ちょっとした感想   

02/11/30

   サッカーJ1の最終戦。清水は良い所なく神戸に敗れた。木曜日にAFCチャンピオンズリーグの試合をしたばかりなので疲れはあっただろうが、情けない試合だった。後期は後ろから数えた方が早い成績。若手に切り替え中とはいえ、もっと気合の入った試合が見たいものだ。
   優勝は磐田の完全優勝で終わってしまったが、残留争いは熾烈だった。神戸、柏は共にホームの利を生かして勝ち。広島はすでに陥落決定の札幌と壮絶な点の取り合いの末、ホームの札幌が延長Vで競り勝った。負けた広島が札幌と共に陥落となった。広島も負けて落ちたのだから切り替えがつくだろう。
   明日からは天皇杯。どんなゲームが見られるだろうか。

02/11/27

   昨日の続きをもう少し。
   ここ焼津市はもちろん県が被害想定域とした10kmより離れている。一応県の想定に従って放射能汚染等は軽微という事にしておこう。それなら何も問題が無いか?と言う訳にはいかない。すぐご近所で大災害が起きたのである。消防・警察・医療関係者はまず、応援に出る事になるだろう。また東側からの道路の封鎖や安全確保のための迂回は静岡か焼津から始まるだろう。ここからならば東名やR1に一般車を流してR150を災害対策に確保しても混乱は最小限で済むはずだ。
   さて、市役所・警察・消防・病院・保健所等にこの対応マニュアルがあるのだろうか。少なくとも市民に公開はされていない。
   さらに、ここは問題ないと言ってもケースバイケースと言う事もある。妊婦や赤ちゃんなど遺伝子に影響を受け易い人は大丈夫なのだろうか?子供達を外で遊ばせて大丈夫だろうか?ペットの犬も家に入れたほうが良くはないか?それとも避難した方が良いのだろうか?どこまで?そして農産物や魚介類など地元の産品を市場が受け入れてくれるだろうかという心配もしなくてはならない。
   私としては情報公開が一番良い解決方法だと思う。原子力安全委員会というものもあるようだし、各大学の物理学科には核物質を取り扱う研究もあるはずで、どの程度ならどの位の心配をすれば良いという程度のものはすぐに作れるはずだ。事故が起これば、地震情報同様に、どこまではどの程度の心配をするようにと情報を流せば良い。
   今朝の新聞に『東海地震は何時来てもおかしくない』という話も載っていた。今すぐ原発を全部なくせと言うわけには行かないし、原発から出た核のゴミは自分たちが出したゴミとして責任を持たなければならない。しかし、とても危険になりうる物を扱っているという意識を常に国民全体と共有していないと、大きな被害とともに解決不能の問題を早晩突きつけられる事になると思う。

02/11/26

   半月ばかり前に毎日新聞の地方版で、浜岡原発の特集があった。原発本体は1号〜4号機までの全機がメンテナンス中。5号機が建設中である。本体の問題以外にも、地元の経済的な問題や気持ちのずれ等きちんとした方が良い問題は多々あるようだが、私が一番愕然としたのは、原発から半径10kmを外れた地域には「事故の影響が起こる事はありえない」と防災マニュアルを作る必要は無いと県が指導しているという記載であった。
   しかし、ありえないと断定する事が出来るのだろうか。しかも浜岡原発は東海地震で騒がれている御前崎の断層近くにあるのである。しかも海の側、きつい風で有名な所である。事故の程度とその時の気象条件で、地図上に引いた線の所で被害が止まるとは到底思えない。
   さて、では10kmを超えて被害にあったとして、国の無策で被害にあったと訴えた場合に損害は認めてもらえるのだろうか?法律を仕事としている方にちょっとお尋ねしてみたのだが、『被害想定自体に問題があれば、当然国や県の不法行為(被害想定の甘さ)が認定され、国家賠償の責任が認められるでしょう。ただ、想定よりも広い地域で被害が出た場合でも、その想定作業に関して過失がなければ、認められないとお考え下さい。』との事だった。ただし『私は、被害想定を超える事態になれば、当然に国の被害想定自体が間違いであり、「過失」であると考えています。だって、「想定外の程度でしたので、国には責任ありません。」だなんて言われてもね。』との私見を付け加えてくれた。
   しかし、転ばぬ先の杖。事故が起こるのを待って対策を作るよりは、今、小さな事故で済んでいる内にきちんとした対応とシュミレーションを、みっちりとやっておく事が大切だと思う。
   そして何よりも、もっと安全で出来れば安価なエネルギーを探す努力も大切だと思う。

