ちょっとした感想   

14/5/28

   ここでも何度か書いて来たと思ったが、少子化について、地方の子どもを産み育てる年代の女性の減少という切り口から語られ始めた。人口問題は実は男性の働き方の問題であるという視点が見事なほど無いので、言っている識者達(おじさん達)から名案は出ないだろう。子どもは女性だけで生まれるものでもなければ女性だけが育てるものでもない。さらに、婚外子を極端に嫌う社会では連れ合いという生活のパートナーはいらないと思う女性が子育てをする事も少ないだろう。
   人間も生物であるからには子どもを産みやすい年代というものはあるはずで、現在の社会通念上その時期に結婚が出来るだけの準備として心身および経済環境が整っていなくては地方都市も含めて都会ではとても子育てなどできないだろう。若者が1か月暮らせるだけの安定した収入が得られる仕事を持てるようにしなければならないし、仕事を続けられる確信がなくては結婚や子育てには踏み切れないだろう。
   また、働き手がないからと女性も労働力になってほしいと政府は考えているようだが、企業が抱えられる労働力はすでに限界ではないかと思う。1度企業なり公務員なりとして就職をしても、ある程度の年齢で独立をしてもらわなければ、社会は生活が出来るほどの職がない大量の人を抱えこみ、今は老親のパラサイトで過ごしている人達がそのまま各種の社会保障の対象者になだれ込みかねない。
   それはまた地域の活性化という面でも必要な事である。昔は地域の中で仕事をしている大人達が地域を守っていた。消防団・自治会・PTAの役員・民児委員、皆さん自分の仕事の合間にちょっと地域のための時間を作っていた。町を歩く人達も多く、子どもや高齢者の様子も何となく分かっていた。今や壮年者は会社に吸い取られ、単身赴任も当たり前、町は老人達しか居ない。街の人達がいる事によって成り立っていたものが、みなサービスとして役所や名前集めで出来たボランティア団体に任せられる。サービスを提供するのにはお金がかかるし、強制されたボランティアは負担になって任期終了を指折り数えて待つ事になる。
   もっと自然に家族が1つ所で安心して暮らせるだけの仕事と稼ぎができるシステム(雇用ではない)を作り、住んでいる土地を我が町として住民同士の交流を密にできるサイズ(大きければ良いというものではない)にし、病人や障害者も含めて子供も青年も壮年も高齢者もともに過ごせる地域社会を目指してもらいたいものだ。そうすればスタートに戻るが、少子化問題にも少しは明るい見通しがつくのではないかと思う。

14/5/25

   競馬を見るのは学生時代から好きだ。馬の走る姿はもちろん美しいが、賭けの対象としてより遺伝の現れ方を考えるのが面白い。さらに、長年の間に語られ続ける伝説も面白い。
   今日のオークス、3歳牝馬の戦いだが、まだ戦いなれていない若い馬なので、それぞれにイラついているのかはしゃいでいるのか首を振ったり違う方へ行きたがったりテレビで見る限り馬からの情報はあまりない。
   それでも断トツの1番人気が居るわけで、しかしそれが差し切れずに別の馬がトップに入って来る。この2匹、優勝したヌーヴォレコルトの父はハーツクライ、1番人気だったハープスターの父はディープインパクト、ハーツクライは05年の有馬記念でディープインパクトを破っている。父娘2代の快挙と言ってはハーツクライ一族に失礼だが、絶対的1番人気に勝った血統として記憶に残るだろう。

