ちょっとした感想   

14/11/28

   今夜は羽生2題。
   まずはスケートの羽生(はにゅう)結弦選手。3週間前の試合前練習で他の選手と衝突をしてかなりの怪我を負った。今回出られるかどうか体力的にギリギリのところだっただろうが、本人の意思で出場して来た。ジャンプはまだまだだが、滑らかな滑りと柔らかな表現力は健在だった。それにしても、バックヤードまで追いかけまわすテレビには本人も迷惑だったろうし、いくらNHK杯をNHKが写しているとはいえ、あざといなと思った。
   本日のショートプログラムで羽生は5位。トップは無良崇人選手。彼はどちらかというと剛の演技、カルメンの曲ともマッチして見せてくれた。
   そして、もう1人は将棋の羽生(はぶ)善治4冠、今回は将棋ではなくチェスに挑戦、チェスの元世界チャンピョンのガルリ・カスパロフ氏と2局を戦い連敗したそうだ。ただし2局目は良い所まで行きながら躱されたらしい。それにしてもチェスの世界でも羽生4冠が日本のトップクラスにいるとは知らなかった。彼に言わせると将棋とチェスは兄弟のようなものだが、取った駒が使える将棋と違い先を読むよりも感覚的なものが必要だそうだ。
   全く取りとめもなく、中3の時の担任の先生も羽生(はぶ)先生だったなと思いだした。中学3年間ずっと、国語でお世話になった。

14/11/25

   TANUKIが無事に退院した。予定より早かったが、翌日に手術をした方も同時に退院だったので、傷がふさがって問題がなければ良いとしているのだろう。
   リハビリ室との打ち合わせやお支払いもあるので、午前中一杯かかると思っていたら10時には荷物を片付けて待ちかねていた。
   今日は連休明けでしかも雨とあって病院の駐車場が何時になくごった返していた。しかも狭い一方通行の道で、手前で病院の工事もしているために車も多く、職員の方も殺気立っていた。
   シャワーには高めの椅子が必要との事で帰りに介護用の風呂椅子を購入、どうせ昼は家に居ないつもりで出たので早昼を食べて、心配をかけたマーミの所でしばしおしゃべり。1時間近く玄関前に立ってしゃべっていたのだが、TANUKIも結構平気で立っていた。
   家に戻ったら私の方が先にダウン。炬燵にもぐりこんで2時間近くグッスリ眠りこんだ。

14/11/22

   ホームページでささやかな情報発信をし始めてから、10年以上があっという間に立った。
   今も中だるみ状態であるが、自分の中で何となく流している内に次のテーマが出てくるを繰り返していた。プロではない個人の覚書だからこれで良いと思っている。200年・300年後の人が見れば、大昔の人はこんな事を考えていたのか、という資料になるだろう。
   日本人は日記が好きだ。色々な人が個人の手控えやら家庭や組織の決まりごとを伝えるためだったり、側近が主人の日常を記録していたりと色々なものが残っている。地域や個人宅を探せばまだまだ出てくるだろう。公式の歴史と違って個人の視点から見たその時々や家庭や地域など小さな組織の状況のその時々の実態を残したものも、長い時が経ては民俗学的にも面白い資料だと思う。
   それにしてもこの1月ほど、ホームページが上手くアップできない。個人的には自分のパソコンに原稿が残っているので何も困らないのだが、原因が良く理解できないので対応が分からずに、いささかつまらない思いをしている。

