10/12/31
1年が早い。父の喪中で始まった今年も慌ただしく年賀はがきを書いてお終いとなった。
ちょうど巡り合わせが親戚の葬儀やお年忌の多い所に入っているようで、今年も色々とあったが、しばらくぶりで身内の結婚式の多い年にもなった。
それとは別に、年の近い先輩を病気で2人も見送った事も私の中では大きな出来事だった。
今年は暑い夏と寒い冬が極端だった。来年の春はスギ花粉も多そうだし、卯はどんな年を連れてくるのだろうか。
10/12/29
給湯器の交換・畳替えと年末の片付けのスタートを切ったのは早かったのだが、今月だけでお葬式が2つ、民児協の一斉改選に伴う新スタート、さらに風邪をひいたりで、気が付けばやっつけ仕事で駆け抜けた12月ももう終わろうとしている。
ほとんどが畳部屋なので大掃除は畳替えで代用(家具をどかしたり畳を上げたりで出たほこりを片付けた位だが…)、ガラスは南側だけ玄関の戸も含めてTANUKIが外から水洗いをしてくれた。障子はトラ丸が昇ってバリバリにした2枚だけTANUKIが張り直してくれた。今日は私は玄関の臭い消し。茶々とトラ丸の覇権争いの後を茶ガラで掃除。TANUKIは風呂場のカビに見かねてカビキラーを振りかけたようだ。
そして、今日も含めて3日かけて庭の床屋さんも終わった事にしておく(コンポストを動かしてもらったので積み上げた生ごみが嫌気性菌で腐敗臭を発生し、落ち着けるために切り取った草や木の葉をかけてあるのでさっぱりしたとは言い難い)。
昨日、年賀状は半日で裏表とも印刷。
しかし、買い物計画を普段なら早めに立てていたまない物から順次買いためていくのだが、今回は全く出たとこ勝負。今日はとにかくお飾りや花、練り製品などを買ってきたが、本来なら先にチェックをしてあるはずの冷蔵庫のストック品、調味料、根菜類など全くチェックしておらず、いざ必要となってから不足品が出てくるかもしれない。ついでにこの年末はカレンダーが全然集まって来ない。これまた珍しい。
さて、明日は餅つき。買い物の続きをして夜は栗きんとんに着手予定。
31日はフル回転で台所仕事。午前中に私が年始用のお煮しめその他をやり、午後はTANUKIが年越しそばを打つ。たぶんTANUKIが年越しそばにかかっている頃にやっと部屋の掃除にかかる事になりそうだ。
10/12/28
家の脇にゴミ出し場がある。月・木が燃えるゴミ、火が容器包装プラスチックごみの日になっている。資源ごみ・不燃物などは月1回別の場所になるのだが、最近かなりそのあたりの取り決めに従わずに回収されないゴミが残っていた。
この前、最終のゴミ出し日についてポスターを張り出しておいたら、きちんと分別をして出されてこの3回、回収されないゴミは残っていなかった。早朝に立ち番をする気もなかったが、ぶっきらぼうかと思ったポスター作戦も案外うまくいった。
10/12/21
昨日からTOPPOさんが冬休みで登場。
昨日はさっそく午後から玉露の里へ行ってお茶を頂き、お茶の先生と掛け軸の話などをしてきたが、自分で読めているわけではないので今日になったらすっかり忘れてしまった。山の次は海で、夕景の焼津港では富士山がきれいだった。
そして本日は朝から笑福の湯へ。資源ごみを出さなければならない日で早起きをしたので、ほとんど始まりと同時の朝風呂。その後は岩盤浴でゴロゴロ、いつもより1時間は時間の余裕があったので、心ゆくまで温まって汗をかいた。お昼を食べてから午後はそれぞれにメンテナンス。3時頃から雨になるという予報通りのお天気で、家に着く頃に降りだしたが、それでも4時前。1日ゆっくりとした時間を過ごした。
しかし、確かに世間は年末で忙しいのだろうが、どこも開いていても閑古鳥。ゆっくりできてうれしいがこれでは町の活性化とは程遠い。
10/12/8
畳替え続報。茶の間の畳を上げたら白アリの食い散らかしの痕を発見。1か所ならそこにたっぷりと殺虫剤をかけて畳を少ししっかりと熱消毒にかけてもらえば良いと思ったのだが、数か所から出て畳の土台ごと交換する事にした。
