ちょっとした感想   

11/9/26

   東日本大震災後の復旧がなかなか進まない。福島第1原発はまだ事故収束にも至っていないので仕方がないが、それ以外の所でも地盤沈下のために満潮時には水が入ってきてしまう地域もあるようだ。ここまでは仕方がない。
   しかし、それ以外の所についてはそろそろ復旧から復興へと動いて行くべきではないだろうか。高台移転案などもあるようだが、海と山が接している三陸の地形を考えると1000年に1度の津波の高さにあまりとらわれ過ぎるのもよくないと思う。今回の被災地を見ても土台のしっかりしている高層建築は津波に洗われても立っている。上階に避難所を作るという考え方もあるのではないだろうか。
   ここ数年の日本はどこもかしこも被災地で、立ち上がる力のある人から立ちあがってもらわなければ立ちゆけない。いつまでも動きが取れなければ火事場の馬鹿力は続かない。国などあてにせずにやれる事から着実に取りかかるべきではないだろうか。

11/9/25

   組(と言っても自治会のだが)の年1回の懇親会が夕方から行われた。毎年1回、自治会の運動会の後で行われる。
   引っ越してきた頃に中心で動いていた方達は年を取ったり鬼籍に入ったりし、周りではしゃぎまわっていた子供達もほとんどが結婚をし、次の世代の子供達がその頃の子供達の年代に近づいている。
   我々の話題もついに孫話となり、その代わりに若い世代も移り住んで来て、地域が次の世代につながって行っているのはありがたい。
   少し残念なのは、昔々は公園で大人も子供も一緒になって行っていたのが、今は会場を借りて大人だけの飲み会になってしまっているために、子供達とそのお母さん年代はなかなか会う事がないところだろうか。
   アパートでもないのに30軒近くあり、我が家が端っこのせいもあり、この時会わないと1年会わない人もあるので新しい出来事を色々と聞かせてもらってきた。

11/9/24

   昨日は近所にあるO家の墓に参ったので本日は八王子のT家のお墓参り。TANUKIは医者に行くというので1人で行った。
   慌てて行っても道路が混むだけなので9時過ぎに出発。東名は大丈夫かというほど空いていたが、清水を過ぎた頃からいつもの東名の混み具合になった。充分に流れているけれど2車線どちらもが走行車線として詰まっている。
   御殿場までは1時間と少しで行くのだが、ここから東富士道路までが所々渋滞で気分的に長い。それでも今日はそれほどひどい渋滞はなかったが、自転車が多くて気を使った。
   先で事故渋滞だというので、谷村Pで早めのお昼。お腹が空いていたのでカツカレーにしたが、超大盛り、しかもカツも分厚い上にカレールーにも肉が入っていて食べきれずにギブアップ。
   お腹も一杯になり、渋滞も無くなったようで後はせっせと車を走らせて丁度昼頃に八王子西IC。ところがお彼岸時、このあたりはお寺や墓地の多い所で結構な渋滞をしていた。
   しかし、立ち寄った石屋さんも墓の前の駐車場も昼時のためかすいていた。一族の中で私が1番乗り。という事は嵐に吹き付けられた木の葉などの掃除が必要だという事だが…。きれいになった墓に花と線香を供えてしばし黙とう。線香の点いている間に一山越えた親戚のお墓にご挨拶。間の山道は台風に折り取られた大枝小枝や木の葉がたくさん散らばっていた。こちらはもう皆さんがお参りをしたようで花が立っていた。別の道から戻ると秋の野草がそこかしこに咲いていた。
       
   帰りは同じ道を帰るのも詰まらないので高尾駅の方に降りて相模湖廻りで中央道に乗った。降るわけではないが半端な黒雲を頭上に連れて中央道から東富士道路、東名に入って富士川SAで一休み、日の暮れるのが早くなった気がした。それでも5時には家に到着。車検から帰ってきたばかりの車も調子良く走ってくれた。

11/9/21

   台風15号が静岡県直撃。お昼前あたりから暴風雨。小・中学校ははじめから休校、今日の夕方予定されていた研修会も午前中の段階で中止の連絡が来た。
   しばらくぶりで昼間にやってきた台風、あるだけの雨戸を閉て切って立て篭もっている間に眠くなってしまった。
   あまりの吹き荒れ様に、うっかり玄関を開けるとずぶ濡れになるような状況で、細々した物があちらこちらに飛んでしまったようだが、「木が折れているけど片付けますね」と言われてビックリ。利休梅の上1/3位が折れたようだ。吹き荒れように出て見もせずにお任せしてしまって申し訳なかった。
   この台風は沖縄・九州から始まって日本全域に豪雨を降らせて進みそうだ。これから東日本大震災の被災地、地震で地盤の悪くなっている所で大きな被害が出なければ良いのだが…。

