ちょっとした感想   

10/7/28

   市内小学校の連合音楽会があった。実は、季節の小箱さんが自分の作品を子供達と演奏すると書いていたので、時間もあるし、ちょっと行ってみようかと文化センターに覗きに行った。役目を考えればテリトリーの学校も見てくるべきだったかもしれない。オープニングから始まる2校目だったので、前の学校と後の学校と3校分を見せてもらって帰ってきた。合唱と器楽合奏の2本立てで、同じメンバーでというのが基本のようだった。
   演奏者は主に5年生・6年生で、季節の小箱さんの学校は6年生、多分全員だったのではないだろうか。先生の指揮があまり大きな動きではないのだが、子供達はおおいにノッて演奏をしていた。特に楽器を持っている子供達が一生懸命なのだがとても楽しそうなのが印象に残った。
   彼の歌詞は繊細で優しいメッセージのものが多いと思うのだが、こういうアレンジもありかと思う元気の良い楽しいものだった。

10/7/22

   裁判員制度は心配された割には軌道に乗ってきた。法律の文字の解釈に普通の人の感覚が加味されたように思う。日本の普通の人々は責任を持たせられればきちんとやるし、できる。
   そこで思うのだが、参議院議員も裁判員制度同様に被選挙権を持つ住民から抽出したらどうだろうか。各県代表の1人もいればよい。何人かを抽出して県単位で選挙をしても良い。くじに当たってしまっただけで選挙に出たいわけではないので選挙運動はいらない。仕事を休まなければならないので休業補償としてその県の生活保護費同等を出す。ただし1期6年は長すぎるので3年。これは民児委員と同じだが、やってみての実感だが、1年目は行事を追いかけているだけで終わってしまう。2年目は1年の流れは分かるものの、次々とセオリー通りでない問題が目について来る。3年目にしてこんなものかという気になって来る。という訳で民児委員も1期で辞めると研修泥棒でもう1期お返しをしないと帳尻が合わないのだが、参議院も6年を限度で人が変わる位のものにして、発想の転換をしてしまった方が良い。
   立派な議員会館はできたし、秘書給与は国が出してくれる。選挙が必要なものではなくなるから地元秘書もいらない。余分なお金もかからない。かなりのリストラになると思うがどうだろうか。

10/7/19

   梅雨が明けた途端の猛暑に午後からは1人で島田の博物館に避難。
   ここの分館の明治時代の旧家の建物が好きだ。田舎の親戚を訪れたようなゆったり感がある。入口で猫が出迎えてくれた。
   受付の土間を入るとそのまま台所に通じる。上がり口に向いている2間が生活の場だったのだろう。庭に張り出した1間は書斎にでもしていたのだろうか。1番奥が座敷で続き間があり、その手前の1部屋に囲炉裏が切ってある。あまり広くはないが部屋の両側に廊下が通っているし2Fもある。窓ガラスが今と違って小さなものを木の枠が囲い、柔らかく歪んでいるのも、和庭の濃い緑も気持ちを落ち着けてくれる。今はS30年代位の夏の座敷のしつらえになっていた。
   じつは、ここは海野光弘版画記念館でもある。この建物の奥にいわゆる美術館らしい建てつけの部分もあるのだが、私はここで展示を見るのが好きだ。現在は宇津ノ谷のシリーズと与那国・下北半島のシリーズがあった。
   分館でゆっくりしてから本館へ。こちらの企画展は郷土作家シリーズとして安藤節雄の抽象画展。
   安藤節雄は昭和3年生まれ、静岡県島田市出身。抽象画なので作者の意図とは違うかもしれないが、未来都市の終焉後の世界のように見えた。

