13/10/29
今日の『きっこのブログ』でホテルの食品偽装より国産をうたった小麦や大豆製品の方がよほど食品問題の根が深いという意見を述べていた。確かに、国内の小麦や大豆の生産状況を考えれば、これだけ大量に安く国産の豆腐や麺類がスーパーの目玉商品に並ぶはずがない。これにはからくりがあるのだが、それに目くじらを立てるのならば生産に見合った値段の物を買う必要がある。
国内の大豆は作られていないわけではないが、ほとんどが若採りをされて枝豆になる。豆腐や納豆・きな粉、さらには味噌や醤油、油に至るまでの製品を国産で作るほどの量は作られてはいない。とてもじゃないが1丁50円などという豆腐はあり得ない。
これが麦畑となるとどれだけの人が見た事があるだろうか。それでも減反政策以来少し増えてはいるが、気候的にも土質的にも作りやすいものではないらしい。麺類やパン・お菓子の原料になるだけではなく、様々な食品加工に使われている状況でこれも国産だけで賄うとなればどれだけ高価なものになるか分からない。98円で食パンが買えるなどというはずがない。
遺伝子組み換え作物のほとんどが生産効率を高めるために耐病虫性(病原菌がつかない、虫がその作物を食べたら死ぬしかし、人間だって生き物なのだが…)を求めたり、耐薬性(除草剤に強い)を求めているので、子供に食べさせるのは躊躇するが、その部分さえクリアすれば食物そのものが地球規模で足りていない現状では仕方のない部分があるかもしれない。
それより何より、耕作放棄地が増えている国内で国産の安全な食料生産をして、海外にも打って出る農業政策をとって都市以外の日本にカツを入れるのが先決だと思う。ただし、農家の大規模化は面積が狭く土地によって地味が違う日本には不向きで、産地化を考えるのならば全国を1つのまとまりにして○○生産組合を作り、南北に長い日本全体を利用して季節ごとに生産サイクルを作っていくような規模の物を考えなくては日本ブランドとして出していくには力不足になるだろう。1つの地域あるいは1つの農家が、1年の生産計画を立てて、自分は○○生産組合と◎△生産組合と※☆生産組合に参加するというような形を取れれば、それぞれの農家も経営を考えるし、もう少し農業が活性化するのではないだろうか。
13/10/28
ニュースで阪急阪神ホテルズのレストランなどのメニューの誤表示だか偽装だかの問題で騒がしい。
しかし、高級ホテルのレストラン部門で8年も食材が表示通りで無いままやっていて、お客が誰も見抜かなかったというのも情けがない。気がついても「もう使うまい」と思うだけで良心的に騒がなかっただけかもしれないが…。
いまだに高級ホテルやデパートなどの商品は我々の中に名前だけをありがたがっている部分があるのかもしれないが、働いている人達にそこで働くプライドが無くなったら、モチベーションが下がって、この8年間にいよいよ悪循環を起こしていた事だろう。
東京オリンピック誘致で「おもてなし」を前面に押し出しながらそのトップを走っているはずの会社がこれでは、日本のおもてなしとはこんなものかと思われてしまうだろう。
13/10/23
次の台風に備えて大島から一時避難をする方が、飼い猫を置いて行かなくてはならないという記事が新聞に載っていて胸が痛くなった。
数日分のえさを出して、「台風が過ぎたらすぐに帰ってこれると思いたい」との事だったが、「福島の原発事故避難をされた皆さんもこんな気持ちだったのでしょうね」とも仰っておられた。高齢でご自宅が土砂崩れ現場のすぐ側との事で、周りの人々に勧められてほんの身の回りの物だけを持って島外避難を余儀なくされたが、万一にも自宅と猫に被害が出たらと思うと気持ちがざらつく。
災害から立ち直るためのメンタルヘルスを考える上でも、せめてペットとともに避難出来るルールを早く作りたいものだ。
この方の猫、島の職員にケージに入れられて無事に飼い主さんの所に行かせてもらったようだ。良かったが毎日新聞が記事にしなかったら動きが出なかったような気がする。
防災に関して、どうしても専門分野の物理学的意見ばかりで作られている気がするが、人の気持ちをキーワードにしたソフト面ももっと重視するべきではないだろうか。(13/10/25追記)
13/10/21
例年よりずいぶん遅く、ようやくキンモクセイの香りが高くなった。咲いたかなと思ったのはずいぶん前なので、花の方も戸惑っているのかもしれない。
今日は暑くなると天気予報は言っていたが、雲が取れなかった事もあり気温もそれほど上がらなかったようだ。だんだんと秋も深まってきている。
13/10/19
先日の台風26号による土砂崩れ(山津波か?)の被害で伊豆大島が大変な事になっている。
大雨で火山灰を主とする表土が大規模に崩れ死者27名、いまだ行方不明者20名以上という惨事になった。三原山の噴火からは見事に全島避難をした所でも、起こるかもしれないと警戒している災害と別の所で災害が起こるともろいものだと思った。火山灰は吸水性が良いので普段水害を考える事は無かったようだ。しかし、あまりにも多くの雨が降り保水力が限界に達した時、根こそぎ表土が滑り落ちたようだ。津波同様に家の土台を残して何も無い映像をテレビで見たので、同じ位のエネルギーが働いたのだろう。
折悪しく町長が公務で出張中だったと叩いていたマスコミもあったが、どこの自治体でもトップが公務で出かけるのも仕事の内、それでも何とかするために役所という自治体の仕事集団があるのではないだろうか。
実は他所事ではなく、焼津でも山に張り付いた道路が陥没して通行止めとなり、1つの地区が孤立している。ガッサリ落ちる危険もあり、何時復旧するかどころかどうなるかの見通しも立っていないらしい。
