ちょっとした感想   

14/10/29

   そろそろ消費税をもう2%上げて10%にするべきかどうかという話がマスコミから流れている。元々一気に5%上げるのはきついので2段階でという事で8%に上がる時からセットになっていたものだが、ここに来て上げる・上げないと両陣営ともにぎやかだ。
   しかしまって、そもそも消費税とリンクをしていたのは議員定数の是正など、国会も行政も支出に対して襟を正すからというのとセットではなかっただろうか。それに関して何か成果があっただろうか。歳出がザルなら、いくら歳入があってもいつまでたっても健全な財政など出来るものではない。地方議員の活動費だけでなく、国会議員の金の流れも思いっきり疑義があるが、どちらも税金から負担されているものが多々入っている。その意味では与野党入り乱れて相手側の政治資金について追求しようとしている事は的外れではない。
   ところで税とは本来は国民全体が暮らしやすくするための持ち寄り金であるはずだ。子どもを育てるのにも、お年寄りや障害や病気で収入が少ない人を助けるのも当然の支出である。道路やライフラインの補修なども然り、それら多々必要とする費目を並べてどこに重点を置くのかは近視眼的にではなく、今から50年・100年の後のビジョンを描いてする事だろう。
   マスコミも財政や経済だけでなく、そもそもなぜ歳入・歳出のバランスが悪いのか、国に長期ビジョンはあるのか、議員や高級公務員は報酬や経費に見合う仕事をしているのかなど多角的に取材をするべきではないだろうか。

14/10/27

   TANUKIの背骨の手術の説明を聞きに病院につきあった。
   手術そのものは背骨の小さな骨が折れて支え切れなくなっている所から色々な痛みが出ているので補強と神経を刺激している部分のいらない部分を切除する事で痛みを無くそうというものらしい。これに関しては静岡日赤はかなりの実力もあり、先生方も自信を持っているようだが(年間600件以上の手術をこなしているそうだ)説明そのものは「こんなリスクもありますよ」というものが大部分だった。だからと言って「じゃあ止めます」という訳にもいかないのだが…。
   それはともかく検査から説明まで、かなりの時間のロスがあり、送って行ったのは良いが何時間も待合室にいるのも嫌で町に出た。フラフラと歩いてみたが、『おいでおいで』をしている店がない。年を取って好奇心が無くなったからというより、ちょっと見てみようという気になる店構えの所がほとんどないのだ。
   結局、本屋さんと喫茶店で時間をつぶし、かなり時間を余らせて病院に戻った。

14/10/21

   今年は全然プロ野球を見ずに来てしまった。やはり地上波のテレビ放映が減ったのが1番の理由のような気がする。新聞のテレビ欄で分かるのは地上波にBSの一部、その時に気が付かなければ結局そのまま過ぎてしまう。
   しかし、気が付けば2位だったはずが広島に勝ち、巨人にも勝って阪神が日本シリーズに出る事になっているらしい。相手はようやく日本ハムを振り切ったソフトバンクと決まった。
   そういえば前回阪神がリーグ優勝をした時の記念のウィスキーがどこかに秘蔵されているはずだが…。
   さて、どんな日本シリーズになるのだろうか。

14/10/15

   昨夜の代表戦男子サッカーはブラジル相手だったが、ガッカリした。
   その前の新潟で行ったジャマイカ戦から数日、シンガポールでのゲーム、しかも雨の後でピッチ状態は良くなかったようだが、それはお互い様、チームにとってのマイナス要因は色々あったが、それにしても大人と子供かという位に軽くあしらわれた。モタモタしている内にヒョイヒョイとボールを取られる、サッとかわされて気が付けばゴール前に入りこまれる、まったく太刀打ちできていなかった。
   見どころはネイマールの4点だけ。日本選手に見るべきところは私のような素人には見つからなかった。
   練習試合でかなりの交代が認められるのにもかかわらず、監督があえてこの状態で腰を据えていたのは、もしや「君達、上には上がいるのだから日本代表に入ったくらいでテングになるな」のメッセージだったのだろうか。
   願わくば早くチームとして機能する日本代表を見たいものだ。