14/11/21

   NHK朝ドラの『花子とアン』は見なかったが、静岡の松坂屋でやっている『モンゴメリーと花子の赤毛のアン展』を見に行った。
   モンゴメリーの方が少しお姉さんなのだが、20世紀の前半に文学の世界で生きた2人のそれぞれの孫娘さんが挨拶を寄せていたのは『赤毛のアン』という作品を通して結びついた作者と翻訳者の心の結びつきを思う。
   モンゴメリーというよりは花子と対比をするのならルーシーなのだろうが、彼女の暮らしや様々な興味(前から知っていたけど猫好き&写真好き)、生原稿、花子の交友関係ややはり生原稿など興味深いものがあった。どちらも発想に手が追い付かないのか達筆とは言い難いし、消したり書いたり(読み取れないのが残念だったが…)物語が生まれ出る瞬間を見ているような気がした。
   またそれぞれの机のまわりが再現されていたが、どちらも質素といって良いもので、家庭の主婦として、お母さんとしての仕事もある中で、どのような配分で仕事をしていたのかなぁなどと思ったりもした。
   今回の展覧会は『赤毛のアン』そのものよりも彼女を生み出した2人の頭の中に視点を合わせたもので、彼女達の愛読書なども展示されていたが、それがまたアンであるともいえると思った。

14/11/18

   政府は消費税の続けての10%までの引き上げはとりあえずやめたようだ。ただし、一時やめたからといって庶民の財布のひもがゆるくなるとも思えない。この際、庶民の財布はあてにせずに地道に議員定数を削減するか、議員一人当たりの経費や政党助成金を削減するか、本来やるべき事に手をつけるべきではないだろうか。
   衆議院を解散して選挙もするというが、金がないと言いつつ600億円からの経費がかかるそうだ。この際経済だけでなく、今の福島の原発の始末の状況で他の原発の再稼働は出来るのか、日本とアメリカの植民地扱いのような沖縄をこのままにして良いのか、集団的自衛権について法の整備ではなく政府にお任せのままでいいのか、地方創世や女性の活用とスローガンばかりが先行しているが、本来は中央や男性の発想の転換こそが必要なのではないか、など色々な面から今回の安倍政権の成績をつけるべきなのではないかと思う。
14/11/17
   TANUKIが病院の食事日記を送ってきているのは、別に短期コーナーを作りました。『TANUKIおじさんの病院ご飯』
   整形外科に入っていますが、高血圧と糖尿病にも配慮してくれていると思います。

14/11/16

   昨日行かなかったので今日はTANUKIの様子を見に行こうと午後早々に出かけたら、R150の焼津と静岡の間のトンネルまでの道が大渋滞。片側が工事中で1車線になっていたのが原因らしい。以前ここが1車線だったのは車の免許を取った頃、毎回すごい渋滞だったが、トンネルがもう1つ掘られて2車線ずつになってからはあまり記憶がない。その上やっとの思いで病院まで着いたら、何やら緊急状況訓練中で駐車場に入る道から通行止め。仕方なく別の駐車場に入れたが、途中で見たら病院の駐車場前が、訓練の緊急受け付けやトリアージの場所になっていた。いつもは数メートル歩けば良いので、そのつもりで上着を持っていなかったので1ブロック分歩くのはいささか寒かった。
   TANUKI本人はずいぶん元気になっていて、点滴も終了、歩行器や車いすからも卒業したようだった。
   初日にご飯が多過ぎると文句を言っていたが、ご飯を減らしてもらったら全体量が少ないとブツブツ言っていた。  写真は今日の夕飯 ⇒
   私が帰った後で弟夫婦2組が様子を見に行ってくれたらしい。

14/11/14

   手術翌日午後のTANUKIは暢気にテレビを見ていた。パジャマに着替えをして、酸素マスクも外し、導尿の管も点滴も取れ(まだ必要らしく針は残っていたが)、残るは傷口からの出血を取り除く管だけと身軽になっていた。
   午前中に歩行器を使ってトイレに行く練習もしたようだし、午後からはさっそくリハビリのお呼び出しが来た。靴をはくのに難儀をしたが、意外と簡単に車椅子に乗って3Fのリハビリ室へ。
   マンツーマンでついてくれる先生とまずは左右の足の力をチェック。その後は歩行バーの間で立ったり座ったり歩いたり。「痛い」と騒いでいるわりには動きはスムーズのようだ。その後は歩行器で歩き回って来たようだ。
   明日・明後日は週末でリハビリ室は閉まり、自主トレになるようだ。
   本日は風邪が抜けずにフラフラしているこちらよりずいぶんと元気そうなので、さっさと帰ることにした。1Fにある寝間着の貸し出し所に借りた寝巻を返しに行き、洗濯物を持ってそのまま帰って来た。

