ちょっとした感想   

11/5/31

   今年は中部地方は早々と5/27に梅雨に入ってしまった。しかも律儀に梅雨空が続いている。
   米作りと雨は仲良しの関係だ。歳時記を見て行くと雨の名前が多い。特に田植えから出穂にかけて日照量とともに水が重要な役割を果たす。
   そして、田が存在をするからこそ弥生時代以来、雨が多く急峻な狭い国土が流されないシステムになっている事をもう1度意識したいと思う。

11/5/30

   君が代訴訟がまだ続いていたとは知らなかった。
   最高裁で「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初判断を示したそうだ。この裁判の場合、原告が退職を前に非常勤職員としての再雇用を都教委に申し込んだが不合格となった事が裁量権の乱用かどうかが主な争いだったようだ。
   このての争いでいつも思うのは、あなたの代案はどういうものなのだという事だ。
   たとえばこの場合日本が1つの国だとすれば、他国同様に国歌がある事は普通だと思われる。現在の国歌に共感できないというのなら、自らの提案により多くの人が共感をしてくれるかどうかを争うべきだと思う。自国について気に入らないというのならば、1人の責任ある国民として代案を出すべきだ。
   気に入らない他国といえどもセレモニーの場ではそれなりに尊重される。教育の場でセレモニーの意義を壊すことには賛成しがたい。
   現在の政治状況も同じで、政治家がワイワイ騒いでいるわりには、菅総理を下ろして次が誰になっても総理に期待が持てない。代案と誰がそれをやるかを明確にしてからにしてほしいものだ。

11/5/29

   以前は大手検索で『DORAおばさん家』で探せたので、「家のホームページ、検索からでも出るよ」と言っていたのだが、やってみたら大手検索では引っ掛からなかった。『金光教十勝教会』『どんちゃんのおもちゃ箱』ブログから引っ掛かってくれるが、リンクしているのは以前のURL。
   かろうじて『DORAおばさんの住む所』が引っ掛かったが、アルバムと『農大リンクニュース』で利用しているYahoo!の検索で引っ掛からないというのはいささか失礼だと思うのだが…。

11/5/28

   大学を卒業してから35年(らしい)。ひょんなことから学科の同期会をしようよという話が持ちあがったのが昨年の夏前だったような気がする。
   「男の人達が同期会をしようって集まったけど、あまり人数が集まらなかったから女子もどうかって近くの人が言ってきた」とMさんから電話をもらって、名簿ならあるけど皆に連絡をとる余裕はないよと名簿のコピーを回したら、幹事を引き受けてくれる人がいて、本日は男女合わせて36名が集まった。カレッジソングのごとく北は北海道、南は九州と各地から東京まで集まってくれたわけだ。
   「もう定年」という人から、「農家に定年はない!」という人まで、すでに何人かのお孫さんのいる人もいる。
   初めは男女バラバラに固まっていたのがいつの間にか混ぜ合わされ、近況を話す人、当時の思い出を語る人、来なかった人の消息など色々な話が出た。
   当時、女子は十数名しか居なかったので旧姓が出れば「ああ!」と思い出してくれる人が多かったが、男子は申し訳ないが私は出席番号が近い人以外は学生時代からほとんど覚えておらず、しかも皆さん貫禄が付いてしまいほとんど初対面感覚だったが、同じ時代に同じ場所に居たという共通項は懐かしさを感じるものだった。

11/5/25

   半月以上遅れで植え木の散髪を行っている。前日から雨でない、風が強くない、出かける用事がないの3つがそろわないとなかなかできないので、ズルズルと予定が後ろに下がって来ている。
   ようやく松の緑摘みを終え、今年はあまり咲かなかったツツジの形を整え、育ち過ぎた南天とオオムラサキの古い枝をバッサリと切り、昨夏に蔓草に絞め殺されかけた椿の枝を整え、サザンカの伸び過ぎた枝先を詰めた。
   まだ、槙の木と藤、道路まで乗り出している蝋梅の大枝を切る大仕事が残っている。そして草取りやらランの鉢替えやら草花の手入れやらと嫌いではないのだが、延々と続くのに時間が取れるかはなはだ不安である。
   今まで剪定と花壇の花の計画以外の庭仕事は運動も兼ねて父任せでいたので、父の好みが強く出ているのだが、そろそろ私流に変えても良いのではないかとは思っているのだが…。

11/5/22

   今年に入ってからゴミ出しのルールが守られなくなっている。
   私が忙しいと放ったままというのはあるが、出す日を守らないでカラスがつつく、出してはいけない缶やペットボトルが出ていると次々にやらかしてくれる。環自協さんが生まじめなのか、片付けてくれるので「ありゃ」と思ってもきれいになっているのだが、結果としてルール違反をする人にとってはいくら張り紙をしても身に沁みない。痛し痒しといったところだが、なかなか良いアイデアが出ない。