14/5/21

   弥生時代から奈良時代・鎌倉時代・戦国時代・明治時代から昭和初期、私が日本の歴史の中できな臭く感じる時代だ。縄文時代はいくつかの文化的な区切りはあるらしいが長く続いた。平安時代も長期間安定した時代だった。さらに徳川幕府も長期政権だった。これら長期間続いた政権は武器のない時代だった。面白い事に動乱時代の最後に何らかの形で庶民から武器を取り上げている。飛鳥時代から奈良時代には仏像や寺院の建立のために鉄器が召し上げられた。戦国時代は太閤刀狩りが行われた。昭和の終戦後には軍が解体された。
   もう1つ面白いのは、こうして動乱の時代を振り返ってみると外国との関わりの大きい時代だという事が分かる。弥生時代から奈良時代あたりまでは、日本という国の形よりも朝鮮半島や中国沿海部など部族やクニの出身地や交易地との結びつきの方が強い日本海文化の中にあったような気がする。朝鮮半島や大陸の国々の盛衰が日本の政治にもダイレクトに繋がっていたのではないだろうか。鎌倉時代は言わずと知れた元との関わり。戦国時代は大航海時代の西欧の国々との関係が日本の各大名家ともっと細々と繋がりを持っていたのではないかとも思われる。キリスト教は象徴であって各大名家が西欧の各国と繋がって国内が混乱する事を徳川幕府は恐れたのではないだろうか。じっくりと落ち着く時間があったから、明治に入ってドッと西洋文化が入って来た時に、古代から何度もさらされている海外からの波にある種の免疫を持っていた事ともに我々のご先祖は国の形を持ちこたえられたのだろう。
   我々日本の文化は海外から様々なものを取りこんで、じっくりと自分達の中で熟成をさせて独特のものに組み替えていく特徴がある。日本国憲法をはじめ戦後のアメリカナイズされた文化を我々はまだ消化不良のままなのではないだろうか。   

14/5/16

   安倍政権は集団的自衛権を憲法解釈でクリアしようとしているが…。政権交代がありうる事で、自分達がまた野党になるかもしれないという事に考えが及んでいるのだろうか。それぞれの政党の主義主張で都合よく解釈されるのが一番危険で、法治国家から逸脱する元だという事を分かっていれば、かなり危険な事をやろうとしているのが分かると思うのだが…。
   これまでに、さいわい表立っての自衛隊員の戦死者は無いと思ったが、自衛隊の位置づけだけは憲法を変えてもはっきりさせておいた方が良いと私は思っている。ここがはっきりとしていないから、日本人はより危険な紛争地で民間の人達が最前線にいて巻き込まれて犠牲になっている。しかし、自衛隊にはこれからも災害派遣や医療援助など現地の人に喜ばれる仕事をしてほしいものだ。

14/5/15

   昨夜はしばらくぶりにテレビに長時間お付き合い。SBS系でイタリアの古代に起きたベスビオ火山の噴火と富士山の噴火についての話をやっていた。
   もう少し掘り下げてほしい所もあったが、噴火というと溶岩流・火山灰だけでなく、火山ガスなどによる被害や山塊崩壊による土砂崩れなど色々な形で、しかも、風向きや噴火口の位置で1つの山の噴火でも被害の状況が代わって来るというのは興味深かった。ポンペイの町は噴火から1晩の余裕があったにもかかわらず多くの犠牲者が出たが、小康状態に安心した人々が町に戻ったからではないかと考えられるそうだ。人間の心理として、東日本大震災時の津波被害をも思い出させる。一方で別の町ではあっという間に火砕流に追われて船着き場で多くの人が亡くなってそうだ。
   しかし、火山のある所は土壌が肥えていて作物の生産力が高く住みやすい事、この大噴火から30年程度後に建てられて神殿が400年近く経った後の噴火でまた埋まっていたのが現在発掘されているそうだ。今の人も火山の危険と豊かさを知りながら多分住んでいるんだろうな(ベスビオ火山は今も活火山)と思われた。
   一方の富士山も色々な形の噴火を起こし地表を確認するとそこここに噴火口の跡があるようだ。宝永火山が噴いたのを最後に静まっているが、いつまた噴火を起こしても不思議はないようだ。
   こういうものを見てしまうと火山の噴火は時の運、起こるかもしれないが何処で起こるか分からないし、同じ距離でも火砕流や溶岩がこちらに来るかどうかも分からない。しかし、火山の大噴火はたいてい気候変動(火山灰が太陽光を遮って寒冷化)と飢饉をもたらす、さらに電線や交通機関には火山灰は大敵、ライフラインや交通機関の乱れはどのくらいの規模になるのか、特に富士山は東西交通の要衝にあるので今のうちに対応を考えておくのが大切なのではないだろうか。