14/11/13

   TANUKI手術。12時から始まるので午前10時半には来てくれと言われて行ったのだが、特にやることもなし。11時をだいぶ過ぎて看護師さんが手術着への着替えと圧力靴下をはく監督に来た。エコノミークラス症候群を気にしているらしく、ガッチリとふくらはぎに圧をかける靴下をしっかりとはく。うっかりしわを寄せたり折ったりすると圧がかかり過ぎて危険だと言っていたからすごい。
   TANUKIのお向かいのベットの方が「手術室まで距離があるから上に何か着て行った方が良いよ」とアドバイスをしてくれたのでカーデガンを羽織った。
   その後、待てど暮らせどお呼びがかからない。4人部屋の1つ空いたベットに新しい人が入って来た。明日TANUKIと同じような手術のようだ。その内に部屋の皆さんのお昼ご飯もきてTANUKIと2人で「お腹減った」とひそひそ。
   結局「お待たせ」と看護師さんが迎えに来たのは1時20分過ぎ。前の手術が長引いたようだった。手術室の前まで一緒に歩いて送って行ったが、看護師さんが気を楽にしようとTANUKIに色々話しかけてくれているので特にこちらに役割は無し。昨日の看護師さんは「後は病室で待っていて」と言っていたが今日の看護師さんは「食事に行ってきます」というとOKを出してくれた。
   遠くまで行くのも気がひけたので病院のレストランに入ってみた。季節がらカキフライ定食を食べたが、病院食堂というイメージではなかったが、いいお値段だった。
   後はひたすら病室で待て。便りのないのは無事なしるしと言いながら、いつの間にか日は西に傾いて暗くなってくるし、座り疲れた。お向かいのベットの方は膝を痛めて入院も長いらしく、色々話しかけて気を紛らわしてくれた。
   ようやく6時前にベットごとTANUKIが帰って来た。先生が「報告します」と別室で手術をしてねじで留めたレントゲン写真を見せてくれた。思ったより大きい金具が入っていたのでちょっとビビる。後は感染症や血腫の心配があるが通常は心配はいらないとの事だった。その間に看護師さんが体調チェック。
   ようやくOKをもらって側に行けば、酸素マスクをしたまま「痛い」「口が渇く」と早速にうるさい。ふくらはぎはガッチリと足揉みマッサージに取りつかれていた。とりあえず終わりかけの点滴が終わって換えるのを見届けてきた。
   駐車場で「今日は手術だったんです」と言ったら「それなら24時間計算の駐車場の方が安かったね」と言われたが、こちらは初めてだし、入る時は忙しそうな時間帯で病院で教えておいてよと思ったが、「手術も終わって無事に痛がっていたから良いですよ」と言ったら駐車場の担当さんが「家のカミさんも膝を手術した事があって…」と話しだし、術後の鎮痛剤が効かなくて、片膝だけ手術して懲りて止めてしまったんだと仰っていた。
   いい加減遅くなったので家の近くのコンビニで夕食を調達。真っ暗な玄関ではなに熱烈歓迎された。

