10/8/29
一時はトップに落ち着き今年は優勝が狙えるかと期待しているのに、ここにきて4位と足踏み状態だったJ1清水、今日は川崎に2-0で勝ったようだ。
同じく甲子園を明け渡し調子を落としながらもトップ争いを続けている阪神、今日はヤクルトに勝ちそう。
たまには、夢ではなく、ひいきチームの優勝を見たい!
きつい所で踏ん張って上を目指してこそ夢を売る仕事、暑い中での体調の維持は大変だろうが、ぜひ頑張ってほしい。
10/8/28
夜、志太常磐松会の9月富士農場親睦会の準備のための役員会を行った。
役員は20名近くおり、状況も考えてその半分位に声をかけたのだが、今回はオブザーバーのS大先輩と事務局長・この企画担当のMさんと私の4人の会になった。
市長さんや県議会議員さんなど立場が重くなってしまった人、体調がすぐれない人などもあり、役員も増員をしなければ動きにくいのでその話し合いもしたかったのだが、ちょっとメンバーが少な過ぎてこれはお預け。
食べながら(他の皆さんは飲みながら)色々な話に飛び散りながら、計画も詰める。とは言っても飲み物の手配や農場事務局への土産の手配を誰がやるか(皆で気を使っていたら会費を集める意味がなくなるので)、何時に集まって全員で参加するのはどこまでか等々。
今回、家は翌日が自治会の運動会で、運動会はパスしても夕方からある組の懇親会は2人で欠席をするわけにもいかないので程々に帰るために運び屋は引き受けられなかったのだが、Mさんが車を出しますと言っていて一緒に行く予定のS大先輩は「早めに出て富士宮焼きそばも食べよう」などと仰っていた。
飛び散らかった話で面白かったのはたまたま店の壁にMさんが昨年描いた祭りの横笛を吹く息子さんの大作が飾られていて、宗教の話に飛び「家は神道でね」という話が2人から出た事だった。神事のための笙も吹くというのは事務局長さん。たまに少人数で集まると、へぇ、こんな一面もあるのかという話が聞けて面白い。
10/8/27
『風の頁』『浅草の風』などを主催していた風さんが亡くなられた。(8月26日死去・享年62歳)
肺ガンでしばらく前から体調を崩され、しかし、ほぼ最期までVOXのブログで体調や思う事を書き続けてきた。仕事仲間・山仲間・学生時代の仲間・ネット仲間など多くが茶々を入れながら彼を支え続けていた。
闘病から緩和ケアによるQOLの向上を目指した終末期医療へ。一気に突き進んでしまったが、周りに恵まれて穏やかな最期だったようだ。
ネット世界に不案内だった10年前、ホームページを開設しようと悪戦苦闘をしていた頃に偶然に行きあった『農大リンク』を通じて様々な事を教えて頂き、多くの出会いをさせて頂いた。その『農大リンク』はひょんな事から引き継ぐことになった。なかなか手を入れる事はできないけれど、この人の輪は私の大事な宝になっている。
ずっと以前、ハンドルネーム風の由来は『千の風になって』の元歌のアメリカ原住民の言葉だと言っておられた。私の母方の祖父が同じような思いを持っていたので大いに共感をした。
今、身軽な風になって大好きな本郷や浅草を散歩しているだろうか。ご冥福をお祈りしたい。
白秋や御霊が揺らす草の花 DORA |
風ふくや君の想いのたけ受くる DORA |
風のはて君の想いや空高し DORA |
10/8/27
TANUKIと共に浜松にある楽器博物館へ行った。
駐車場に入ってから「どこに行けばいいんだ」と少し迷ったが、博物館の真下に入ったつもりが出てみれば向かいのビルの2Fから戻って来るような形になった。
そして、博物館。市営のため入館料\400と安い。ちょうどバンジョーの企画展をしていてたくさん飾られていた。
入った所はアジアンムード満載のエリア。銅鐸をずらりと並べたような韓国の古楽器、ガムラン。要所で音が聞けるようにヘッドフォンも備え付けられている。
日本の楽器は1所に、さらには楽器の町浜松らしく、初期の国産ピアノ・オルガン・ハモニカなどの展示も力が入っていた。
