12/5/18
NHKテレビのナビゲーションという番組で、統合失調症を患う親の子供のケアについてやっていた。
『わが家の母はビョーキです』(中村ユキ作)という漫画を中心に話が進められたが、作者のお母さんも作者の幼い頃に発症したようで、その記録が中心テーマのようだ。
また、三重県で始まっている精神障害の親と暮らす親&子どものサポートを考える会に参加する人達の気持ちの変化などについても伝えていた。
データーには出てきにくいのだが、親の精神疾患とネグレクトを中心とする児童待のリンクが気になっていた。専門家や地域による子育て支援の1つとして対応すべきだというまとめをしていたが、まさにその通りだと思う。しかし、対応の難しさもあるので、安易に手を付けられない難しさがある。
12/5/15
沖縄の本土復帰40周年だそうだ。
横田基地のすぐ近くに親戚があるので、沖縄に行った時も違和感をあまり感じなかったのだが、やはり独立国としては異常な基地の広さではないだろうか。
基地問題でギクシャクしてから東シナ海がきな臭いというおまけ付きで、素人にはベストアンサーは考えだせないが、このままで良いと思っているわけではない。
12/5/14
節電の夏とテレビが大騒ぎをし始めた。今年は原発に頼っていた割合が大きい関西電力と経営再建の東京電力の両方が主役のようだ。
原発を稼働させないと電気が足りなくなりますよと恫喝する関西電力も、経営再建のためには電気料の値上げが不可欠ですと胡坐をかく東京電力も、それに振り回されて騒いでいる大臣たちも、この忙しい時に何をやっているのかと思うのだが…。
しかし、元気がない家電メーカーにとってはチャンスではないか。電気は流れっぱなしで蓄電ができないのが1番の問題だと言われている。しかし、パソコンをはじめ急な電源のシャットダウンに対応する蓄電技術の基礎はできているわけだ。それを家庭サイズの家電にする、夜蓄電するもよし、昼間太陽光などで個人で発電したものを蓄電して夜間に使うもよし、まず、個人営業などの商店用に開発し、価格とサイズを家電の領域にまですれば新規の需要を掘り起こす事もできるはずだ。
この10年位地球規模で地殻変動が活発化している中、日本の原発の立地はほとんどが危険過ぎる。そう考えればこの夏に電気のやりくりして越えても、この冬はどうしようかという問題がすぐにやって来る。効率的に作り、効率的に溜め、効率よく使う、電気に関しては考え方を変える時期に来ているように思う。
12/5/7
大阪維新の会の大阪市議団が作った「家庭教育支援条例案」の発達障害をめぐる規定に当事者らが強く反発している。
原案で「発達障害、虐待等の予防・防止」の章を設け「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」と明記した事に橋下市長をはじめ障害児を持つ親たちなどからも多くの批判が出て、「誤解を与え申し訳ない」と原案修正も含め検討していく意向だそうだ。
発達障害には、自閉症、アスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥多動性障害など様々なものがあり、主に先天的なものとされているので予防はできない。
議員先生方、家庭教育に危機感を持ったまでは良いが、思い付きではなく、まず親の会や保健師さん、特別支援学級の先生方や、さらには研究をされている医師や学者など専門家の話を聞いて自らが勉強をする事から始めてもらいたい。
このような子供達が子供の内にこれらの状況にどれだけ不自由や不安を感じているかは分からない。しかし、社会性の発達の問題が大きいので周りの人間がふりまわされる。特に親にとって不安の中で子育てが行われる事が多いので虐待につながる事はままある。しかし、彼らの状況に対する支援が必要なのであって、逆ではない。
せっかく家庭教育支援を考えるのなら、なるべく多くの人が1人の子供に関われるプロジェクトを考えると良い。親も子も兄弟が少ないという事は親族が寄り合ってもあまり多くの人間と関わる機会がないという事になる。大阪市という都会では両親の故郷が遠方で祖父母との触れ合いが少ない子供も多いだろう。たとえば、市内の子供に節目節目にハガキを送るボランティアを募る。生まれた時から担当者を決めて送っていけば、初めにそれを読むのは親でも、親子が迎えられている気持ちになるだろうし、だんだんに子供自身が自分宛の便りを楽しみにするようにもなるだろう。たとえば市内の誰かと18歳まで文通を続ければ、コミュニケーション能力が落ちているという現代、子供にとっても家族にとっても大きな財産になると思う。
12/5/5
