ちょっとした感想   

12/10/31

   こちらは中学の文化発表会のシーズンだ。各中学校それぞれに文化センターの大ホールを1日借り切ってクラス単位の合唱やブラスバンドの発表、個人の得意なもの発表(楽器の演奏やダンス、本日は1輪車乗りもあった)、意見発表・英語のスピーチなどが行われる。
   地区民児協にも地域の代表としてご案内が来るので行くのだが、今回は保護者席のどこでもご自由にとの事で座席指定が無かったので適当に座ったら、見えているはずの地区の民児委員さんには全然会えなかった。その代わり別の地区の主任児童委員さん達には会うし、それぞれお子さんが通っている、はだかっこの会のボランティアのお仲間や、保健センターの担当さんご夫妻にお会いした。

12/10/29

   午後から今月の主任児童委員部会で「地域の人もどうぞ」というPTA主催の防災講演会があると他地区の方から聞いたのでその学校に講演を聞きに行った。
   講師は福島の原発被災地に入ってペットレスキューをされている中山ありこさんと、やはりペットレスキューをされている浪江町で被災されていまだに仮設住宅で暮らしている前田千佳さん。
   まず、全校の子供達も一緒に中山さんのお話を聞いた。
   とにかく地震の時は何もできないと思ったがペットの事なら何かできるかもしれないと思いとにかく出かけた事。犬・猫だけでなく馬・牛・ダチョウなどの家畜までが放されて道路や住宅街を歩いていた事などが写真を見ながら話された。すでに2〜3週間経った時だったので生きているペットもやせてしまっており、繋がれていた紐を噛み切って生き延びていた犬もいれば繋がれたまま死んでしまっている犬も居た。保護できるものは保護し、捕まらないもの達のために水やペットフードをそれぞれにやったりの活動を週末ごとに行ってきたそうだ。
   また、活動を知ってSOSの電話をかけてくる人もたくさんあったそうだ。数ヵ月後に保護されて無事に飼い主さんに引き取られた子もあったが、避難所や仮設住宅で暮らしているために引き取れない飼い主さんも多いそうだ。また、ほんのしばらくのつもりでペットを置いて避難したまま帰れなくなり、結果としてペットを置いて行って死なせてしまった事を後悔している飼い主さん達もあるそうだ。
   そして、20km圏内では人が入れずに草が生い茂った中でまだたくさんの動物達が飼い主の帰りを待っているそうだ。
   かなり衝撃的な話だったが、低学年の子供達も静かによく聞いており、たくさんの質問も出てこの学校の子どもたちの聞く力・好奇心の強さを感じた。
   後半は大人を対象に前田さんがお話しになった。
   浪江町は2つの原発があり、建設業の他は農林水産業の町(DASH村もここにあった)、原発は大きな産業として存在をしていたそうだ。震災そのものは大きな揺れだったが、余震の中で隣町の職場の片付けなどをしていたそうだ。海の側は津波が高くなり、3F建ての建物(マリンパーク)は津波も大丈夫と言われていたが、建物は残ったが屋上に避難をした人は津波の方が高くて助からなかったそうだ。
   そして、道路が寸断され自宅に戻るまでに普段車で10分程度の所が3時間もかかったそうだ。特に配管やマンホールの入っている道路・橋・陸橋などや地盤の悪い所は崩れたり亀裂が入って通れなかったそうだ。
   また、昼間で家族がバラバラの時間帯だったため、家族の様子を見に行ったり、船を沖に出すために港に行ったり(無事に船を出せた人達もあるが)人々を助けるために出動した消防団の人など若い人が多く津波に巻き込まれたそうだ。また、学校では卒業式の準備で子供達が居たが、走って小高い所に避難をして無事だったが車では逆に運びきれなかったのではないかと思っているそうだ。
   当日は停電で水も出ず寒さと情報が無いのが気になったそうだ。
   翌日になって10km圏内の避難が始まったが、防災無線もならず(電源が無い)携帯も使えず情報が全くなく聞き回った。パトカーのおまわりさんやバスの運転手は防護服に身を固めていたが住民には全く情報がまわって来なかったし、避難誘導の状況も系統だっていなかった。
   そうこうしている内に道路が封鎖されて家に戻れなくなってしまった。避難範囲も20km圏内まで広がった。避難所もあふれている状況で食料もほとんど無く、外の車に居たがコンクリートの中に入った方が安全だと言われた。
   避難時にチョコレート・ジュース・現金・防寒具・薬やお薬手帳・ウェットティシュなどが役に立った。逆に役立たなかったものとして缶詰め・銀行やクレジットなどのカード類、議員さん(地元の彼らもまた被害者だが代弁者たりえなかった)。また、携帯よりもパソコンの方が復旧が早かったという体験は特筆しておくべきだと思う。電気が通れば使えたそうだ。また、今後は使えるようにするべきだろう。SNSや災害情報板などが役立ったそうだ。
   もう1つ、物資が入って来るまでに1月位はかかった事も知っておきたい。
   原発事故は復旧ができない(時間が掛る)。生活拠点が無くなりコミュニティが壊れてしまう。情報がテレビでニュースが聞けるようになっても東京中心でローカルな必要な情報が得られなかった。また、目に見えないものが相手なので実際の線量などは分からず、行動に不安が付きまとった。また、全員避難という事で高齢者や病人なども同じ所に避難をしたために寒さなどで亡くなられた方も多かったという事も仰っていた。
   現在一時帰宅が始まっているが、地震で室内が散らばった状態から短時間に必要なものを持ちだすのは大変な事、持ち出しには除染が必要だが、女性の肌着などは抵抗がある事、ペットの扱い(当初連れだせなかった)などの話もあった。
   また、避難先の役場では町が違うためにサービスを受けられずに、わざわざ仮設の町役場まで行かなければサービスが受けられないなど、こちらではまだ時間が残っている内に詰めておきたい貴重なお話もあった。