10/7/17

   本日は静岡のグランシップで2年に1度の農大教育後援会地方懇談会。
   これは主に在学生の保護者との懇談や農大を受験したい高校生や保護者への説明、さらに校友と大学との交流など色々なものが詰め込まれている。
   今回はギリギリに連絡を頂いたのだが、講演が面白そうなので出かけた。
   造園学科の濱野周泰教授による『人の生活と巨樹・老木  鶴岡八幡宮の大銀杏再生に挑む』というものだった。
   話はまず日本は大陸の東側に位置するという事から始まった。このポジションは地球の自転の関係で雲ができやすく雨が降りやすいのだそうだ。そして、日本の場合夏が多雨である事から植物が生育しやすい環境になっているのだそうだ。『後は野となれ山となれ』という言葉があるが、日本では放っておけば土地に草が生えて野となりやがて木が生えて森を作る豊かな環境なのだそうだ。
   巨木・老木は畏敬の対象ともなり、神が宿ると言うがこれは日本だけではなくタイでも巨木の並木の木々に崇敬の印の黄色い布が巻かれていたりして注連縄のように見えた。そして木が巨大になるためには空中の水分(湿度)が高くなければならないそうだ。日本では地域の象徴となるような巨木というと杉・サクラ類・クスが多いが、どれもそれぞれに防腐作用や殺菌作用を持つ物質を持っている。しかしそれを食べたり寄生したりする生き物もいるわけで多様性を持っている。
   しかし、大木は生活資材でもあるわけで豊臣秀吉が寺社建立のために屋久島で切り出した杉は樹齢3000年と言われている。余談だが屋久島でも地域気候の関係で太平洋側は杉が多く東シナ海側は常緑広葉樹が多いそうだ。
   現在では巨木は観光資源である事も多く、老木となって傷みが出たり、最近の気候変動によるリスクもあり慎重な管理が必要になっている。
   さて、3月に風雪で倒れた鶴岡八幡宮の大銀杏だが、神奈川県の天然記念物になっていたようだ。実朝暗殺のために公暁が隠れたという歴史物語の1場面として印象つけられているが、その時代にはどの位の大きさだったのだろうか。
   既に数年前から鶴岡八幡宮にかかわる木々や森のメンテナンスに入っていた事からすぐに濱野先生に神社からの連絡が入ったようだ。実は今年の4月には細密調査の予定があったそうだが、昨年12月の予備調査では異常は見られなかった。大銀杏が倒伏した時は前日から寒さが厳しく当日は13〜14mの風がふき、最大風速は18mにもなったそうで、倒伏する40分前位から大きな異音がしていたそうで大きな根が切れた音ではないかと思われるとの事だった。太い根はすでに生活を終えて若い根が周りから出て役目を果たしていたが、腐ってはおらず木を支えていた。切りとおしからジェット気流が入りこんで木を揺らしたものと思われるが鎌倉では過去に経験した事のない気象状況だったそうだ。
   さて、この銀杏の再生への挑戦だが、元々樹木では挿し木や接ぎ木、株分け、取り木など親の形質をそのまま残す技術がたくさんある。また銀杏は明治時代に東大の教授が職を賭けて大木の移植をした本多の首賭け銀杏というものが伝えられているほど移植に強い。この銀杏は無事活着し、東大紛争の折に火事で焼かれたが、また復活したそうである。
   さて、鶴岡八幡宮の銀杏だが元々の根があった場所は、そこからの芽生をまってそのまま置き、根株部分も植えこんだ。どちらからもたくさんの芽がふいてきたそうだが、まだまだそのエネルギーで根をまかなうほどではなく、しばらく慎重に様子を見極める事になるそうだ。
   他の場所でも間引きをした木など樹幹を切ってしまってを植え込んで森の再生を図ったりしているが、キモはそこに生える草よりも高さを高くして出てくる芽を守る事だそうだ。
   講演会の後は立食パーティ式の懇談会。校友会員も後援会員もごっちゃになって交流を図った。
   農大理事の先輩からは「この前、秋篠宮さま(農大客員教授)と一緒に皇太子さまも農大に見えた」という話を聞いた。また志太常磐松会の事務局長はお子さん達が現役農大生なのだが後援会の方でも役が来たようで、大変だ…と言っていた。
   また、大学の事務の方が見えていたので学科が増えてしまったので学科コードの一覧表が欲しいと言ったのだが校友会と違うのかよく意味が伝わらなかったようだ。