今や古畳は廃棄物。大昔は芯は藁でそのまま畑の隅で堆肥を作るのに使われていた。小学校時代の農家の友達の家で見たうろ覚えだが、まず、古畳は堆肥置場の縁になる。その囲みの中に落ち葉などを入れて堆肥を作る。そして周りの古畳が程良く腐って来ると次に下に敷かれて上に落ち葉などを積んで堆肥を作る。そして最後にはめでたく堆肥になってしまう訳だ。
しかし、最近は藁でできたものでもまとめるのにビニール糸を使うのでそれが腐らずに機械に絡むので堆肥には使われていなかったそうだ。そして、家のものように発泡スチロールの両側にボードを入れて作ってあるような物は、そのまま破砕してしまうしかないらしい。畳表・土台・手間賃まではうなずけるが、今や廃棄のための手数料が何かとかかるようになってしまっている。
10/12/6寧々
今日から畳替えをしている。朝、畳屋さんが畳を引きとりに来て、夕方までに乾燥と表替えをして持ってきてくれる。
それだけの事なのだが、家具を動かすとそれに伴って掃除をする事になる。何時からしまってあったのかという訳の分からないものも出てくるし、「見つけた!」という探し物も出てくる。
取っておく必要があるのだろうかと思いつつ結局元通りにしまってしまったが、何となく片付いたような気になる上に青畳の部屋は気持ちが良い。
しかし、そろそろ畳の土台にガタが来ている所もあるようで、次回はそれも考えなければならなくなりそうだ。
10/12/5
しばらく前だったが、ヒ素を取り入れる微生物が発見された。ニュースで大騒ぎをしていたが、地球の歴史から見れば人類が思ってもいない生き物はまだいると思う。
そもそも酸素も太古の地球では毒物だった。植物によって大量の酸素が排出されるようになって、1度それまでの地球は環境危機に見舞われた。しかし、今や酸素を利用する生物が地球上に満ち満ちている。
変な言い方だが、人類にとっての有害・有益・無益と地球環境とは無関係と考える方が気が楽かもしれない。人類にとっての有害物質が地球上にあふれて人類をはじめ多くの生物が絶滅しても地球上には全く違う代謝を持つ生命がしぶとく生きていくのかもしれないない。
10/12/3
午後から志太常磐松会の先輩の葬儀に行った。農大の2年先輩なのでまだ50代、早すぎる死だった。
私が1年生の時の3年生なので学内ですれ違っているはずだが、学科やクラブでの接点がないので学生時代には存知あげなかった。志太常磐松会ができたのもそんなに古い話ではなく、創設当時からの中心メンバーの1人だったが、職場での立場も重くなり、OB会の中でも決して若手とは言えなかったが気さくに細かい事まで気を配って動いてくれる貴重な先輩だった。
まだ現役でお仕事をされていたので市長をはじめ市役所の同僚なども多く見えていたようだし、高校時代の仲間やもちろん志太常磐松会のレギュラーメンバーも大勢で見送った。途中で雷雨となり、雷の絶叫まで加わっての葬儀だった。
ずいぶん前に胃ガンの手術をされ、しばらくは1度に食べられないからと小さなお弁当箱にいくつもお弁当を作ってもらっていたが、ほとぼりがさめると「俺は胃の手術はしたけど肝臓は大丈夫だから」とあっさりとお酒にシフトされていた。
ひょうひょうとして穏やかで、でも話し言葉はちょっと荒っぽい焼津言葉で、お気楽なようで緻密でとても良い先輩だった。
戒名は哲英明穏信士。ご冥福をお祈りしたい。
地元の人のお葬式に行っても、知っているのは共に関係があった人位というのがこれまでの私のパターンだったが、最近は色々なかかわりから、別の所で出会っている方と顔を合わせる事も多くなった。地元の市会議員さん(元市役所職員)が見えていたり、主任児童委員でご一緒している方のご主人(高校の同級生)がいらしていたり(もちろんご主人は初めて見たのだが)、市役所の同格になる福祉課の方が見えていたりと私も地域にようやく根付いてきたのかなと思った。
10/12/1
冬うらら3枚もある委嘱状 DORA