14/11/12

   午後TANUKIが日赤に入院。早昼を食べて送って行った。日赤の建物が改築工事中で八幡の藪知らず状態…。救急外来前まで車で入れる許可証を事前にもらっておいて、まずそこでTANUKIと荷物を下ろす。車を駐車場に持って行き、受付のある棟の入院受付で待ち合わせ。ここで手続きをした後、担当さんに連れられて入院病棟へ行く予定が、途中でTANUKIがコルセットをもらいに整形外科へ廻ったので、私と荷物だけ案内をされて病棟へ。受付の人はそこまでで病棟の看護師さんに引き継がれてしばし待ち。TANUKIも居ないが病室もまだ準備中だった。
   TANUKIが来てもまだずいぶん待ってから担当の看護師さんと看護実習の学生さんに連れられて病室へ。ここで荷物の整理をしたりTANUKIはパジャマに着替えたり、さらに書類のチェック色々。
   さて終わりかと思ったら、今日と手術当日(明日)と明後日の予定の説明の後、DVDで手術後の身体の動かし方(寝返り・起き上がり・シャワーなど)のお勉強。その後で術後に必要の浴衣型寝間着の借り出しなどのためという事にしてTANUKIと病院内探検。ただしすぐに「痛い!」とと言いだすので何とも困ったものだが…。
   とにかく駐車場側の売店の所から入ればエレベーターで一直線に病棟まで上がれる事が分かった。しかし、上まで戻って明日の手術時間を確認して帰る段には駐車場の割引をもらいにまた総合案内のある本館まで戻ることになったが…。
   ここから西日に向かって次は私が眼科の定期検査。眼科はよくもまあという混みようで、検眼から診察、お支払いまでに2時間半。診察の頃には先生もこちらも殺気立っていて「変わりはないようですね」「はい」の1言でお終い。次の予約を取って来た。
   何時の間にやら外は真っ暗。瞳孔を開く薬を差してからずいぶん時間が経ったので大丈夫だろうとそのまま車を運転したら、対向車のライトが線香花火の羅列のように見えた。

14/11/11

   消費税を再度上げるかどうかが政治課題となっているが、そのための景気判断がかまびすしい。上を見ていれば景気はよさそうだが、周りを見回せば不景気な話しか聞こえて来ないのだが…。
   それはともかく、日本の経済を本当に支えている土台は、農林漁業や家内工業的な1人親方の職人的世界ではないのだろうか。建設業での様々な職人さん達はかなり高齢化している。実は20年位前、多くの個人経営の工務店などが仕事にならないので子どもに後は継がせないと店をたたんでしまった事が大きかったのではないかと思う。その時点で次世代が育たなくなってしまった。
   次は東京・大阪なども含む小さな町工場が同じ道を歩むのではないかと心配をしている。1つ1つの経営は小さくてパーツに分かれているけれども、街全体として色々な職種が有機的に関わりあって大きな仕事をしていたこれらの職人が居なくなれば、日本の物作りは単に人件費の安い当たり前の物しか作れないありふれたものになってしまうだろう。
   しかし、彼らベテランの物作りに生きがいを感じている職人たちも、自社のマネジメントで苦労をする位ならば黒字の内に会社はやめて、そろそろ年金暮らしに入ろうかと考えている人が多いのではないだろうか。

14/11/10

   土曜日のスケートの中国大会での羽生結弦選手の練習中の衝突と怪我について、これでもかというほどワイドショーで取り上げられていた。
   今日になって診断結果が打撲と頭やあごの裂傷だけらしいのでややホッとしたが、取り上げ方で気になった点がある。
   まず、怪我を押しての出場をよくやったと褒めるものからコーチは止めるべきだろうというものまで様々な論調があること。人それぞれの意見はともかく、本人がやると言って出てきた(日本の医療チームは付いていないらしいが、アメリカの医療チームが一応危険はないと判断したらしい)のだから、それは本人を尊重すべきだろう。これが良かったか悪かったかは今シーズンの終わりに彼がどうだったか、そしてその結果をどう考えるかだと思う。
   もう1つは、技術が上がる事によってかなりのスピードが出ている事、今回も双方のスピードを合わせた衝突の衝撃は60km/h位だったのではないかと言われている。トップ選手の試合前の練習がこの混雑の中で安全なのかはしっかりと考える時なのではないだろうか。
   肉体を極限まで使うトップ選手の安全や健康については選手本人達の意見も含めてもっと考えられていいのではないだろうか。