10/7/16

   宮崎県の口蹄疫発生区域にいる種牛6頭が殺処分される事になったようだ。
   個人の方の所有で、罹患しているわけでなく殺処分に反対して、知事も何とか助けたいと動いていたが、農水省が首を縦に振らなかった。移動制限解除ができず周りに迷惑がかかるからと飼い主の方も殺処分を受け入れたようだ。
   しかし、この決断が良かったかどうかの判断は多分何十年か経たなければ結論は出ないだろう。
   1つ頭の中にあるのは第2次大戦中に上野動物園の猛獣たちが殺処分された状況がある。確かに食糧事情は悪くなっていたようだが、まだ空襲が始まっていたわけではない。ゾウの話が教科書にも載ったので有名だが、象だけでなく色々な動物が処分され慰霊祭が行われたそうだ。しかし、その時にまだ絶食をさせ餓死を待っていたゾウ達は生き延びていたそうだ。また、引き取り先の動物園を手配をしていた動物もいたようだが移動が認められずにみな殺されたようだ。これと同じ一種の集団ヒステリーを感じる。
   もうひとつ別の方向から、この牛たちは口蹄疫蔓延化で現時点まで感染しなかった。口蹄疫対策としてすべてを殺処分するのでなく治療法や口蹄疫に強い品種が作れればまた別の対策方法が可能になるはずで、殺してしまっては研究が進まないのではないかという気がする。さらに、遺伝子的な問題から、特性のはっきりした親牛を作り直す事は牛にとっての何世代もかかるだろう事で、農家にとっても長い時間のかかる大仕事のはずで、もう1度チャレンジをする農家があるのだろうかという点も気にかかる。
   今回の被害で、宮崎県の畜産農家は経済的にも大きな痛手を受けたと思うし、年配の方にとっては一生の仕事が総決算時に崩れた心の痛手も多大なものだと思う。

10/7/15

   元上野動物園園長の増井光子さんが亡くなられたそうだ。落馬による事故らしい。
   増井さんとは井の頭公園の獣医さんをされていた頃に何度かお会いしている。子供の頃にまだ日本に猫ブームが来る前、『猫が好きなんだってね』ときれいなカラーの外国の猫の本を貸して頂いた。同じ頃に猫の形をした英語の絵本をくださったのも彼女だと思う。一方で「生き物には皆それぞれの寿命があるのだから」と命の有限を教えてくれたのも増井さんだった。
   登校拒否こそしなかったが、学校に落ち着き場所のなかった私にとってありがたい先生のお1人だった。
   まだ現役で横浜市立よこはま動物園ズーラシア園長、兵庫県立コウノトリの郷公園長をされていたとの事、残念な思いがあるが、ご冥福をお祈りしたい。

10/7/13

   老人会は若手メンバーが入らない、地域の商店街は後継者不足で衰退をしている。
   そこで、シャッターの降りている店舗の1つを商店街で江戸時代の自身番のような使い方ができないだろうか。
   とりあえずある程度の人の居られるスペースとトイレ、お茶が出せる位のキッチンスペース、電話などの通信設備があれば良い。ついでに新聞・雑誌や碁盤・将棋盤などもあると良いかもしれない。
   そこを地区の老人クラブの事務局的な使い方をしてもらう。ついでに、店間の案内や、たとえば美容院に行きたい若いお母さんの子供を預かるなどのサービス、買い物や通院で来たけれど迎えが来るまで居る所がないというお年寄りの待ち合わせ場所、そしてご近所の超高齢のお年寄りの活力を取り戻す場として遊びに来られる場所などとして活用できないだろうか。
   もちろん交番の巡回場所に入れてもらう、近所に医院でもあれば何かの時には協力を頼めるようにしておけばより安心できる。
   若手のお年寄り?が自分たちの活動を楽しみながら地域のボランティアとして活躍をする。何でも外注ではなく、金は使わず楽しみながら自分達の手で地域の活気を呼び起こす事を考える時ではないだろうか。

10/7/12

   昨日はすったもんだの末に開催が決まった大相撲名古屋場所の初日、今朝の明け方にはサッカーW杯の決勝戦、オランダvsスペインと感想を書きたいものが多々あるが、参議院選挙の投票日でもあった。
   まずは、選挙に関しての感想が書きたい。
   結果から言って10議席減らした民主党が負け、1人区で多数を取った自民党と参議院選初見参のみんなの党が10議席を獲得して勝ち組となった。
   マスコミは唐突に顔を出した消費税が勝敗のキーになったと解説をしているが、私はそればかりではないと思う。
   都会に居るマスコミ人と首都に居る偉い政治家さんには実感がわかないかもしれないが、大都会以外の地域は不況の嵐に覆われている。
   これまでならば若者の就職先がなくても実家に残って親の代から続いている農林漁業に携わる事が出来た。町でも家内工業的な生産業や小売業など家代々の仕事があった。そのすべてが衰退し、後を継いでも生活ができないとその子弟も他に職を求めるようになり、その結果の後継者不足からこれらの産業が衰退をし、人々はすでに戻る故郷を失ってしまっている。そして仕事とは大企業や役所に就職をする事となればそのキャパシティは決まっていて、そこからあふれた者たちの受け皿がない。
   さらに悪い事に、好景気の時に故郷を捨てたサラリーマンの親の代が逆に職のない若者達を家庭内で抱え込み、結果として年金生活者の親と継続して仕事をする事のできない中年という経済的に脆い家庭が増加してしまった。彼らは生活の手段がないので福祉の対象になる率が多い。当然このような子供達は30代・40代になっても結婚をしようとか子供を育てようという事にはならない。
   これらの悪循環を何とかするには行政の小手先の技術ではなく、政治家の大風呂敷といってもいい哲学とやる気にかかっている。それができるリーダーが居ない。現在の永田町は「パンが無いならお菓子を食べたら」と言ったフランス王妃マリーアントワネットとあまり変わらない状況に陥ってしまっているように思われる。
   どちらにせよ、国会での何でもかでも強行採決が異常で、本来、国会では異なる意見を出し合って十分に意見を闘わせ、相手を納得させて譲歩をしあって落とし所を決めるものであるはずで、マスコミにあおられてのむやみな連立はお断りしたい。