11/5/20

   電力不足が大ニュースなのに、まだオール電化の営業電話がかかって来る。以前から「浜岡原発を全部なくしたら考える」(中部電力の持っている原発はここだけなので)と言っているのだが、基本的には断り口上で、1つのものに過重な寄りかかりをするのは私のポリシーに反する。
   調理や給湯はガスが主力だが、炊飯器は電気(たくさん炊かないし)、電子レンジやトースターも活躍する。卓上コンロのガスボンベもあるし、火鉢はもちろん炭を使う。
   そして基本的には余計な電気はあまり使いたくない。我が家は夏対策に力を入れて建てたので夏は窓を開ければ風が十分通る作りになっている。軒も深めなので夏の強い日差し対策は西側だけで、目の前が道路でその対策も兼ねて1年中ヨシズで覆っている。人が来るかよほど暑くてTANUKIが騒ぎださない限りエアコンは入れない。
   正直言って窓も開かない、エアコンを使わなければ住めないような人工的な環境により集まって住む事をやめれば過疎対策にもなるし節電にもなるのでもっと広々と住む政策を出せば良いのにと思う。地球の気候は特に日本の気候など人工的に調整をしなければ住めない気候ではないはずだ。
   しかし一方、公共交通機関に頼っているのは学生を除けば高齢者が多い。鉄道の駅構内を高齢者や障害者が使いやすくする、ダイヤや乗り継ぎを便利にするなどの部分に電力が必要ならケチる事はしてほしくない。

11/5/19

   3日坊主よりは続いたが、感想を毎日書くにはかなりセンサーが高くないと続かない。もう1つ物理的な時間がある程度なければ書ききれない。11日から16日まで、色々な用事があったので、「書く」という事では『今日のお仕事』『農大リンクニュース』の方にまわってしまった。
   そして本日は天気も良い事で島田のばらの丘公園までカメラを持って足を伸ばした。
   デジカメをかかえてこの公園のバラに毎年会いに来るようになって、カメラは3代目になった。初めは普通のカメラの癖が残っていて構図を考えながら撮っていたが、だんだん切り抜けば良いやと構図よりは情報が取り込める広めの写真を撮るようになっていた。それが今度のカメラに変わってまた気分が代わってきた。資料としてより写真を撮りたいという気分になってきたのだ。
   だからといって腕が上がったわけではなく、相変わらず何を撮りたかったのかあいまいなものが多いが、道楽なのだから気分を変えてまた写真を撮る事を楽しみたい。

11/5/11

   東日本大震災から2月が経った。まだまだ津波の傷跡は大きいし、いまだに行方不明者の捜索も行われている。
   そして、まだまだ多くの方々が避難所で暮らし続けている。今回は津波でさらわれた所しか平地がないなど仮設住宅の建設も困難な所が多いようだ。もちろん電気・ガス・上下水道などのライフラインは仮設とはいえ無くて済むという訳にはいかず、それがより建設を困難にしているようだ。
   それならば海に近い被災地が多い今回、大型客船の何隻かも借り受けて仮設住宅代わりに使い、土地は復興に向けての恒久的な建物を建てる事を考えても良いのではないだろうか。千年に1度の今回のような津波を想定したら住む所が無くなるだろうが、土地利用計画をきちんと立て、災害時の逃げ場とそこへのルートをきちんと作り、将来設計を描いた方が被災者の気持ちの上でも上を向かないだろうか。
   失業した人にはそこから災害復旧の仕事に通ってもらえば良い。
   また、今回の津波にあった農地は復旧まで時間がかかるだろうが、耕作放棄地は全国にかなり広くある。とりあえず失業対策を兼ねてこれまで農業をしていた方々に野菜・米・畜産など今までやってきた仕事が出来る所に期限を決めて入ってもらったらどうなのだろうか。期限後に元の土地に帰るかそこに留まるために農地の買い取りをするかなど国が間に入って行えば良い。
   とにかくもう今は落ち着いて住む場所と生活のできる仕事をあっせんする事が国や自治体など行政の仕事ではないだろうか。

11/5/9

   浜岡原発はとりあえず全面停止という事になった。まずは安全第1、考える余裕があまりない中での決断はかえって良かったのではないだろうか。そしてここから将来について会社の総力を挙げて考えて欲しいし、政府も将来のエネルギー政策についてじっくりと考えて欲しい。

