11/4/29
世間並みに春の連休に入った。私としては昨日までの民児協関連のバタバタが済んでホッとしたところだが、高速道路は渋滞中のようだ。
良い天気に干した布団を取り込んだ午後、TANUKIも乗せて隣町の玉露の里まで。さすがにここまでローカルになると道路は空いている。しかし道の駅にもなっている駐車場は普段より混雑。木々の柔らかな緑が目に心地よい。お茶の芽も柔らかな緑色に輝いている。竹やぶの際には巨大に成長した竹の子。
お茶室には先客のお年寄りのグループ。介助者が付いているし畳に座るのは大変で椅子に座っている方もあったが皆さんお元気で楽しそうにお茶の先生とお話をしていた。
この季節は(まだ新茶ではないだろうが)やはり玉露が頂きたくなる。お湯をさましたりの持久力が無くて家ではとても淹れられないが、まろやかで美味しい。
たまたま今日いらしていたお茶の先生のお一人がTANUKIの昔の教え子のお母さん。はじめは気が付かなかったようだがお互いに懐かしがっていた。TANUKIにとっても岡部での若かった頃の思い出は懐かしいらしく帰りの車の中でも「ここを行くと教え子の○○の家だ」とそこここで懐かしんでいた。
11/4/25
元キャンディーズのスーちゃん・田中好子さんが亡くなって今日がお葬式だった。昼にテレビを見ていたらお葬式の実況中継だったが、当時のファンの方も大勢が見えていたようで、放送時間にはおさまらなかった。
キャンディーズ解散後は女優さんとして活躍をしていたそうで、実子はなかったようだが、最近はお母さん役が多く役の中で多くの子持ちになっていたようだ。
今も昔もあまり興味のない分野なのだが、放送の中で流れるキャンディーズのヒット曲を聞いていると、この曲も彼女達だったのかという思いと当時の自分の時間を色々と思いだした。
あの頃はテレビの音楽番組も多かったし、街中にいくらでも流行歌が流れていた。さらには高校・大学時代に夜中過ぎまで聞いていたラジオ、ここにも音楽はなくてはならないものだった。特に好きな歌手やジャンルがなくても耳元を過ぎてそのまま記憶のどこかにその時の時間とともに留まっていた音楽と会えて懐かしかった。
11/4/22
朝起きたら家の中のあちこちでネコが吐いていた。3匹もいると誰のものか分からないが、食べたばかりの形の残っているものからしっかり消化する寸前のものまでいくつかの状況ではいていたので、誰かが消化不良を起こしたか猫缶の状態が良くなくて食あたりが時間を違って3匹を襲ったのだろう。
背中や鼻を触った感じではみんな平常だし、食欲もないわけではないので一過性のものだと思うが、ここ数日、茶々が下痢気味なのが気にかかる。
11/4/18
日本にはおそらく縄文時代の昔から言霊信仰というものがある。「そんな事を言って本当になったらどうするんだ」というあれである。
だから、日本人は最悪を想定しないし、最悪の事態から状況を立て直すのが苦手である。今回の原発事故への対処を見ていると、東電も政府も行政もそしてマスコミも右往左往しているのを何とか隠そうとしてアタフタしているように見えて仕方がない。
本来ならば総理大臣も官房長官も日本全体に目配りをしなければならないので、こう出ずっぱりに原発事故対応にだけ顔を出していれば良いはずはない。担当者を決め原子力の専門家と事務の専門家・広報の専門家などのチームを組んで対処してもらうのが本筋のはずである。
それは東電も同じで最高幹部は謝ってしまったら、後は事故を収束させる実際的な手立てとその代償をねん出する算段や本来業務である電力をどう確保してどう配分するのかなどに戻って、広報に関しては福島に拠点を作って専門の担当者に当たらせるべきではないのだろうか。
他の原子力関係機関はあまり役に立っているようにも見えないし、給料は十分に出されているのだろうから、全員お辞めになってその給料も事故の後始末に使ったらいかがだろうか。