14/10/13

   『猫踏んぢゃった俳句』(村松友み[示見]著/角川学芸出版)を読んだ。
   この人の本は『アブサン物語』のシリーズだけしか読んでいないが、確か清水出身の人で、市の図書館にはかなりそろっている。ただしこれは表紙のミケ猫に誘われて買ってしまったが…。
   実は俳句はされない方だそうて、『ノラや』の内田百閧竅w吾輩は猫である』の漱石をはじめ芭蕉・蕪村・其角・一茶など江戸俳諧から万太郎・虚子・楸邨・子規・眞砂女・碧梧桐・山頭火・放哉、さらには泉鏡花や芥川龍之介、そして井月・鈴木しず子など私の知らない人まで、猫という切り口から論じている。
   しかし、代表句のいくつかは知っていてもその人の猫を読んだ句に注目をした事はあまりなかったが、ないわけではないという事が分かったくらいで、特に目を引く句というのは少なかった。『猫の恋』とか『竈猫』などの季語もあるのでそれぞれに句はあるがとりあえずお題で詠みましたというものが多い。ただ、その作家が猫好きか嫌いかはわりと分かるものだ。
   江戸の俳人にとってネコは飼うものではなかったらしい。動物好きの一茶はさすがに観察が行きとどいているが、そこにいるものという扱いのようだ。放哉や山頭火など放浪の俳人たちも同じようなスタンスのようだ。
   百閧笆恆セ郎・漱石などはたぶん家で猫を飼っていた。膝に落着いている猫を愛で、ネコが見えないと「ネコはどうした」と言っていたことだろう。虚子や碧梧桐は猫好きかどうか分からないが家に猫が居たように思う。
   三鬼はずいぶん猫句を作っているようだが、猫という鏡で自分を見ていたように思う。多佳子・しず子もそれぞれの自分を投影しているように見える。ただ、女性俳人でも眞砂女は完全な写実句、実はネコが好きでなかったのかもしれない。
   この本の中で1番気にいった猫句は  黒猫のさし覗きけり青簾  鏡花  ものすごく潔癖症で猫など触れない人だったらしいが、初夏の光と黒ネコの一瞬が切り取られていて日本画的な清々しさがある。

14/10/10

   今年のノーベル物理学賞は青色発光ダイオードを開発した日本の3氏に贈られた。
   それ何?というものが多い学術に対する賞で、これほど身近なものが大きな賞を取るのは珍しいのではないだろうか。すでに実用化され、我々も使っている電灯や信号などだけでなく、様々な所で特性を活用され、さらに色々な応用研究が進んでいるというのは嬉しいものだ。
   また、少ないエネルギーで済むので、小さな太陽光発電で明かりを得る事が出来、大きな発電所などインフラがない所での活用も可能だというのが嬉しい。日本は夜中になっても街灯や自販機、さらにはコンビニなど星空も見られないほどに明るいが、人口もまばらな世界各地の田舎では夜の明かりは大変貴重なものだ。お日様が沈んだら眠る時間だという人々を慌ただしい現代生活に引き込むのはどうなのかという気もするが、明るさが社会を進めてきた一面は否定できない。
   科学の成果は良い面と悪い面が合わさり、使いようだと言われる事が多いが今回は良い面が前面に出た研究成果ではないかと思う。

14/10/4

   木曽の御嶽山が噴火をして1週間が経った。火口周辺での死者は50名を超え、いまだ行方不明者の捜索が続いている。前にも書いたが、観光日和の昼時、人が集まっていた所での悲劇だった。
   報道では1口に『登山者』と言っているが、御嶽山だけでなく富士山など登りやすい高山については『登山者』と『観光客』をある程度分けるべきではないだろうか。急峻な高山は体力が必要でおのずから登れる人が限られてくる。しかし、そうでないところは大勢の人が入る事で山の受け入れ能力を超えているのではないかと心配になる。
   これは富士山のこの夏の状況をニュースで聞いて考えていた事で、御嶽山と絡めての感想はどうかと思うのだが、せめて頂上に居る人の数がもう少し少なくて山小屋などに入り切れればもう少し被害が減ったのではないかとどうしても思ってしまう。
   富士山の方だが、トイレが足りないのだろうが道をはずれたあちらこちらに汚物が残され(当然ティシュペーパーも…そしてティシュペーパーは水に溶けない)対策に苦慮しているというものだった。
   その直後に尾瀬や利尻富士の登山口で外来植物の種などを持ちこまないように靴の消毒をしている映像を見たので、観光登山をメインとする山では登山ゲートで登山届を受け付け入山料をもらい、ただし登山ガイドなりレンジャーなりその山に詳しい人を配置して山の情報を伝えるようなシステムを作り、入山数の整理や安全教育などをするべき時なのではないかと思った次第だ。

14/10/1

   東海道新幹線が開業して50年だそうだ。東京オリンピック前で沸き立っていた時だったはずだが、新幹線に関してはたいして記憶に残っていない。かえって家の近くに線路が通っていたTANUKIの方が当時の新幹線については良く覚えているようだ。
   私が新幹線に乗ったのは翌年の夏、岡山の祖父母の家への旅だった。便利になったとはいうが、当時の新幹線は大阪まで。迎えに来てくれた当時まだ結婚していなかった1番下の叔母と乗った新幹線の食堂車で何か食べた覚えがあるのだが、子どもの癖に「随分値段が高い」という印象しか残っていない。しかもその日は天王寺の叔母の家泊り。天王寺の家はまだ改築前で、家の前の水道場にイモリがいたり、かなり野生が残っていた。
   当時住んでいた三鷹の家から東京駅まで1時間半、そこから大阪まで今よりもずいぶん時間はかかった気がする。しかも新大阪から初めての環状線で着いた頃には夕方だったような気がする。そして翌日は倉敷まで電車?だったのだろう。(覚えていない)結局片道2日掛かりの大旅行だった。帰りはそんな贅沢はせず夜行の急行で帰ったのだろうと思うが記憶がない。

9月    11月