ちょっとした感想   

15/5/23

   テレビのワイドショーが日本の水族館からイルカが消えるかもと騒いでいる。世界の動物園水族館協会が(日本も加盟しているわけだが)日本で行われているイルカの追い込み漁は非人道的だから止めなければ協会を除名すると言ってきたらしい。
   一筋縄ではいかないのは今や希少となった動物達の種を保存して行くためには世界の動物園が協力をして繁殖を行い種を継続させる必要があるからだ。日本の動物園でも世界の動物園と様々な動物の貸し借りややり取りで繁殖の努力をしている。また近親交配で遺伝子型が限られるのは良くないのでこれは大切なことである。
   日本は協会に残る事にしたようだし、そのこと自体は結構な事だが、果たして追い込み漁は非人道的だろうか。
   日本人にとってはクジラもイルカも食料でしかない。いうなれば牛や豚・ヒツジと同じ、むやみに殺しては次に食べるものが無くなるから必要なだけ捕ってきた。何千年も前の縄文時代からずっとそうして来た。そして現在に至るまでありがたく食料にしている。そこで『人道的』という言葉をクジラやイルカに使うのはものすごく違和感を感じる。ヨーロッパやアメリカの人間は大型船で外洋に出られるようになるやいなや脂を取るためだけにクジラを大量に殺戮した。人道的か否かはともかくとして、この事の方が由々しき問題ではなかったのか。
   今度は調査捕鯨の見送りでクジラの肉不足で国際捕鯨委員会に加盟していないアイスランドからクジラ肉を輸入するというニュースも聞いた。アイスランドのように意見の違う組織からは身を引いて、国のきちんとした管理下で捕鯨にしろイルカ漁にしろ行い、食用とせずに捕るだけの国からの輸入を禁止した方が筋が通るような気がする。ウナギやマグロなどもそうだが、日本が他国から輸入しなければ資源枯渇の心配もなく、国内ではご馳走となる食文化は国がきちんと守るように情報を発信するべきではないだろうか。
   どちらにしても都市に焼夷弾を落として非戦闘員を多数殺し、原爆や枯葉剤で後に生まれてくる命までも危険にさらしている非人道的な行為をしてきた人々にイルカ漁を非人道的だとは言われたくない。

15/5/17

   『吉福伸逸の言葉』という本を頂いて読んだ。サブタイトルは「トランスパーソナル心理学を超えて追及した真のセラピーとは」となっている。
   吉福さんはジャズメンからセラピストになった方だそうだ。昔からそうらしいがセラピストという仕事はそこからスタートをする人よりも別の事をしていて何かのきっかけで転身する人が多いような気がする。この人もトップクラスのベイシストとしてアメリカで活躍されながら挫折を感じて哲学へ、さらにはサンスクリット語の学習へ、そしてセラピーの世界へと進んだそうだ。
   セラピーというと日本語的にはすごく大雑把な概念となるが、グループワークの中にドンとあってメンバーの心が動いて行くのをみとっているようなやり方をされていたらしい。
   理論については使われている言葉は簡単でも内容は言葉以上に感性で伝えようとしていたらしいので、お弟子さん達に任せてここではカットする。そして、それをまた補足説明するような吉福さんが語った100の言葉の解説がされている。
   たくさんの言葉の中から著者に選ばれた100の言葉だ。
   これも『わかっているということが、経験と自分の間のブロックとなる』というような、知識だけじゃだめだよというようなものから、『同じ価値観を持つ集団は、独裁者を作る』のようなものまである。最後に『伝わってますかね?』を置いているのは吉福さんも著者も言葉が聞き手に共有されているかを確認しながら伝えて行きたかったからではないかと思う。
   普通に「人は」というくくりの中で話される事、セラピストとしての立ち位置からお弟子さんに話される事、今の社会、アメリカでの9.11(同時多発テロ)や3.11(東日本大震災)などを経験した中での現代社会に対する言葉など、彼の語る短い言葉から吉福伸逸という人を多面的に描き出している。

15/5/15

   隣組の方のお父さんが亡くなられてお通夜だった。こちらに住んでおられたわけではないが、ご実家はご両親だけという事情もあり、息子さんのいるこちらに近い葬儀場を使われたようだ。
   90歳になられていたそうだが、最近までお元気だったとの事で写真とあまり変わらないお顔で休んでおられた。
   お通夜のお経をあげに来られていた尼僧さんが、天實守一清信士という戒名について、「枕経に伺った時の高い空が印象深くて、頑固で実直だったというお人柄と戦争を含む長い人生に敬意を表して決めました」と話されていた。
   我が家より少し遅れて家を建てられて、その頃はまわりも畑だらけで家が近かったので、ご両親が見えられていると家の両親なども立ち話程度のおしゃべりをしていたようだ。
   ご冥福をお祈りしたい。