12/10/24

   放射性物質の過酷事故時の拡散予測が出た。昨年1年の気象データーを入れて拡散状況をポイントしたようだが、陸上の条件(山や川など)を加えなかったというが、気象そのものが地形などに影響されるものだけに精度がどの程度違うのだろうか。
   新聞ではさらに、全国16原発についてその付近の図が入って特に30km圏内に収まらない所を取り上げているが、精度があてにならないと言いながら重箱の隅をつつくようなデーターに意味があるのだろうか。
   ここ30年位、日本付近は大きな地震が多く地殻変動期に入っているように思えるし、気象状況も台風の大型化や集中豪雨、竜巻など過去のデーターはあてになるのだろうかという状況になっている。
   全国一律にと言ってもそれぞれの置かれた状況も違う。それぞれの地域で地質学的な太古の状況から考えなおすなり、土地の言い伝えを掘り起こすなり計算式だけでは発見できないデーターも加えてそれぞれの地域での減災計画を精密に考えるべきではないだろうか。しかし、その研究予算位は原発を所有する電力会社が持つべきだと思うのは私だけだろうか。
   原発0を目指すにしても安全な廃炉までの時間より人の一生の方が短い事を考えておいた方が良いと思う。さらには核廃棄物の安全な無毒化はまだ実現していない事も考えておくべきだ。

12/10/17

   昨夜、サッカーの日本代表がブラジル代表と試合をした。フレンドリーマッチ(練習試合?)だが、試合場所はポーランド、直前に日本がフランスに1-0で勝った事もあり、ブラジルもそれほど手を抜いては来なかったようだ。その結果0-4で大敗はしたが…。
   前半は攻撃場面もあり動きも良かった。ここで1点取れていたらどうなっただろうというワクワク感も持てた。点を取られるにつれて動きがバラバラになったり疲れが出たりという事もあったのだろうが、眠い試合になってしまったのが残念だった。出来る事ならばせめて1点、チームで取っていこうという心意気を最後まで見せて欲しかった。
   技術的には良く分からないが、体格的にはそれほど変わらない。それならば、当たり負けない柔軟で頑丈な身体作りと、最後まで走り負けないタフな体力作りをまず目指すというのも遠回りなようでいて地力の底上げになるのではないだろうか。

12/10/9

   今月の5日にみゆが死んでしまった。家に来たのが94年の10月25日、すでに2ヵ月半位になっていたと思うので、18歳を超えていたはずだ。歯も悪かったし病気もあったとは思うが、今のネコの寿命としては大往生と言っても良い年齢だったと思う。
   とても元気の良い子で迷い込んで来て1晩、庭で大声で鳴き続けたようだし(父が聞きつけて保護)、死ぬ前夜もほとんど体力が無くなって少し動いては休みながら、それぞれお気に入りの場所であった私のパソコンの前から台所のテレビの裏まで移動していった。そして、トイレに行きたかったのだろうが、台所を斜めに突っ切って砂箱のあるたたきに降りた所で力尽きていた。その砂箱に入るのも大変でまわりに犬用のペットシーツを敷き詰めた所でのびていた。
   みゆについては落ち着いたらまた何か書きたいと思っているが、ネコが死ぬと関連(あるか?)本を買いたくなる私の習性で、今回は『ミミ正  〜吉祥寺で暮らすミミと正太郎の物語〜』(いしかわじゅん作/集英社)を買った。漫画にとらえられたのはしばらくぶりだが、パピとみゆのような白黒ネコ2匹との日常、ほとんど脚色なしではないかと思うと何ともほほえましい。
   家の場合は1番上のパピと1番下のみゆの間にちび・小慈郎・クー・クロン・ジライヤと5匹も挟まっていて、庭でちびの指導のもと小慈郎からみゆまでが狩の練習をして遊んでいた。それでもパピの寝ている座椅子で同じ白黒同士で寝ている事も良くあった。