11/5/8

   食中毒と原発の日替わりというのもどうかと思うが、浜岡原発は菅総理のあまりに唐突な全面停止のお願いで細かな対応に苦労しているようだ。
   しかし、そのほとんどが事前に相談がなかったというようなもので、中電自身は浜岡を停めた場合の発電量の対応など事前対応の時間が欲しかっただろうが、他についてはほとんどメンツの問題で、そんな事に気をまわしていたらできない決断だと思う。
   御前崎市などは市の予算のかなりの部分を原発に頼っているし、原発で働いている人も多いだろうが、すべてを廃炉にするとしても1年・2年でできるようなものではないようだし、まず、運転を停止して今回のような巨大地震にも大丈夫なように備えよという事で、そのまま放りだすという決定ではない。
   まず運転を止めて、安全対策を行う中で、この地域の今後のありようや国のエネルギー政策についても長期の事を考えていけばそれで良いのではないかと思う。
   私としては地盤の危ない所に残してほしくはないが、廃炉になるとしても多分私の生きている内に終わるかどうかという長いスパンが必要なものなのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。

11/5/7

   ふたたび焼き肉店のユッケ食中毒について。
   その後、成人女性2人が亡くなり、102人が発症、まだ重症の方が何人もおられるようだ。
   ところでこの焼き肉屋のユッケ、\280だそうだ。当然店の設備費や人件費が入って損のない値段のはずだ。ここに来るまでに肉の加工業者・卸業者・牛の生産者がいるはずだ。理論的にはこのひと皿からそれだけの人達が儲けを得る事になっている。どこからが国内の仕事か分からないが、『値段相応』という事を考えると、さほどまで手間暇をかけられないのではないかと思う。
   食べる側もそれは心得ておかなければならないのではないかと思った次第だ。

11/5/6

   政府が浜岡原発のすべての原子炉停止を中部電力に要請したようだ。今のところ中電は返事を保留しているようだが、福島第1の事故以来「危険だ」と言われ続けてようやくここまで来たというところだろうか。
   福島が収まりきらないうちに浜岡がコケたら、東京が危ないと誰かが本気で思ったのかもしれない。爆発時はともかく、放射能がある限り気流や風向きで均一でなく放射性物質は広がるし、首都圏は挟み撃ちとなる。
   先はまだ見えないが、東海地震が来るまでにリスクは少しでも減らしてほしいものだ。

11/5/5

   昨日、市内で児童虐待のニュース。2歳児を2Fから突き落としたので立派な虐待だが、常習的なものではなく子供も軽症で済んだそうだ。そんな訳で細かい情報はマスコミから出ている以上のものはないが、気になるニュースではある。
   今ちょうど『源氏物語 九つの変奏』(新潮文庫)を読んでいる。9人の作家が源氏物語の中の1帖を自分流に書いているのだが、ほぼ現代語訳にしているだけのものから、主題だけを取って書き換えているものまであり、なかなか面白い。
   その中の1人、金原ひとみさんが『葵』を現代の出産にまつわるストーリーに作っている。彼女の作品は他に読んでいないので、元の源氏がどれだけ影響を与えているのか分からないが、現代の母の不安をよくあらわしているように思う。
   母と子の一体化と分離のそれぞれの不安のストーリー、現実の中にも濃密過ぎる関係に絡め取られて感情の処理がうまくいかない人は多いのかもしれない。

11/5/4

   家にいるとテレビの前にころがったまま動かないTANUKIにも困ったものなので、とりあえず縦にしてドライブに出かけた。
   高速道路は冗談じゃない、という訳で、今日はR150からR52を北上するコース。「ドライブだからね!(目的地はない)」と強調して、9時過ぎに出発。
   何の気なしで行き馴れたコースを選んでしまったのだが、イチゴの季節もそろそろ終わりなのにイチゴロードが混んでいる…。もちろんまだイチゴ狩りもやっているが、国宝指定とお江さんの御利益か車の列は久能山東照宮へ。若葉の頃とはいえ、こちら側から歩いて登るのはかなり大変だと思うのだが…。
   ようやく渋滞を抜けて海を見ながら気持ち良く車を走らせて、清水の街中へと向かったとたんにまた渋滞。今度は新しい大型店がオープンしたようで、かなり広い範囲でガードマンが車やお客さんの誘導に忙しく動いていた。
   後はまあまあの流れの中、ただしR52に入ってしばらく進むと未来都市風に頭上に作りかけの道路。走っている道も広く明るくなっているように感じられる。
   たっぷりの若葉と花盛りの野生の藤を期待してこの道を選んだのだが、なかなか出て来ない。しかし、車を進めるうちにあちらこちらの山の中にうす紫がみえてくる。藤はつる性なので周りの木に絡まって広がって行き、この季節は思いっきり花をつけて装っている。花はやさしいが生命力は強い。家々のツツジの鮮やかな花色や茶畑の緑も美しい。斜面の所々に見えるのはタニウツギだろうか、赤い花がついているようだった。
   富沢の道の駅は駐車場が満杯で入れず、相又のドライブインは閉鎖されたまま、「どこで食事をしようか」という時間になり身延のゆばの里でお昼。団体さんが入るようで、お昼前なのにもう食堂は順番待ち。それでも後が詰まっているとなればあまり長居もできず、それなりに回転をしていた。せっかくなので清流と銘打った湯葉ずくしの定食を食べる。竹の子ご飯とうどんやゆばの入った豆乳鍋、生姜のきいたすまし汁、茶碗蒸し、湯葉刺しと湯葉の田楽風、さらに白和えの和え衣だけのようなもの、ヤマメの甘露煮や杏仁豆腐のデザートもあってお腹一杯に。おみやげはやはり湯葉かなぁと買ってきたので夜も湯葉の煮物。私は大豆のアレルギーリスクを持っているのだが、ちまちまと食べたぐらいでは大丈夫のようだ。
   ここでUターンをして家に戻って3時前、ちょっとした気晴らしドライブ、もしくはずいぶん遠くまでお昼を食べに出た1日だった。