下に降りるとアフリカやオセアニアの楽器、打楽器が多い。メロディが奏でられるものは植民地時代が長かった所の音楽はヨーロッパの影響があるのではないかと思われるものが多かった。
奥はハープシコードやピアノ。この2つの楽器は形は似ているが音の出し方が違うそうだ。また、初期のピアノもメーカーによって音を出すメカニズムが色々あったようだ。
ちょうどそんな時間だったらしく説明の方がハープシコードを演奏してそんな話を聞かせてくれた。
アコーデオン類、弦楽器や管楽器の形の変遷の展示などもあったが、その頃にはすっかり歩き疲れてしまった。
実際に楽器に触れられるコーナーや映像による展示もあるのだが、夏休み最後の勉強をしている子供達も多かったので我々は見るだけで良いにしておいた。
10/8/26
民主党が政権党としての仕事をそっちのけで代表選挙に向かっている。
ついこの前6月に、参議院選挙前に代表を変え、それに伴って総理大臣が変わったのに、ここでまたバタバタする。一昨年から昨年の自民党末期政権と同じ事をしているのに当事者は気が付かないのだろうか。その時に自分達が何を感じ何を言ったか?すっかり忘れているのだろうが、我々国民はそれと同じ感想を持っているのだという事を自覚しているのだろうか。
それと共にはしゃいでいる新聞・テレビなどのマスコミも同罪だが、国内・国際の状況はそんなのんきなことを許さない状況になっているのに気が付かないのだろうか。
日本は暢気な国で政治集団が総崩れをしても国の形を崩さずに生き延びてきた。対外的には皇室が国を代表してきたし、平安時代以来の官僚機構はそれなりの統治能力を持って続いてきた。その間に立つのが貴族だろうが武士だろうが華族だろうが軍人だろうが政治家だろうが国民大衆に大きな動揺を起こす事もなく続いてきた。
もう1つ、日本では弥生時代から田という村落全体を包む生産システムで住民がつながっていた事が、早くから村落自治を確立し、上にある政権がどうあろうと村落は村落なりに生活が成り立っていた。それは江戸時代には都市住民にも及び、地域が共同体として機能していた。
しかし今、地域のつながり・人のつながりが切られ、何もかもを政府や行政が関わりを持って行わなければならない状況で、政争しかできない政治家を抱えておくだけの余裕は日本という国にはもうないのではないだろうか。
10/8/24
昨日ようやくTOPPOさんがやって来たので、本日は朝から笑福の湯。何しろ今回はお互いに忙しく、何とか予定を合わせたのだがゆっくり遊べるのはこの1日だけ。
朝から大汗をかいて掃除・洗濯を済ませてさて行こうという段になって、TANUKIが居ない!おいて行くとうるさいので呼び出しをかけるものの、仕事が終わらないらしく職場。
ようやく帰ってきたのを車に乗せて出かけて行く。車で数分なのでその点のロスは少ない。10時頃にはのんびりと風呂につかっていた。
その後は岩盤浴でゴロゴロ。たいていここでゆっくりと時間が取れなくて不満なのだが、今回は空いていた事もありグッタリするまで出たり入ったりをしてじっくりと汗をかいた。
朝はしっかりと食べたので少し遅めの食事にしたのだが、この頃には食堂もけっこう混んでいて、かなり待たされた。特に、健康診断の人間ドックでご招待券をもらってきたTANUKIは食事券もついていて特別メニューのため、入館時に食事時間を聞かれてそれに合わせて食事時間を決めたにもかかわらず30分近く待たされた。
午後はそれぞれに別メニューの予定。TANUKIはまだ岩盤浴。TOPPOさんはバリ式マッサージがお気に入り。私はアカスリ。その前に、水槽に小魚がたくさん入っていて足を入れるとつついてくれるというのが面白そうで、TOPPOさんと2人で試してみる。10分間500円。なかなか面白い体験だった。