12/10/8

   しばらく下火になっていた女性宮家の問題がまた表面に上がって来た。次の世代の男子は皇太子様と秋篠宮様が居るのでともかく、その次の世代となると秋篠宮家の悠仁様だけになってしまう。それまでに何とかしなければという思いがあるのだろう。
   しかし、議論の中心が傍から見ていると妙な気がするのは私だけだろうか。
   とりあえず敬称だけ残すのは法の下の平等に鑑みておかしいというが、天皇家の長女の黒田清子さんは伊勢神宮の祭主を務められているはずだ(斎宮の時代から歴代天皇家の女子が務められていたのではなかったか)。そこから言えば、表立った公務以上に祭祀が大きな意味を持つ皇室の構成員に対して国家公務員扱いというのは、国家宗教をもたないという観点からかえってまずいのではないかと思われる。
   個人的には昔々は神を祭る家系に出来の良い男子が婿入りをしていたのではないかと思っている。施政権は現実のもので、軍事的にも政治的にも能力が無ければすぐに国家的危機に見舞われる事になるが、神を祭るという事は代々続く伝統の継承ようなものだと考えるからだ。シャーマンとしての体質や薬学や天文学などの科学的知識の伝承もあったかもしれないが…。
   現在では政治は政治家と行政機関の仕事であり、祭祀と文化伝承、人との交流が皇室のお仕事のようだが、血統が大切だと思えば昭和20年まで戻って明治天皇の末裔の方々の意見を聞かれるもよし、仕事そのものが大切だと思えば現皇室を構成している方々のご意見を反映させればよい。傍で勝手なことばかり言っているのはかえって失礼な事だし、天皇をまつりあげられるだけまつりあげて戦争へと突き進んでいった昭和の初めの戦前へとタイムスリップしかねない。

12/10/4

   世間の皆さんは円高は良くないと考えているらしい。特に政治家やマスコミの人々は…。
   しかし、原発をほぼストップさせている日本にとって、電力を確保するためには原油を輸入しなくてはならない。車を運転するほとんどの皆さんが感じていると思うが今ガソリンは安いとは言えない。すなわち高い代金を払って外国から原油を買って来ているわけだ。
   また、今年の天候の異常は日本だけではなく、小麦やトウモロコシなどの穀物価格も上昇している。だから何?と仰るなかれ、味噌・醤油・揚げ油に麺類、さらには肉類や乳製品も飼料の高騰で値上がりする事になるだろう。日本の食料自給率を考えると円高のお陰で消費者である我々のリスクが少しは緩和するのではないか、少なくとも輸入できずに食べられなくなるほどひどくはないだろう。(もっとも大豆やトウモロコシの輸入先である中国が、別の意味で日本には輸出しないと言いだしたら一騒ぎ起きるだろうが…)
   最末端の消費者としては円高万歳と言いたいところだ。

12/10/3

   原発のオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)の設置他場所が問題になっている。原発に近すぎる所に置いた福島第1原発で危険過ぎて全く機能しなかったため、安全を考えてもう少し後方に置くべきだという事のようだ。
   その論で行くと浜岡原発の場合は志太地域のどこかか静岡市かという事になるのだろう。
   本日、経団連のお歴々が浜岡にやって来て再稼働に向けての期待を口にしたそうだが、日本の東西の交通の真ん中、かなりの人口を擁する都市を含む地域を原発事故時に失う可能性があるという半面を見ているだろうか。それでなくても何時、東海・東南海地震が襲ってくるか分からないという時に、それ以上のリスクを冒す必要があるだろうか。
   地震と津波で混乱した場合、その上に原発事故を背負った場合、本州の東西の物流がどの位止まり、経済損失などリスクがどの程度かを経済人は試算しているのだろうか。すでに福島とそれ以外の地域で復旧や人々の気持ちの面で大分差がついてしまっているように思われるのだが…。

12/10/1

   昨夜は台風17号が通り過ぎていった。
   朝は日もさしたが、10時過ぎから時々ふき降りとなり、午後には台風らしく雨風が強くなった。そして、さっさと雨戸を閉めて夕飯を食べ終わった7時前に停電。懐中電灯を探すやらラジオを付けるやら、しかし、現在の生活がいかに電気と切り離せないものかを痛感した。
   湯沸かしポットはほとんどお湯が無いままアウト。ガスは点くが明かりが1つだとあちらこちらで使う訳にも行かない。テレビももちろんダメならパソコンもアウト。もっとも途中で竜巻・雷の注意報も出たので、どちらにしても使えなかったが…。もちろん本を読める明るさではないし、ゴロゴロと猫をじゃらしながらラジオを聞いているだけだが、地元情報が入らない…。携帯をチェックしても、市の防災メールは来る事は来るがウェザーニュースより情報が遅い。携帯版の市の災害情報も更新されていない。
   結局、10時近くまで停電。風呂はガスだが電気が無いと設定ができないので風呂にも入れないかと思ったが、何とか風呂は沸かす事が出来た。
   今回の体験から、色々なタイプの防災について、もう少し検討をして備えておこうと思う。
   ところで、3時間の停電でコンビニなどでは食料品がダメになったり大変だったようだ。また、市内でも所によっては高潮で床上浸水までした所があったようだ。昼のニュースをボ〜と見ていたら、膝下まで水につかって民児委員さん(たまたま知っているベテランの方)が懐中電灯を持って様子を見に路地を歩いていた。頭が下がった。
   先月の津波警報の時に避難先の学校のいざという時に割れるはずのガラス戸が割れなかったという話も聞いた。情報を共有するなど地域としての備えも、できる事からすべきなのだろう。

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