02/10/28
新聞やテレビだけが大騒ぎをしていた衆参議会の補選も終った。
どこの政党が勝った負けたと騒いでいる場合ではない。この投票率の低さをニュースメディアはどう考える!
半数以上の有権者が、そっぽを向いている情況は民主国家として正常だろうか。イラクのフセイン大統領の信任率100%を笑っていられる情況ではない。
「政党が政策で勝負しなかった」とメディア側は言うが、政党にそんな余力のある選挙区はあまり無かった。メディア側も立候補者を識別するほどの情報は有権者に提供できなかった。政党はそうすぐに変りそうも無いので、メディアが政治記者ではなく、まったく部門の違う記者を投入して、次の選挙の報道を作ったらいかがだろうか。それによって有権者の意識の方が変るかもしれない。
02/10/27
また週明けには北朝鮮との外交交渉が始まる。
交渉を続ける事は大いに結構だが、安易な妥協は禁物である。隣同士、政権がどうなろうと国民同士は延々とお隣さんを続けなければならない。
その点で気に掛かるのが、北朝鮮に拉致されていて、この度帰って来た人達の行く末である。彼らは日本で教育を受け、北朝鮮で大人としての生活を続けてきた。どちらの文化も感情もわかる貴重な人達である。もちろん在日朝鮮人の人達は多数日本に居るし、戦後、在日朝鮮人と結婚しているために北朝鮮に移り住んだ人達も、まだ多く存命されていると思う。彼ら全部が東アジア全体の平和と暮らし易い地域作りのために、それぞれのアイデンティテーを持ちながら尽力をしてくれれば、もう少し気持ちが通い合え、何処に住もうと行き来できる環境が整っていくと思うのだが。
もう1つ気に掛けておかなければならないのは、日本人同士で結婚された方達と違う立場の曽我さん一家や、北朝鮮人の父親を持つ横田めぐみさんのお嬢さんには、また別の考え方をしなければならないという事である。気遣い無く自由な行き来を要求する事は、日本側にこそ意義があるものと考える。
02/10/24
いつもなら鍼の先生に行くところだが、先生はまだ国体で高知。
そこで榛原郡金谷町にあるお茶の郷へ行ってみた。島田から大井川を渡って牧之原大地に入って行くところにある。お茶に関する博物館に、お茶室、お茶をはじめとするお土産屋さんがついている。
博物館に入ると、3Fでまず世界のお茶っ葉とご対面となる。ここでその時の展示に合わせたお茶の試飲をさせてくれる。本日はトルコのチャイ。このチャイはミルクや香料は入っていない甘い紅茶だった。
次に中国上海の湖心亭を模した茶室。ここでは中国のお茶の茶道を教えてくれる。ただし実演は日曜日だけだそうだ。飾られている巨大な急須は中国浙江省からの頂き物だそうだ。真中にある巨大な茶の原木の模型を回るように、トルコのアンカラのレストラン、ネパールのチベット族の家それぞれに茶道具が並ぶ。
2Fは日本のお茶の歴史。出口附近は特別展示でトルコのお茶と料理についての展示があった。ここを出ると地元金谷のお茶とお菓子の接待。広い窓から大井川と金谷の町が一望できる。
そして1Fから茶室に回る。小堀遠州の綺麗さびの世界を作り出している。建物は小堀遠州が住んだ京都の伏見奉行屋敷と岩清水八幡宮瀧本坊を合わせたもので寛永期の代表的な建築だそうだ。庭は遠州が作事奉行を務めた仙洞御所の東庭を、やや小さめに復元した物だそうだ。池を中心とした池泉回遊式庭園となっており、四季それぞれの眺めを順に植栽してある。
庭園奥の築地塀の向こうには橋をテーマにした露地になっていて、本来はこちらから廻って待合に入るようになっていたらしい。
お抹茶も頂いてなかなか楽しいひと時だった。お茶の郷のホームページ http://www.plaza.across.or.jp/~cha-sato/
02/10/21
秋休み、魅惑的な言葉ではある。政府がこれから流行らせていこうとしているらしい。まとまった休みがあれば何かができる。その何かのためにお金を使う。また、休みを取る人があるという事は代替要員が必要になる。失業率が下がる。ともにけっこうな皮算用である。
しかし、みんな一緒はどうもいただけない。どこへ行っても混雑するし、飛行機や宿などは割高になる。さらに、銀行や役所に用があっても閉鎖している。次の休みには医者に行こうと思ってもこれも休診。
そして、警察や消防、病院や福祉施設など24時間体制の所に勤めていれば、学校の休みに合わせて親が休みを取る訳にもいかない。これは行楽地の施設や商店等にも当てはまる。そういう家庭の子供達にとっては、つまらない1日にしかならない。子供が小さければその間に面倒を見てくれる人を探さなければならなくなる。
この際、子供も含めて「皆勤賞」などというものに価値を見出さず、必要な時に休みが取れる、労働者に対しては年間の上限労働時間を低めに設定して、超えたら罰則を科す位の政策を考えれば、同じ事は実現するのではないだろうか。しかも、誰かがいつも仕事に付いている状態になる。個人はゆとりを持ちながら、社会は世界の中でフルに活動している、魅力的ではないだろうか。
02/10/20
祭りの写真を撮りに行っていたので、今日のサンデープロジェクトは後半をちょっと見た。
ちょうどこれからの経済政策を論議していた。
話のつながりが分らないまま見た資料に、日本の国の財政を圧迫している主因として、社会保障費の増加(失業保険や年金)が大きいという話が出た。
な〜んだ、それなら失業率さえ下げれば済む話じゃない。
失業保険の給付よりも仕事が欲しい人のほうが多い、定年を過ぎても元気なうちは働きたい人は多い。この人達が働ける環境になれば必然的に支出は減る。ある程度年をとっても、自分でお金を稼いで生活ができれば、年金も本当に必要な人達に重点的にシフトできる。この人達が働ける環境を作る事こそが政策ではないのだろうか。
失業中の方の中には独立して仕事をしたい人もあるだろう、お年寄りの中にはフルタイムで働くのはかなわないという人も居るだろう。色々な働き方ができるように企業や投資家の発想を変える支援をしていく事も政策の内ではないだろうか。政治家の皆さん、まずあなた方の発想を豊かにして下さい!