02/11/22

   ケーブルテレビのニュースは1週間同じ物を流し続ける代わりに、超ローカルネタを取り上げてくれる。
   本日からのニュースに、岡部町の玉露の里に俳人の村越化石氏の句碑が建ったというニュースがあった。
   氏は岡部町の出身で、少年期にハンセン氏病を患い、群馬県の療養施設で俳句と出会ったそうだ。「あなた方の身体は病に冒されているが心は元気なのだから」と師に励まされて句作を続けられたそうだ。
   この句碑の除幕式のために60年ぶりに故郷を訪ねたと言う。

望郷の寝覚む八十八夜かな  化石

   句が刻まれた句碑は、点字もつけられている。目もご不自由な化石氏のためだろうか。
   句碑の製作は藤枝市の杉村孝氏である。この方の可愛らしいお地蔵さんの写真のカレンダーは、私がお世話になっている鍼の先生のお気に入りで、毎年頂いては楽しんでいる。

02/11/20

   静岡県内でも農家にダイホルタンなど無登録農薬を売っていた農薬会社の社員が逮捕された。
   問題なのは、危険が判明して禁止になる前に使用していた農家からのオーダーで、個人で手に入れて販売していたという事である。
   効き目が長持ちしよく効くという事で、農家にとって作業能率の良い農薬だったようだが、結局その毒性が人体にも危険を及ぼす訳である。作物の前に使用する農家の人、土・水に危険が広がる。本来ならばまず使っていた人達が自分の身を守るために止めるべきものである。
   もう一つ気になったのは、この事を受けて県経済連が不使用農薬の一斉回収の方針を出した事である。という事は、使用しないまま置いてある古い農薬が農家の倉庫にはかなり残っている可能性もあると言うことなのだろうか。農協という組織、ただ農家に物を売れば良いというだけならば、一般の商店とどう差別化するつもりなのだろうか。

02/11/15

   『静岡の文化』という雑誌がある。それで朝鮮通信使の特集をしていた。
   江戸時代唯一の国交のあった国、朝鮮からは何年かおきに使節がやって来る。東海道もその通過ルートで、徳川御城下でもあったので様々な交流があったらしい。お寺などには使節団一行に書いてもらった扁額などが残されているそうだ。
   ところでこの再発見は最近の事らしく、昨年通信使のパレードを再現しようという試みがあったそうで、この報告特集になっている。(聞かなかったなと思ったら実際には雨で中止となったそうだ。)この際、民団、総連の双方の団体にも声が掛けられ、協力を得たそうだ。
   主義主張も大切かもしれないが、人と人を繋ぐこのような作業も大切な事だと思う。

02/11/12

   北朝鮮に拉致されていた方達の地方行政側の支援体制が整ってきた。結構な事だと思う。
   しかし、北からの帰還者は彼らだけではない。戦後国策で帰った朝鮮籍の人々とその日本人妻など家族がいる。また南米等への移民も経済的な問題などで、その子供達等が日本に出稼ぎの形で帰ってきている。戦後中国大陸に置き去りにされた中国残留孤児とその家族もいる。さらに、国連の一員としてベトナム・カンボジア等から受け入れた難民もいる。
   国民を保護する事は国の主な仕事だが、国策に従って生命の危機に合われた人々は、その中でも特に国が責任を負ってアフターケア行ってもらわなければならない。
   脚光を浴びニュースになる部分だけでなく、地道な仕事をしてもらわなければならない。