11/4/16
政治家の小沢一郎氏がまたも政争を引き起こそうとしているらしい。
この方にとって被災地の岩手は故郷ではないのだろうか。それならば政治家としてより1人の地元の名士として地域の災害復興のために働くべきではないだろうか。人脈もコネクションもあるのだから、岩手・宮城・福島だけでなく、函館や青森、茨城・千葉・埼玉など津波被害や液状化被害の出た所、他の災害さえなければトップニュースになったであろう地震被害にあった長野の栄村などにそれぞれの地元の国会議員の秘書を連絡役に出すなり、行政同士の結びつけをするなり、行政と企業担当者のマッチングをするなり、浮足立っている内閣をダミーに災害対策と復興のためにできる事はたくさんあるはずだ。それをしているように見えない所に胡散臭さとただの政争好きにしか見えないという彼のイメージの不幸があるような気がする。
内閣も含め当事者は目の前のトラブルと次々と対処していくしかないわけで、それまでの人生の蓄積によるカンがさえなければ失敗をしながら進むしかない。それの批判をしても足を引っ張っても目の前の問題が解決するわけではない。
本当は復興のための大きなグランドデザインを描いた方が良いのかもしれない。しかし、それぞれの小地域ごとに顔の見える話し合いを通して地域の将来を見据えた再生を考えた方が、早く多くの人が普通の生活に帰る事が出来るのではないかとも思われる。
11/4/15
地震・津波と同じ時の被災とはいっても原発事故は全く収束のめどがたたないようだ。私的には原発はコストがかかり過ぎると電力各社が撤退をするほどの解決金を出させてほしいものだ。避難者はもちろん、休業保障、農業・漁業被害は風評被害まで含めて、関係自治体や農協・漁協などの産業団体もしっかりと交渉をしてほしい。特に海については研究者がきちんとしたデーターを取っておいてほしいものだ。
もう1つ、屋内退避というのは1カ月もできるものではない。生活をして行く上で外に出ないで済むという訳にはいかない。医者通いが欠かせない人もあるだろうし、逆に訪問介護が必要な人もあるだろう。子供達は学校や幼稚園・保育園に通うだろうし、大人は仕事がある。商店は物流が滞っては困るだろうし、各家庭も買い物をしないで暮らせる期間は限られている。(特に地震で電気がダメで冷蔵庫が使えなければなおさら)
屋内退避はせいぜいが48時間、その間に国と県が対象の市町村の支援をして退避先の生活の場と移動手段を確保しなければならなかったはずだ。行政に関してはインターネットが活躍をしてくれれば避難先がいくつかに分かれても統制は取れるはずで、似た産業のある所、家畜などはともに避難できる所を探すなど本来ならばやるべきであった。訳の分からない混乱の元凶はここにあると見ている。
東海地震で浜岡が危なくなったら静岡県の担当者には是非きちんとやってほしいものだ。
11/4/11
夕方、余震でM7!それもわずかな時間に次々とやって来る。最大震度が6弱だそうだから、福島から茨木の震源地に近い方々は大変だろうと思う。今までさほど大きな被害が聞こえて来なかった山間部でも地盤が緩んでいるだろうし、また大きな被害が出なければ良いのだが。
とにかく、3/11の東日本大震災から1月が経過した。
地震・津波被害地域に関しては陸上での遺体の捜索もほぼ終わり、瓦礫の片付けや仮設住宅の建設・入居も始まった。しかし、山が海まで迫っているリアス式海岸の平地が被災をし、仮設住宅の建設場所も限られて大変なようだ。阪神の時はしばらくの間、客船を利用しなかっただろうか。
また、役場などの地域の拠点が流されてしまった所は様々なデーターも無くなり復元が大変だと思う。
さらに港・空港・駅など物流拠点の破壊も大きい。人と物が動けなくては復興拠点が作れない。
他にも色々とあるのだろうが、とにかく地道に順番に取り組んでいけば復興の第1歩を踏み出したと言って良いだろう。