『石巻・にゃんこ島の奇跡』(石丸かずみ著・アスペクト社)を読んだ。
昨年の東日本大震災と津波に襲われた石巻市の田代島(ネコ島)のにゃんこ・ザ・プロジェクトを外側からトレースした本だ。
プロジェクトのメンバーへの取材だけでなく、実際に島を歩き、島の人々と触れ合っての現状を丁寧に抑えている。その一方でプロジェクト立ち上げまでに至るメンバーの苦闘や、あっという間に予定金額に達した事、そのためにその後の動きだしの準備の方が遅れてしまった事なども現実感を持って伝わってきた。
後半はネコと現代人との関わりやネコカフェなどを通したネコを介しての繋がり、ネコブログなどネットを通してのつながりなどにも触れられている。
しかし、ネコ好きな私がこのにゃんこ・ザ・プロジェクトに1口乗ったのは実はネコつながりのせいだけではない。
漁業を基幹産業とした小島ではネコがたくさん住んでいるというのはよくあるし、他にもサミットができるほどネコ島はあるだろう。ネコが捕食する小動物以外に魚や魚くずなどネコのえさが豊富な事や、人があまりギスギスしておらずにネコがその辺に居ても気にしないなどネコにとって住みやすい環境だからだろう。
私は人の方に注目をした。高齢化した島で基幹産業のカキ養殖の後継者を外部に求めそれに応募する人があり順調にいけば後継者ができるかという所で襲った津波だった。引き継がれるべき島のカキ養殖に関する資材は流されてしまった。
島の産業を次代に伝えるための知恵を出し合った島の人々に敬意をもった。
しかし、1から設備を整えるのではとても先に進めないだろうとも思った。自分が行く事はできなくても1口乗りたいと思った。
基幹産業を中心に次の世代に地域を継承していく、当たり前の事が日本各地で出来なくなったいる。このままで良いのかという思いが私の中にある。
ここで踏みとどまり復旧ができれば、次にネコの力で若い人達が住み着いて新しい仕事(食堂でもアートでもイベント屋でも)を作りだしていくようになれば復興への道が見えてくるのではないだろうか。
12/5/4
ようやく晴れたので、恒例の茶畑写真撮りのドライブ。腰が痛いというTANUKIも置いて悠々と1人旅。
9時過ぎに出られたのでまずは岡部の玉露の里。実際問題として遮光されている玉露用のお茶を写真に撮っても真っ黒な遮光材が写るだけで面白くもない。広々とした斜面のお茶の緑が撮れれば良いのだが、いまいち良いアングルがなかった。大きな桐の木に一杯花が付いていたのだが、これも写真にはならなかった。
ここから旧1号線で金谷のお茶の郷へ。途中、戸田書店に寄って探している本を探したのだが、別の本を2冊も買ってしまって探し物は見つからなかった。
お茶の郷はさすがにかきいれ時で、いつも広々と空いている駐車場も満杯でしばらく待つ。付属の茶園では茶娘姿になった子供達や観光客が茶摘み体験をしていた。
こちらの目的は茶畑写真なので、周りをしばらく散歩しながらあっちかな、こっちかなとカメラを構える。結構同好の士も居るようでカメラを持った人たちもウロウロしていた。それ以上に天気の良い中で裏の公園やお茶の郷の芝生の敷地でお弁当を広げている家族連れやグループが多かったが。
車を停めただけでは悪いかとソフトクリームでも食べようかと売店で並んだのだが、待ちくたびれてリタイア。新茶ソフトというのがあって興味はあったのだが…。
車はそのまま南へ進む。牧之原の茶畑の中を進み、相良か御前崎のどこかで、上から見ると茶畑の向こうに海が見えるポイントがあったはずなのだが、良い感じに収まる所がなかった。
御前崎まで出てしまって、そろそろ昼も過ぎたのでなぶら館に寄ってみた。駐車場にはすぐ入れたのだが、食べ物屋さんはごった返していて敗退。そのまま吉田町まで戻って1時過ぎのお昼。桜エビのかき揚げおろし蕎麦。
お腹が重くなった所で最後に吉田公園をひとまわり。これは別段お茶とは関係なく、チューリップの時期に見そびれたので定点観測。家族連れがそこここでお弁当を広げたりボール遊びをしたり賑やかだったが、海ぱたなので風がものすごく強かった。
4時前に買い物を済まして帰ってきても、干しっぱなしの布団や洗濯物も冷たくなっていないし、まだ窓を開けておいても気持ちの良い気候で初夏らしい1日だった。
12/5/1
今日は八十八夜なのだが、茶どころで茶畑に囲まれていると♪夏も近づく八十八夜♪♪♪しか出て来ない。
茶畑のお茶もきれいな若緑になっているし、玉露の畑は日を遮る黒い幕に覆われている。すでに新茶の取引も始まっているがまだご祝儀価格。連休後半には今年もどこかへ新茶のイメージ写真を取りに行きたい。
ひと雨の来そうな風や若柳 DORA