02/10/16
昨日配達・設置してもらった洗濯機で初洗濯。
ところが排水しない!朝の忙しい時に!
こんな時はじいちゃんの出番。「お父さん!ちょっと来て」となる。
結局、洗濯機が一回り大きくなり台一杯になったため、排水ホースが本体に押しつぶされたらしい。
有り合せのタイルでかさを上げたが、本来はここまでが設置の範囲じゃないのだろうか。(配達料金を払ったんだし)この電気店で今後大きい買い物をするのは、ちょっと考えてしまう体験だった。
02/10/14
昨日は台風22号が遥か太平洋上を通過していた。日本の太平洋側の天気はほとんど晴れ。
熱海では堤防で釣りを楽しんでいた人達が高波にさらわれた。2人死亡。まだ行方不明者が居るのではないかと、今日も捜索や置かれている車の所有者の安否確認がされているらしい。
そして、志摩沖と伊豆沖で伊勢えび漁の漁船2隻が転覆。3人死亡、1人行方不明。志摩沖ではプレジャーボートの転覆でも1人亡くなっている。
亡くなった方の年齢を見ると皆さん経験豊富な大人である。特に漁業従事者は地元の海の気象や波・風を読むプロであったはずだ。
我々は自然現象からの危険を読み回避する能力を失ってしまったのだろうか。
02/10/12
不景気・リストラ、とすっかり頭の中で対句になってしまった感がある。
確かにリストラは不景気に対抗するために必要である。しかし、リストラとは単なる人減らしだろうか?
文書や帳簿の作成や品物の管理などはパソコンなどの機械力によって効率化された。製造のラインもロボットなどで効率化が図られている。このような所では人数を減らすというのは確かにリストラになるだろう。しかしその余った人はどこへ行くのか。一つは次の一手を考える企画・研究部門、もう一つが規格外の規格を極める熟練工の技だろう。「ここをこうしたい」の要求にこたえる細かな技術は一朝一夕にできるものではない。企業はこのようなシフト替えをきちんと行っているのだろうか。
もう一つは社会全体の働く人のシフト替えである。いまだに幼児が病院のたらいまわしをされて亡くなってしまうのが日本の現実である。医療現場の人間が足らない。福祉現場でもお年寄りの誤飲事故や転んでの骨折はよく起こる。見守る人の数が足らないからである。警察も30年近く前の行方不明事件を追いきれず、今ようやく北朝鮮による拉致だと認識したようでは人手不足だ。さらに、学校が荒れるのは幼児期から親がしっかり見守り、社会ルールをしつける余裕が無いからである。産前産後休だけでなく、育児休暇、病気の時の看護、学校行事や地域の行事への親の参加などの休暇を、本人の休暇とは別に取れるようにするべきだ。同時に休む訳ではないが順次休みを取る事を考えると、そのフォローを考えたローテーションで仕事の人数を組まなければならない。
日本に失業者が増えるなどとんでもない!人は足りない位なのではないだろうか。
02/10/11
ついに10年来使ってきた洗濯機の脱水機の調子がおかしくなった。完全にお手上げになる前に電気屋さんへ。2槽式の大き過ぎないものが良いと思っているので、どこの店でも大して数が無い。
始めに「洗濯機を」と言って応対してくれた女の子は商品知識がほとんど無い。援軍で出てきたおじさんは途中でそれとなく消えた。本当に商品を売る気が有るのかいな?
