11/6/30
あっという間に今年も半年が過ぎた。今年の前半はものすごく早く過ぎたような気がする。
6月の晦日を夏越の祓いという。この半年の無事を喜び次の半年の無事を祈る。
大地は揺れ動き、今年も6月から炎暑、さらには福島の原発事故は終息の見通しも立たない。それでも身の回りの喜び・怒り・悲しみなどの中で我々は生きている。
11/6/28
小笠原諸島が自然遺産となったのとともに平泉が歴史遺産となった。
平泉といえばずいぶん前のNHK大河ドラマ『炎立つ』を思い出す。もっとも原作は読んだがテレビは見なかったのだが…。
奥州の前九年の役・後三年の役さらに奥州藤原氏滅亡までの150年位をテーマにしたドラマだった。表向きは。
差別との闘い、民が主となる国とは何か、そこにあるテーマは重い。
そして今、東日本大震災、これは自然災害だから仕方がないが、福島の原発事故は人災であり、このドラマの続きである。
政治の形態ではなく、人が人として幸せに生きる形がこの国に作られるだろうか。
11/6/22
福島第1原発の汚染水の処理が進んでいない。東北地方まで梅雨入りをしたので冷却のための水の他に雨水も溜まってくると思うと暢気にはしていられない。
処理機はアメリカとフランスの会社のものだというが、始まった途端に故障してしまった。彼らにとっては福島の現場は良い実験場でしかないのではないか。所詮、遠くに住んでいる人々にとっては対岸の火事でしかない。
そもそも原発を推進してきた自民党政権は、事故が起こった時の処理法も考えていなかったのだろうか。
国内の研究施設でもどこかで何かがやっているのを願いたい。海辺の事故現場から四方を海に取り囲まれた細身の日本の周りに高濃度の放射性物質があふれる恐怖と本気で戦うためにはそこに住んでいるというファクターは大きいと思う。
11/6/20
『日本国憲法前文 お国ことば訳 わいわいニャンニャン版』という本がある。元々はブログから出発し、岩合光昭さんがネコ写真を入れて本になっている。
日本国憲法の前文を各県・各地の方言で表したらどうなるかという企画なのだが、これが面白い。
私にとってのなじみ深さと迫力から、ここに広島弁で初めの一部を再現させてもらいたい。
わしら日本人はのぉ、主権はわしら国民にあるんじゃ言うて宣言してからに、この憲法を決めたんじゃ。日本の国民はのぉ、ちゃんとした選挙で選んだ国会の代表のもんを通して行動して、わしらとわしらの子供やら孫の為に、国民全体の自由平等というもんを確保して、いろんな国のもんらとも仲よう助けおうていかにゃあいけん。政府のカバチタレが引き起こす戦争みてぇなイビセーむげぇことやピカドンなんか二度とわしらは経験しとう無いけんのぉ。だいたいが国の政治いうもんは、わしら国民が選んだ代表者を信用して任せとるもんじゃけん、その権威は元来わしら国民のもんじゃし、その権力を使うのは国民の代表として使わにゃいけん。それによって生まれた幸福やら利益はわしら国民が受け取るものじゃ。 (以下略)
もう1つ、福島の中通り言葉で
おっかねぇめさあったり、 |
参考 日本国憲法前文
11/6/19
梅雨らしい曇り空から時々雨つぶが落ちてくる。
早めのお昼を食べて森町までアジサイを見に行く。
R1は緑が濃い。田は稲が育ってきて青々とし、茶畑もまた緑が濃くなっている。水量の細い大井川も梅雨時でいくぶん勢いよく水が走っている。
アジサイ寺はバスで来ているお客さんもあってにぎやか。ただ、花は桜のように一気に満開というものでもないので、圧倒されるほどではない。しかし、色々な品種がそろっていて色とりどりなので楽しめる。洋種の鮮やかな花色のものと白が流行りのようでしっとりした情緒よりは色鮮やかな華やかさが勝っている気はするが…。
そうはいっても毎年来て毎年感動できるだけの感性がなくなってきているようなので、来年のアジサイ見物も河岸を変えてみようかと思う。
11/6/18
夜、主任児童委員の相棒さんが参加するピアノコンサートへ地区の民児委員のお2人と一緒に出かけた。仕事付き合いでは出かけるが私的なお付き合いでご一緒するのは初めて。そういえば日が落ちてから静岡の町を歩くのも久しぶりだった。
大学の同門の皆さんで毎年行われているコンサートだそうだが、演奏する人とサポートに回る人に分かれ、毎年演奏をするわけではないようで、このコンサートへのお誘いも2度目だった。
今回のテーマは『映像を彩るクラシック』だそうで、コマーシャルや映画・ドラマなどでよく流れる曲、フィギュアスケートで使われる曲などが集められたようだった。そんな訳でタイトルは知らなくてもメロディの1部などは聞いたことがあるものが多かった。
前の方に座ったせいか、それとも曲想なのか、または皆さんの先生のお仕込なのか、かなり強い音を意識的に出してメリハリを付けて弾かれる方が多かった。
