の日本語を覚えて馴染もうとしてくれているらしい。
そして、今回結婚報告の三女、なんと彼とは就職以来のお付き合いでコロナ禍でなかなか結婚式ができなかったが、入籍も済ませているようだ。「写真は?」と聞いたらみんなでスマホを手繰って、コロナ前に皆で出かけた写真が出てきた。「最近どこも出かけないもんなぁ…」と写真のない分け。
長距離なので、お昼を食べて少し休んで、お嬢ちゃんのお眠に合わせてそのまま帰路についたが、おかげでこちらは楽しかった。
22/6/8
埼玉の従弟から末っ子が結婚するので1度連れて行くからと言ってきていたのだが、当の本人がおめでたの様子で、「落ち着いてからにする」とのこと。
22/6/5
藤守の父さんが5月半ばから入院しているそうだ。自分で電話をしてきたらしいので、少し落ち着いたのだろうが、コロナ禍でお見舞い禁止、少し落ち着けば退屈な事だろう。7月の孫ちゃん誕生予定までに体調が調えば良いのだが…。
盛岡の従弟の嫁さんは無事に退院。杖は必要だが、ようやく動けるようになってホッとしているようだ。
22/5/25
田原本の従妹から「十勝の叔母さんはいくつになったかわかる?」と電話がかかってきた。
今月が十勝の叔母さんの誕生日、傘寿はとっくに超えたけど、まだ運転免許は更新するそう。車がなければ不便なところではあるけれど…。
22/5/19
十勝の叔母から手紙。子育て中の上の孫がひ孫と引っ越す事になったのが寂しそう。
22/5/16
十勝の従弟からメール。
皆、元気の様子。受験生の長男は絶賛反抗期中、奥方はキノコにはまって犬の散歩をしながらキノコ探しだそう。
天王寺の従妹からもメール。
知り合いの海外在住のお子さん達がそれぞれ夫婦で帰国中だそうで、「コロナが明けていく感じがします」との事。
一方、東京の従妹は「まだ出かける気にはならない…」だそう。
22/5/15
日比の叔母から電話。長男が定年で社宅から戻ってくるので大掃除中だそうだ。3人子供が居る長男家も、今家にいるのは末っ子だけだが、1部屋新しく建て増したらしいが、それでも荷物を入れるのは大変らしく大騒動のようだ。
長男の嫁さんも岡山市内に新しい職場を得、自分の親も高齢になってきているので大変なようで、結局家の片づけは叔母がしているようだ。
22/5/14
横浜の義姉から電話。「だんだん頼れる人が周りからいなくなって寂しい」と言いつつ、娘達がしっかりとサポートをしているよう。
娘達もそれぞれに忙しくしているようだが、近くに住んでいる長女もしばしば顔を出しているようだし、同居の次女も「朝は早いし、帰りは遅いし…」と言いつつ、親子で世話を焼きあっているようだ。
22/5/10
しばらく前からマーミが勤め始めた。福祉作業所のような所らしいが、色々な障害のある方が入り混じっているらしく、それぞれに合わせたコミュニケーションをとるのに苦労しているようだった。
それ以上の騒動が、「今日、給湯器がおかしくなった…」のようで、今時はこれでお風呂の給湯やシャワーが使えなくなるのが1番困るだろう。すぐに業者さんに来てもらったようだが、簡単な故障なら良いのだが。
22/4/12
埼玉の従弟の娘からメール。
長男が1年生になった。しかしこのご時世、1日出席しただけで学級閉鎖だそう。早くお友達とたくさん遊べるようになれば良いのだが。
1歳になった下の子も歩き出して、追いかけるのが大変になっているようだ。