台風27号がまた近づいてきている。どこの地域がという事ではなく、どこにいても1人1人が身を守る警戒が必要だと思われる。言われたからではなく、ヒトという動物としての危険予知の感覚を磨きたいものだ。
13/10/17
細かい文字が読みにくくなって、ついに読書用眼鏡を買った。いわゆる老眼鏡だが、しばらく検眼もしていないのでしてもらったら、だいぶ乱視が進んでいるようだった。ついでに「片目で見ていますねぇ…」と。次に眼科に行ったらきっちり相談した方が良いかもしれない。メガネ屋さんのご意見としては両目できちんと見えていれば生活をする上では大丈夫だとの事だったが。
しかし、まさに手元用。そのまま顔を上げてテレビが見えない…。パソコンもかけ比べてみたが今まで使っていた眼鏡の方が疲れなさそうだ。それでも本を読めなくなったら私のストレス解消の場が大幅に狭まるので、良い買い物だったという事にしよう。
13/10/16
アンパンマンの作者、やなせたかしさんが10月13日に亡くなられたそうだ。享年94歳。
アンパンマンは私の人生の中では時間がずれていて、最近になってはだかっこの会のお話で紙芝居を見て知ったものだが、単純なストーリーなのに心に落ちる良さを感じる。
グラフィックデザイナーをはじめさまざまなお仕事をされていたて、アンパンマンが始まったのはやなせさん50歳を過ぎてからだそうだ。アンパンマンはいわばご隠居仕事。もっともこれこそライフワークで『漫画家やなせたかしさん死亡』と書かれた死亡記事が多かったようだ。
個人的には学生時代に部歌としてよく歌った『手のひらを太陽に』の作詞や『詩とメルヘン』の中心的存在だった人としての印象の方が強い。
ご冥福をお祈りしたい。
13/10/15
ニュースによると学力テストの成績が悪かった反省から県では色々と対策会議を行っているらしい。
ものすごく個人差があるので一概には言えないが、子どもだけでなく大人でも対人関係を作る力が育っていない人が多くなっている気がする。国語の力とこれは相関関係があるのではないかと思う。
対策としては赤ちゃんの頃からテレビ任せにせずに丁寧に生身の人間同士のやり取りを経験させることが何よりも大切なのではないだろうか。国語力とは伝えようとする力と相手の思いを受け取る力と言い換えても良いと思う。これは学校の授業だけで学べることではない。なるべく色々な人と色々な形で出会い、交流をする中で培われて行く事だと思う。
学校という場も義務教育という機会も大切だが、それだけで子どもの教育はできるというものではないと思う。
13/10/10
今日は前回の東京オリンピックの開会式の日、それを記念して体育の日ができた。当時はスポーツ大会は野外が原則という事で、開会式の日をきめるのに気象データーを精査して晴れの特異日を探したそうだ。
そのせいか本日も快晴。ただしこんなに暑い秋晴れはめったにないだろうが…。
次回の東京オリンピックの開会は7月末の真夏になるそうだ。コンディションがあえて悪い中でのスポーツ大会には違和感がある。アメリカのテレビの放映権の都合のようだが、世界の色々な所で行われる大規模な大会は、その土地の気候の良い時期に合わせる方が、選手の成績にも実際に見に来ている人の楽しさにも、テレビで眺める世界の人にも気持ちの良いものになると思うのだが、この1番の基本が飛んでしまっているのは残念なことだ。
13/10/7
8月の主任児童委員部会で保育園の園長先生のお話を聞いた。
その時に「保育園で子どもを育てる最終目的は、しっかりした大人になって仕事をして納税者になること」と冗談ぼく話しておられた。しかし、子どもを育てるという事は次の世代にこの社会をバトンタッチしていく事で、そのためにはまず、自分の身の回りの事ができる事、今の世の中では生活するための資金を得るために、きちんとした仕事ができるようになる事、それが結果といて納税を可能にし、社会を切りまわす資金ができるという事になる。社会を切りまわす(国や自治体の)資金は我々の税で賄われている。
今の経済を云々している人達(政治家も官僚も学者も評論家も)そこの所をしっかり考えているとはとても思えない。本気で経済を上手くまわし税収を増やし福祉(だけではないだろうが)の安心を考えようとすれば、働いて儲けを得て税を納めてくれる人を増やすのが正攻法だと思う。しかし、生活保護からして受けるまでの手間暇は大変だが、受けてしまえば労働意欲がなくなるほどの至れり尽くせりとなる。障害者や病気を抱えている人、子育て中の人、介護中の人、みな働く環境から排除してしまっている。さらには若者の多くが非正規雇用やアルバイトで未来の生活の見通しが立たずに結婚や出産をためらっている。さらにはニートという形で働く場に出て来ない。みな納税するどころではない。
福祉にしても予算額を先に見てしまい、重い人に重点を置くと介護度にしろ障害にしろ重くなる前にとどめて本人にとっても周りの社会にとっても楽な状態を作るのではなく、重度者の大量生産をして介護費を圧迫するような事をしている。
私も含めてこれから高齢者の中心になる団塊の世代は、細胞の若い頃に原水爆実験の放射能を浴びているし、それ以外にも公害・農薬・食品添加物などで細胞を傷つけられている。今の高齢者ほどの長生きはできないだろうが、これからしばらくの年金・医療・介護費などの増加を考える時、大企業に今働いている人を中心にした考え方とは違う発想が必要なのではないかと思う。
13/10/1
十月の雨降る朝や膝に猫 DORA