14/5/12

   昔TANUKIが買い集めていたマンガ『美味しんぼ』はまだ連載が続いていたようだ。食に関する問題が中心なのだろうが、今マスコミなどで取り上げられている問題は福島の原発事故後の状況と鼻血。読んでいないのに失礼だが、何が騒ぎになるのか分からない。
   日本は広島・長崎・第5福竜丸・さらに東海村の事故・福島第1原発と多くの人が何度も放射能にさらされてきた。それだけ事件があれば文学や演劇にも取り上げられてきた。その間の身体への影響の象徴として出されてくるものが毛髪が抜ける事と鼻血、媒体が漫画になっても提示されて違和感がない状況に思われる。
   日本は鳥獣戯画や北斎漫画の昔から漫画の国だし、この漫画も大上段に大臣や知事をはじめとする政治家がそれに対して異議申し立てを公式に出すだけの影響力がある作品という事なのだろう。
   この作品とは全く別だが、東京農大は福島県の相馬市で農地の再生に取り組んでいる。もちろん放射線量の調査をして安全を確かめたうえで農学の専門家として何が出来るかを実践の中で検証しているという事だ。
   広島・長崎の爆心地も多くの人が亡くなった一方、70年近くたった現在、他の都市と変わりのない生活が営まれている。楽観し過ぎず絶望し過ぎず現実を見る目が、特に政治家には求められるのではないだろうか。

14/5/6

   何時の間にやら結婚35周年(珊瑚婚式というらしい)。結婚式当日が連休最後の日曜日だった事はまだ覚えている。前日までドタバタと引っ越し作業、翌日からTANUKIは仕事の都合で出勤という慌ただしい結婚式だった。
   最近のように結婚式場でプログラムの打ち合わせをするわけでもなく、三々九度のお杯を交わして後はお披露目の宴会。はっきり言って着替えに忙しくて料理も内容もほとんど記憶にない。それよりも、着付けをした後、式の前にご近所の挨拶まわりをした事の方が印象に強い。当時は農家ばかりで垣根の緑のきれいな中、土の細い道を仲人さんの案内されて叔母につきそってもらって、紹介されてただ頭を下げていただけだが、暖かな日差しも思い出される。そういえばヘビまでが出迎えてくれて「いやや、気色悪い」という叔母の悲鳴まで思い出される。
   結婚式はスタート、そこからここまで山あり谷ありの2人3脚のクロスカントリーだったが、まだしばらく続きそうだし、できるだけ2人揃って元気に進みたいものだ。