しっかり温まりなおして一皮むいてもらい、相変わらず「すごい凝りだ」と言われ、「洗髪と洗顔を選んで下さい」と言われて洗顔を選んでいたのだが、「頭のマッサージをすると肩凝りも楽になると思うので試してみませんか」と言われて洗髪に変えてもらった。頭と言うよりは首のあたりを中心にマッサージをしながら髪も洗ってもらったが気持ちが良かった。
それぞれの予定時間がバラバラになるので後はリラックスルームでつぶし、4時に待ち合わせたが、TOPPOさんとは風呂の中で合流でき、TANUKIもリラックスルームでテレビを付けて寝ていたので、あまりロスなく集まって帰る事が出来た。
帰りは西町でかき氷。相変わらず大きな犬と大きな金魚の居る開けっぱなしのお店で、今年初めての宇治金時を食べた。
10/8/18
ものすごくしばらくぶりに県立美術館に行った。目的は『トリノ・エジプト展』。イタリアのトリノ美術館所蔵のエジプトコレクションだ。
日本人の古代エジプト好きか夏休みのせいか、駐車場に入るまで延々と並んだ。車線が狭い公道で通り過ぎる車には気の毒だが、街路樹が茂っているので高校野球を聞きながら1時間近く並んだ。幸い美術館2Fにすぐたどり着く所に停められ、しかし、1Fまで下りて入場券を求めてまず行ったのが食事。残念ながらレストランは満員で並んでおり、新しくできた軽食堂へ。しかし飲み物の他は本当に軽食。セルフサービスでほんの1口のスープカレーが値段は一人前なのがちょっとだが、味は悪くなかった。
お腹を落ちつけてから入場。もちろん人の波。
トリノ美術館のコレクションはナポレオンのエジプト遠征時に収集されたものが中心になっているそうだが、大型の像や人型のお棺、レリーフやステラ(石碑)などが中心だった。その中には練習用に作られたものであろうというものもあった。
神殿や墓からの発掘品が主であるためだろうが、エジプトの死生観なども面白かった。副葬品のパピルスの死者の書やミイラを作る時に内臓を納めその後その象徴だけになったという像や冥界での召使たちなどもあったが、いわゆる副葬品らしいきらびやかなものよりも、神や葬られた人に捧げものをする王や親族などのステラなど宗教や家族のきずなを確認するような資料が多かった。
また、珍しい姿だと言いながら女神が男性の様な笏や杖を持っている像が何点かあり、マンマが家庭の中心に居るイタリア人にも近親感があるのだろうかと思ったりした。
私としては神像としてのネコが気になったのだが、猫のお棺や像はあったが、フクロウ・ハヤブサ・トキなどの鳥の像が多かった。
古代エジプトに圧倒された午後だった。
10/8/13
台風一過と言うほど良い天気にはならなかったが、まずまずの天気。TANUKIも今日から休みでそう簡単に起きそうもない。
こちらは洗濯ものを片付けて布団を干し、掃除に取り掛かる。
一段落をして昼前、買い物をして本家へ盆参り。話し込んで気が付けばお昼でスーパーで弁当を買ってあわてて帰る。昼を食べて一休みした後は明日の花火に備えて買い物。1度家に戻って洗濯物と布団を取りこんで藤守へ初盆見舞いに。帰りに買いそびれた物と本日のおかずを買いにもう1度スーパーへ。
1日中、出たり入ったりあわただしい1日だった。
10/8/12
明け方前に猫に襲われた。飛び乗るの噛みつくのひっかくのと言うのなら相手のしようもあるのだが、コッソリと忍び寄って事もあろうか頭に向けておしっこを引っ掛けてくれた。すぐに明かりを点けた時に平和に寝ていたみゆは無罪、トラ丸もとりあえず寝ていたので犯人は茶々か…。と言ってもトラ丸も油断がならないし、みゆも事によっては負けじと名前を残していく。
シャワーを浴びて頭まで洗わなければ臭くて仕方がないのだが真夜中ではあまりに不都合。布団の濡れていない所を探してゴロゴロしていたのだが、猫のは臭い。眠れないなぁと思っていると、明け方に今度はTANUKIが「やられた!」寝がえりを打った所が濡れていたようだ。