14/11/9

   東日本各地で積み上がっている放射性物質を含んだ汚染物質の処理場について、各地に汚染源を残すよりもそもそもの汚染源の福島第1原発に取りまとめて処理をするべきだという意見が、他の自治体から出ているそうだ。環境相は「福島にこれ以上の痛みを負担してもらうべきではない」と言っているようだが、そもそもの汚染源は福島第1原発であり、この原発のお陰でこの地域が色々と潤ってきたのも事実のはずだ。そこにはこのような過酷事故に対する補てんの意味も含まれていたのではないか。やはり汚染源にすべてを集めて処理をするのが国全体の安全を確保するには1番合理的だと思う。
   今回特に他の自治体の汚染物質埋め立てを計画されているような場所は、山間部など人の少ない場所ではあるが、管理がしきれなければそのまわり全体が住めなくなりかねない。だからと言ってこの地域の住民にそんな場合の保証が出るという話もない。
   人が少ないからとこのような事をしていれば結局、そのすそ野にある多くの住民が住む平野部に環境汚染のツケがまわってきかねず、自然災害の前に人口減少、日本消滅を加速しかねない。
   他人事で言っているわけではない。我が家から浜岡原発は30km圏だ。浜岡で何かあればという当事者でもある。(その時、生きていれば…)
   原発立地自治体は自然災害だろうと人為的な事故だろうと、一度大きな事故が起こればそれを抱えこまなければならないというくらいの覚悟を持って今後どうするかを決めてほしいものだ。

14/11/7

   沖縄で知事選の最中のようだ。中心テーマが米軍の普天間基地移転をどうするからしいが…。この問題に関しては賛成1、反対がいくつもに分かれているようだし、だからどうするも色々あるようで、これだけをテーマにしていたらいつまでたっても振り出しに戻る際限のないものになりそうだ。
   他にもテーマは色々とあると思うのだが…。皆さん悪い所ばかりをあげて何とかしようと叫んでいるが、地方創世の最先端も沖縄ではないかと思うのだが。
   私は本島しか行っていないし、団体旅行なので観光地付近しか知らない。しかし、沖縄の皆さんはみな陽気で元気な人達だった。そしてここがこれからの日本に大切なポイントだと思うのだが、お年寄りも子ども達も普通にゴタ混ぜで地域の中にいた。県民所得が低いというが出生率は高い。赤ちゃんが生まれれば育つ環境にある。空は青いし木々は豊かだ。
   地域の独自性をどう生かすかは、基地問題と同等に問われるべきではないのだろうか。

14/11/5

   今月は児童虐待防止月間だ。
   残念ながら児童虐待は無くならない。望まない妊娠から生まれた途端に死なせてしまうこともあれば、待ち望んでいたはずなのに産後ウツなど母親が子育てどころではなくなってしまうこともあるし、父親が父親になりきれない場合もある。さらには、家族の形が複雑な家庭も多くなってきて、感情をうまく調整できないなどという場合もある。
   子育て家庭の問題だけでなく、保育所や学校の子どもの声を騒音と感じる大人たちの感性も子どもにとっても子育てにとっても大きなストレスとなっているように思う。自分にとってのストレスには敏感でも周りの子ども達のストレスには鈍感な大人社会は現代日本の大きな病のような気がするのは私だけだろうか。

14/11/2

   風邪を引いてダウン。数日前から喉がおかしく咳が出ていたのだが、昨夜は水洟が止まらなくなってきた。今回は風邪さんに早めの退散を願わないと諸々の段取りが壊れて行くので、今日は布団の中で停滞。
   とはいうものの朝からテレビ三昧。全日本大学駅伝を聞きながしながら(駒沢大のブッチギリだったが、シード権争いは面白かった)ウトウトしていた。やはり体力が落ちていたらしくよく眠れる。
   午後は競馬、G1の天皇賞。スピルバーグというノーマークの馬が最後に突っ込んで来て優勝して、けっこうな配当が付いたようだ。
   そして最後はJ1サッカー。清水が川崎を3-2で突き放して何とか今日は降格圏から這い上がった。
   1日ゴロゴロしていて、ようやく鼻水や咳からも解放されダルさは抜けつつある。

14/11/1

秋の雨マタタビまぶす猫の毬     DORA

10月    12月