10/7/5

   どうやら大相撲名古屋場所は開催されるようだ。
   賭博の額が大きいという事で琴光喜が解雇され、他に謹慎・出場辞退者多数を出し、大嶽親方の解雇と監督不行き届きの親方衆の謹慎と大きな穴を開けたまま、とにかく動き始めた。
   名古屋場所のたまり席にヤクザさんが座っていた(塀の中の親分に顔を見せるためとか)事に端を発した警察のがんばりの結果のようだが、それならばこの大相撲会の騒動が無駄にならないように責任を持ってきっちりと最後まで捜査を続けて欲しい。
   日本の少年が「お相撲さんになりたい」と言い出したら親が心配になるというのでは国技の名が泣くというものだろう。

10/7/3

   家に居るのがどうしても嫌になった。朝一段落してから悪天をついて出かける事にした。
   TANUKIも誘ってみたがこちらも見事にダウン。連日のように布団に猫がお漏らしをして行ってくれて、気分も体力も参っているようだ。こちらは掛け布団が毛布1枚になり、敷布団にはガッチリと防水シーツを敷いてしまったので、自分がやられるのでなければまあしょうがないかといったところ。
   1人で子生まれ温泉を目指して金谷経由で車を走らせたが、島田から牧之原へ行くあたりでバケツをひっくり返したようなドシャ降りにあう。ちょうど高台に当たるので半端でない。今の車になってほとんど使っていない高速ワイパーを使っても目の前が見えない。下手に停めればぶつけられそうでライトをつけてソロリソロリと進む。幸い下り坂にかかる頃には小やみになり、無事に温泉到着。
   さすがにこんな天気で人も少ない。トロリとしたナトリウム泉で小雨は降っていたが屋根付きの小さな露天風呂も気持ちが良かった。ゆっくりと温まった後は15分\200也のマッサージチェア。最近のマッサージチェアは優れ物で背中だけでなく全身をもみほぐしてくれる。その代わり指先まで揉んでくれるので、ゆっくりお茶も飲めないが…。
   遅めの食事をして小雨になったのを幸いに御前崎まで足を延ばす。アイスクリームが食べたかっただけなのだが…。
   そんな訳で私はしっかりと息抜きをして帰ってきたが、家の2人と3匹はグッタリしたまま。猫達にいたっては入れてもらったカリカリにもろくに手を付けていなかった。

10/7/1

   サッカー三昧の間に参議院選挙が始まっていた。今日も別の用事で駅前に行って選挙運動中の人と行きあったが、なんとも盛り上がりがない。
   何しろ駅前とはいえ、たまに着く電車やバスに乗り降りする人以外の人通りはほとんどない。政治家さんは選挙の間に全国津々浦々でこの現実の中にドップリと身を置いてこの国の行く末がこれで良いのか考えて欲しい。
   もう少し解説をすると、国土の狭い日本で大都市部以外がすべて過疎化する現実に歯止めをかけないまま、大都市だけの繁栄を謳歌すれば良いと考えているのではないかと思われるからだ。川の下流の扇状地に都市が広がる日本で、上流部の山と水の管理をしないままにすれば都市は何時か流れ去る、コンクリートで固めてもメンテナンスができなければ危険は同じだと思う。都市以外の地域にまだ住める環境のある間に次の千年をどう過ごすのか位の大きな哲学を持って政治の力で国全体の行く末を考えるべき時期だと思う。
   そういう意味では消費税をどうするかなどという小手先の技術はプロである財務官僚に色々な数字をシュミレーションしてもらえば良い事で、政治家はもっと広い視野で頭から湯気を立てるほどに考えてほしいと思う。

6月    8月