我々も賢くなって敷布団ごと汚されないように防水シーツを使っているのだが、それでもシーツ2枚とタオルケット1枚を悪天候の中で洗う事になった。土砂降りで窓は開けられないし洗濯物も乾かないので、普段は昼間は窓を開け放って使わないのだが、今日は1日クーラーに働いてもらった。高校野球と台風情報をテレビで見ながらグズグズしていた。
10/8/9
脳死による臓器提供のニュースがあった。今回ニュースになったのは本人が交通事故で脳死状態になり本人が生前に臓器提供の意思を話していたという事で、家族が臓器提供にOKを出した事だろう。
若い方で事故死だった事もあり、ほとんどの臓器が移植されるようだ。移植により症状が改善される方にとっては朗報だろう。
しかし、臓器移植という技術に私は人間としての胡散臭さを感じる。
本人の意思表示は一番に尊重されるとの事で、私は移植を受ける事も移植のために臓器を提供する事もお断りとここに書いておきたい。
10/8/4
民児委員には頭の痛い全国ニュースが続いている。
児童虐待の次は超高齢者の行方不明。記録上は存命なのだが、実態把握がなされていないまま、ずっと以前に亡くなっていた方が発見された事から、各地であわてて確認作業を行った結果、行方不明者が何名も出てきた。
初めのケースは自宅で亡くなっているのが分かりながら、それ以後もずっと年金を受け取っていたという事で詐欺の疑いもあるようだが、それ以外に本当に行方不明になったまま、死亡届も心情的に出しにくいままに、そのままになっていたケースもあるようだ。
100歳以上といっても4万人超の方が居るそうで、今回の調査ケースはそれ以上の年代の方で、子供世代といっても80歳を超えているケースが多い。その方達もすでに後期高齢者で細々した記憶が定かでない場合もあるだろう。
都会で多いのは、戦争の真っただ中を現役として過ごされ、生活のために都会で住み始めた家族のあり方の大激変の時代の先端に居た方々だと思うが、心が痛む。
10/8/3
山の事故が多い。気候が不安定だという事もあるが、みな安易に考え過ぎていないだろうか。
我々が若い頃、山に行こうと思ったら山のかなり手前から交通アクセスが悪くなった。もちろん生活用具一式を背負い、下手をすれば水も麓で確保して使い方を考えなくてはならなかった。
山に入る多くの人達は我々と同世代から少し上の世代だが、バス旅行の延長の様に考えている人が多いのではないだろうか。最後に身を守るのは自分の持ち物と言われ、体力がない私は簡単な尾根道のハイキング位で、本格的な登山は経験がないが、それでも路に迷ったり滑落して足首を捻挫をしたりと危ないを体験している。
自然を満喫するためにはせめて体力・気持ち・時間にたっぷりと余裕を持って入山してほしい。
それとは別に日本テレビの取材中の遭難は腹立たしい。東京近郊の秩父の山という事に気持の甘さがあったのではないだろうか。以前地元を担当していた記者と山岳取材のベテランのカメラマンだったそうだが、町の真ん中でも遭難する時は遭難をする。自然とはそういうものだという事をきちんと頭に入れていてほしかった。
10/8/1
大阪でまた児童虐待により幼い命が失われた。このニュースに「また、大阪…」と思ったのは私だけだろうか。児相の職員が楽天的なのかあまりに忙しすぎるのか、ニュースになるほどの最悪ケースになる事が多い。
本来1つのケースに子供本人、主な保護者、家庭や学校、居住地区の役所などとの調整者と数人の専門官が欲しいところだが、現実には1人の担当者が80近くのケースをかかえて走り回っているのが今の児相の実態ではないだろうか。
少子化を本気で憂うのならば、今、生まれ育ちつつある子供達にもっと温かく親身になった目配りをする事が必要ではないだろうか。
政治家もマスコミも公務員の削減をお題目のように言うが本当に必要な所に人がいない。我々地域でできる事はごく普通の家庭で普通に育っている子供達や家族が地域に溶け込んで地域の中で子育てをする手伝いや、どうにも心配なケースについての通報位しかできない。専門家を専門家として遇する給与を払って働いてもらう事がこの分野では絶対に必要だと思う。