14/5/3

   5月の連休、混雑する所には行きたくないが、茶畑風景と新緑を求めてたいてい1度はドライブをしている。
   今年は車も新しい事だし、坂道での走り具合を知りたくて大井川をさかのぼって千頭まで。お茶は摘み終わってきれいに借り上げられている所、柔らかい新芽が吹いている所、まさに今摘んでいる所と様々だった。山は新緑、時々ツツジの赤い花や藤の紫が揺れる。さらに所々の畑や空き地でちょうど桐の花が見頃。幸い渋滞は無し、きもちのいいドライブだった。
   千頭の手前のすれ違い困難個所が続く所はかなり長い区間で交互通行にして誘導をしており、かなり長く待たされたが、気楽に走れてありがたかった。
   珍しくスタートが早かったので11時前に到着。何とか駐車場に車を押し込め、線路に停まっていた機関車トーマスの顔をつけた列車の写真を撮る。土産物屋で、コシアブラを発見。「山に入るのが楽しくて取って来てくれる人のなので安いですよ」に誘われて1パック買た。天ぷらにすると美味しいが、お浸しにしても美味しいそうだ。
   11時を回った所で食堂に入りお昼。TANUKIは鹿さし定食、私はヤマメ塩焼き定食。ヤマメは焼くのに時間がかかるのか、なかなか来なかったが、パリッと焼けていて美味しかった。しかし、こういう時いつも思うのだが、お客は2人で来ているのだから、時間差があるとしても一方が食べ終わる頃に次が出てくるのは如何なものか…。
   それはともかく、お腹一杯で音戯の郷の売店をひやかして駐車場に戻ると、機関車が発車準備作業をしていた。こちらも発車。
   帰りに茶茗館へ。館内の展示がだいぶ変わっていた。2Fを見ていたらちょうど汽車が通って行くのが窓から見えた。1Fのお茶室でお茶。JAFカードで\100円引き、割引があっても気が付けなければ言ってくれない所が多いのに受付で教えてくれてラッキーだった。ここは煎茶の淹れ方講習付きでお茶が楽しめる。ゆったりと味わう用でガブ飲み用ではないが、言われたとおりに淹れると確かに甘くて美味しい。今回は2品種あって言われているから分かるのだろうが、飲み比べると違いが分かった。
   後はひたすら戻り道。せっせと突っ走る車もいるが、ノンビリ走っている車もいる。それでも渋滞は無しで4時前には帰り着いた。
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14/5/1

   車を買い替えた。発注したのは1月半ばだったのだが、消費税増税前の駆け込みとリコール騒動でずいぶんと納期が遅れた。
   10年もたつとパソコン同様に車もずいぶんと変わってしまう。
   燃費を良くするのが絶対条件でハイブリット車を選んだ事もあるが、機械ものというよりも電化製品じみている。さらに、前回・前々回の車が大きめでどちらかというと遊び車のせいで、物入れがあちらこちらについていたのが、小型になった上に思い切りシンプルになって、さて今まで入れていたものをどこにしまおうという状態になった。引き渡しのための片付けで出てくるまですっかり忘れていた物もあるので、身軽にする良いチャンスではある。
   だんだんに運転席の位置調整機能が増えて、昔はクッションを詰め合わせてシートカバーで固定していたのが、座席の高さも椅子の前後もハンドル位置もかなり可動範囲が大きくなって、体型に合わせて安全なポジションが取れるようになったのはありがたい。さらに運転席のシートベルトの高さも調整できるようになり、これで首にベルトの角がこすりつけられる事は無くなりそうだ。
   本日は調子を見るために鍼の先生経由で家を通り越して御前崎までドライブ。連休中日の平日ということで道路もすいていた。
   運転するに当たっては右手首を痛めている現在、キーを差し込んで回すという動作をしなくて済むのが大変ありがたい。スタート時のキュルキュル鳴く機械音がやや気になる。スタート時はスイッチ・シフトレバー・サイドブレーキの段取りが全部いるのに、止める時にはシフトレバーをパーキングに入れてスイッチを切れば止まってしまうのでサイドブレーキを忘れ気味。それとバックセンサーが写す像が変に丸く見えるのに慣れるまでに時間がかかりそうだ。車が小さいのでそう気にしなくても駐車スペースに収まるので助かるが。
   燃費はもうしばらく走らせてみなければ分からないが、ビジュアルの燃料計はさほど減っていなかった。計器類のビジュアルも大変面白いのだが、それに見とれて運転するわけにもいかないので、まだ良く分からない。止める時に葉っぱマークがいくつか出るのはどれだけエコドライブをしたかの評価らしいのだが…。
   車を買うのもこれで最後になるかもしれないが、長くお付き合いできるようにしたいものだ。

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