とりあえず決めて先ほどの女の子に言えば、在庫を見に行ったままモタモタ。どうやら在庫が無かったようで、バトンタッチをした店員さんに「今あるのが壊れそうなんだ」と言ったら、支店をあちこちに聞き合わせて探してくれた。しかし、「探してみます」とも言わずいきなり携帯電話。他所の店に行ってみようかと店を出る気になった頃に、ようやく彼の親切心が分った次第。
スーパーの売り方になれて、買う気のあるお客に買いたい物を売るという商業の基本が抜けている事が、「物が売れない」の一因ではないかと思った午後だった。
02/10/10
昔々、「これ以上円が高くなったら我々はやっていけない」と大企業が大騒ぎをした時があった。確か1ドル130円あたりだったと思う。しかしデッドラインと言われていたポイントは軽々とクリア。それでも我々はバブルに踊っていた。
今日、株価がデッドラインと言われていた8500円を下回った。経済マスコミは「えらいこった」と騒いでいるが、本当だろうか。世界標準から言えば我々はお腹一杯食べ、着る物に困る事も無く、山のようなゴミを出している。
日本という国は明治以来組織を守るために人を切り捨ててきた。眉に唾をつけてしっかりと目を見開いているべきかもしれない。
02/10/9
日本では心理学は仕事に結びつかない。多分今でも。
しかし、今ほど各分野で心理学の素養を持った人材が居れば良いのにと思う事も無いのではないだろうか。
警察、学校、福祉施設、自治体、きちんと訓練を積んでピンと来る人が1人でも居れば未然に防げる問題で人が死んでいる。実は日本ではしばらく前まで、心理学という科学はあまり必要としなかった。親族の中で、地域の中で、問題を解決する無意識のシステムが働いていた。お年よりであったり、世話好きなおばさんだったり、身の回りの誰かが話を聞き調整をして問題を解決していた。
また同世代集団が機能して仲間の中で開放される事で解決をする手段もあった。しかし社会組織としての集団が、成績だけで輪切りにする学校や、経済のための組織によって分解されるにつれて、個をそのまま受け止めてくれる組織が消滅してしまった。
これが心理学が仕事として取り上げられる必要を生み出したと思う。
02/10/7
昨夜は自治会の運動会の後で組の慰労会があった。組内24戸、できれば夫婦で参加という事になっているので、例年小さな居酒屋を貸切という形になる。
運動会で子供達に会って「あら、お兄(姉)ちゃんになったの?」「えっ、もう中学生?」なんてビックリするのだが、夜の会では「子供さんの結婚」が旬の話題である。引っ越して来た頃の子供達がみんなそんな年齢になってきている。
当時は慰労会も公園で持ち寄り料理でやっていた。子供達も、ちょっとやって来ては食べたり遊んだりしていた。やがて子供達は出て来なくなり、親の方も運動会も料理の準備や後片付けもという元気がなくなって、今の形に落ち着いた。しかし、地域の情況を知るという意味では、家族総出の集まりも捨てがたい。そろそろ次世代の子供達が皆で遊べる年頃になってきたが、どうなっていくだろうか。
それにしても、行きはよいよい、帰りは天気予報通りに雨が降ってきた。
02/10/3
銀行のペイオフ制度のスタートをまた遅らせるらしい。
マクロ経済はよく分らないのだが、例外の多いルールというものは、ルールとして適切ではないという事ではないだろうか。どうせなら初めからキッチリと考え直したらどうなのだろうか。
ルールは単純で万人に分り易い方が良い。それで不備ばかりが目立つようならば、そのルールは問題があるという事になるのではないだろうか。
02/10/2
原子力発電所が疲弊している。まず、それを運営する人間の組織に、危険なものを扱っているという意識が無くなっている。さらに、作られてからの年月による構造物の経年疲労が出て来ているようだ。そして、使っているものは新品のまま置いておける訳がないという当然の事から、危険の境界線が誰にも分からなくなってしまっている。
世間の人々、特に原発立地地の人々が胡散臭さを感じて見ている時、小さな事件・事故でも命取りになる。細々とメンテナンスを続け、情報公開を続ける事で、地道に信用を回復できるかどうかの正念場に掛かっている。
しかし、このような時だからこそ、他のエネルギーの研究開発に真剣に取り組むという選択もあるし、エネルギーを大規模な会社で集中して作るのではなく、小さなエネルギーの積み立てでまかなうという考え方の研究もしておくべきかもしれない。
02/10/1
今日から10月。本年度の後半が始まった。
そして、このホームページも住居表示(URL)が変更になった。それに伴って、変更のメールを友人・知人等、メールアドレスを頂いている限りの方にお送りした。
実は、アドレスを交換しただけで、ほとんどやり取りの無い知人も居れば、Web上だけで知り合って、何かのきっかけでメールを頂いた方もある。普段良く使うもの以外は一まとめに入っていたのだが、ハンドルネームやアドレスだけで入っているので、「この方誰だろう」というものがけっこうあり、返事を頂いて納得していたりする。
年賀状の季節には互いに事前に計画をして、やり取りをするが、こういう不定期なやり取りは、それぞれの個性が出て楽しいものがある。