相棒さんは連弾で『くるみ割り人形』の中の「葦笛の踊り」と『死の舞踏』を弾いた。「葦笛の踊り」は軽やかに楽しげに、『死の舞踏』はドラマチックに弾き分けられていてなかなか楽しかった。
合間に簡単な解説も入ったが、8組10名で1曲から数曲を弾かれ、音のシャワーを浴びて元気をもらった2時間だった。
11/6/14
イタリアの国民投票で反原発が決まったようだ。正確には原発再開の是非を問う国民投票で、投票率が50%を越えなければ成立しないので、投票率がどうなるのかに注目が集まっていたようだ。
ベルルスコーニ主相は早々と「イタリアはおそらく原発計画と決別し、再生可能なエネルギー分野の開発に取り組む必要があるだろう」と原発再開断念の意向を表明したそうだ。元々原発再開派で色々とスキャンダルもある人だが、この問題に対しての政治家としての決断は早かった。
11/6/12
東日本大震災から3月が過ぎた。マスコミはこぞって何もできていないと批判をしているが、そうだろうか。
少なくとも自衛隊をはじめ警察や消防団など多くの人達によって亡くなられた人達の捜索がすすめられ、多くの方の死亡が確認され埋葬された。その際はお坊さん方も各地から集まり供養をされてきたたようだ。各地の避難所も何もない状態から少なくとも人が暮らせる秩序を作りだした。仮設住宅に入った方、被災された自宅を何とか住めるようにして暮らし始めた方もいる。その際にも仮設住宅を作るためには多くの建設関係者が入っているはずだし、自宅を片付けるお手伝いのボランティアも高校生や大学生などの若い皆さんを含め活躍をされている。物流に関してもプロの宅配業者さん、バイク愛好家たちのバイク便、もちろん自衛隊や米軍の輸送隊。そして全国からの医療関係者も初期治療にあたったし、各地から入った保健師さんも避難所や家庭訪問をして被災者の健康管理に当たっている。各地の自治体からの応援も息の長い支援を考えておられるようだ。さらにうれしいのは後回しにされる獣医さんやボランティアによるペットの保護も始まっている。
全国からの義捐金もかなりの金額が集まったはずだ。大金持ちの孫さんのようにはいかないが、私も自治会・民児協それぞれの募金でわずかずつ出したし、被災された民児委員さんのお見舞い金として集められた民児協の募金にも応じた。また、友人のキノコハウスが行っている被災地におかゆ缶詰を届ける運動にも僅かばかりだが支援金の形で応援をした。さらに石巻に猫島(田代島)という島があり、多くの猫達とともに津波の被災にあった事、本来の島の産業がカキの養殖でありそれがすべてダメになってしまったが、有志から資金を集め復興を期している事を知ってこれにも応じる事にした。
この田代島については、この数年前から後継者不足で先細りだったカキの養殖に後継者を募り引継ぎ中だった事、その間に多くいる猫が観光資源となり観光客が増えて島の活性化につなげようとしていた矢先での津波、2度目の立ち上がりが多分この間にやって来た若い島民によって行われている事に共感を覚える。
さて、マスコミはこの間にどれだけの実効性のある何かを被災地のためにしただろうか。国政はそれ以上にひどいが、地元の皆さんもそれを応援する人々もこの大災害の中で3ヵ月間、よくやっていると思う。
11/6/9
福島第1原発事故は終息の様子も見せない。汚染水をはじめ、土や地震・津波時のがれきなど放射性物質をかぶってしまい処理できない物を抱え込んだままの状況が続いている。
しかも梅雨時、舞い上がり浮遊していた放射性物質が風に乗り雨とともに広範囲を汚染している。確かに米ソをはじめとする各国が地上で核実験を続けていた頃ほどではないかもしれないが、子供達が過ごすのに心配な状況に変わりはない。
この際、移動教室でも交流教室でも良いから、幼稚園や学校単位で西日本以西に疎開をする事を考えたらどうだろうか。原発の状況が落ち着くかどうかはともかく、夏休み明けまで、先生もできれば低学年の子のお母さんや弟妹なども一緒に、受け入れ先は旅館やホテルでも企業の研修施設でも学校の空き教室でも授業が出来、子供達が伸び伸びと遊ぶ事が出来る環境なら良い。
国が指示または勧告をする避難とは本来こういう事で、国、特に文科省と自治省がきちんと段取りを付けるべき仕事ではないのだろうか。緊急時の1日・2日をやり過ごすのならば屋内退避も考えられるが、すでに3月が過ぎているのだから。
11/6/7
今朝の『ほぼにち』で糸井さんがいわゆる命令系統のしっかりしたツリー構造と色々な人が色々な立場から首を突っ込んでくるネットワーク型の対比のような話をしていた。
今、東日本大震災の被災地も福島第1原発事故もツリー型ないしはピラミッド型の体系では身動きが取れなくなっている。これは多分、政権のトップに誰がついても、災害により間にあるものが色々な形で抜け落ちてしまって埋まっていないので仕方のない部分もあると思う。