11/9/20

   春の農学同期会の時に、仲良しだった何人かの女子と2次会の約束をしていた。本日、台風を気にしながらTOPPOさんをはじめ4人で遊びに来てくれた。
   家でお昼を食べながらデンと座ってよもやま話。ハッと気が付いた頃には表が薄暗くなっていたが、そろそろ皆それでも何とかなる家庭事情になっている。すでにお孫さんのいる人も1人。
   しかし、昔からあまりプライベートに突っ込まないメンバーばかりが集まったせいもあり、話題は旅や今時の子ども・若者情報など。我々間違いなく農学部農学科なのだが、たまたま今日集まったメンバーが教員だったり、学童保育にかかわっていたり、カウンセリングをやっていたり、仕事で学校などを指導で回っていたり、主任児童委員だったり…。別々の視点から見るというのもまたおもしろいし刺激になった。
   それにしても、これからも連絡を取り合おうよと携帯番号やメールを交換しようという事になって一騒ぎ。私は全くどこを触れば何が出るか分からず、TOPPOさんも「よく使う所以外は知らん」、1人はすでにiPhone、後の2人も扱いなれていた。これだけで30分以上ああでもない、こうでもないと相成った。
   それにしても、話に夢中で1枚も写真を取らなかった…。

11/9/15

   鉢路前経産大臣の発言と辞任について、あちらこちらで検証記事が出始めている。
   やっぱりTPPに消極的な所から切られた感触が濃厚。小学校の学級会のような国会議員とマスコミ記者、これで良いのか。

11/9/13

   静岡県の川勝平太知事が昨日の定例会見で「浜岡原発は使用済み核燃料の処理方法が明確になるまで再稼働させるべきではない」と言ったそうだ。すでに浜岡原発には使用済み核燃料が6625本も保管されているそうだ。
   東海地震が来た時、これら大量の核物質が安全に保管され続ける保証はない。津波では無事でも敷地に液状化が起こるかもしれないし、敷地内に断層もあるそうなのでそのまま海に滑り込む事になるかもしれない。
   安全に対して『絶対』という言葉は思考停止につながる。まず、こちらの宿題を済ませて欲しいものだ。

11/9/10

   野田内閣も早々と鉢呂経産相が舌禍で辞任したようだ。
   福島からの帰り「死の町だった」と感想を述べたり「放射能をつけたぞ」と記者にふざけたり、原発推進をしてきた立場から責任官庁である経産省のトップは東京電力同様に加害者側だと言う事が分かっていない。しかし、その揚げ足取りをして騒いでいる自民党の面々も原発推進をして来て福島第1原発を作ったのも、機械的な耐用年数を過ぎながら使い続ける決定をしたのも自民党政権で、加害者側である事を忘れてもらう訳にはいかない。
   政府及び国会に求められているのはおふざけではなく、いかに早く事故を収束させ後始末を終えて生物が普通に暮らす環境に戻すかである。与党も野党も関係ない。

11/9/8

   台風12号は紀伊半島南部に大きな爪痕を残した。水害と土砂崩れ(山津波)。1度晴れたものの明日からまた天気が崩れ、各地に川がせき止められてできたせき止め湖が決壊する恐れがあるそうだ。
   この台風では100名以上の死者・行方不明者が出た。台風の進路は四国から岡山・鳥取を通って日本海側に抜けて行ったが、その後、東北から北海道でも大雨を降らせている。東日本大震災の復興ばかりを言っているが、今年は日本各地で自然の脅威にさらされており、復旧復興を図らなければならない所はたくさんある。
   今回の被災地はまだ行方不明者の捜索中であり、これでもう何も起こらずに復旧に進めるかも不安な部分があるが、これ以上の被害が起こらない事を祈るばかりだ。