当分の間、被災して本業のできない人々があるので国や県が復興事業に雇い上げ、とにかく給料で食べて行ける状況を作るのが次の段階だろう。
そして、ここまでの反省点というか東海地震が来た時にはこうしたいという点がいくつか見つかった。
まず、慢性病などで入院している患者さん・介護度の付いている高齢者の方・体調に不安のある障害者の方をなるべく早く被災地外に後送して受け入れてもらう。できれば施設ごとに介護士さんなどが何人か付いて行ってもらえればなおいい。妊婦さんや乳幼児を連れたお母さんもなるべく被災地から離れてもらう。避難所での2次被害を防ぎ、イモ洗い状態で足も延ばせないという状態は回避したい。しかし、そのためには日ごろから遠方の自治体(地域によっては韓国・中国・台湾・ロシアなどとも)と友好的な交流を続けていなければならない。
次に、食料・水・燃料などについては色々なケースを想定して、地域で備蓄をする事も必要だろう。その中には公民館などに地域の菜園を作っておくなどというものも含まれて良い。高齢者や乳児には乾パンやおむすびは食べにくい。それならば米と水で備蓄をした方がまだ活用法があるかもしれない。出来れば公園などに井戸を掘っておく(水質検査もしておこう)というのもいざという時の助けになるかもしれない。
そして、被災後はしばらく色々な状況で仕事が出来なくなる人も多い。これも広域で同じ職種のネットワークを作り、復興への手助けとともに復興までの間は他地域での仕事のあっせんなど、同じ仕事をしているからできる事もあるのではないだろうか。
大きな余震が続くと次はこちらに来るのではないかという不安もある。出来る事から取り掛かりたいところだが、ちと話が広がり過ぎて個人でできる事はあまりないかもしれない。
11/4/9
やはりというべきか、原発被災地の放射能汚染で農地が作付けできそうにない所がかなりありそうだ。仮に今の時点で作付けをしても収穫期にどうなるかという不安もある。
東北はすでに苗代の準備が始まる季節、植物は人間の事情を待ってはくれない。津波被災地も田圃の上に海からの砂やヘドロさらには流されたもろもろの物が積み重なって農地として再生するまでに何年かがかかるだろう。穀倉地帯だけにこの秋の米の状況が気にかかる。
11/4/8
ようやく東日本震災の義捐金配分が決まったようだ。かなりの金額が集まったというが、死亡・行方不明者に35万円、建物の全壊・原発の避難地区の建物についても35万円だそうだ。意外と少ないと思ったのは私だけだろうか。生き残った家族がかろうじて1月暮らせるかどうか、アパートにでも入ろうと思ったら準備金だけで吹っ飛んでしまう金額だ。
もっとも仮設住宅に入れる電化製品(冷蔵庫や洗濯機など)にも使われるそうだし、被災者の多さを考えるといくらお金が集まっても焼け石に水なのかもしれない。
さらに放射能被害による漁業・農業が出来ないという被害に対する生活保障も東電の賠償以外にも必要だろう。なぜなら彼らはその場で復興を目指そうと言う人が大部分だろうし、安全な状況になるまで生きていかなければならないのだから。しかも、この被害範囲は風向きや海流によってかなり広がるかもしれない。
実は全民児連で見舞金を集めて被災地の民児委員さんに渡したいという話の賛否が喧々諤々と行われている。会費の中から慶弔金を予算化しているのだからそれで良いだろうというものから、今回は自分も被災をして大変な中で地域の災害弱者の皆さんのために頑張っているのだから支援をしたいというものまで色々な意見がある。
しかし、この義捐金配分の状況をみると、どうせ集めるのならばあえて仲間の民児委員さん宛ではなく、そのまま赤十字などの義捐金にという意見の納得できるし、逆に被災された民児協なり社協なりへの活動資金の足しとしての見舞いとして出すという選択肢もあるのではないかと思う。