11/5/3

   焼き肉店でユッケ(牛の生肉)の食中毒により幼児2人の死者が出た。店の場所は違うのだが同じ系列店だそうで、その後また別の店でも同じ食中毒が出たようだ。
   牛肉には寄生虫が付かないので生でも大丈夫という先入観があったが、食中毒を起こす大腸菌(O-111)によるものだそうだ。
   店の衛生管理云々の報道が多いが、多分大きな形で買い入れて系列店にまわしているのだろうから、肉そのものの問題がなかったか、どの加工時点で菌が付着をしたのかをきっちり追跡調査しておいた方が良い。
   しかし、牛肉を生で食べられる形での流通はしていないという建前の方にちょっと驚いた。ユッケは韓国料理だが、日本でも牛刺しで食べるし、スーパーでも生食を前提にして刺身用として売っている。
   食文化というものはそう簡単に変わらないので、今回のケースをきちんと追跡する事で、どう管理をすれば生でも安全かを考えた方が良いと思う。
   しかし、亡くなったのがどちらも小さな子供というのはちょっとした驚きで、「消化が悪い」と親がセーブしなかったのだろうか。
   大人が美味しいと思っても子供にはあまり食べさせない物にはそれなりの理由がある。主に脂がきつかったり、アクがきつかったりで消化が悪かいものだが、食のしつけというものは食事の作法だけでなく何をどう食べるかの食文化を伝えるものでもあるはずなのだが。

11/5/2

   浜岡原発は危ないという報道がマスコミからも出てくるようになった。
   何と言っても東海大地震が起こるという真っただ中に建っている。しかも海のそば。しかもこの地域、まだ東海地震が来たわけでもないのに毎年の計測で数センチ単位で動いている。ゆるぎない大地ではなくすでに揺らいでいる大地なのだ。
   さすがにこの度の福島原発の事故で津波対策を強化したようだが、津波からの被害には備えられても、建屋が地割れや隆起・沈下などに見舞われた時の備えはどうだろうか。元々砂丘の側だし、今回の東日本大震災でも各地で液状化によりマンホールが1m近く浮き上がったりしていたので荒唐無稽の事ではない。建屋が傾いたり崩れたりの対応も地震が来る前に考えておいてもらいたい。
   そして、耐用年数を過ぎたものは速やかに廃棄にしてほしい。それだけの年限が経っているというだけではなく、そこから今日までの技術の進歩や事故を糧としての技術革新や改良は当然行われているはずで、技術の分野では新しい物の方が信頼性は高いはずだ。
   国土が残り、霞が関は生き残っても住民は生き延びられないのでは国家とは何かの根本を問い直す事から始めなければならない。ついでに放射線のリスクは今すぐではなくても後から来る。妊婦さんや乳幼児・子供達、さらにはこれから親となる若者達を今保護しなければ、人口減少と子供や若者のガンなどの疾患による医療費の増加は必ず来ると私は思っている。

11/5/1

   朝、しばらくぶりでひどい鼻血を出した。
   実は子供の頃から鼻血とはお付き合いが深くて、ちょっとやそっとでは驚かない。
   以前は全く粘性のない血が鼻からツッーーとたれてきて、下手をすれば1時間位止まらなかったのだが、ここ数年はもっと粘り気があるおかげで鼻の中がおかしいなと思ってかんで見ると鼻血だったというパターンになってきた。しかし、止まらない事は昔と変わらずで、むずむずしてきてかめば血、うっかり吸ってしまえば喉に廻りこんでくるという始末。気持ちが悪いし気分も落ち込む。
   子供の頃も若い頃も原因は不明のまま、ただ、年をとってきたのでいささかの不安はある。というのも、母方の曽祖母が高血圧で、洗面器一杯の鼻血を出したおかげで脳卒中にならずに済んだという話を聞いているからだ。
   だからといってタイミング良く鼻血の出た時に医者(何科に行けばいいのだ?)に行けるとは限らない。

4月    6月