15/5/14

   北村薫の『慶應本科と折口信夫』を読んだ。父上の日記に取材をした作品『いとま申して』の第2作に当たる。
   中学時代は童話を書く事に熱中していた少年も大学生になって友(後に演劇評論家となっている)の影響もあり歌舞伎に熱中する。一方、文科の学生として折口信夫に師事して民俗学の研究をする。しかし、その頃、家の経済が傾きだしたのが実感されてくる。その中で小遣いをやりくりしながら歌舞伎だ、研究旅行だとかなりのお金を「大変だ」と自覚しながらつぎ込んでいるので、お坊ちゃんとしては苦労をしているというところだろうか。
   また、折口に師事しながら先生にベッタリではなく、「民族学は金がかかる」と思ったり、別の講座の研修旅行に行ったりとかなり自由に行動をしている。
   この巻でもう1つ興味深かったのが、親類にアメリカに渡った人がいる事で、曲芸師の通訳として海を渡って住み着いている。
   実は私の母方の祖母方を横にたどっていくと江戸末期か明治の初めに洋行をした人がいるはずらしい。誰かエライさんのお供で行き、必要に迫られて覚えた英語で身を立て、曾祖父も英語の教師になっている。まだ珍しかったせいか性格に難があって一所に長くは住めなかったらしいが、校長つながりで次々と次の職場をあっせんしてもらって失職はしなかったらしい。話が横にそれて行くが、私の家系の歴史をたどりたくて1巻目も手掛かりがないかと読んだのだが、ここでも面白いつながりが出てきた。ただし直接の繋がりが見つかったわけではない。
   この2巻目の作品は当時の大学生群像を描きたいという作者の意図があるようだったが、それよりは1人の少年が、青年となっていく中で、まわりの人との関係や家族の中での立ち位置に気を使いながら成長をしていく物語として興味深かった。

15/5/13

   地球が震えている。比喩ではなくここ何年か地震や噴火が多い気がする。確かに情報網が発達して、昔ならばすぐには伝わらないような事もあっという間にニュースになる。
   この季節に日本直撃の台風が来るのは気候温暖化のせいなのか、地球規模の気候変動も起きているようだ。
   しかし、どちらも人間にとっての大問題であるだけで、地球にとっては当たり前の状況なのかもしれない。我々生き物は地球という船に乗せてもらっているだけ、だとしたらその地球を壊さないように気をつけるとともにその地球の動きに合わせて安全を確保するための研究や努力をするべきなのだろうと思う。

15/5/10

   詩人の長田弘さんが亡くなったそうだ。ご冥福をお祈りしたい。詩人である事は知っていたが実は1篇も読んでいない。
   なぜ書きだしたかと言うと若い頃に読んだ『ねこに未来はない』の著者だからだ。小説なのかエッセーなのか、若夫婦がネコを飼うのだが、昔の事で色々な事情で、また外飼いなので、すぐに居なくなってしまい、次々と新しいネコに出あっていくような話だった。
   私のまだ学生時代、ハードカバーの本などぜいたく品でエイヤ!と気合を入れて買った本だ。この本あたりが日本でのネコ本ブームの初めでもあったような気がする。
   実際に高校時代にもらった我が家の初めてのネコのキョンとの付き合いは2年半位、次のキジ君は生まれたての子だったため2月足らず、3匹目のトラ君とも1年半位の付き合いだった。今のように猫達が長生きするようになったのはつい最近の事、ペットフードと屋内飼いが主流になったためだろうが、ねこにとってどちらが幸せかは猫に聞かなければ分からない。

15/5/6

   月日の経つのは早い。結婚してあっという間に35〜6年経ってしまった。〜が付いているのは、「35年が過ぎた!」と私が言えばTANUKIが「36年だろ」と言うからで、まあ、数えるのが面倒になるほどの年が過ぎたという事だ。子供でも居ればその年齢を数えれば良いのだが、ネコでは次々代替わりをして、かえってややこしい。
   今日、池袋のサンシャイン60の展望台がリニューアルのため今日で閉鎖すると言っていたが、あれはまだ私が東京に住んでいた頃に出来たはずだ。ただし、混雑も並ぶ事も嫌いなので結局1度も行っていない。超高層ビルが出来たと騒いだはずだが今やビルの中にに埋もれている。
   その間にはこの辺も様変わりをし、平日の昼間は1時間に1〜2本有るか無いかだった東海道線の静岡行きも10分間隔位になった。今は車ばかりになってあまり使う事も無くなったが…。それとともに建物がぎっしりと混みあい、梨畑も田圃も少なくなった。この季節、カエルがうるさいほどに鳴き、星も降るように見え、小川に花菖蒲の花が咲いていたのだが、みんな遠くなってしまった。

15/5/5

   5/2にイギリスのウィリアム王子家に女の子が生まれた。日本のマスコミも一緒になって大フィーバーだったが、ようやく名前が決まったそうだ。
   シャーロット・エリザベス・ダイアナ王女。1番初めの名前が呼び名になるので、これは生きている近しい人とダブらないように、ただしウィリアム王子の父皇太子のチャールズの女性形の名前だそうだ。エリザベスは王女から言えば曽祖母に当たる現女王の名前、最後のダイアナはウィリアム王子の母の名前と王女からすれば祖父母の名に囲まれた名になったようだ。
   王家といえども現代に生きている人々で色々ないきさつを思い出すが、ここは一族の愛情の込められた名前をつけられて新しい命が健やかに成長する事を祈りたい。

15/5/1

   昔々、大昔、流行りに乗って編み物をやった事がある。結局、持久力がなく皆やりかけのまま、いまだに毛糸やらレース糸やらが編みかけのまま古漬になっている。
   もう1つ、裁縫用の小物入れの中に、ボタンや糸などとともにレース付きのバイアスの半端がかなりの色数、捨てないままになっている。子供服の端の始末や小物の縫い代の始末、ポケットのあしらいなどにちょっとあれば良いので使いかけを残していたのだが、こちらも何年来休業中。器用ではないが嫌いでもなかったのだが、だんだん億劫になってしまった。
   何で思い出したかというと、今回の『俳句でおしゃべり』のお題の1つにレースが入っているからだ。いかにも涼しげな季題だが、意外と扱いが難しい。

4月    6月