ただ、あちらで取られ、こちらで取られ感があるのも確かで、無理をするよりもできる所でできる活動をという基本にかえるのではないかとも思う。
そして地震で吹っ飛んでしまったわけではないと思われる(ニュースが来ないと忘れられてしまう)宮崎での鳥インフルエンザや火山活動、東北の余震のような形で襲った長野や富士宮の地震被害、国内だけでも全国で色々な思いをかかえている人達が居る事を忘れてはいけないと思う。
11/4/7
今年は桜の開花が遅い。
早咲きの品種が増えて、年が代わってじきに桜の話題になったが、ソメイヨシノに関してはこちらではまだ3分咲き。しかも本来ならソメイヨシノという1本から増やされているクローンなので一斉に咲くはずだ。吉原の春を彩る桜並木の鉢植えのために作られた品種だそうで、開花をそろえて花がパッと咲いた所で持ち込んだらしい。これが今年は木によって開花がばらついている。
節電のため花見自粛を言いだした人がいたが、本来夜桜など邪道、サクラをめでる宴は昼間でなくてはいけない。サクラとは山から稲霊様を連れてくる使いであり、秋の豊作を予祝するものだった。パッとにぎにぎしく咲いてもらい秋の豊作を祈る行事だ。農家の人々にとっては「さあ忙しくなるぞ」という節目でもあった。
自然災害に原発事故という人災、さらに天候不順、世界を見回してもきな臭い現在、米をはじめ食料をたくさん作る必要がある時、花見は必要だと思う。
11/4/5
これだけ原発事故による放射能汚染に打つ手がないと、もう原発はごめんだという気になる。しかし、電気の無い生活が出来るかというとそうもいかないだろう。
こうなれば発電の方法について発想を転換するしかない。まず、電気を使う建物という建物、できれば街路灯にも太陽光発電でも風力発電でも自前の発電装置を付ける。それぞれの建物で発電された電気はまずその建物で使う、余剰分は売り、不足分は買う。月間でのプラスマイナスで売る方が多ければ代金が入るし、買う方が多ければ料金を払う。電力会社は発電とともに個々に発電された余剰電力を買い取り蓄電する設備を作る。送電線については政府が責任を持って国内全体を一元管理する。
ここはヘルツが違うので今回東電に振り回されなかったが、やはり小さな国で不合理なシステムだと思う。
不況だ災害だと言っている間に、これをてこに大きな改革と今世紀を見通した長期ビジョンを考えるべきだと思う。
それとは別に海への放射能汚染は、国内問題ではなく国際問題だと思うのだが、ちゃんと対応はできているのだろうか。
11/4/4
東日本震災は大きな災害だし、福島第1原発も予断を許さない状況が続いている。
しかし、とにかくローカルニュースの割合が少ない。これは民放・NHKともにの事だが、県議会議員選真っ最中のはずだが、候補者の政策どころか顔も分からない。これでどうやって候補者を選べば良いのだという情報の少なさだ。
被災した浦安市が選挙に人を割くほどの職員がいないと選挙に手を割けないまま県会議員選挙に突入したようだが、市民にとっての状況はこちらも似たようなものだ。市の職員の手の空き具合が少し余裕がある位だと思うが、それでも行政協力で東北の被災地に職員を助っ人に送っている。
こんな時に選挙などは半年も先送りをして災害復旧等に全国から手を貸した方が良くはないだろうか。特に政治家を自任している人は福島の原発事故現場、太平洋岸一帯の津波被害現場を1ボランティアとして1月ほどもしっかりと身を置いて、今後の政策をしっかりと考えて欲しいものだ。
11/4/1
どさくさの間に新年度が始まった。
そして、県議会議員選挙も始まった。誰がやったらどう変わるのかと大上段から問いかけたいところだが、争点も含めて特に何もなさそうだ。大都市以外の所では如何に住んでくれる若い人を呼ぶかというテーマは大きいと思うのだが、どうだろうか。
もう1つ、浜岡原発に対してどういうスタンスを取るかもチェックしておきたい。