02/11/9

   今週のしりとり俳句のお題が『夢』。
   人間は毎晩4本立ての夢を見ているらしい。目を覚ました時にその直前の夢を覚えていると夢を見たと思うらしいが、私は最近ほとんど覚えていない。
   昔はよく落っこちる夢を見た。足の下に何も無くなり、すと〜んと下降する夢。その結果目が覚めるので、あまり気持ちの良いものではない。
   そんな私もたまに後まで鮮明に覚えている夢を見る。パピが死んだ後の秋、義母、母とも体調が悪く、その上、義兄まで心身の調子を崩した時があった。実際には、目の前の現実に対応するのが精一杯だったが、かなりストレスを溜め込んでいた。
   そして、夢の中でパピにあった。でっかい顔をして人間語を喋る。「会いたがっている人に頼まれた」と言うので暗い道を付いて行った。大きな川の側で、T家のおじいさんと和賀じいさんとO家の先代のおじいさんが待っていた。「今は何かと大変だが、もうしばらく頼むよ」と、ずっと一緒に暮らしていたT家の祖父に言われた。
   その時に同世代の知らない男の人2人に会った。一方は生まれてすぐ亡くなったと聞いたいとこ。もう一方は、やはり幼児の時に亡くなったTANUKIの長兄。もちろんどちらとも会った事が無い。「DORAちゃんは覚えていてくれたから、1度挨拶がしたかった」と言われた。どちらも早五〇回忌を過ぎた。

   寒き夜や夢の国より使者来る   DORA

02/11/7

   学園祭の季節である。農大を始め各大学祭で土中で分解可能なトレーを使う運動をしている所があるそうだ。食べ物の模擬店が多いだけに膨大な量が出るであろうから、大変良い試みだと思う。現在価格的には発泡スチロールのトレーの倍位になるそうだが、そこは企業の協賛などをお願いしてトントンに押さえているようだ。農大ではこの使い終わったトレーから堆肥を作り、来年の収穫祭(大学祭)で配る予定もあるそうだ。
   ここ焼津市では、使用済みトレーは白地の物のみスーパーで回収を行っている。物によっては便利であるし、お互いの手間も便利さのお返しとして必要だが、最近スーパーのトレーが印刷付きの物が多くなったような気がする。とびきり中身の見栄えが良くなる訳でもないと思うのだが、回収の手間を惜しんで余分な手間を掛けているとしたら、消費者としては割り切れないものが残る。
   せめて学生さん達の心意気を買って、分解可能なトレーなど使ってみたら如何だろうか。

02/11/6

   『交通政策』と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか?
   江戸時代以前の人々にとって、交通の主力は船だった。沿岸航路だけでなく、川舟、運河等、川という大動脈作りに力を注いだ。もちろん街道もあったが、歩く事が主な移動手段である街道よりも、物流の点では航路の方が優れていた。
   明治維新とともに汽車が入って来た。今度は全国津々浦々に鉄道線路を引いて人や物を運ぶ事が至上命題になった。そして戦後は高速道路と飛行場。
   次々と新しい交通手段にとって変られると、先に作られたものは寸断され役に立たなくなってしまう。
   繋がってこそ流通路としての価値があるのに何かおかしくないだろうか。
   たとえば船や鉄道で拠点ターミナルまで運び、そこから車に乗せかえる。それだけでかなり道路が空くはずだし、無理な長距離を職業として運転する必要は無くなる。空気もきれいになり、事故も減るはずである。
   無理にいくつもの飛行場を作るより、僻地等にヘリポートを作り、緊急時用の配備と小規模な人や物の移動に利用した方が、狭くて山がちの日本という国土の実情に合っているような気がする。
   一つの交通手段をどう効率化していくかというのは会社が考える事である。様々な交通手段をネットワーク化し、どう効率的に組み合わせるかこそ、政治家の考える事ではないだろうか。

02/11/1

   巨人の松井がFAで大リーグに挑戦する事になった。
   いわゆるホームランバッターの大リーグ挑戦は初めて。はたしてゴジラはアメリカでも火を吹くか…。
   スポーツ紙だけでなく、普通の新聞もテレビのニュースも大騒ぎをしているが、スター選手が1人抜けるだけで、オタオタする日本のプロ野球界は情けが無い。彼としてはより大きな舞台でチャレンジしたいのは当然の事だろう。
   彼を快く送り出し、新たなスターを育てていく事が、全体のレベルを上げ、試合を面白くする事に繋がるのではないだろうか。

10月    12月