11/9/6

   そろそろ新米の季節がやってくる。食欲の秋到来だが、今年は放射能汚染の心配が加わってくる。
   しかし、放射性物質に関しては危険が無くなるまでに10万年も管理しなければならないとも言われており、人類が最後まで管理できるかどうかも分からない長期間である。それだけでも人類が手を出すべきではないと思われる物を取り出して利用したものの後始末が出来ないままに核のゴミと言われる物が地球上に積みあがっている。
   正常な神経で行っているとはとても思えないが、日本は広島・長崎の原爆被害、そして我々50代・60代はその後の核実験でたっぷりと放射性物質を振りかけられて育った世代だ。その前の世代が戦争で多く亡くなっているのに対して、我々の世代はガンによる死亡が多いような気がするが、全員が同じ年齢で発症するというものでもない。同じ現代でも平均寿命が40歳代に届くかどうかという国もある中では長命である。それが20年・30年経った後の世代の平均寿命が50歳代になったとしても江戸時代から昭和の初めまではそんなものだった。あまりに危険なものは数値が出て廃棄されるだろうから、あまりカリカリしないで、食材はきちんと洗う、メーカーや産地も含めて同じものばかりでなくバラエティのある食材を使うなど当たり前のリスク回避を取って、今を楽しむようにするべきではないのだろうか。

11/9/3

   朝刊に新しい大臣の経歴が出そろった。
   震災復興のためかたまたまなのか、岩手・宮城・福島を選挙区に持つ人が入っている。
   もう1つ、農水大臣以外にも農業とかかわりの深い人が入っている。農林水産業については東日本大震災がクローズアップされるのは仕方がないが、その直前まで九州での口蹄疫と鳥インフルエンザで大変な状況であったのを忘れるわけにはいかない。さらにその後の7月と今回の台風による水害で農業の打撃はかなり大きなものになるのではないだろうか。
   人間食わずに生きらりょか!と『青山ほとり』(大根踊り)でも歌われているように、食の自立が出来なければ独立国とは言えない。さらに、1つの作物を大量に作るプランテーション型の農業は地域の食を守る農業とは異なるものなのではないかと思っている。四季に合わせて地域にある食を得るための農業生産の余剰を出荷する、これこそが日本のような狭い土地を3.000年近くも活用してきた知恵ではないだろうか。
   治山治水こそが大昔から政治家の仕事であるのも、田を中心にしたその上流の山から、下流の沿岸までの水をいかに安全に・有効に利用するかが問われていたからではないだろうか。
   産業である前に国土そのものを守るものとしての農林漁業の活性化をしなければならない。また、第2次・第3次産業で働く人が飽和状態で生活が安定しない人があふれている今、農林水産業でもうけが出て生活が出来る形を作らない限り日本という国の経済の浮揚ははかれないのではないかと思う。

11/9/2

   民主党の野田代表を首班とする泥鰌内閣が成立。閣僚情報と台風情報がテレビの画面上に代わる代わる現れるような騒がしい朝だったが、とにかく新内閣が船出をした。
   代表選で輿石幹事長へのラブコールであったらしい相田みつをの詩から引用した泥鰌がキャッチフレーズになりそうだが、この泥鰌、泥臭いと言うがきれいな田の水に生きる生き物だし、生命力も強い。せいぜいあやかってつまらない政争ではなく仕事をしっかりとしてほしいものだ。
   ここでドジョウと書くとまず土壌に変換される。狭い国土の日本なのだから福島だけでなく原発から飛び散った放射性物質の含まれた土壌の対策からまずやってもらいたいものだ。そのためにはまずお金が必要になる、大臣も役人も政治家も賃金遅配になっても、こちらに先にまわしてほしいものだ。国土に安心して住む場所がなければ生産も上がらなければ税収も上がるはずがない。それを全部福祉の資金や東京電力への賠償請求で賄おうと言う事は議論するまでもなくできないだろう。

11/9/1

   月末からノロノロと台風が近づいてきている。初めの予報では直撃するかなと思っていたのだが、微妙に西にずれてきているようだ。
   しかし、大きい台風のようで、その余波で埼玉・群馬・山口などで水害が起こっている。ここは幸い晴れ・曇り・雨のすべての天気が目まぐるしく変わる1日だったが、何事もなかったようだ。しかし、東名は相変わらず高波で由比が通行止め、富士宮などでは春の地震の余波で土砂災害の警報が出ている。
   そして今日は防災の日、元々関東大震災のあった日で地震防災が主だったが、台風の災害がなるべくなければいいのだが…。

台風は今どのあたり雲奔る   DORA

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