こんな時こそネットワーク型のそれぞれの得意分野からアプローチしていくというのが良いのだろうが、それをするには日ごろのネットワークがあちらこちらで災害による断線があっても繋がっていなくてはいけない。
地域や親族の繋がり、同窓会など学校や年齢によるつながり、あるいは同じ店の常連さん、趣味によるつながり、同じ病気を持つ人同士のつながりなど、人は仲間を作って暮らしている。
都市化や個人主義が尊ばれる中できめ細かい人のつながりはあまり好まれていないが、さまざまなネットワークの網の目を細かくする事で、今困っている人に何らかの手助けの手が差し伸べられるようにしたいものだ。
11/6/5
政争のゴタゴタの裏で消費税の引き上げが画策されているらしい。
生活保護世帯数が史上最高を示し、今回の災害やそれの余波による倒産などでまだまだ生活困窮者が増えそうな所であまり良い手ではないと思う。
生活費が上がれば生活困窮者も増え、年金の財源が一息ついても同じ福祉支出の生活保護費で予算がひっ迫するどうどうめぐりにはまるだけのような気がする。
ここはドンと腰を据えて、日本国憲法にうたわれている『健康で文化的生活』の定義から始めるべきではないだろうか。
もう1つ気にかかるのが、家族の形が変化している中で夫婦と子供2人の標準家庭主義にまだ陥っている事で、1人1人を自立させ、会社は社員以外の扶養や健康保健にまで手を出す事をやめる、その代わりにパートなど正社員でない雇用についても健康保険や社会保険などについて負担する。生産年齢を過ぎた高齢者は年金、子供については保護者が誰でも子供本人に子供手当を付け、病気等で生活資金が得られない人には生活保護を、さらに障害者など生活が出来るだけの賃金が得られない人については不足分を補てんする生活保護などを付け1人1人が生活について自立する事を考えたら、福祉にかかわるお金の流れもずいぶん通りが良くなるのではないかと思う。
日本の生活保護制度にも矛盾を感じている事はあって、保護を受けるまでは色々とうるさいが、保護がかかるとそのままにされ、働く意欲まで削ぐような制度になっている事でもう少し制度設計を考え直した方が合理的だと思う。
11/6/3
菅総理が政治家とマスコミに人気がないのがこの2日で良く分かった。本人は続投をすると言うのに周り中からいつ辞めると話題にされるのだから大したものだ。政治家としては人誑しが出来ないのは致命的だろう。この人と一緒に何かやりたい!という気持ちを呼び起こす事が出来なければ大きな組織はまとまらない。
一方、我々庶民はここ5年ほど1年代わりの総理大臣ごっこに飽き飽きしている。
そして、日本という国は権力の真ん中は空白である方が良く切りまわしが出来るので、内閣も国会も飾りもので良い。余分な事をしないで歳入不足にかんがみ、今年度の議員歳費を全額復興資金にする法案でも通して地方に資金を丸投げしてしまったらどうだろう。
総理候補が居ない中でマスコミ人が総理の椅子に座らせれば総理はできると無責任な事を言っているが、総理大臣はともかく地方を切りまわせる位の力とアイデアを持つ人はそれぞれの地方に居る事を期待したい。
11/6/2
野党提出の内閣不信任案は与党の圧倒的多数で否決された。が、事前の民主党代議士会で菅総理は「一段落したら若手にバトンタッチをしたい」というような事を言ったようだ。それぞれの聴き手が本人の聞きたいように解釈のできる話だ。
すでに福島原発の問題・東日本の太平洋側をさらっていった津波被害からの復旧・さらにはその中で被災した高齢者や障害者のケア・福島原発から出続けている放射能からいかに次世代を担う子供や若者を守るか・その前に福島原発で作業をする技術者の放射線量を如何に少なく、しかもいかに素早く作業を終了するか、そして忘れてはいけないのが、九州での狂牛病や鳥インフルエンザ・新燃岳噴火などによる経済被害からいかに復興をするか、その両方の影響で沈滞している日本経済をいかに活性化させるか、一生やってもらっても切れ目などない問題をはらんでいる中で、政治家ごっこなどやってもらいたくない。
政治家が永田町でそんなに暇なものならば、それぞれの選挙区に帰って地域の実情を見、対策を言葉にし・そのための活動を開始すべきだ。政治家ごっこよりはよほどエキサイティングで存在意義があるだろうと思われる。
11/6/1
自民党をはじめとする野党が内閣不信任案を出した。小澤さん・鳩山さんをはじめ与党の1部もそれに乗るようだ。
岡目八目ではそんな事をしても総理候補が居ないし、この時期誰がやっても同じだろうし、日本のためにやることは山ほどあってそんな暇はなかろうがと思うのだが、政治家は感覚が違い過ぎるのだろうか。
こうなったら政界で総理大臣のたらいまわしをするよりも選挙をしたらどうだろうか。現職をすべて叩き落としたい気がする。